六章十七話 『彼女』
「申し訳ありませんでした。勇者とは思わず、つい手を出してしまいました」
「許すかボケ。お前二発殴ったから四発な。歯ァ食いしばれ」
痛々しく腫れた頬を指差し、ルークは仮面の女性ーーケルトを殴るべく腕捲り。礼儀正しく頭を下げているのだが、そんな事は知ったこっちゃない。
しかし、今にも飛びかかりそうなルークの前にトワイルが割って入り、
「どうどう。彼女も謝ってるんだし一旦落ち着いて。それに、なぜか倍になってるよ」
「たりめーだろ。やられたらやり返す、そんで倍にしねぇとダメだってババアに教わったんだ」
「女性が謝罪したら『大丈夫だよ』、と紳士的な態度をとるべきだと私は思います」
「ほら、全然悪いと思ってないじゃん。とりあえず殴らせろ、一発で良いから殴らせて」
多分、多少の罪悪感はあるのだろう。しかしながら、思った事をそのまま口に出してしまうタイプなのだろう。
腕をブンブンと振り回して戦う準備を整えていたが、そんなルークをハーデルトとソラが押さえる。
「ひとまず、なんでいきなり会話をしようと思ったんだい? それに、どうしてルークが勇者だと?」
「一つめの問いに対する答えですが、貴方達と話すべきだと思ったからです。そして二つめですが、この扉を開けられるのは勇者、もしくは精霊のみだからです」
「なるほど、ルークが勇者だと分かったから、黙っている理由もなくなったと」
「はい。昨日も見知らぬ男性が一人来ましたが無視しました」
「無視された時はどなるかと思ったけど、話が通じる相手で良かったよ」
「そちらの態度の悪い男性が勇者だと分かったので」
「……喧嘩売ってるよなコイツ」
「いえ、私は自分の抱いた貴方の第一印象を述べただけです」
ケルトと言葉に、ルーク意外がわざとらしく『うんうん』と声を上げて頷く。実際当たっているし、というかそれがルークの全てである。
ともあれ、話が進むのは願ったり叶ったりだ。暴れるルークを他所に、トワイルが話を切り出す。
「とりあえず、君は精霊なんだよね?」
「はい。私は精霊です。そちらの白い髪の精霊と同じで」
「なぬ、私が精霊だと知っていたのか?」
「……分からなかったんですか?」
「……そんなの、分かっていたに決まっているだろう」
腕を組み、精一杯の強がりを口にするソラ。
見え見えな嘘は置いておくとして、精霊には同じ存在を見抜く力が備わっているのだろう。しかし、今のソラは記憶とともに力も失っている。恐らくその影響だろう。
「どうして君はここにいるんだい? それと、この祠にはなにがある? 精霊ってそんなにホイホイと出て来て良いのかな……」
「出来れば質問は一つにしてもらいたいです。あと、立ち話もなんですから、こちらへどうぞ」
トワイルの疑問を一刀両断し、ケルトはマイペースな様子でボロ小屋へと歩いて行ってしまった。
普通、こういう時は客を優先すべきなのだろうけど、そういった気遣いは存在しないらしい。
とりあえずルーク達も続いて移動。
開ける、というよりも扉を破壊し、全員でボロ小屋へと入ったのだが、清掃も管理も何一つ行き届いておらず、ホコリと汚れまみれである。
適当に手でホコリを払い、ソファと思われる物に腰を下ろした。
「どこからお話すれば良いですか?」
「君の好きなように。分からない事があれば、その度に質問するから」
「そうですね、私が造られたのは約五百年前の事です。それから……」
「ストップストップ、そこまで遡る必要はないよ。あの祠について、あとは君についてちょっとだけで良いから」
「分かりました」
天然なのか、それともただのバカなのかは分からないが、トワイルの慌てた様子に首を傾げるケルト。
カリカリと爪で仮面を擦り、それからケルトは語り始めた。
「まず、なぜ私がここーー地上にいるのかをお話します。本来精霊とは精霊の国で暮らす存在であり、そこの白い髪の方のように特殊な事情がない限り、地上に下りて来る事はありません」
「私が疑問に思っていたのはそれだ。リヴァイアサンもそうだが、私以外に精霊は下りて来ていないと思っていたぞ」
「精霊ならそう思うのが普通です。町を守るという役目を与えられたリヴァイアサンはともかく、精霊が下りて来る事はありえません。だって、その必要がないですから」
