六章三話 『隠し事』
その後も普通のおにぎりばかりを食べさせられ、口の中までが普通に侵食されつつある中、少し離れたところからベルシアードがやって来た。
「今日はいるのだな」
「おっさんこそ、ちゃんと働いてるみてぇだな」
「ここは私の町だ。私が復興を手伝うのは当然の事だろう?」
「さいですか」
表情はピクリとも変化していないものの、ベルシアードの発言は以前とは別人だった。
ルークは適当な木材に腰を下ろし、疲れを癒すように息を吐く。と、当然のようにその右隣にティアニーズが座り、左側に続いてエリミアスが座った。
ルークは左右に首を振り、
「いやせめぇよ。もっと座る場所他にあんだろーが」
「べ、別に私がどこに座ろうと私の勝手じゃないですかっ」
「わ、私はルーク様の隣が良いのです!」
「ひ、姫様!?」
左右から押し寄せる圧の凄さに、ルークは肩をすぼめて目を細める。理解出来ないところで繰り広げられる乙女の戦いに、勇者はわざと目を逸らしてベルシアードを見た。
ベルシアード呆れたようにため息をこぼし、
「その腕、聞いてはいたが治っていないのだな」
「まぁな。理由は分からねぇけど、今すぐ死ぬようなもんでもねぇってよ」
「本当に勇者というのは理解出来んな。呪いを、しかも魔元帥の呪いを受けて生きているとは」
「たまたまだろ。コイツもやられて生きてるし」
「私は死ぬ前に魔元帥を殺したからです。ルークさんとは状況がまったく違います」
ベシベシとティアニーズの背中を叩いていると、その倍以上の威力で背中を叩かれた。謎の負けず嫌いである。
胃から溢れだしそうな普通のおにぎりを無理矢理押し留め、
「つっても、トワイルの話だと治る宛があるみてぇだぞ。王都に戻らねぇでどっか行くらしいし」
「助言をしたのは私だ」
「え? そうなの?」
「なにも聞いておらんのか? 私がトワイル殿に助言したのだ、カムトピアでなら、その腕も治せるかもしれないと」
初耳の情報にルークは左右の二人へと視線を送る。無言の頷きを見るに、前もって聞いていたのだろう。
無理もない。ルークはここ三日間逃げ続けていたためにトワイルと会っておらず、見かけてすらいないのだ。
「カムトピアってどこ?」
「アスト王国の西に位置する都市です。正直、私も詳しい事は知りません。一度も行った事がないですし、そもそも入るには特別な許可がいるそうなので」
「私もお父様から聞いた事があります。あそこだけは、出来れば死ぬまで行きたくはないと」
「話だけ聞くとすげぇ不安になる所だな。んで、なんでそこに行くと腕が治せんだ?」
いつもの事なのだが、先行き不安な旅路に大きく肩を落とす。
ベルシアードはおにぎり口に運び、
「風の噂……いや、どこかで聞いた事があるのだ。カムトピアには精霊にまつわるなにかがあると」
「また精霊かよ」
「リヴァイアサンのようなものはいないと思うがな。お前の腕は魔元帥による呪い。ユラが死んでも解けないとなると、あとは精霊に頼らざるをえんだろう」
「なるへそ。頼りになる精霊だと良いんだけどな」
言って、ルークは一人ポツンと昼飯を食べているソラを見る。
正直言って、ルークの中で精霊のイメージはすこぶる悪い。ソラから始まり、町を破壊しまくったリヴァイアサンと来れば、精霊がまともではない存在だという事は嫌でも分かってしまう。
とはいえ、この呪いは人間では解けない以上、精霊の力を求めるしかないのだが。
「つっても、すげぇあやふやな感じだな。どこで聞いたとか覚えてねぇの?」
「あぁ、分からない。私が海の子を作ってからだとは思うが、出所にまったく覚えがない」
「カムトピア……名前しか聞いた事がありません。サルマに精霊がまつられているというのは知っていましたけど、他にそういう場所があるなんて……」
