六章十話 『シックスパック』
幾多あまたの戦場を潜り抜けた勇者といっても、唯一勝てないものが存在する。鍛えようと思っても鍛える術を知らず、こうして毎度の事ながら死にかけている。
その名も、乗り物酔いだ。
「また酔ってるんですか?」
「うるせぇ、話しかけんな。ゲロぶっかけんぞ」
「止めてください。汚いです」
青ざめた顔でティアニーズへと迫るルーク。
本気で嫌がられて押し退けられ、力もろくに入らず簡単に撃退されてしまった。押し寄せる吐き気と戦いながらぐったりと寝転がると、
「あ、あの! ルーク様!」
「なに、ゲロかけられたいの?」
「そんな訳ないでしょ。姫様、近付いちゃダメですよ。汚くなっちゃいます、汚されちゃいます」
「あの、そのですね、床は硬いので……膝枕を……」
ごにょごにょと口を動かし、エリミアスは正座をして自分の太ももを擦る。
ルークはなんのこっちゃ気付いておらず、歯切れの悪いエリミアスを見ながら首を傾げていた。
しかし、エリミアスがなにをしようとしているか気付いた少女が一人。
ティアニーズは自分の太ももを見つめ、
「ルークさんがどうしてもって言うなら……その、膝枕してあげても良いですよ!」
「いや一言も言ってねぇけど」
「こ、細かい事は良いんです! 私がしてあげるって言ってるんですよ!」
突然の提案ーーというより要求に、ルークは目をかすかに開けながらティアニーズの太ももを見る。当然、断る理由など微塵もない。床は硬いし、僅かな振動でさえルークの体には重大なダメージとなる。
それになによりも、膝枕とは男の夢なのだ。
這いつくばりながらも、ティアニーズの柔らかそうな太もも目掛けて怪しい笑みを浮かべながら突き進む。と、
「わ、私が膝枕します!」
「え?」
「ひ、姫様!?」
移動中のルークの腕を掴んだのはエリミアスだ。
これにはたまらずティアニーズが声を上げる。元々エリミアスがやろうとしていた事なのだが、譲れないと言いたげに、
「ダ、ダメです! 姫様ともあろう人の太ももを、こんな人にあげるなんて!」
「こんな人とは失礼な」
「こんな人でも私は大丈夫なのです!」
「おい姫さん、それただの悪口ね」
すでにルークに決定権はなく、両腕を引っ張られて引き寄せられる。どちらも譲る気はないようで、激しく体が左右に揺さぶられていた。ルークとしては、どちらの太ももも柔らかそうなのでどちらでもおーけー。
ただ、そんなに揺さぶられると色々と危ないのである。
「ちょ、あの、どっちでも良いから早くして」
「私がします! 姫様にはさせられません!」
「大丈夫です! ルーク様には何度も助けられていますので、その恩返しがしたいのです!」
「うぶ、うぶぶ……げ、限界が近いよ。もう良いから、床で我慢するから」
込み上げる嘔吐感を必死に押さえつけるルーク。
しかしながら、そんなルークに二人は気付いていない。どちらが膝枕をするかーーその事にしか頭が回っていないようである。
確かに膝枕とは男の夢だ。
夢なのだが、この嘔吐感と比べれば微々たるものでしかない。
けれど、
「私が膝枕します!」
「いいえ、私がします!」
なにをそんなに意固地になっているのかは分からないが、もう二人の少女の目にルークは映っていない。あるのは膝枕をしたいという単純な願望のみ。
再びキラキラが射出されようかという時、
「膝枕か、懐かしいな。エリミアスが小さい頃は何度もしてやっていたな」
突如現れた伏兵アテナ。
左右から引っ張られているルークの頭を両手でガッシリと掴み、細い腕からは信じられないほどの腕力で引き寄せる。
意図も簡単に主導権をとられ、ルークの頭はアテナの太ももの上へと着地した。
「あ!」
「ずるいです!」
「私は筋肉質だからな、二人と比べてゴツゴツしているかもしれない。心地はどうだ?」
「完璧っす」
選ばれたのは、アテナでした。
柔らかさと暖かさ、まるで頭を抱き締められているような感覚だ。先ほどまでの気持ち悪さがうそのように吹き飛び、ルークはだらしない鼻の下を伸ばして太ももに全てを預けた。
当然、二人の少女は肩を落とし、
「私もしてさしあげたかったのに」
「ま、まぁ、そんなにやりたい訳ではなかったですから、別に問題はありませんっ」
羨ましそうに眺めるエリミアスと、腕を組んで顔を逸らすティアニーズ。
そんな二人を見て、アテナは勝ち誇ったように口元をニヤリと歪めた。
この女性、意外とやり手なのだろう。
そんな事を知らないーーというかまったく興味のないルークは、
「やべぇ、太ももやべぇよ。誰か太もも枕とか開発してくんねぇかな」
アテナの太ももの虜となり、吸い込まれるようにして眠りの世界へと旅だったのだった。
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それから約半日後。