そもそもの話だが、精霊は伝説上の存在でしかない。リヴァイアサンのようなおとぎ話はあるものの、目にした事がある人間はいないからだ。いや、実際はあるのかもしれないが、普通の人間はそんな話を信じたりはしない。
大前提として、こうやって精霊と普通に会話している事がおかしいのだ。
トワイルは喉についたホコリを払うように咳こみ、
「そうなると、君にも特殊な事情があるって事だよね?」
「はい。ただ、私の場合はかなり特殊です。役目を与えられた訳でもなければ、自分から望んで下りて来た訳でもない。気付いたら地上にいたんです。つまり、落ちて来てしまったんです」
「……ごめん、落ちて来た? それって精霊の国の場所が空にあるって事かい?」
「それは言えません。人間には絶対に」
「まて、私に話す事は出来るんじゃないか?」
「二人きりならともかく、この方達の前では無理です」
以前、ルークはソラから精霊の国が存在するという話だけは聞いていた。しかし、覚えていないという事もあり、場所や行き方は不明のままである。
しかし、ケルトはそれを知っている。そして、それはソラの記憶に深く関わっているに違いない。
となれば、喉から手が出るほど欲しい情報の筈なのだが、
「そうか、ならばあとにしよう。今は貴様の話を優先する」
「良いのか? 記憶戻るかもしんねぇんだぞ?」
「良いんだ。記憶なんぞあってもなくても変わらない」
あまりにもアッサリとした態度に、思わずルークは問いかけてしまう。が、ソラはほんの少し目を伏せるだけで、ケルトに話を続けるようにと視線を送った。
「私が地上にやって来たのは十年前、どうやって来たのかは今でも分かりません。よそ見していて落ちたのか、それとも誰かに突き落とされたのか……。今となってはどうでも良いですが」
「そんな簡単に来れるのかい?」
「はい。目的地を定めて飛び下りるだけです。もっとも、そんな事する精霊はいません。地上に下りたところで特なんてありませんし、精霊の国にいた方がよっぽと快適に暮らせます」
いよいよ精霊の国に関して訳が分からなくなって来たので、ルークは早々と理解する事を放棄。足元をカサカサと移動する虫に怯えつつ、話半分で耳を傾ける事にした。
「なにが起きたのか分からず、私は途方にくれていました。お腹が減るという事はないので、命に関しては問題ありませんでしたが、見知らぬ土地に放り出され……正直不安でした」
「一つ質問を良いかな? 君は精霊の国がどこにあるのか知っているんだよね? 帰れなかったのかい?」
「はい、私はその権限を持っていませんから。そこの白い髪の精霊さん、貴方は上級の精霊ですよね?」
「あぁ、多分な。赤い宝石は上級精霊の証だと記憶している」
「赤い宝石は上級精霊にのみ与えられたもの、そして下級の精霊には宝石がありません。精霊の国と地上を自由に行き来するには、その宝石がなければ無理なんです。当然、私は下級の精霊ですから」
精霊はルールに厳しいとは聞いていたが、国への出入りがそこまで制限されるとはーーというのがルークの感想だ。
ソラは赤色の宝石があるのは始めに造られた数人の精霊だけと言っていたので、権限を持つ精霊はかなり少ないのだろう。
「そんな訳で私は国に戻る事が出来ず、宛もなく地上をさ迷う事になってしまったんです。そんな時です、一人の女性が私に手を差しのべてくれたのは」
心なしか、ケルトの声が楽しそうに聞こえた。相変わらず並のない静かな口調なのだな、その中に僅かな幸福が見え隠れしていた。
「宛のない私に泊まる場所をくれ、必要のない食事まで用意してくれました。『行くところがないなら、ずっとここにいて良いよ』とも言ってくれました」
「そう、だったんだね。その女性は今どこに?」
「もういません。私と出会って直ぐに病気で亡くなってしまいました」
「……ごめん、もう少し考えるべきだった」
「いえ、人間は寿命がありますから、死ぬのは当然です」
表情を曇らせながら頭を下げたトワイルに、ケルトは少しだけ声を低くして答えた。
恩人が死んでしまうというのはそれなりに堪えるだろうし、身近に死という文字がない精霊ならなおさらだ。しかし、直ぐに暗くなった空気を晴らすように、
「その女性が長年守っていたのが、あの祠なんです。私は彼女に恩があったので、死ぬ間際に一つだけ契約を交わしました」
「契約?」
「あの祠を必ず守る。いつか勇者が現れるまで」
