六章二十六話 『抗う意思』
視界の隅から隅まであます事なく閃光が広がった。
内側から弾けたその光は辺り数メートルを包みこみ、跡形もなく消し飛ばす。遅れて爆音が生じ、少女の耳はうるさいほどの耳鳴りで満たされていた。
かろうじて爆発の範囲から抜け出し、エリミアスの手を引いて走る。
その横、金髪の青年は心底不服そうに、
「あんなのどうしろって言うのさ!」
「分かりません! とにかく逃げないと、一発でも当たったら死んじゃいます!」
「どうしてこう、理不尽な相手しかいないのかな!」
「だから魔元帥なんです!」
文句は腐るほどある。が、それを感情に任せてぶちまけたところで、事態は良くなる訳ではない。さりとて、ここまで圧倒的な理不尽が続くと、流石のイケメンでも文句を垂れ流したくなるようだ。
「逃げてるだけじゃ勝てねーぞ!」
周囲に光の玉を引き連れ、緑髪の魔元帥ーーニューソスクスは言う。
ひたすら走る二人を嘲笑うかのように口元を歪め、すい、と右手を上げた。浮かぶ光の玉の一つ、ゆらゆらと輝きながら二人へと容赦なく襲いかかった。
ここまで理不尽な事があっただろうか。
デストにせよ、ウルスにせよ、ユラにせよ、今までティアニーズが出会った魔元帥とは一応戦えていた。理不尽なスペックを持ちながらも、絶対に勝てないとは微塵も思わなかった。
しかし、
「姫様! 掴まって!」
「はい!」
エリミアスを手繰り寄せ、光の範囲から抜け出すように全力で飛んだ。生じた爆音は鼓膜を破裂寸前まで叩き、放たれた衝撃波は宙に浮かぶ三人を問答無用で前へと押し出す。
平衡感覚もくそもあったもんじゃなく、空中でぐるぐると回転し、しまいには地面に落下。
それでも直ぐ様立ち上がり、生きるために足を前に出す。
こんなやり取りを、先ほどから幾度となく繰り返していた。
「こんな時、ルークならどうすると思う!?」
「そうですね……多分、玉砕覚悟で突っ込むと思います!」
「うん、却下。加護のない俺達じゃ木っ端微塵に弾け飛ぶだけだ!」
確証はないが、恐らくニューソスクス本人はあの爆発に耐える事が出来る。何度も光の玉を炸裂させ、その度に自分も軽く巻き込まれているからだ。範囲を分かっていないという可能性もあるが、流石にそこまでバカではないだろう。
となると、仮に玉砕覚悟で突っ込んだとして、こちらが一方的に殺られるのは目に見えている。超人的な肉体も、精霊の加護もなしに耐えられるとは到底思えない。
近づく事さえ叶わない。
それが今の状況だ。
「こんな時毎回思うけど、魔法の才能があったら良かったのに」
「無い物ねだりしても変わりません。今出来る事を全力でやらないと!」
「あの、私になにか出来る事はありませんか!」
エリミアスの問いかけに、二人は顔を合わせた。彼女の表情は真剣そのもので、本気で役立ちたいという誠意が伝わって来る。
ティアニーズ、そしてトワイルは口を揃え、
「「絶対に離れないでください!」」
「わ、分かりました!」
ルークのようになにも出来ないとはっきり言う事はない。だがしかし、この状況を一変させようと努力しても、エリミアスが加わったところでどうにもならないのだ。
そして、三人が力を合わせたとしても。
「つっまんねぇ事すんなよ! 久しぶりの喧嘩でこっちはテンション上がってんだ! 必死に向かって来い!」
「今作戦を考えてる途中だよ!」
「そうかよ、なら期待しとくぜ。それが披露出来ればの話だけどな!」
二つの光が空へと上り、一直線に三人の進行方向へと落下した。ぐにゃりと空間が歪んだような錯覚に陥り、視界がまばゆい光で満たされた。
周囲の建物を巻き込み、光は爆発。
突然止まる事が出来る筈もなく、直撃はまぬがれたが三人は衝撃に全身を叩かれた。
「ガッ……!!」
なにか硬い壁にでも激突したような感覚。動く壁が前方から迫り、問答無用に自身の体を追い出すように吹き飛ばしたような。
回避も防御も間に合わず、ただ無惨に吹き飛ばされる事しか出来ない。
「逃げてたってなんも変わらねーだろ。生きるには勝つしかなない。勝つには戦うしかない。そんで、生きるには戦うしかない」
