六章十二話 『一日の終わり』
のぼせるほどの風呂時間を終え、ルーク達は揃って食事をとるために一階の酒場を訪れていた。
ただ、一つ問題が発生。
ルークとアンドラが女風呂を覗こうとしていたため、女子組、主に二人の視線が酷く痛い。
「ゴミ」
「お頭……信じていたのに……」
ルークは冷めた視線を向けられるのになれているのでそれほどのダメージはないけれど、パパは完全に真っ白に燃え尽きていた。
ともあれ、やってしまった事は仕方ない。
謝罪する訳でもなく席につくと、
「あー、腹減った。久しぶりにまともな飯食える」
「私のご飯が不味くて悪かったですね」
「んな事言ってねぇだろ。十分うめぇよ」
「そ、そうですか」
頬を赤らめ、意図も簡単に機嫌を直すティアニーズ。さらにその上、自然な流れでルークの横に腰を下ろした。なんともチョロいけれど、乙女とはそういうものなのだろうか。
しかし、盗賊コンビはそう上手くいかないらしく、
「ア、アキン、こっち座れよオイ」
「す、すみません。僕はソラさんの隣に座ります」
「ふ、残念だったな」
伸ばした手を引っ込め、涙は流れていないが心は号泣中のアンドラ。それに加え、ソラのドヤ顔によってとどめの一撃を刺されたようである。
全員が席につき、続々と食べ物が運ばれて来る。
不意に、隣に座るエリミアスの視線に気付いた。
運ばれて来た食べ物には目もくれず、ルークの顔だけをジーッと見つめている。
「なんだよ。お前は裸見てねぇぞ」
「お前はって事は……私の裸は見たんですね」
「タオル巻いてただろ」
気遣いの欠片もない発言に、ティアニーズの平手が後頭部にヒット。
縦に首を揺らしていると、曇りのない瞳でエリミアスが問い掛けてきた。
「あの! ルーク様は女性の裸がお好きなのですかっ?」
「ぶッ……いきなりなんだよ」
「ひ、姫様! そんな事聞いちゃダメです!」
「だって、ルーク様はお好きだから覗いたのですよね?」
口に運んだスープが射出されそうになり、慌ててお口をチャック。ゴツゴツとした野菜もろともそのまま飲み込み、純粋な姫様へと細めた目を向ける。
少し考え、改めて体の向きを変えると、
「大好きです」
「変態、死んでしまってください」
「バカタレ、男ってのはそういう生き物なんだよ。なぁ?」
同意を求めるべく、男性陣へと目を向ける。
無言のまま爽やかに微笑むトワイルと、あからさまに動揺しながらうつ向くアンドラ。ビートは酒にやられているらしく、そもそも話を聞いていないようだ。
ちなみに、ビートは流れで同席する事になった。
ティアニーズとの感動の対面かと思いきや、不機嫌全快のご様子だったのでビートも空気を呼んで軽い挨拶しかしていない。
ルークは机を叩き、
「お前らそれでも男かよ! つかおっさん、お前絶対好きだろ!」
「バカ言え! 俺は綺麗なおっさんだ! 女性の裸なんか興味ねぇよオイ! ……興味ないんだよ?」
「俺は……そうだね、人並みにはって言っとくよ」
このおっさんはアキンの好感度を選んだようである。
これ以上の失態はパパとしても威厳がなくなるのに加え、大事な娘から変態というレッテルを貼られてしまう。
それだけは避けねばと言いたげに、アンドラは精一杯のスマイルで顔を満たす。
「んだよ、全員揃って裏切りやがって。男ってのは女の裸が大好きなんですぅ」
「そんなの偉そうに言う事じゃありません。姫様、こんな人の話は聞いちゃいけませんよ」
「大好き……」
「良いじゃないか、スケベなのは元気な証拠だ。男としてこれ以上ないほどにな」
一応覗かれた側なのだが、アテナは他人事のように食事を進めていた。大人の余裕とかではなく、単に羞恥心が変な方向にしか働いていないからだろう。
と、先ほどから黙りこんでいたエリミアスが紅潮する顔を上げ、
「わ、私も大好きです!」
「え、なに、自分の裸が?」
「そうじゃありません! えと、その……」
「あぁぁぁぁ! ひ、姫様お肉食べますか? 食べますよね、私がよそいますね!」
乙女センサーが働いたのか、驚異的な反応速度で二人の間に肉の乗せられた皿を置くティアニーズ。
エリミアスは若干不機嫌そうに口を尖らせたものの、目の前に現れた肉に目を輝かせてフォークを伸ばした。
