六章十一話 『完全敗北』
ビート。
それはルークとティアニーズが初めて訪れた町で出会った鍛冶屋の老人だ。
前の戦争でも鍛冶を担当し、騎士団の中ではそこそこ有名な人間だとティアニーズは言っていた。
そして、ルークが初めて魔元帥と遭遇した町である。思えば、あの時からルークと魔元帥の因縁は始まっていたのかもしれない。
「まさかこんなところで会うとはなァ。聞いてるぞ、どっかの誰かが魔元帥を倒しまくってるって。お前の事だろ?」
「俺だけじゃねぇ。つか、久しぶりなのに馴れ馴れしいんだよ」
「んなかてぇ事言うなよ。お前と俺の仲じゃねぇか」
「どんな仲だよ。おっさんキャラ変わり過ぎっ……つか、酒くせぇな。酔ってんだろ」
バチャバチャと水面に手を叩きつけて水しぶきを上げ、大変ご機嫌な様子のビート。
長湯したから顔が赤いと思っていたが、どうやらそうではないらしい。酒のにおいから逃れるように顔を逸らし、
「それよか、なんでおっさんがここにいんだよ。すげー武器造るとか息巻いてなかったか?」
「今その最中だ。出張だよ出張、頼まれてわざわざカムトピアまで来たって訳だ。そんで、お前は?」
「これ。この腕のキモい模様を消す手がかりがあるかもしんねぇから」
腕に広がる呪いの紋様を見せた瞬間、ビートの顔色が変化した。ヘロヘロとだらしのおっさんから、あの時ルークが見た歴然の老人の顔へと。
力強くルークの腕を掴み、
「お前、こりゃ呪いじゃねぇか。しかも魔元帥……名前なんだっけか……」
「俺も知らんし覚えてねぇ。おっさんあの女知ってんのか?」
「言っただろ、戦争に参加してたって。そん時に見たんだよ、それの同じ紋様を体に刻んで死んでいく奴を」
「なるへそ。なんか分かんねぇけど消えねぇんだ。魔元帥は殺したのに」
「ほー、俺の見込んだ通り、やっぱお前は勇者だったな」
「うるせぇ。つか、殺ったのは俺じゃなくてティア達だ」
ルークの言葉に、ビートはニヤリと口角を上げて微笑む。ルークの違いーーちょっとした成長に気付いたのだろう。
以前はティアとは呼んでいなかったし、勇者と呼ばれれば即座に否定していた。しかし、今のルークはそれをしていない。
楽しそうに、なんだか気持ち悪い笑みで、
「あの嬢ちゃんも元気なのか、そりゃ良かった。一緒に来てるのか?」
「まぁな、同じ宿に泊まってんぞ」
「剣折れてねぇか? 魔元帥殺した祝いとして、俺が全身全霊を込めて打ち直してやる」
「折れてねぇよ」
ルークとティアニーズの成長が嬉しかったのか、ビートは謎の距離感のまま語りかける。
ルークがなんとか逃げていると、遅れてトワイルがやって来た。軽く汗を流してから湯船に浸かり、
「中々綺麗なところだね。あ、初めまして、ルークのお知り合いですか?」
「ビートって名前のおっさんだ。前の戦争で武器製造を担当してたんだとよ。お前も知ってじゃね?」
「ビート……? あぁ、名前くらいは……って、まさかあのビートさん!?」
「おう、多分そのビートさんだ。もしかしてお前も騎士団か?」
「は、はい。第三部隊の副隊長をしています、トワイル・マグトルです。まさかこんなところでお会い出来るなんて」
「かたっくるしいのはなしだ。昔と今は違う。俺はただの鍛冶屋の老人、騎士がそんな簡単に頭を下げるもんじゃねぇぞ」
珍しく慌てた様子で立ち上がり、濡れた金髪を振り回して頭を下げるトワイル。
厳つさはあるものの、特に変鉄のない老人なのだが、彼の態度を見るに実は相当凄いおっさんなのだろう。
さりとて、ルークは気にする様子もなく、
「実はすげぇのな。魔元帥にビビってたくせに」
「あん時は人質とられてたからな。お前と嬢ちゃんがいなかったらどうなってたか。あ、そういや、ありがとうって伝えといてくれだとよ」
「礼なんかいらねぇよ。ティアにでもくれてやれ」
「……なんて言うか、ルーク、君は僕の知らないところで広い交遊関係を持っているんだね」
親しげに話す二人の様子を見て、トワイルは額に手を当てながら湯船に沈んで行く。
盗賊に騎士団、それから伝説の鍛冶職人。普通の人間の交遊関係ではないが、これも勇者の力というやつだろう。
「この人はとんでもない方なんだ。ビートさんの武器があったから、前の戦争で騎士団は戦えた。はぁ……それなのに……」
「ただの酔っぱらいって思ったんだろ?」
「伝説の鍛冶職人だろうがなんだろうが、老ければこんなもんだよ。今の楽しみは酒くらいだしな」
ただの酔ったおっさんの姿に、トワイルはため息とともに髪をかきあげる。