ようやく、話が一つのまとまりを見せた。
なぜ精霊である彼女がここにいるのか、なぜ無言を突き通していた彼女が口を開いたのか。
全ては恩人である女性との契約が原因だったのだ。
となると、ここで新たな疑問がわいてくる。
他人事ではないと思い、ルークは僅かに身を乗り出すと、
「つか、あの中になにがあんだ? 死んでも守らないといけないもんて……金とか?」
「分かりません。私はあれがなんなのか聞いてませんから」
「は? 聞いてねぇのに十年も守ってたのか?」
「はい、それが契約ですから」
精霊は契約やルールに厳しいーーとか関係なく、恩人への恩義と彼女自身の性格があったからこそ、十年という長い月日の間、ケルトは祠を守り抜く事が出来たのだろう。
「私が初めに貴方達を無視したのも、勇者でない人間と話す必要がなかったからです。無理に祠に触れようとするなら、私がその場で殺します」
「……ねぇねぇ、お前俺の事殺そうとしてたの?」
「はい」
「はい、じゃねぇよ。せめて勇者かどうか確認してから動けや」
頬をぶん殴られるだけで済んだものの、下手したら死んでいたかもしれないという事実に、ルークは肩を震わせながら当然の文句を口にした。
さりとて、この過剰とも思える彼女の行動があったからこそ、今日まで誰にも知られずに来れたのだろう。
ケルトは肩の力を抜き、
「これが私の知っている全てです」
「あの中に入っても良いのか?」
「勇者と精霊なら。その他の方を入れる訳にはいきませんが」
「決まりだな。私とルークで中を見てくる。なにがあるのか分からないが、精霊に関する事なのは間違いだろうからな」
ケルトの言葉を聞き、ルークとソラが同時に立ち上がった。思い立ったが吉日、入って良いのなら今すぐにでも行くべきだと思ったからだ。
しかし、二人を止めるようにトワイルが手を伸ばした。
「ストップ。なにが起こるか分からないんだ、ろくな準備もせずに行くのは危険過ぎる」
「へーきへーき。十年以上も放置してたらしい、中になにかいるって事はねぇだろ」
「勇者であるルークしか開けられないーーそんな制約のある祠なんだ、間違いなく魔獣に関する事に決まってる。悪いけど、君の身を預かる人間として行かせる訳にはいかないよ」
「それに関しては私も賛成ね。勇者って言葉が出てきたのは魔獣が現れてから……となると、あの祠はそれ以降に造られた物って事よ。なにがあるのかは分からないけど、無策で挑むには危険度が高過ぎる」
二人の副隊長の静止により、ルークは渋々腰を下ろした。ルークが行かないのなら、と大人しくソラもそのあとに続く。
すると、今まで一生懸命話を理解しようと眉間にシワを寄せていたアキンが、遠慮がちに手を上げた。
「あの、僕からも二つほど質問を良いですか?」
「どうぞ」
「えと、その変な仮面、どうしてつけてるんですか?」
「人見知りだからです。人間と話すのがあまり得意ではないんです」
「十年間人見知りって、どんだけ他人との交流ねぇんだよ」
「精霊にとって十年とは一瞬です。人間に換算すると……大体一時間くらいですかね」
ケルトの言葉に同意するように、分かった顔をしながら首を縦に振るソラ。まぁ記憶喪失なので、私分かってるよ的な反応がしたかったのだろう。
文字通り人見知りのケルトを見つめ、アキンは二つめの質問を口にする。
「もう一つは、ケルトさんがお世話になった女性の方の事です。精霊とか勇者に関わる祠をずっと守っていたなんて、普通の方じゃないですよね?」
「あぁ、確かにそうだね。俺達だってルークと王から話を聞くまでは精霊なんて信じてなかった。でも、その女性は精霊の存在を知ってた訳だし」
「……そうですね、これは契約違反にはならないので、彼女が誰なのかをお話します」
少し考えるように仮面の額辺りを指先で擦り、ケルトはおもむろにポケットからボロボロの折り畳まれた紙切れを取り出した。
破れないように慎重に開く様子を見つめ、
「それは?」
「彼女の名前が書かれた紙です。忘れっぽいので」
この瞬間に確定したが、淡々とした口調とは裏腹に、ケルトという精霊は天然な女性らしい。ともあれ、それは一旦置いておこう。
仮面越しでは見辛いのか、若干紙から頭を遠ざけ、ケルトはその名前を口にした。
「エリザベス。それが彼女の名前です」
「ーー!」