日が落ち始め、辺りが暗くなりだした時、ようやく目的地であるカムトピアへと到着した。
ルークは寝ていたのでどうやって入ったのかは知らないが、気付くとすでに馬小屋へとたどり着いていた。
「ルークさん、つきましたよ。いつまで寝てるんですか」
「もうあと五時間」
「ダメです。そんなだらしない顔して、アテナさんに迷惑がかかります」
ティアニーズの声によって目を覚まし、頭の下にある太ももから離れたくないと抵抗。しかし、不機嫌そうなティアニーズによって数秒で引き剥がされた。
数時間膝枕をしていたというのに、アテナは痺れた様子もなく立ち上がると、
「また今度してやるさ。私もそこまで気持ち良さそうにされると、案外悪くない気分になってしまう」
「え、マジで? 言ったかんな、約束だかんな」
「つ、次は私の番ですよ!」
少し照れくさそうに頬をかくアテナ。
その横から、身を乗り出してエリミアスが会話に割って入って来た。
出遅れてしまったティアニーズだったが、勿論素直に膝枕したいなんて言える筈もなく、
「ダメです! ルークさんは膝枕禁止です!」
「なんでお前にそんな事決められなくちゃいけねぇんだよーーって、引っ張んな!」
強行策によって、ルークは荷台から無理矢理引きずり下ろされた。
楽しそうに微笑むアテナと、なんだかやる気満々のエリミアスもそれに続いて荷台を下りる。ずっと黙りこんでいたソラだったが、ふと気付いたように続く。
ようやく大地に下り立ち、ルークは思い切り腕を伸ばした。特に空気が上手い訳でもないけれど、開放感というやつで思わず口元が緩んだ。
毎度の如く町並みを目にしたが、
「……なんか、めっちゃ普通だな」
ゴルゴンゾアや王都、そしてつい先日までいたサルマを初めて訪れた時のような衝撃はまったくなかった。
見なれない種族がいる訳でもなく、うるさいほどの活気に溢れている訳でもなく、綺麗な水が流れている訳でもない。
それはティアニーズも同じようで、
「そうですね。なんて言うか……凄く普通です」
「ここはこういう町なんだよ。可もなく不可もなく、普通という当たり前を唯一維持している町なんだ」
「戦争で大きな被害を受けていながら、こうして普通でいられるのはとても難しい事だからね。俺も来るのは久しぶりだよ」
「そういうもんなんかね」
馬を預け、少し疲れた様子のトワイルが戻って来た。目を細め、普通の町並みを記憶に刻むように静かに呟く。
ただ、テンションがマックスな少女が一人。ぶんぶんと騒がしく腕を振り回し、
「ここがカムトピア! なんだか普通です!」
「なんて普通でそんなに嬉しそうなんだよ」
「だって普通なのですよ! 普通とは、私にとって特別なものなのです!」
姫様ならではの悩みなのだろう。
ルークは理解出来ずに呆れたように息を吐き、この場にいない二人組の盗賊を探すように辺りを見渡す。
すると、なぜか疲れたように息をきらしてやって来たアンドラが、
「テ、テメェら、俺が指名手配中の盗賊って分かってて放置しやがったな! 入るのにクソ苦労したぞオイ!」
「あぁ、上手く入れたんですね。もしかして俺の名前を出したんですか?」
「たりめーだろ! 危うく入って速攻捕まるところだったぞオイ!」
「自分の身分を偽るからそうなるんですよ」
「う……うっせぇよオイ」
トワイルの冷たい態度に、アンドラは口をつぐんで顔を逸らした。
そして、ここにもテンションマックスな少女が一人。ぴょんぴょんと跳ねながら、
「うわぁ! お頭、ここがカムトピアですかっ? 僕来るの初めてです!」
「おうよ、俺もかなり久しぶりだが、相変わらず辛気くせぇところだなオイ」
「そんな事ありませんよ! 凄く楽しいです!」
エリミアスとは違い、この少女は単に好奇心旺盛なだけだろう。目に入るもの全てが輝いて見えているーー純粋な心の持ち主なのだ。
ともあれ、全員無事にたどり着く事に成功。
となると、このあとに重要なのは、
「トワイル、どっか宿探そうぜ。それとも宿舎行くんか?」
「いや、今日は宿を探そう。俺達だけならともかく、アンドラさんやアテナさんもいる。多分二人とも出来れば目立ちたくはない……ですよね?」
「そうだな、見つかると騎士団に引き戻される。それは困る」
「俺も捕まるのは勘弁だぜオイ」
「騎士団長と盗賊と勇者、また珍しい人間がこう集まったものだね。まとめる自信がないよ」
当たり前のように口を開く二人に、トワイルは若干涙目になりながら肩を落とした。ルークは珍しく気を使って肩を叩くが、そこに自分も含まれているとは思ってもいないのである。
とりあえず宿に向けて歩き出そうとした時、
「待てトワイル。今勇者と言ったか?」
「はい? あぁ、そういえばアテナさんには言ってませんでしたね。そこのルーク、本物の勇者ですよ」