「私もだよ。昔から精霊に関する話はいくつかあるが、それでもカムトピアの名前が出てきた事は一度もない。精霊について調べた私が言うのだ、間違いはないだろう」
「また精霊か。今さらだけど、精霊についてなんも知らねぇよな」
ソラからある程度精霊に関する話は聞いているけれど、その実態は未だ掴めてはいない。彼女が記憶喪失という事もあるが、それ以上にあやふやな存在なのだ。
人間を救うという話もあれば、今回のように暴れたという話もある。
あくまでも伝説上の話だった存在は実在していて、実は人間の近くで暮らしているーーなんて事があっても、今さら驚く事は出来ない。
「唯一のソラさんがあんな感じですからね」
「精霊はルールに厳しくて、んでもって人間を見守ってる。魔元帥を殺せるのは精霊だけ…………?」
と、ここまで口に出し、ルークは忘れていた重大な事実を思い出した。
勢い良く立ち上がり、驚いたように目を丸くする三人を置き去りにすると、駆け足でソラの元まで走り出す。
ソラは突然現れたルークの顔を見上げ、
「なんだ、この牛乳は私のものだぞ。欲しかったら他をあたれ」
「ちげーよ、俺は巨乳を目指してねぇ」
「なにを言う、私だって目指しなどいない。なぜなら、もう巨乳だからだっ」
えっへん、とない胸をはり、得意気な顔で牛乳を一気に飲み干すソラ。
相変わらずの態度に若干苛々しつつも、話にならないと牛乳と大事に抱えこんでいたおにぎりを取り上げる。
ソラの目を見つめ、真剣な眼差しで、
「ソラ、今すぐ服脱げ」
「なにを?」
「だから、服脱げって言ってんだよ」
「なるほど、私のダイナマイトボディへの興奮を抑えきれなくなったのだな。しかしだ、こんな公衆の面前でとは中々な趣味を持っているのだな」
「ちっげーよ! お前のその胸の宝石の事を言ってんだよ」
自分の体を抱き、もじもじと恥じらう乙女を演出するソラ。当然それはルークの怒りを煽る行為にしかならず、ありがたいチョップが額に直撃。
真っ赤になったおでこを押さえながら、
「それを先に言わんかバカ者」
「そういや忘れてたぜ。お前にずっと聞こうとしてた事を」
魔元帥との決戦前夜、ルークは確かに目にした。
ソラの胸に輝く、赤い宝石を。ネックレスとか装飾品の類いはつけていないし、お洒落を気にするタイプでもないだろう。
となると、あれはなんだったのか。
リヴァイアサンとの戦闘が激しいせいで忘れていたが、当然見過ごせるような内容ではない。
「貴様も何度も目にしている筈だがな。剣状態の時、赤い宝石がはめこまれているだろう?」
「ん? あぁ、そういやそんなのあったな」
「あれが私の命だ。この胸の宝石、それが砕ければ私は死ぬ。前にも言っただろう、精霊はほぼ不死身だと」
「なるほど、その宝石を壊せるのは精霊だけって事か。だから同族殺しが禁止されてる」
「そういう事だ」
特に隠す様子もなく、ソラは首もとを引っ張って胸の宝石を見せびらかす。その時、壁が見えたのは黙っておくべきだろう。
ルークは躊躇う様子もなく胸を凝視しながら、
「お前、それ分かってて言ってんだよな。それじゃーー魔元帥と同じじゃねぇかよ」
「……あぁ、そうだな」
魔元帥を殺す方法。それは胸の宝石を砕く事だ。それが彼らの命の源であり、それを知らなかったからこそ前の戦争では誰一人として殺す事が出来なかった。
いや、重要なのはそこではない。
ソラは少しだけ考え、
「私も気付いていたよ。記憶にはないが、もしかしたら同一の存在なのかもしれない、と」
「それだとおかしいだろ。同族殺しは禁止なんだろ?」
「それだよ、私がずっと疑問に思っていたのは。同族殺しは禁忌、それだけは私もきちんと覚えている。もし魔元帥と精霊が同じ存在なら、私はとっくの昔に消えている。しかし、私はまだ生きている」