「あ、危なかった……」
「あ? なにが?」
「い、いえなんでも。ほら、ルークさんもいっぱい食べてください。食べないと力でませんよ」
誤魔化すように次々と皿に食べ物を乗せ、オカンスキル全開でルークの前に山盛りの皿を置いた。
そんなティアニーズの態度に若干の違和感はあるが、ルークは特に気にせずに食事を進める。
その後も騒がしい食事が続き、トワイルが不意に思い出したように箸を止めた。
「あ、そういえば明日の事だけど、昼くらいに宿舎に行こうと思うんだ。あまり期待はしてないけど、精霊についての情報があるかもしれないしね」
「んじゃ、俺も一緒に行くのか?」
「あぁ、本人がいないとどうしようもないからね。あとは……ソラもついて来るだろう?」
「当然だ。ルークが行くのなら私も一緒に行く」
「良し、じゃあこの三人で行こう」
「「私も行きます!」」
自然な流れで宿舎へと向かうメンバーが決まったところで、ティアニーズとエリミアスが勢い良く立ち上がった。
しかし、どうやらトワイルはそれを予想していたらしく、
「そう言うと思ったけど、二人は留守番です。特に姫様、貴女が町を出歩いてるのはマズイです」
「だ、大丈夫です! ほら、このローブがあるので!」
「あー、確かに。けど、今騎士団に見つかったら間違いなく連れ戻されるでしょうね」
「そ、それは……うぅ」
今さらなのだが、風呂上がりという事もありエリミアスは顔を隠していない。酒場に集まる他の人間は話に夢中なので気付いていないし、こんなところに姫様がいるなんて思っていないのだろう。
エリミアスは取り出したローブをしまい、それを見てトワイルは話題をティアニーズに移す。
「そしてティアニーズ、君には絶対残ってもらうよ」
「な、なんでですか!」
「考えてごらん。このメンバーに姫様を任せられるかい?」
もしトワイルがいなくなった場合、残るメンバーはやる気のない団長と盗賊二名。安全面では問題がないにせよ、なんとも不安が残る人間ばかりである。
ティアニーズは全員の顔を見渡し、それからどんよりとした空気を吐き出した。
「……分かりました」
「うん、そう言ってもらえると助かるよ」
「あの、僕もついていっても良いですか?」
次に名乗りを上げたのはアキンだ。
突然の挙手にアンドラはビクッと震えて反応したが、アキンは気にせずに話を続ける。
「騎士団の宿舎に興味があるんです!」
「まぁ、指名手配中なのはアンドラさんだから、アキンは問題ないとは思うけど……」
「で、でしたら良いですよね! 騎士団の方を見て色々と学びたいんです!」
「……一つ質問良いかな? どうして君みたいな良い子が、アンドラさんと一緒にいるんだい?」
「……? お頭は良い人ですよ?」
やはり、この疑問は誰もが持つものらしい。
アキンはなんの事か分からずに首を傾げているが、ルークは同意するように『うんうん』と頷いた。ただ、本人が嫌がっている訳でもなく、アンドラが強制している訳でもないのも知っているので、こればかりは答えが不明なのだ。
なんにせよ、
「それじゃ、アキンも一緒に行こうか。中には入れないかもしれないけど、俺がなんとか頼んでみるよ」
「はい! ありがとうございます!」
「私も一緒に行きたかったです……」
「別に宿舎なんて珍しいもんでもねぇだろ」
残念そうに肩を落とすエリミアスに、検討違いな発言を投げ掛けるルーク。そういう事を言っている訳ではないのだが、この勇者が気付く筈もないのである。
すると突然、落ち込んでいるエリミアスを見かねてアテナが口を開いた。
「ならば、明日は私と町を見て回るか?」
「はい!」
「アテナさん、今出歩くのはマズイって言いましたよね?」
「なにがダメなんだ? 顔は隠すし、私がいる限りエリミアスに手出しはさせない」
「そういう問題じゃありません。もし大人しく宿で待てないと言うのなら、俺はアテナさんがここにいる事を皆に言いますよ」
「う……それはとても困るな。仕方ない、出掛けるのはまた今度にしよう。な?」
「分かりました……。明日は我慢します」
団長としても威厳があったもんじゃなく、父親のように諭すトワイルに言い負かされてしまったアテナ。歳はルークと同じか上に見えるが、意外と子供っぽいところもあるのだろう。
