六章二十五話 『負けず嫌いな魔法使い』
背後で巻き起こった巨大な爆発。炸裂音が鼓膜を叩き、走り出したメレス達の元までその衝撃波は押し寄せていた。
吹き荒れる突風を背中に受け、バタバタと靡く髪を押さえながら、
「どうなってんのよこれ。あちこちで爆発起きてるけど」
「さっきの魔元帥の仕業ね。まったく、四人で乗り込んで来るとかなに考えてるのよ。メレス、アンタ戦った事あるのよね?」
「四人で挑んでギリギリ勝てた。正直、私とアンタが組んでも勝てるかどうか……」
「やる前からなに言ってるのよ。やらなきゃ死ぬ、どのみち進むしか道はない」
引き連れて来た部下達に住民の避難を誘導するように指示し、メレスとハーデルトはさらに進む。
目視出来た爆発は二つ。
一つはトワイル達の場所だとして、もう一つは西門の付近。今から走ったところで入れ違いになる可能性がある以上、こちらは残りの二人を探すしかない。
状況は最悪。先手を打たれた上にこちらの戦力は数人。ルークという切り札があるにせよ、今は昨日の祠に行っているに違いない。
このまま後手に回れば、間違いなく都市を乗っ取られてしまう。
「とっとと見つけてぶっ潰すしか解決策はない、か。いきなり動きが活発になりすぎだと思わない?」
「勇者が現れたから、って考えるのが普通ね。今まで目撃情報すらなかったのに、ここ最近じゃ目立ち過ぎてる」
「結局あのバカに行き着く訳ね。そもそもここに来た理由はなに? ルークを殺すため?」
「恐らく。それにしても妙よね。こっちの動きが完璧に漏れてる。ルークがここに来るのだって私達は知らなかったのに」
「逆なのかも。ルークがここに来たから奴らは攻めて来た」
この事態はあらかじめ予定されていたものではなく、行き当たりばったりで起こった事なのかもしれない。待ち構えていたにしては雑過ぎるし、ルークがカムトピアに来てから約二日経過している。
となると、
「ルークがここに来た。それを誰なのかは分からないけど見つけて、仲間の魔元帥を呼んだって事?」
「……どちらにせよ、ルークを死なせる訳にはいかない。まだルークの居場所はバレてないみたいだしね」
「そうだと良いけど」
嫌な予感を切り捨てるように呟き、二人は走る速度を上げた。
どうしてこんな事態になったのかは分からない。分からないけれど、やらなければいけない事だけは分かっている。
「残り三人の魔元帥を見つけて殺す。それ以外に生き残る方法はないわね」
ウルスと戦ったから分かるが、魔元帥は人間が普通に戦ったって勝てる相手ではない。それに加え、王都の時のようにいざとなったら助けてくれる部隊もない。
今ある戦力で、なにがなんでも止めなければならないのだ。
しばらく町の中を走り回り、パニックになっている人々を落ち着かせながら二人は魔元帥を探していた。幸い、こちらはこれといった被害はなく、大きな爆発音に驚き、そして怯えて正常な思考を働かせられていない人ばかりであった。
「こっちにはいないっぽいわね。このまま闇雲に走り回っても疲れるだけよ」
「そんな事言っても、奴らを探す方法なんてないでしょ。偶然見つけるか、奴らが私達に会いに来てくれるのを期待するしかない」
「もっと効率的なのが良い。ドレスって走り辛いし」
「それはアンタの自己責任。仕事サボって婚活に行こうとするからよ」
「ち、違うわよ。これはパトロールの一環で、婚活パーティーに怪しい奴がいないか調査するためなの」
「はいはい、そういう効果のない嘘は止めなさい」
減らず口を叩きつつも、メレスの心情は焦燥感で溢れていた。騎士団に所属して色々な仕事をやらされて来たが、未だかつてないほどの非常事である事は誰が見ても明白だ。
そんな状況下だからこそ、平常心を心がけなくてはならない。
ぐるりと辺りを見渡し、
「ここら辺は多分大丈夫ね。東の方に行ってみましょう」
「…………」
「ハーデルト?」
