一章十二話 『バカ勇者』
ただ、その瞬間を見ている事しか出来なかった。
ドラゴンが落下した瞬間に衝撃波が広がり、砂埃と共に砕けた岩の破片が激しい雨のように降り注ぐ。
ティアニーズは頭を守り、目を細くして被害を最小限に抑えようとした。
「ッ……ルークさん!」
最初に聞こえ、そして目にしたのは無傷でたたずむドラゴンの姿。あの質量に押し潰されれば人間などひとたまりもなく、それは勇者候補であるあの青年も同じだった。
何時ものような減らず口も聞こえず、ドラゴンの息遣いだけが鼓膜を叩く。
「そん、な……」
身体中から力が抜け、へたりこむようにしてその場に膝をついた。何がどうなったのかを理解するだけの冷静さを保つ事は難しく、されど真下に居た青年がどうなったのかだけは分かってしまった。
ドラゴンはまるでハエでも潰したかのように気にしている様子もなく、残るターゲットへと体の向きを変えた。
山頂に居るもう一人の人間、すなわちティアニーズへと。
「……この、こんのォォォ!」
喉が割けそうなほどの叫びを上げ、剣を鞘から引き抜いて駆け出した。
無謀も無謀、されど怒りに支配されたティアニーズは足を前にだす。
(私が、私がもっと早く策を立てていれば……!)
あの青年は、自分が作戦を立てる事を信じて囮の役割を引き受けた。望んだかは置いておくとしても、青年はティアニーズを信じて自ら危険な場へと飛び込んで行ったのだ。
しかし、見ている事しか出来なかった。
呆然と立ち尽くし、必死に頭を回しても策は浮かんで来なかった。
(本当なら、私が守らなくちゃいけないのに!)
今思えば、全て自分が悪かったのかもしれないとティアニーズは思う。
いくら勇者かもしれないと言っても、相手はただの村人だ。魔獣と戦うに慣れている訳もないし、ましてやドラゴンほどの強大な存在に挑む生活とは無縁だったのだろう。
けれど、自分の下らない野望のために巻き込み、更には信用すら裏切ってみすみす見殺しにしてしまった。
「何で、こんなに弱いの……私は……!」
吐き出された炎を避け、一気に距離を縮める。左腕が服ごと燃やされ、熱と痛みが同時に全身を駆け巡った。
手から落ちかけた剣を再び強く握り締めると、痛みを噛み殺して懐へと飛び込む。
剣を両手で握る事も出来ず、砕けた地面ではろくに踏ん張る事も叶わないが、一心不乱に剣を振り回した。
傷をつける事は出来るけれど、分厚い脂肪に阻まれてどれもが致命傷とはなり得ない。
「クッ、ソ!」
ルークとの戦いで対処法を覚えたのか、ドラゴンは素早くバックステップ。その一歩は大きく、ティアニーズから十分な距離をとると、体を旋回させてしなる鞭のように尻尾を振り回した。
「マズイ……!」
瞬時に後ろへと飛ぶが、尻尾の先が籠手を砕いて右腕を拐い、持っていた剣が手元を離れる。それと同時に肩からベキベキ!と嫌な音が鳴り響き、空中で一回転して地面へと叩き付けられた。
左腕は焼け、右腕は脱臼。剣を握る事さえ叶わず、意識は朦朧として視界が歪む。
「……まだ……終わって……ない」
芋虫のように体を引きずりながらも何とか立ち上がろうとする。戦える状態ではなく、立ち上がる事すら困難。けれど、ティアニーズは諦めていなかった。
額から流れる血が視界を真っ赤に染めようとも、その場で倒れている事など許される筈がないのだから。
自分のせいであの青年は命を落とした。それなのに、一人勝手に諦めて命を投げ出す事なんて出来やしない。
両手が使えなくても、剣なら歯で握れば良い。
戦う事が責任であり、それがティアニーズの勇気なのだから。
「こんなところで、死んでなんかいられない……! やっと、ここから始めようと決心したのに。貴方と共に世界を救うと決めたんです!」
叫ぶ。返事はない。
青年は潰され、既に死んでいるのだから当然だ。
返事が帰って来る方が怖いに決まってる。
けれど、
「だから……こんなところで死ぬな! まだ名前だって呼ばれてない、まだ私の勇気を貴方に見せてない!」
叫ぶ。返事はない。
ドラゴンは一歩ずつティアニーズへと足を運び、よだれを垂らして餌を狩る準備へと入っている。
ほとんど転がるようにして剣の元まで移動し、上下の歯でしっかりと柄を噛み締める。
ドラゴンの爪が降り下ろされた。
ティアニーズの目の前へと叩き付けられ、再び体が大きく吹き飛ばされる。
一撃で殺すのではなく、弱らせてから食べるつもりなのだろう。
しかし倒れない。倒れても立ち上がる。
何がそこまで自分を突き動かすのかティアニーズ自身も分かってはいない。
けれど、ここで地にひれ伏す事だけはあってはならないと何かが告げている。
だから立つ。何度でも何度でも、命がある限り。
そして、叫ぶ。
「立て……立て……立って戦え、バカ勇者ーー!」
その叫びは、ドラゴンの雄叫びによってかき消された。
立ち上がるティアニーズの姿に怒りを覚えたのか、それとも恐怖を抱いたのか。分からないけれど、次の一撃で決めるつもりなのだろう。