その後は他愛ない話に花を咲かせ、前の戦争の話を興味津々にトワイルは聞いていた。
そんな時、
「おーい、ルーク。そっちにいるのか?」
「あ? なんでソラの声がすんだよ」
「なんでって、そりゃ隣は女風呂だからね」
「……ほう、女風呂」
突然聞こえたソラの声、そして隣が女子風呂だという衝撃の事実。瞬間、ルークの顔が未だかつてないほどに真剣なものへと変化した。凛々しく、そして全てを見透すような瞳。心なしか、声も低くなっている。
トワイルは顔を上げ、
「ルークと俺はここにいるよっ」
「そうか、では今からそちらに行く」
「な、なにやってるんですか! ダメに決まってます!」
「そ、そうですよ!」
ティアニーズ、アキンの声も続けて聞こえて来た。となると、女組が全て揃っている可能性が出てくる。ルークは男風呂と女風呂を遮る壁に視線を移すと、
「トワイル、お前身長いくつある」
「多分ルークと同じくらいだと思うよ?」
「なるほど、なら一七〇ちょいって事だな。……いける!」
立ち上がり、力強く拳を握り締める。
こんなチャンスを、楽園へと続く通行書を手放してなるものかと、ルークは決意を固めた。
トワイルの肩を掴み、とりあえず壁際まで移動。
「よし、そこでジっとしてろ。お前の身長があれば、俺が肩に立てば余裕でこの壁の向こう側が見える筈だ」
「まさかとは思うけど……覗くつもりじゃないよね?」
「バカ野郎! 男なら覗いて当然だろ! 女風呂は覗くために存在してんだよ!」
「多分違うと思うけど」
その通り、女風呂は女性が入るためにあるものです。
しかし、こうなってしまったルークは止まらない。わき上がるやる気という名の煩悩が体を支配し、さっきから凄くわくわくしている。
トワイルは目を細め、
「止めた方が良いと思うけどな。あとでティアニーズに殺されるよ?」
「バカタレ、犯罪ってのはバレなきゃ犯罪にはならねぇんだよ」
「勇者の台詞じゃないし、騎士団の俺の前で言う台詞でもないよね」
「良いから、お前は黙ってそこで立ってりゃ良いの。あとは俺に任せろ」
歯を光らせ、親指を立てて謎の決め顔。
勇者から犯罪者へと職業を変える道を選んだようである。
トワイルは渋々ながらも両手を壁に当て、ルークが乗れるように足を踏ん張る。と、
「オイルーク、まさかアキンの裸を見ようなんて考えてねぇよなオイ」
ドスの効いた声とともに肩を掴まれ、振り返ると、鬼の形相ーーというより、人殺しの目をしたアンドラが立っていた。
娘の裸を覗き見しようとする輩を、パパは断じて許さない。
「げ、なんでおっさんがここにいんだよ」
「同じ宿に泊まってったからに決まってんだろ。で、どうなんだオイ。そうだったら沈めるぞオイ」
「ちょ、一旦落ち着けってッ」
段々と肩を掴む力が強まり、それに比例するようにアンドラの顔が迫る。バンダナを外した姿は初めて見るが、意外と髪の毛は長いようである。
そんな事は今気にするべきではなく、
「おっさん、これは監視じゃなくて観察と保護だ」
「観察と保護だァ? なに言ってんだオイ」
「考えてもみろ、どこに女風呂を覗く奴がいるか分かんねぇだろ? 俺達がちゃんと見守ってやるべきだとは思わねぇか?」
「お、おう。言われてみればそうだなオイ」
アンドラが手を離した隙に接近し、肩を組んで真剣な口調で語りかける。
ちなみに、トワイルは同じ体勢で待機中である。
「もしそんな奴がいて、ちびっこの裸を見たところを考えてみろ。多分世の中のロリコンは己の欲望を抑えきれなくなる」
「そ、そうだな。アキンは可愛いからな、目に入れても痛くねぇほどだからなオイ」
「そこでお前の出番だ。早速と現れてちびっこを助けたら、間違いなくパパ素敵ぃ! ってなる筈だ」
「お、おうおうオイオイ!」
「でも、そのためには心苦しいが覗かなくちゃならない。良いか、これは向こうの連中を思っての事なんだ。そこに下心は一切存在しない」
「なるほど……俺はお前の事を誤解してたようだな。まさかそんなにアキンの事を心配してくれてたなんて……流石は俺を倒した男だぜオイ」
「……なんだろう、ここまで来るとルークの話術が凄いんじゃないかって思っちゃうね」
ルークの戯言に乗せられ、バンダナの盗賊を洗脳完了。
熱い握手を交わしたのち、呑気に風呂に浸かっていたビートを呼び寄せ、二人分の足場の確保に成功した。
息を揃え、二人の男は欲望の彼方へといざ出陣。
「ちょ、バカ。もうちょいジっとしてろ!」
