六章二十一話 『絶望の鐘の音』
ティアニーズ・アレクドルはすこぶる不機嫌である。
そんな予感はしていたので、多少の心構えはあったものの、いざ現実に対面するとやはり気持ちを抑える事を出来ずにいた。
「まぁまぁ、とりあえず落ち着いて。ルークも悪気があった訳じゃないし、ティアニーズに心配をかけないようにと思っての行動だと思うよ」
「本当に、そう思いますか? あの人が私を気遣うと」
「うん、ごめん、ないと思う。ただ止められるのが面倒だったんじゃないかな」
「……知ってました」
苦笑いを浮かべるトワイルの言葉を聞き、ティアニーズはふてくされたように唇をすぼめた。
カップに注がれたコーヒーを一口飲み、苦味がチクチクと舌を刺激する。ちょっとだけ強がってブラックに手を出してはみたが、子供の舌にはあわないようだ。
「ルーク様、どこへ行ってしまったのでしょう……」
ティアニーズの横、カップをくるくると回しながらしょげている少女がもう一人いた。
エリミアスに関してはルークがどこにいるのかすら聞かされていないので、不安だけで言えばティアニーズ以上だろう。
トワイルは少し考え、
「ちょっと朝の散歩って言ってましたよ」
「ソラさんとご一緒にですか?」
「は、はい」
「トワイルさんは嘘をつくのが下手です」
「あ、あはははは……」
一応昨日は簡単に騙されていた筈なのだが、今回は謎の察しの良さを発揮している。
トワイルは頬をかきながら最終兵器のかわいた笑いでなんとか誤魔化そうとしてみたようだが、その場の空気は一向に良くなる気配はなかった。
ただ、ルークが勝手に出て行くのは予想の範囲内。多少の悲しみはあるけれど心構えはあった。
しかし、とある二人組の姿が朝からまったく見えないのだ。
「アンドラさんとアキンさん、多分ルークさんについて行きましたよね……」
「恐らくね。昨日の話を聞かれてたんだと思う。まったく、油断も隙もないところはアルフードさんそっくりだよ」
「ずるい……」
「ん? なにか言ったかい?」
「い、いえ、なんでもないです」
思わずこぼれ落ちた本音を隠すように口元を手でおおい、ブンブンと激しく首を横に振る。
ニコニコと明らかに気付いているトワイルだが、
「まぁ、あそこに入る事は出来ないだろうし、諦めて帰って来ると思うよ」
「そうだと良いんですけど……アンドラさんって、どことなくルークさんに似てるから諦めが悪そうなんですよね……」
「似てる? あの二人が?」
「はい。上手く言えませんけど……芯にあるものが同じって言うかなんと言うか……」
「俺には分からないけど、ルークと付き合いの長い君が言うのならそうなんだろうね」
意味ありげなトワイルの言葉に、ティアニーズはとぼけた様子で首を傾げた。
諦めの悪さ、性格の悪さ、態度の悪さ、主に悪いところばかりが似ている二人だが、アキンを助けたいという気持ちを持っているアンドラの方が、幾分か人としては立派だ。
ティアニーズはコーヒーをブラックで飲む事を諦め、多めにミルクを投入しながら、
「あの、ずっと気になっていたんですけど、アンドラさんってそんなに悪い人なんですか?」
「どういう意味だい?」
「私も一度襲われた事があるので、完全に善人とは言えないと思います。けど、私がデストという名の魔元帥と会った時、真っ直ぐに向かって行ったんです」
「……アンドラさんが魔元帥と戦った? それは、初耳だね」
「はい。あと、私は覚えてないですけど、ルークさんとアキンさん、それとアンドラさんの三人で魔元帥を倒した事もあるんですよ」
ゴルゴンゾアでの事だが、アンドラはルークと協力してドラゴンの魔元帥を倒している。
成り行きと言えばそれまでだが、どうしても極悪人とは思えないのだ。ルークと似ているからかもしれないが。
「うーん、そうだね。確かにアンドラさんは悪い人、と断言する事は出来ないと思う。殺人、窃盗、犯罪は犯しているけど、あの人が追われている理由はそれじゃないんだ」
「そうなんですか?」
「もっと大きな理由があるんだよ。俺も詳しくは知らないし、これは副隊長以上の階級の人間にしか伝えられていないんだ」
「ご、極秘情報ってやつですね。でも意外です、強い人なのは知ってますけど」
「うん、あれでもアルフードさんのお兄さんだからね」