余裕を持って爪が届く距離までやって来ると、ドラゴンは足を止めた。鋭い瞳でティアニーズを睨み付け、その体を引き裂こうと手を振り上げる。
そしてーー、
「誰がバカ勇者だ、このクソガキが」
声が聞こえた。
口調が悪く、何度も訂正してもクソガキやら桃頭という呼び方を変えない、あの勇者の声が。
ドラゴンは手を止め、声の方へと顔を向ける。
「貴方の事ですよ……バカ勇者」
ニヤリと口角を上げ、声の主ーールークへと微笑みかけた。
どういう理屈で生きているのかなんて知らないし、疑問や言いたい事など尽きる事なく沸いてくる。
けれど、そんな事はどうでも良いだろう。
ルークを見て、ドラゴンが今までにないほどの咆哮を上げた。その瞳には怒りではなく明確な恐怖が宿っており、目の前に立つ青年を敵として、絶対に殺さなくてはならない相手として認識したのだ。
「テメェの相手は俺だって言ってんだろ。このデカブツが」
頭から血を流し、左腕は力なくブラリと垂れ下がっている。
そして、反対側の手には剣が握られていた。
鞘から抜かれ、美しくも神々しい、そして見る者の心を惑わせるような光を放っている。
剣の形が変わっており、打ち立てのように刀身が輝いている。柄の部分には赤色の宝石がはめ込まれており、台座に突き刺さっていた物とはまるで別物だった。
青年が、その剣を振り上げる。
「光……?」
どこからともなく現れた青色の光が剣へと集まり、眩い光にティアニーズは目を細める。
そして、剣が降り下ろされた。
それだけ、たったそれだけで全てが終わった。
放たれた斬撃がドラゴンの体を真っ二つに引き裂き、瞬く間に光の粒となって欠片も残さず消滅してしまった。
光の粒は空へと上って行き、やがて見えなくなった。
「勝った……?」
唐突に終わりを告げたドラゴン退治に、ティアニーズは実感が沸かないながらもその場に倒れこむ。
後半に至ってはほとんど記憶がなく、自分がどうやって立ったのかすら覚えていなかった。
フラフラとよろけながら鞘を手にしたルークが近寄って来ると、目の前に剣を突き刺す。
「テメェ、誰がバカだよ。死にかけた人間に向かってバカはねぇだろ」
「生きてるんだから良いじゃないですか。それより、潰された筈では?」
ティアニーズの目には、確かにルークがペチャンコになる瞬間が映っていた。血こそ飛び散っていなかったものの、生きているとは信じがたい。
ルークは手にした鞘を見せつけ、
「さっきと同じだよ、宝石が砕けて俺を守ったんだ。流石に無傷とはいかなかっし、地面にめり込んけどな」
「そうだったんですか……。あと、その剣抜けたんですね」
「ん? あぁ、そういやそうだな。つか、形変わってんじゃん」
「……気付かなかったんですか?」
「しゃーねぇだろ。無我夢中だったんだよ」
どうやら、自分が如何にして剣を抜いたのか覚えていないらしい。この分だと、どうやってドラゴンを倒したのか覚えていない可能性すら見えてくる。
とはいえ、勝ちは勝ちだ。
満身創痍といえど、二人とも生きている。今回はそれで良しとし、ティアニーズは今度こそ勝利を確信した。
「お前は大丈夫なんか?」
「心配してくれるんですか?」
「質問を質問で返すな。心配とかじゃなくて、流石に女の顔に傷が残るのはマズイだろ」
「……大丈夫ですよ。近くの町に行けば魔法で治せるので」
予想外の言葉に反応が遅れるティアニーズ。クソガキクソガキと言いながらも、少しは女性として見ていたらしい。嬉しさがこみ上げ、僅かに緩む口元隠すように顔を逸らし、
「そうですよ、私だって女性なんです。クソガキと言われれば傷つくんですよ。貴方も死にかけて少しはマシになったみたいですね、良かったです。……て、あの、聞いてます?」
再び予想外の反応にティアニーズは首を傾げる。怒濤の勢いで反論されてもおかしくはないのだが、ルークは立ったまま口を開かない。
違和感を覚えてルークの顔を見つめると、
「ちょ、ちょっと!」
グラリと体が揺れたかと思えば、前のめりに倒れるルーク。丁度胸当ての辺りに飛び込んで来たので、額を打ち付けて鈍い音が響いた。
しかし、声を上げるどころか身動き一つとる様子がない。
「変態! いくら何でも早すぎます! こういうのはちゃんと仲を育んだ男女だからこそ許されるものであって、ちょっとやそっとの窮地を乗り越えたところで私の心は動きませんよッ……て、寝てる?」
両手が使えないので、顔を真っ赤にして体を左右に振って退かそうとするが、胸の谷間にピッタリフィットしているらしく、ルークの顔が左右に揺れるだけだ。
そして、良く良く見れば寝息を立てて眠っていらっしゃる。
疲れ云々ではなく、この状況で寝れるルークに心底呆れたようにため息をついた。
しかし、無理に退かせる事は止め、
「お疲れ様です……」
そう言って、ティアニーズは体の力を抜いて意識を投げ出した。