ハーデルトからの返事がなく、メレスは振り返る。と、道の先を見つめて固まっていた。
その視線の先には、ソラと同じくらいの身長の少女が立っていた。
こな混乱の中、逃げる様子もなく、怖がる様子もなく、真っ直ぐとこちらを見つめて。
「魔元帥の特徴ってなんだったかしら」
「赤い目。あとは……アホみたいな威圧感」
焦げ茶色の短い髪を後ろで束ね、体をおおうほどの大きさのローブに身をつつんでいる。前髪で目が隠れていたが、不意に風が吹いて赤く光る瞳が露になった。
好戦的な様子はない。逃げ出したくなる威圧感も、目を逸らしたくなる恐怖も。
なにも、感じなかった。
表情に、一切の感情が見られない。
メレスは目を細め、確認をとるように、
「あれ、普通じゃないわよね?」
「普通過ぎて普通じゃないって言い方の方が正しいと思うわ。メウレス並みよ。なにも感じない。逆に怖いわね」
「じゃ、決まりね。あの子供をぶっ飛ばす」
「ちょっと待ちなさい。もし普通の人間だったらどうするつもり?」
「簡単よ。普通の人間なら謝って怪我を治してあげれば良い」
少女に向けて手をかざし、メレスは躊躇う気配もなく特大の炎を放った。炎は巨大な蛇へと姿を変え、大きく口を開けた直後、そのままただずむ少女を一飲みにした。
圧倒的な熱が広範囲に広がり、周囲の民家を軽く焦がす。
ハーデルトは焦った様子で、
「バ、バカじゃないの! いくらなんでもやり過ぎよ!」
「……そうでもないみたい。あれ、見てみなさい」
ゆっくりと黒煙が立ち上がる中、少女は微動だにせずその場に立っていた。あれだけの熱を受けて怯むどころか、まとっているローブにすら燃えた気配がない。
少女は顔色一つ変えず、
「……敵、だよね」
「多分ね。アンタが魔元帥なら、私はその敵よ」
ギリギリ聞き取れるくらいの小さな呟きに、メレスはわざと声のボリュームを上げて答える。
どう考えても、普通の人間ではない事は明らかだった。
ウルスでさえ怯んだ魔法が、少女にはまったく通用していない。
「アンタって昔からそうよね。もう少し後先考えてから行動しなさいよ」
「そんなの動きながらやれば良いだけの話でしょ。それに、今回は正解みたいだし」
呆れた様子のハーデルトだったが、少女が敵だと分かるやいなや、真剣な顔つきへと変化した。
メレスの実力を分かっているからこそ、あれを受けて無事な筈がないと判断したのだろう。
少女は顔を上げた。
幼い顔つきだった。見た目だけならソラよりも若く見える。力なく落ち着いた目尻と、感情のない赤い瞳。
戦意はない。悪意も、善意も、なにも感じない。
「ケレメデ。それが私の名前」
「別に聞いてないわよ。名前なんてどうでも良い」
「ニューソスクスに、戦う時は名乗れって言われたから」
酷く落ち着いた声で、ケレメデと名乗った少女が呟く。それから歩き出した。ゆっくりと、真っ直ぐに。
足音だけが耳に滑りこみ、メレスは再び手を振り上げると、
「殺りにくいわね。ウルスみたいな見た目だったら容赦なく殺れるのに」
とか言いつつも、容赦なく炎をぶっぱなした。彼女の出せる最大出力だ。
相手が魔元帥だと分かっているからなのか、ハーデルトはなにも言わずにそれを見守る。
そして、特大の炎がまたもや直撃した。
しかし、メレスは気に入らない様子で顔をしかめる。
「当たったわよね?」
「間違いなくね。さっきのも、今のもきちんと当たってる」
「だったらなんで……あの子供無傷なのよ」
何事もなかったかのように、少女は足を前に出していた。
魔元帥は人間よりも硬い。それはウルスの時に経験しているので理解していたが、少女のはそれともまた別だろう。
体そのものではなく、まとっている衣服にすら汚れがついていない。
となると、
「ウルスみたいに、あの子供にもなんか力があるって訳ね」
「力?」
「魔元帥には固有の力があるみたいなの。前にティアニーズから聞いた気がする」
「魔法が効かないとか? だったら相性最悪じゃない」