「下が滑るから踏ん張りが効かないんだ。落ちても俺のせいにしないでくれよ」
「オイじじい、もうちっと背筋伸ばせオイ」
「老人をなんだと思ってやがんだ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、なんとか立つ事に成功。壁に手を添え、あとは軽く背伸びして首を伸ばせば楽園はすぐそこだ。
二人は顔を合わせ、お互いのこれまでの人生を称えあう。
そしてーー、
「なにやってるんですか」
バスタオルを巻いたピンクの悪魔が、そこに立っていた。
ゴミでも見るかのような目で、二人の変態を眺めている。
二人はパチパチと何度か瞬きを繰り返し、
「こ、これはお前達を守るためであって、決して覗こうなんてやましい気持ちはない!」
「そ、そうだぜオイ! どこに覗き魔がいるか分からねぇからな、俺達が守ってやるぜオイ!」
と、声高らかに宣言するアンドラだったが、なにかに気付いたようにルークを見る。
若干声のトーンを下げ、
「え、嘘、その覗き魔って俺達じゃないよねオイ」
「そ、そんな訳ねぇだろッ。俺達は正義の味方、なんせ勇者ーー」
「死ね!!」
ティアニーズの叫びののち、二人の顔面に拳が突き刺さった。
くるくる回転しながら綺麗な放物線を描き、そのまま湯船に沈んで行ってしまった。
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一方その頃女子風呂では、桶を積み上げて作った塔から飛び下り、ティアニーズが冷めた瞳で汚れを払うように手を叩いていた。
帰還するティアニーズを見て、エリミアスはパチパチと手を叩きながら憧れの眼差しを向け、
「さ、流石ティアニーズさんです!」
「もう、どうしてあの人はあんなに変態なんですか」
「お、お頭大丈夫ですかね? まさか覗きをする人だなんて……」
「男なんてあんなものなんです。アキンさんも気をつけてくださいね」
アンドラの奇行に、アキンは悲しそうな目でうつ向いた。彼のお父さん計画もこれまでだろう。
不機嫌そうに鼻を鳴らし、ティアニーズは冷めた体を温めようと再び湯船に浸かる。
すると、ぷかぷかと浮かんでいるアテナが口を開いた。
「君達もまだまだ子供だな。別に裸を見られたところでなにかが減る訳でもないだろう」
「は、恥ずかしいじゃないですかっ」
「私は恥ずかしくないぞ?」
「アテナさんは大人の女性だからです」
顔を半分ほど沈め、僅かに頬を染めながらブクブクと息を吐き出すティアニーズ。
アキンもエリミアスも同じようで、アテナの大人びた発言に顔を真っ赤に染めていた。
すると、不意に潜っていたアテナがティアニーズの前に現れ、
「大人、か。君も中々なものを持っているではないか」
「きゃッ。ちょ、いきなりどこ触ってるんですか!」
「私は女性だ。なんの問題もないだろう」
「あります! 女性でも嫌です!」
ニヤニヤと怪しげな笑みで口元を満たし、アテナはゆっくりとティアニーズの胸に手を伸ばした。
体をおおうように抱きしめ、ティアニーズは逃げるようにその場を離れる。
そんな中、風呂の隅っこでその様子を眺めている精霊が一人。
「……ま、まさかそんな事が……!」
信じられないといった様子で目を開き、プルプルと体を震わせながら全員のとある部位を見つめる。
当然、胸である。
ティアニーズが大きいというのは知っていたし、アテナは服の上からでも恵まれた体は見てとれる。
問題は、残りの二人である。
ソラはゆっくりとエリミアスとアキンの前まで泳いで移動し、なんの前触れもなく胸を鷲掴みにした。
「な、なにしてるんですか!」
「ソ、ソラさん!?」
「そんな……バカな……!」
突然の行動に頬を染め、二人は慌てて逃げるように離れた。
しかし、ソラは自分の手を見つめて固まっていた。手に残る僅かな感触を思いだし、それから自分の胸に触れる。
その瞬間、雷が落ちた。
「私が、一番、小さいだと!!」
エリミアスは少し着痩せするタイプなのだろう。アキンの容姿は少年とも少女ともとれるので、流石に負ける事はないと思っていた。
しかし、しかしだ。
実際、触れてみて分かってしまった。
ほんの少し、微々たる差で負けている事が。
「ふ、ふはははははは」
「あ、あの、どうしました?」
「ふふふふふふふ……その余分な脂肪をよこせぇぇぇぇぇ!!」
「ちょ、いやぁぁぁ!」
心配そうにやって来たティアニーズに、ソラは猛獣も顔負けなダイブで飛びかかった。