ルークとアンドラが似ているとなれば、間接的にアルフードとも似ている事になる。しかしながら、ティアニーズはアルフードの事をそれほど詳しくは知らない。
隊に配属されてからそれなりの付き合いはあるもの、あまり関わる機会がなかったからだ。
それでも妹のように可愛がってくれた事もあり、アルフードの事は信用している。
いや、それはティアニーズだけではない。第三部隊に所属する者は、トワイルを含めなんだかかんだで信頼を置いているのだ。
「……アンドラさんが魔元帥と、ね。これも運命ってやつなのかな」
「はい?」
「いや、なんでもないよ。確かに、ルークとアンドラさんは似ているのかもね」
含みのある言い方に違和感を覚えたが、それ以上聞く事はせず、ミルクたっぷりのコーヒーを一気に飲みほした。
苛々が段々とおさまって来たところで、
「あの、姫様。ネルフリアさんを見ませんでしたか?」
「ネルフリアさんなら、ビートさんについて行ってしまいましたよ? なでなでしたかったのですけど、鍛冶場を突き止めると興奮した様子で出て行かれました」
「ビートさんも大変ですね……。アテナさんは?」
「アテナさんはお散歩と言ってました。少し町を見て回りたいとの事です」
「……皆勝手だなぁ」
アンドラにアキン、アテナまで勝手にどこかへ行ってしまった。静かになるのでそれは良いのだが、三人とも色々と危うい立場なのを理解しているのだろうか。
ともあれ、久しぶりのゆっくりとした空気に、ティアニーズは心を落ち着ける事にした。
「俺はこのあと宿舎に行くけど、二人はどうする?」
「私も行っても良いのですか?」
「まぁ、どのみち最後には行かないとですし、いつまでも隠れている訳にはいかないですからね」
「最後……そうですよね、私は帰らないといけないのですよね」
「だ、大丈夫ですよ! また一緒にどこかへ行くと約束したじゃないですか!」
地雷を踏んだ事に気付き、口を開けてかたまるトワイルの代わりに、ティアニーズがなだめるように身振り手振りで騒がしく口を開く。
エリミアスは力のない笑みを浮かべながら、
「は、はい。皆さんとどこへ行くか考えておきます! お城の中は暇なので、行きたい場所はいっぱい考えてあるのですよ!」
「必ず行きましょう。ルークさんは面倒だと言うかもしれませんけど、大丈夫です。私が引きずってでもつれて行くので!」
トン、と胸を叩き、出来るだけ不安を取り除くように微笑みかけるティアニーズ。これで旅をするのが最後だとしても、会うのが最後ではないのだ。
「俺も同じです。皆で一緒に遊びましょう、飽きるまで」
「はい!」
完全に元気を取り戻し、いつものような純白の笑顔を取り戻したエリミアス。姫だから、という前に、ティアニーズは彼女の優しい笑顔が好きなのだ。
そして、羨ましくもあった。
ティータイムを終え、三人は宿舎へと向かうべく宿をあとにした。
自由、とまでは行かないが、エリミアスは外に出られて心底楽しそうである。
「あぁそうだ、宿舎にはメレスさんがいるよ。あと、ハーデルトさんも。昨日は会えなかったけど、アルブレイルさんとメウレスもいるらしい」
「久しぶりな気がします。コルワにも会いたいです」
「きっと寂しがっていると思うよ。君がルークを迎えに行った時なんて、あとを追いかけるって聞かなかったんだから」
「コルワはまだまだ子供ですから。私がいないとダメなんです」
得意気に胸をはるティアニーズを見て、トワイルは優しい瞳を揺らした。
コルワはティアニーズが騎士団に入って初めて出来た友達なので、付き合いもそこそこ長い。年齢も変わらないという事もあり、一番の友達と言っても過言ではないだろう。
「あの、トワイルさん。ずっと気になっていた事を聞いても良いですか?」
「今さら改まってなんだい?」
「トワイルさんて、彼女とかつくらないんですか? 誰かさんと違って優しいですし、格好良いですし」
「あはは、今はまだね。やる事が山積みだし、俺自身あまり興味がないんだ」
「誰かさんに爪のあかを煎じて飲ませてやりたいです」
真のイケメンとはこういう人間をいうのだろう。
嫌みったらしさはなく、一つ一つの仕草ひ爽やかという文字が漂っている。あの変態勇者とは大違いである。