とんでもなく遠い場所から声が聞こえて来たような感じだった。酷く鳴り止まない耳鳴りの隙間から、男の声が滑り込んで来た。
頬を地面の冷たさが刺激し、熱いのか冷たいのかすら分からなくなる。
「俺に勝ったら生き残れる、簡単な話じゃねーか。逃げて逃げて逃げて、いつか来る勝ち目ってのを探すのも良いが、とりあえず向かって来てみろよ。なんか変わるかもしれねーぞ?」
他人事のような呟きだった。
悪意の欠片もなく、ただ純粋に助言をしているような。
ニューソスクスにとって、戦いとは己の生きている実感を得るものでしかない。その実感を強く得られるのなら、たとえ敵であろうと鼓舞する事もいとわないのだ。
拳を叩きつけ、ティアニーズは重たい体を持ち上げる。剣を握り、引きずるようして立ち上がる。
「そう、ですね。私がバカでした、今までだってそうして来た筈なのに。逃げたってなにも変わらない」
「良い目じゃねーか。そういう目をする奴は強いって知ってるぜ? 肉体的な話じゃない、魂の話だ」
力の理不尽なんて、今に始まった事ではない。初めて魔元帥と戦った時はズタボロにやられたし、二度目だって腕をへし折られた。そして、ようやく勝利を掴んだ三度目。逃げずに立ち向かったからこそ、ようやくもぎ取る事の出来た勝利。
今さら、逃げる事になんの意味があるというのだ。
「トワイルさん、戦いましょう。このまま逃げたって被害が大きくなるだけです。逃げ遅れた人を巻き込んでしまうかもしれない」
「……俺もそう思ってたところだけど、どうするつもりなんだい?」
「分かりません。けど、戦いながら考えます。今までだってそうして来たから、きっと付け入る隙はある筈です」
「そうだね。部下がやるって言ってるのに、上司が逃げる訳にはいかないか」
力のない笑みを浮かべ、されど意思に満ちた言葉を口にし、トワイルは立ち上がった。
後ろで座り込むエリミアスを守るように立ち、
「あれを受けたらその場で終わりだ。けど、俺達には魔法が使えない。どのみち突っ込むしかない。俺が前に出るよ」
「二人で行きましょう。どちらかが下がっていた場合、姫様を巻き込んでしまうからもしれません」
「分かった。あの玉は光ってから爆発するまで若干のタイムラグがある、その時間を見極めて回避するんだ」
口で言うのは簡単だが、玉が光を放ってから爆発するまで、その時間は僅か数秒。分かっていても避ける事は難しく、理解してても出来るかはまた別の話だ。
しかし、やらねばならない。
失敗すれば死が待っているだけだから。
「ようやく向かって来る気になったか。そんなお前らに一つアドバイスだ。俺のこの力は一度に二つしか爆発を起こせない。それに加え、一度発動してから約十秒間を空けなくちゃならねぇ」
「……それ、言って良い事なのかな?」
「問題ねーよ。分かったところでどうにか出来るとは思えねーし、仮に対処されても素手でぶん殴る。それになにより、その方がおもしれーだろ?」
ニヤニヤと楽しそうに口角をつり上げ、ニューソスクスは準備運動を始めた。
不利になる情報を伝えておきながら、危機感など一切感じられない。本気で、面白くなるためだけに言ったのだろう。
しかし、ティアニーズ達からすれば喉から手が出るほど欲しかった情報だ。たとえ十秒という僅かな時間でも、攻める事は出来る。
だから、
「姫様は出来るだけ離れていてください」
小さくそれだけを告げ、強く地面を蹴って走り出した。真っ正直から突っ込み、二人は同時に剣を振り上げる。
ニューソスクスは体を横に傾け、剣と剣の間を器用にすり抜け、背後に飛び出すと、
「ぶっ飛べ」
両手を上げるニューソスクスの掌には、二つの光の玉がゆらゆらと浮かんでいた。
この至近距離で打たれれば間違いなく致命傷。かと言って避けるのは難しい。あの範囲から一瞬で抜け出すのはまず不可能。となれば、
「トワイルさん!!」
「あぁ!!」
迷わずに踏み出した。下からすくい上げるように剣を操り、ニューソスクスの腕を強制的に弾く。彼の掌を離れた光の玉は空へと上って行き、鋭い閃光とともに爆発した。