「……ルークが、勇者? それは本当なのか?」
「本物かどうかは分かんねぇけど、一応勇者やってる」
「ふむ、勇者か」
ルークの顔を見つめ、品定めするようにうなり声を上げるアテナ。
その後ろで、やっぱりかといった様子で息を吐くアンドラと、拳を握りしめて興奮ぎみのアキン。
二人はルークが魔元帥を倒すところを実際に見ているのであまり驚いた様子はないが、アキンは憧れの存在を前にして目が輝いている。
「それと、そこの白い髪の女の子。名前はソラっていうんですが、彼女は精霊です」
「これは驚いたな、本物の精霊を見るのは初めてだ。こんな可愛らしい少女が精霊とは……」
視線をソラへと移し、アテナはおもむろにその顔へと手を伸ばす。頬っぺたを摘まんだり引っ張ったりと感触を確かめていると、ソラが虫を払うようにして手をはねのけた。
「きやすく触るな。可愛らしいという言葉は受けとるが、私に許可なく触って良いのはルークだけだ」
「中々おてんばな少女だな。それにしても精霊と勇者か……私の知らない間に物事が進んでいるようだな」
「帰って来ない貴女が悪いです。さ、早く行きましょう。皆疲れていると思うし」
アテナはソラに興味津々の様子だが、ソラはすこぶる不機嫌である。
しかしルークには、アテナそのものに理由があるという訳ではなく、もっと他のなにかに苛立っているようにも見えた。
ともあれ、長旅で疲れているのは全員同じだ。
トワイルに続き、ルーク達は一斉に歩き出した。
しばらく歩き、ようやく宿に到着。
これほどの大人数での移動は初めてなので、全員お疲れな様子だ。ただ、姫様が勝手に出歩こうとするので、それを無理矢理ひき止めたというのが大きな理由でもある。
ちなみに、適当なローブで顔は隠してある。
「部屋、全員分ありますかね。なんだか嫌な予感がします」
「やめろオラ、そういう事言うと現実になるんだからな」
「最悪、二人一組くらいになるかもね。とりあえず聞いてみるよ」
「私はルークと相部屋で構わんぞ」
「俺が構うわ、コイツとだけはゼッテーにやだ」
二度ほどルークとティアニーズは部屋不足を経験している。それに加え、今のルークは言葉にした不幸を全て現実にする力を持っていると言っても過言ではない。
とりあえず中に入り、トワイルが受付のお姉さんへと話をつけに行く。ルーク達が適当な椅子に座って待っていると、
「良かった、全員分の部屋とれたよ」
「一つ無しにしてくれ。私はルークと寝る」
「黙れ貧乳、お前は自分の部屋で寝ろ」
無言のまま襲いかかって来たソラにとりあえず応戦。恥ずかしげもなく食事中の人達を他所に、毎度お馴染みの下らない喧嘩が始まった。
なれているティアニーズはそれを無視し、
「お風呂とかどこにあるか聞きましたか?」
「露天風呂があるってさ。久しぶりのちゃんとしたお風呂だ、ゆっくりと休むと良いよ」
「お、お風呂! 露天風呂!」
「露天風呂って外の景色が見えるやつですよねっ!」
露天風呂という言葉に過剰な反応を示すアキンとエリミアス。
これまで色々な町によっては来たが、どれもドラム缶風呂とかぼろっちいやつだったのである。エリミアスはそれでも楽しそうだったらしいが、やはり女子組にとって風呂とはとても大事なものなのだろう。
一旦解散し、一同は自分に与えられた部屋へと戻る。
その際、白い精霊が当たり前のようについて来たので、無理矢理隣の部屋にねじ込んだ。
部屋を軽く物色すると、ルークはトワイルと合流して一目散に風呂へと向かう。
「露天風呂ってそんなに珍しいんかな」
「別にそういう訳じゃないと思うよ。皆で入れるって事が重要なんだよきっと」
「なるへそ、一人でゆっくり入った方が良いだろ」
この時、ルークは考えていた。隣が女子風呂だったら良いなぁとか、アホな煩悩を。
露天風呂にたどり着くと、服を脱いで腰にタオルを巻き、駆け足で風呂へと突入。
「さみぃさみぃ」
置いてあった桶で軽く汗を流し、人影がなかったのでそのままドブンと飛び込むルーク。水しぶきが激しく立ち上がり、溢れたお湯がそこら中に飛び散った。
ブクブクと数秒沈み、ゆっくりと浮上。
すると、誰かが目の前に立っていた。
「おい、風呂は静かに入るもんだ。飛び込むんじゃねぇよ」
「……アハハ、気付かなかったもんで。すんません…………?」
かわいた笑い声を上げながら、目の前の男に対してとりあえず頭を下げた。そして顔を見上げたところで、ルークの動きが止まる。
老人だった。
白髪混じりの髪に、焼け焦げた顎髭。年齢とはそぐわないほどに鍛えられた肉体は、腹筋がシックスパックである。
老人の方もルークの顔を睨み付けてかたまる。
二人は同時に目を見開き、
「ルーク!?」
「ビートのおっさん!?」
懐かしの鍛冶屋の老人、ビートがそこにいた。