トワイルはなにか思いついたように空を見上げ、
「そういうティアニーズはどうなんだい? 君の年頃だと、恋愛の一つや二つしてそうだけど」
「わ、私も興味ありません。この国を平和にしなくてはならないので」
「じょ、女子トークですね! 私も気になります!」
「俺は女子じゃないんだけどな……」
町を興味津々な様子で眺めていたエリミアスだったが、恋愛の話と知り食いついて来た。いくら姫様といえど、まだまだ十四歳の少女なのだ。
「ティアニーズさんは、好きな人がいるのですか? 」
「へ? い、いませんよ。全然、まったく、興味ないですもんっ」
「ふーん、いないんだ。俺はてっきり……いや、これは止めておこう」
「な、なんですか! そこまで言って止めないでください!」
「言って良いのかい?」
「ダメです!」
「ダメって事は心当たりがあるんだね」
巧みな誘導尋問により自爆。トワイルの話術云々よりも、ティアニーズの恋愛話に対する耐性があまりにも低すぎるのが原因だよう。言い返す事もままならず、ただうつ向いて顔を染める事しか出来ずにいた。
すると、エリミアスがもじもじと指をあわせ、
「あの! 私は……その、好きな人がいます!」
「え!? そ、そうなんですか!?」
「はい。でも、まだこれが好きという気持ちなのかははっきりしていません」
「姫様は、なぜその人の事を好きだと思うんですか?」
「……自由な方なのです。私と同じように大きな役目を背負っていながら、あの方は自由であろうとしている。そういうところに、憧れたのです……」
エリミアスの真っ直ぐな瞳を見て、ティアニーズの頭には一人の男の顔が浮かんだ。自由と言えば聞こえは良いが、ただひたすらに自分の信じた道だけを突き進む男の顔が。
この瞬間、分かってしまった。
エリミアスは、ルークに好意を抱いているのだと。
「あの、姫様。その人って……」
「?」
「いえ、なんでもありません。姫様の幸せを、私は願っていますから」
敵わない、敵う筈がない。
そんな言葉でティアニーズの心中は満たされていた。ただの騎士と姫様じゃ、そもそも勝負にすらならない。容姿も、心も、自分にはあんな輝く笑顔なんたつくれやしないと。
いくら付き合いが長いとはいえ、圧倒的な越えれない壁がそこにはあるのだ。
言葉を失い、うつ向いたまま歩みを進める。
と、そんな時、不意にトワイルが肩を叩いた。
「さっきも言ったけど、俺は恋愛に興味がないし、経験もない。だから、これは一人言だと思って聞いてくれ。そうだね……例えば、ルークの話をしようか」
「ルークさんの?」
「ティアニーズは、ルークの好きなタイプを知っているかい?」
「ボインで包容力のあるお姉さんって言ってました」
「フッ、ルークらしいや。でも、それは理想だ。理想っていうのは絶対に叶わないものの事を言うんだよ」
「絶対に、叶わないもの?」
一人言、と言った手前、トワイルは前だけを見ながら話を続ける。
楽しそうに笑みを浮かべ、横顔だけでも彼の人の良さが伝わって来ていた。
「だってそうだろ? 世の中に自分の描く完璧な人間なんていない。必ず欠点はあるものだ。欠点のない人間なんて人間とは言わない。考えてもみなよ、精霊であるソラにも欠点はある」
「私もそれでお風呂で襲われました」
「理想とは最高のもの。言い方は悪いけど、恋愛は理想からどれだけ妥協出来るかって事だと思う」
「なんだか、凄く悲しくて酷い話ですね……」
「そういうものだよ。でも、誰もそんな事は言わない。なぜだが分かるかい?」
「それは、知られたら嫌われてしまうから……」
「いいや、そうじゃない」
ここで、トワイルはティアニーズの方を向いた。片目を瞑り、人差し指を立て、
「その人が理想になったからだ。その人に出会うまでの理想は消え、出会ってから新しい理想を得た。そうだね、簡単に言うなら、好みが変わったって事だよ」
「それと、ルークさんがどう関係あるんですか?」
「俺はルークの事を凄く人間らしいと思ってる。言いたい事を言って、けどその言葉になに一つ責任を持とうとはしない。クズってのは当たりだけど、それが普通なんだ」
基本的に、ルークは言いたい事を言うだけだ。正論とか関係なく、思った事を相手にぶつけ、反論されれば『知らねぇよ』の一言で片付けてしまう。