爆風によって片膝をつくも、直ぐに気合いで体を起こし、一気にその懐へと潜り込む。
インターバルは十秒。攻める隙がそれしかない以上、多少強引な方法をとるしかないのだ。
笑いながら驚いているニューソスクスの胸に、渾身の一突きを叩き込む。
「良いじゃねーか、やれば出来るじゃねーか! やっぱ戦いはこうでなくちゃなァ!!」
「ハァーー!!」
切っ先が、僅かに皮膚に食い込んだ。それもその筈、ニューソスクスは回避する素振りすら見せず、繰り出された剣に向かって突っ込んで来たのだ。
強引に剣を払いのけ、二人の首を鷲掴みにすると、
「魂が吠えてるぜ!! 最ッ高に俺はワクワクしてる! 今俺は生きてる!!」
雄叫びとともに二人の足が地を離れた。純粋な腕力によって持ち上げられ、そのまま地面に叩きつけられる。
息がつまり、叫ぼうと肺が悲鳴を上げた。
しかし、今度は無理矢理起こされ、
「まさか俺が力に頼りっきりだなんて思ってねーよなァ!?」
乱暴に振り回され、左右に投げ捨てられた。転がりながらも酸素を必死に取り込み、剣を地面に突き刺して強引に動きを止める。むせながらも再び構え、一気に走り出す。
「こんなものですか!」
「そうこなくっちゃな! まだまだ足りねーぞ!」
拳と剣が交わり、鮮血が飛び散った。
戦える。ティアニーズはそう確信していた。
今までのような理不尽な硬さはそれほどなく、魔元帥にも個体差はあるのだろう。ほんの少し、僅かだが確実にその一太刀はニューソスクスの体を傷つける事が出来ている。
爆発にだけ気を配っていればーー、
「そういや言い忘れてたな。操れる光は二つだけだ。でもなァ、他にも爆弾はあるんだぜ?」
「えーー」
光が走った。
視界がくらみ、一瞬自分がどこに立っているのか分からなくなった。次に訪れたのは音だ。バヂィィ!!と電流が走ったような音。
そして、腕が吹っ飛んだような衝撃。
目の前で起きた爆発によって、ティアニーズの体は大きく後方へと吹き飛んだ。
「ぐ……ガハッ…………ゴホッ」
「ティアニーズ!!」
男の声が聞こえたが、上手く言葉として認識出来なかった。全身を襲う熱と鈍痛。身体中をこん棒かなにかでぶん殴られたようか気分だ。
それでも手離さなかった剣から、ピキ、と甲高い音が響く。
朦朧とする意識を無理矢理叩き起こし、敵へと目を向けると、
「いってぇ……やっぱこれはあんま使うべきじゃねーな」
ニューソスクスの拳から煙が上がっていた。風に流されて煙が消えると、惨たらしく焼けただれた手が露になる。
ポタポタと血を滴ながらも、動きを確認するように開いて握り締めてを繰り返していた。
「俺の体は爆弾そのものだ。あの光はちょいと体を削って出してる。まぁ要するに、爆弾人間ってやつだな。……あ? 人間じゃねーか」
正気の沙汰とは思えない。自分の手を爆発させ、ティアニーズの攻撃を強制的に凌いだのだ。
普通なら、手首ごと吹き飛んでもおかしくない威力だった。なのにも関わらず、ニューソスクスは涼しい顔で冗談すら口にしている。
甘かったと、自分を呪った。
そんな簡単な相手ならば苦労はしない。
一筋縄ではいかないからこそ、人類の脅威として語られているのに。
「今助ける!!」
「仲間思いなのは良いが……十秒たったぜ?」
「な、にーー」
走り出したトワイルの体が、問答無用で横へと凪ぎ払われた。数メートル上昇し、そのままなすすべもなく鈍い音とともに叩きつけられた。
十秒経過した事により、力が復活したのだ。
その爆発を間近で受けて、トワイルは吹き飛んだ。
ぐったりと倒れこむ青年に向けて手を伸ばす。しかし届かない。必死に動けと命令を下しても、体が言う事を聞いてくれない。
痛みによってかき消され、その場で蠢く事しか。
「終わりだな。まずは女、お前からだ。久しぶりに楽しかったぜ、勇者に伝えといてやるよ」
「……ぐ」
ゆっくりと、足音が迫る。
先ほどまでの幸福に満たされていた表情は見る影もなく、冷たく突き放すような赤い瞳が近付いて来る。
逃げないと、そう思っても、かろうじて動くのは指先だけだった。