その名を聞いた瞬間、ルークとソラ、そしてアキン以外の面々が大きく目を見開いた。
騎士団の三人が顔を合わせ、神妙な面持ちでケルトへと目を向ける。トワイルがうわずった声で、
「いや、そんな……ケルト、その女性は病気で亡くなったんだよね?」
「はい。それがなにか?」
「……その人の本名、分かるかい?」
ただらなぬトワイルの雰囲気に、ケルトは再び紙へと目を通す。
なんの事だが分からない三人を置いてきぼりにし、ケルトは名前を口にした。
そして、ルークはトワイル達の態度の理由を知る事となる。
「ーーエリザベス・レイ・アスト。それが彼女の名前です」
「アスト? ……っておい。それってまさか……」
「あぁ、バシレ王の妃。そしてーーエリミアス様のお母様だよ」
前にエリミアスは言っていた。
自分の母親は、エリミアスが幼い時に病気で亡くなってしまったと。ルークはまったく興味がなかったので聞き流していたが、予想外のタイミングでの登場に驚きを隠せていない。
ケルトはとぼけた様子で、
「エリザベス様がどうかしましたか?」
「その人は、この国の王妃だった人なんだよ」
「王妃、というと……王の奥さんですか?」
「あぁ、俺達は会った事はないけれど、名前くらいは聞いた事がある。まさか精霊に関する祠を守っていただなんて……」
十年前ともなれば、ルークと同い年であるトワイルはまだ騎士団に入ってなかった筈だ。しかし、それでも名前を知っているのを見るに、それほど偉大な人物だったのだろう。
その片鱗は、エリミアスを見ていれば分かる。
「んじゃ、姫さんの母ちゃんはあの祠を守ってたって事か?」
「そう、なるね。それに、それはもう一つの事実を意味する」
「王妃が自らわざわざ守っていた場所。そしてそれを誰も知らなかったって事は、かなり重大な機密って事になる」
トワイルの言葉の続きを口にしたのはハーデルトだ。冷静沈着な印象を受けていた彼女でさえも、エリザベスという名前を聞いて動揺しているようだった。
王妃が誰にも他言せず、長い月日を守り抜いて来た祠。
誰がどう考えたって、普通の祠ではない事は明白だ。
「ルーク、やっぱり今日入るのは許可出来ない。ケルトさん、また明日来ても良いですか?」
「構いませんが、入れるのは勇者と精霊だけですよ」
「うん、それは分かっている。だからこそ、俺自身の事じゃないからこそ、きちんと準備してから挑むべきなんだ」
トワイルの有無を言わせぬ視線を受け、ルークは両手を上げて『へいへい』と呟き、大人しく降伏を表した。
普段あっけらかんとしているルークにでも理解出来た。
あの祠は魔王、そして魔元帥を殲滅するのに、なにか重大な意味を持った祠なのだと。
それからルーク達は話を切り上げ、ボロ小屋をあとにした。ケルトはまだ契約が残っているとの事なので、今日もこの祠の前で一晩を明かすらしい。
一旦祠の前まで移動し、
「ケルトさん、今日はありがとうございました」
「いえ、私は契約に従っただけなので」
丁寧?な挨拶を交わす二人を他所に、一人の魔法使いがとぼとぼと歩きながら祠の前へと足を運ぶ。
しばらく扉を見つめ、首だけをケルトへと向けると、
「ねぇ、この扉って勇者しか開けられないの?」
「はい。エリザベス様本人も開けられないとの事でしたので」
舌を出し、悪戯をする前の子供のような表情へと変化。腕をまくり、メレスはおもむろに扉へ手を伸ばすと、気合いの掛け声とともに扉をスライドする。が、
「……なによ、全ッ然開かないじゃない」
「無理だと言いましたよ」
「へっ。武闘派の魔法使いもそんなもんかよ」
ここぞとばかりに鼻を鳴らし、挑発するようにメレスの横を通り過ぎると、ルークは難なくその扉を開いた。
あまり自分だけに出来る事を見せびらかすタイプではないのだが、血袋にされたという事もあり、今のルークは勝ち誇った様子だ。
「ムカ。なによ調子に乗っちゃって」
「あれれぇ、メレスさんは頭だけじゃなくて腕力も弱いのかなぁ」
「あーそう、良いわよ。そういう事言うんだ。またボッコボコにしてあげる」
「上等だ。百倍にして返してやんよ」
「はいはいそこまで。喧嘩は口だけに。手を出したら二人の場合殺しあいになっちゃうよ」
喧嘩する子供を宥めるような口調のトワイルに、二人は顔を逸らして舌を鳴らした。
その後、ケルトと軽い挨拶を済ませ、ルーク達は宿へと戻るのだった。