責任もへったくれもありはせず、ブーメランを投げていようが関係ないのだ。
「そんなルークが好きになる人は、きっと普通の人なんだと思う。普通に仕事して、普通にお洒落して、普通に暮らすような人。可も不可もない、至って平凡な人間」
「…………」
「ルークは人間だ、どうしようもなく、羨ましいくらいに。そんな男が好きになる女性は、きっと不幸だろうね」
「そうですね、毎日あの人のお世話をしなくちゃいけませんから。毎日喧嘩して、毎日文句言われて、それに耐えられる人じゃないといけません」
きっと不幸だ。喧嘩だって絶えないだろうし、というか喧嘩をしない日の方が珍しいに違いない。
けれど、そんな日々を想像して、ティアニーズは悪くないと思ってしまっていた。無意識に、口元が緩んでいた。
緩んだ口で、
「だから、それに耐えられる根気、自分を曲げない諦めの悪さ、ルークさんに立ち向かう勇気がある人じゃないとダメですよね」
「あぁ、それくらいないと、ルークの横には立てないよ」
「はい! ……って、別に私は結婚とか考えてないもん」
「はいはい、これは一人言だからね」
大人の余裕を見せつけられ、ティアニーズは顔を逸らしながら頬を染める。恥ずかしくてなんとも言えない気持ちだけど、案外悪くはなかった。
胸を締め付けていた不安が、いつの間にか消えていたのだ。
ティアニーズの機嫌も直り、しばらく進んでいるとようやく宿舎が見えて来た。
なんの話をしていたのか気になっている様子のエリミアスだったが、この話をする事はきっとないだろう。
「それじゃ、俺は中を見てくるから。二人はここで待ってて」
そう言って、トワイルは一人で中へと入って行ってしまった。
残された二人の少女は、辺りを見渡して時間を潰す。と、
「あのパン屋さん、以前ルーク様とご一緒した時に食べたのと同じです」
「ん? あぁ、あのパン屋さんはアスト王国を転々としてるんですよ」
エリミアスの視線の先にあったのは、王国で見たパン屋だった。あの時は色々あってパンを捨ててしまったのは悪い思い出だ。
キラキラと目を輝かせ、よだれを垂らしそうなエリミアスの横顔を見て、
「少しお腹が減りましたね。姫様も食べますか?」
「良いのですか?」
「はい、勿論です」
あえてデートの事には触れず平然を装い、ティアニーズ達をパン屋へと移動。というか、言ってしまったらストーカーしていた事がバレてしまう。
ポケットから財布を取りだして中身を確認。振り返り、なにを買うか聞こうとした時ーー、
「ーーえ?」
ーー宿舎が燃えていた。
激しく炎を揺らし、数秒後、轟音とともに粉々に吹き飛んだ。
頭が異変を察知するよりも早く、ティアニーズの体は動いていた。爆風からエリミアスを庇うように覆い被さり、遅れて二人の体が宙に舞った。
「グッ、がッ……姫様、大丈夫ですか……?」
「は、はい。ありがとうございます……」
地面に背中を強く打ち付けたが、なんとか致命傷は避けた。腕の中で丸くなるエリミアスの安否を確認し、直ぐ様立ち上がる。
そして目にした。
燃える宿舎の中から、一人の男が出てくるのを。
「あーあー、騎士団っつーからもっと期待してたのに。まさかこんなもんとはなぁ」
男はつまらなさそうにブラブラと手首を揺らし、持っていたなにかを投げ捨てる。
腕、だった。
多分、人間の腕だろう。
焼け焦げて原型を留めてはいないが、それが腕だと直感で理解してしまった。
「ッたく、あの野郎、人を呼び出しておいて放置かよ。ウェロディエとケレメデもちゃんと来てんだろーな」
ボサボサの緑髪に、細身の体型。所々に焦げた跡が見られる病人服のようなものを身にまとい、男は苛立った様子で呟く。
赤い瞳だった。
忘れもしない、忘れられる筈がない。
あの瞳はーー、
「魔元帥……!」
「あ?」
倒れていたティアニーズに気付き、男は首を捻ってそちらへと目を向ける。死んだ魚のような瞳を揺らし、なにかを確かめるようにジーっと見つめる。
次の瞬間、男の瞳が喜びで満たされた。
「桃色の髪のガキと、碧眼のガキ、みーっけ。よっしゃ、殺戮ショーの始まりだ」
平穏は終わりを告げ、絶望の鐘を鳴らす。
ティアニーズ・アレイクドルにとって、忘れる事の出来ない一日が始まりを迎えた。