そんなティアニーズの前に、一人の少女が立ち塞がる。
「させません!」
「……退け、今の俺は機嫌が良いから見逃してやる」
「退きません。決して、私はここから一歩も動きません」
両手を広げ、庇うように立つエリミアス。
指先が恐怖で震えているのに、それを押さえつけるようにして唇を噛み締めていた。
「戦えねぇ奴を殺す趣味はない。お前が黙って消えるなら見逃してやるよ」
「この方達は私の友達です。だから、絶対に退きません」
「……元々今回の件に関しちゃ、俺は戦えればそれで良かったんだ。だから消えろ、殺すリストに乗っててもお前は戦える人間じゃねぇだろ」
頑なに退く気配のないエリミアスに、ニューソスクスは容赦なく殺意を向けた。
声が漏れ、エリミアスの足がぼけた視界でも震えているのが分かった。耐えられる筈がない。ティアニーズでさえ、初めて魔元帥と対面した時は恐怖に押し潰されたのだから。
エリミアスはその場でしゃがみこみ、揺れる瞳からは涙がこぼれ落ちた。
当たり前だ。これが、普通の人間なのだ。
「初めからそうしろ。戦えるようになったら殺してやる。それまではーー」
そこで、ニューソスクスの言葉が遮られた。
彼の頬に、小さな石ころが当たったからだ。蚊にでも刺されたかのように頬をかき、それをやった人間へと目を向ける。
「なんのつもりだ」
「これで、私は貴方の敵です。私は貴方に攻撃しました……これで、私も殺すべき相手になった筈です……!」
立ち上がり、前を向くエリミアスの手には石ころが握られていた。そんなもの、抵抗にすらならない。文字通り、蚊に刺された程度の威力にしかならない。
それでも、少女は身を食いちぎるような恐怖と向き合い、必死に自分を奮い立たせているようだった。
ニューソスクスの口元が僅かに動いた。
鋭い視線が和らぎ、今日一番の笑い声が響き渡る。
「アハハハハ! 悪かった、俺の負けだ。そうだよな、俺ともあろう奴がバカな真似をしちまった。すまねぇ」
「…………」
「なるほど、人間はつえぇ奴が多いな。ウルスが好きになるのも分かるぜ。おーけー、お前を殺す相手として認識してやるよ」
笑顔が消え、思い沈黙がその場を支配した。
そして、放たれる。
光の玉がニューソスクスの横を通過して、戦う意思を示した少女に向かい。
「逃げ、て……」
「逃げません。私も、一緒に戦いたいのです。もう、逃げて目を逸らしてばかりなのは嫌なのです」
「ダメ……!」
エリミアスは一切動こうとはしない。
振り絞って伸ばした手が彼女の足を掴むが、それ以上の事はなにも出来なかった。
ただ、迫る光を見つめる事しか。
そして、閃光が走るーー、
「……あ?」
いくら待っても、爆発は訪れなかった。
エリミアスも、ティアニーズも、ちゃんと手足がくっついたまま息をしている。
疑問の声を上げたのはニューソスクスだった。光が炸裂したのに、いつまでたっても爆発は起きない。
見れば、光の玉はまだ宙に浮いていた。
エリミアスの目の前で動きを止め、今もゆらゆらと揺れている。
そこに異変があった。丸い透明な膜が光を包みこみ、爆発を押さえていたのだ。やがてそれは極限まで圧縮され、光の粒となって消滅した。
「なに、が……」
頭の整理が追い付かず、間抜けな声を出すティアニーズ。
すると、横を誰かが通り過ぎた。
奇妙な仮面をつけた人物だった。
その人物は、エリミアスの横に立ち、
「……その瞳、エリザベス様のご子女様ですね」
「……え? ど、どうしてお母様の名前を」
それだけ言って、仮面の人物はニューソスクスの方へと体を向けた。
エリミアスも突然告げられた母の名前を聞いて困惑の色を滲ませ、ただ仮面を見つめるだけだった。
「誰だお前」
「…………」
ニューソスクスの問いかけを無視し、淡々とした語り口調が響く。
この状況において、恐ろしいほどに落ち着いた声だった。しかし、その中に僅かな怒りが混じっているようだった。
仮面の人物は静かに、こう告げた。
ニューソスクスにではない。
エリミアスに向けて。
「私の名前はケルト。エリザベス様との約束に従い、碧眼を持つ貴女の盾となりしょう」