「それじゃ、明日は今話した通りで。俺は先に戻るよ。凄く疲れたからね」
「はい、お休みなさい。お疲れ様です」
膨れ上がった腹を擦り、トワイルは席を立った。このメンバーをまとめているのだからその疲労は計り知れない。
ティアニーズの労いの言葉に優しく微笑み、トワイルは静かに去って行く。
しかしそんな時、宿の扉が勢い良く開かれた。
扉の前に立つ女性は息を切らしながら大きな胸を揺らし、
「……ここはマズイわね。隠れても直ぐにバレちゃう」
鋭い目付きが宿の中を見渡し、なにかぼそほぞと一人言を呟く。そして見間違えでなければ、扉の前に立っている女性はルーク達が良く知る人物だ。
度々仕事をサボり、婚活に勤しむ女性ーーメレスである。
「……あの、あれってメレスさんですよね」
「メレスだな」
「…………」
トワイルはメレスの姿を見て絶句し、ピクピクと眉を痙攣させている。
メレスは一通り宿内を見渡すと、こちらに気付かずになにかから逃げるように走って行ってしまった。
嵐のように過ぎ去ったのを確認し、
「なんでメレスさんがここにいるのかは分かりませんが、多分またサボって追いかけられてますね。……トワイルさん?」
「…………」
トワイルからの返事はない。
多分、立って目を開けたまま気絶しているのだろう。
これまでの厄介事と、さらにこれから起きるであろう厄介事を想像し、トワイルの頭は耐えきれずにパンクしたようである。
「……俺が運んでやるよ。なんかすげぇ可哀想になってきた」
珍しく助けたいという気持ちが生まれ、ルークは同情しつつトワイルを部屋へと運ぶのだった。
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食事を終え、トワイルを部屋へ運び込んだルーク。旅の疲れを癒すべく足早に自分の部屋に戻り、そのままベッドへとダイブしようかなぁなんて思いながら扉を開けると、
「遅かったな。待っていたぞ」
「帰れ、そして二度と入って来んな」
なぜかドヤ顔で当たり前のようにベッドに座っている精霊さん。遥か昔からそこにいたような馴染みようである。
ルークはため息をついたものの、追い出す事はせずにソラの横に腰を下ろし、
「んで、なんか話があんだろ?」
「ほう、気付いていたのか。そんなに私の事が気になっていたのか」
「話さねぇなら今すぐ窓から捨てるぞ」
「まてまて、襟首を摘まむな」
襟首を掴んで窓から捨てようとしたが、ジタバタと暴れるので仕方なくベッドに向かって放り投げた。
綺麗に正座しながら着地すると、
「ルーク、貴様には言っておくが、私は恐らくこの町を知っている」
「来た事あんのか?」
「いや、分からない。しかし知っているのは確かだ。まったく思い出せないがな」
「なるほど、だから苛々してたのか」
ソラがアテナに対して辛辣な態度をとったのも、思い出せないからとなれば納得出来る。
そしてなによりも、ソラの表情が今まで見た事ないほどに複雑だった。
「思い出せないが……嫌な予感がする。出来れば、私はこの町に来たくなかったのだと思う」
「嫌な予感って、んなのいつもの事だろ」
「そうではない、今まで以上という事だ。ルーク、少しばかり警戒を強めておけ。いつなにが起きても対応出来るようなにな」
「へいへい。まぁ、お前の側にいりゃ良いんだろ?」
「この町では絶対に私の側を離れるな。私も貴様から絶対に離れない。ひっついてやる」
とか言いつつ、驚くべきほどに平然を装って掛け布団をかぶるソラ。その様子は、まるで自分の布団に入るかのようである。
いつものルークならば、問答無用で追い出す。
しかし、
「もうちっとつめろ。俺の寝るスペースがねぇだろ」
「バカ者、私の布団なのだから私が占領して当然だろう」
「捨てるぞ」
「分かった」
嫌な予感がしているのは、ソラだけではなかった。
今までだってそうだったけれど、胸を締め付ける言い難い不安が蠢いていた。ゆっくりと心臓を握り締めるように、包みこむように、なにかが近付いて来るような。
しかし、疲労というのは無慈悲にも襲いかかってくる。
深く考える余裕もなく、ルークは数秒で眠りの世界へと落ちて行った。