「それならそれでやりようがある」
掌を地面に当て、至近距離からの炎で砕いた。宙に舞った破片を拾い上げるように水で包みこみ、水圧を利用して一気に破片を勢い良く飛ばした。
破片の弾幕が少女へと襲いかかる。
だがしかし、少女に破片が触れた瞬間、不自然な動きとともに左右へと逸れた。
「……ねぇ、ハーデルト。今のも当たってたわよね?」
「そりゃもう、はっきりばっちりと。当たったのは間違いない。でも、なによあれ……弾かれた……?」
「攻撃を弾く力? デタラメ過ぎる……そんなの手の打ちようがないじゃない」
「私が行く」
メレスを背にして、ハーデルトが踏み出した。
依然として無表情のまま迫るケレメデに向け、いくつもの氷の礫が放たれる。おまけと言わんばかり、続けて炎や水、雷が襲いかかった。規格外の威力が炸裂し、その被害は周りに建っている建造物まで巻き込んで。
けれど、
「……冗談じゃない。これでも国を代表する魔法使いなのよ。それが……まったく通用してない」
ハーデルトの言葉には、驚きというよりも悔しさが滲んでいた。今まで積み重ねて来た努力が、血の滲むような経験が、たった数秒で見るも無惨に砕け散ってしまった。
そんなどうしようもない理不尽。
ハーデルトの怒りは、そこに向けられていた。
「どうすんのよ。とりあえず殴ってみる?」
「止めときなさい。相手の力が分かってないのに、下手に接近して返り討ちにでもあったらどうするの」
「じゃあどうするのよ。魔法も、物理も、なんにも通用しない。戦うとか以前の話よこれ」
行き場のない怒りに、若干険悪なムードが流れる。ただ、この二人はいつもこんな感じなので通常営業である。
とはいえ喧嘩している場合でもなく、ハーデルトは自分を落ち着かせるように息を吐き出すと、
「全力でやる。もしあの子供の力が弾くとかの類いなら、それすらも出来ない威力の魔法をぶつけるだけよ」
「珍しく敵意むき出しじゃない」
「アンタと違って私は努力してこの力を手にしたの。それをあんな子供にこけにされて、黙ってられる訳ないじゃない」
「それだと私が頑張ってないみたいじゃない。でもまぁ、それには同感ね」
ハーデルトは天才ではない。メレスのような天賦の才があった訳ではなく、ひたすら努力を積み重ね、アスト王国を代表する魔法使いまで上りつめたのだ。
それを知っているから、見てきたから、メレスだって多少の憤りを感じている。
「全力をぶちかます。町を壊す事になるけど、それはそれ。あとで謝ればなんとでもなるわよ」
「私の不始末は全部トワイルに押し付けるつもりだし、まぁその話に乗ってやるわよ」
並び立ち、二人はゆっくりとこちらに歩みを進めるケレメデへの目を向けた。
アスト王国でも五本の指に入るほどの魔法の使い手。お互いがお互いを良く知っているからこそ分かる。どうしようもなく、負けず嫌いなのだと。
「行くわよ!」
「任せて!」
メレスの声を合図に、怒涛の勢いで魔法が放たれた。
周囲の被害などまったく気にせず、持てる全ての力をなんの躊躇いもなく一心不乱にぶつける。
舗装された地面は剥がれ、新築の家は木っ端微塵に砕け、立ち並ぶ屋台は台風にでも襲われたかのように空へと舞い上がる。
基本の四属性を束ね、それを応用した複合魔法。常人ではたどり着けない場所に立ち、その上魔法に形を与える。才能で全てを得たメレス。努力で全てを勝ち取ったハーデルト。
この二人を同時に相手して、勝利をもぎ取れる人間は騎士団にだっていない筈だ。
なのに。
その筈なのに。
「…………ッ」
唇を噛み締め、眉間にシワを寄せながらメレスは目の前の光景を受け入れる事が出来ずにいた。
それはハーデルトも同じようで、振り上げた手が力なくゆっくりと下ろされる。
ふざけるなと、心の底から叫びたかった。
だってーー、
「終わり、ですか?」
ケレメデはそう問い掛けた。首を傾げ、これ以上のものはなにもないのかと。
これだけやって、なに一つ効いていなかった。
歩みを止める事は出来たけれど、身に付けている服には傷一つついていない。
彼女の周りだけ地面が抉られ、破壊された民間や屋台の残骸が落ちている。しかし、その中心に立つケレメデは無傷だった。
焦げた痕も、凍った痕も、風で切り裂かれた痕も、濡れた痕も、なにもない。
当たり前のように、そこに立っていた。
「……ふざけんなっての。チートもここまで行くと清々しいわね」
「……手加減した、なんて事はある?」
「本気も本気、この町を壊すくらいのつもりでやったわ」
「そう、実は私も」
こぼれるのは笑みだった。なぜ笑っているのかは分からないが、そうする事でしか平然を保てないと、体が無意識に動いているのだろう。
敗北した、なんて実感はこれっぽっちもなかった。
それほどまでに、ケレメデの様子は『普通』だったのだ。
「お姉さん達じゃ私に傷一つつけられないよ。私は、敵だから」
「バーカ、それで分かりましたって引ける職業じゃないのよ」
「諦めないの? 無駄なんだよ?」
「諦めて逃げれたら楽でしょうね。別にこの仕事に誇りなんてないし、たまたま幼なじみがやるって言ったからついて来ただけだし」
「私とアルフードのせいにしないでよ」
ハーデルトの言葉に、メレスは皮肉めいた笑みで答える。
ケレメデは足を止め、メレスの話に耳を傾けていた。興味があるのか、ほんの少しだけ瞳が揺れ、
「じゃあ、なんで諦めないの?」
「意地よ。ムカつくじゃない、負けるのって凄く腹立つし、勝つなら徹底的に勝ちたいの」
「私には勝てないよ」
「今はまだ、ね。でもやってればその内勝てるかもしれない。そもそも、魔元帥相手に勝てるなんて思っちゃいないわよ」
ウルスの時、魔元帥との実力差を思い知った。人間はどれだけ頑張ったとしても、彼らの領域には指先をかける事すら出来ないと思い知らされた。
けど、それでも立ち上がる人間がいた。
「アンタ達の目的がなんだろうが知らないし興味もない。人間を殺す理由だって知りたいとも思わない」
その少女は、たった一つの願いのために立ち上がっていた。殴られ、蹴られ、腹を貫かれ、それでも譲れない信念のために最後まで立った。
あの時、これで終わりだと思っていた。
「でも……」
あの声を聞いて、無意識に体が動いていた。
立ち上がった少女を、立ち向かった少女を、格好いいと思ってしまった。
「部下が必死こいて戦ってるのに、上司が諦めて逃げ出す訳にはいかないでしょうが!!」
やる気も信念もない。誇りも意思もない。
それでも立ち上がるのは、きっと負けたくないからだ。
魔元帥に、あの少女に、そしてなによりも、自分自身に。
だから、
「アンタは今ここで私達が潰す!」
その言葉に、ハーデルトはやれやれといった様子で微笑んだ。
メレス自身、意識して発した訳でもない。一人では敵わない。それを認め『私達』と口にした事を。
「私とアンタが手を組んで負ける筈がないでしょ。アルフードにだって勝ったんだから」
「当たり前よ。魔元帥だかなんだか知らないけど、魔法使いってのは諦めが悪いのよ」
二人の魔法使いは、顔を合わせて口元を緩ませた。
そんな二人のやり取りを黙って見守っていたケレメデだったが、考えるように数秒間うつ向いた。それから顔を上げ、
「良く分からないけど、諦めないんだね」
「当然」
「分かった。じゃあ、私も敵として頑張らないとだね。ちゃんと、お姉さん達の敵になれるように頑張って戦うよ」
なにを言っているのかは分からないが、見逃すつもりはないらしい。やる気満々、とは見えないが、二人を見つめて静かに頷いた。
「行くわよハーデルト。足引っ張んないでよね」
「それはこっちの台詞。この戦いに勝ったら良い女になれるんじゃないかしら」
「そ、じゃあ気合い入れて頑張らないと」
負けず嫌いな二人の魔法使い。
己の無力さを知り、相手の強大さを知り、なおも引くという選択肢は選ばない。