顎に手を当て、ソラは空を見上げた。いつものような自信に満ちた瞳はそこにはなく、僅かな不安を滲ませている。
ルークはそれに気付きながら、口に出す事はせず、
「精霊は精霊にしか殺せない。もし仮に魔元帥が精霊と同じなら、そのルールも当てはまるだろ」
「精霊と同一、もしくは近しい存在なのは間違いだろうな。なんせ私はそれを覚えていない、確証はもてんよ」
「俺は何度も言ってるよな、気付いた事があったら直ぐに言えって」
「言ってどうなる? 無駄なところに神経を使うだけだ。これに答えはない、いや、今の私達では答えを出せない。だったら、悩むだけ時間の無駄というやつだろう」
「 ……はぁ、まぁ良いや。お前がもし魔元帥だったらぶっ潰すだけだからよ」
迷う事なく、ルークはその言葉を口にした。
仮にソラが魔元帥、もしくはその仲間なのだとすれば、彼女を殺す事になんの迷いも躊躇いもない。ルークにとって、ソラとはそういう存在なのだ。
僅かに眉を寄せ、ソラは冗談のように、
「薄情な奴だな、そうじゃない事を祈るよ。しかしこれだけは言っておこう、私は精霊だ。魔元帥ではない」
「記憶ねぇ奴が言っても信憑性に欠けんだよ」
「そこは私のせいではない。好きで記憶を失った訳ではないからな」
「うっ……」
それに関してルークはなにも言い返す事が出来ない。なぜなら、多分ソラの記憶喪失の原因はルークにあるからだ。
初めて魔元帥と戦った際、ルークは綺麗に剣をへし折っている。恐らく、それが原因で記憶を無くしてしまったのだろう。
ルークは誤魔化すように頭を振り、
「とにかく、今度からは思い出した瞬間に俺に言え。隠し事する度に頭殴るからな」
「分かっているよ」
「……まて、まだ他になにか言う事ねぇよな?」
「言う事? ……そうだな、宝石があるのは上級の精霊だけだ。神によって始めに作られた数人の精霊にだけある。リヴァイアサン、あれは恐らく誰がが作り出したものだ。だからあれに宝石はない」
「…………」
「しかしここで疑問が生じる。では、どうすれば下級の精霊を殺せるのか。答えは簡単だ、その精霊を作り出した上級の精霊を殺せば良い。もしくは、普通に殴るかだな」
「…………」
「どうした? 先ほどから黙っているが」
腕を組んで鼻を鳴らし、自慢気に知識をばらまくソラ。この精霊は気付いていないのだろうか。うん、気付いていないのだろう。
なので、ルークは指摘しない。言ったところで直る見込みがないからだ。
その変わり、
「天罰!」
「あいてッ!」
掛け声とともに拳骨を脳天に突き刺した。しかも中指をちょっと出した痛いやつ。
珍しく女の子っぽい声を出し、ソラは涙目になりながら必死な頭を押さえる。『うぐぐ』と唸りながら、
「な、なにをするんだ貴様!」
「お前がまだまだ隠し事してっからだろ!」
「言った筈だ! 知っても意味のない知識を得たところで、無駄に考えるはめになると!」
「無駄かどうか決めるのは俺!」
「む、確かにそれは一理ある。が……」
ゆっくりと立ち上がり、ゆらゆらと肩を上下に揺らすソラ。蜃気楼のように分身したところで、『でや!』という掛け声のともにルークに飛びかかった。
「テ、テメ、なにしやがんだ!」
「一発は一発だバカ者! 私を殴るとどうなるか知らしめてやるわ!」
「上等だ貧乳! 朝の仕返したっぷりしてやるわ!」
「もう許さんぞ、私は貧乳ではないと何度も言えば分かるんだ! 天罰だ、とっておきの天罰を与えてやる!」
そのまま取っ組み合いになり、地面をゴロゴロと転がる二人。お互いの顔を引っ張ったり叩いたりと、今時子供でもこんな喧嘩はしないだろう。
そんな二人を見守る三人。
ティアニーズを額に手を添え、大きなため息をつくと、
「なにやってるんですか……」
「喧嘩するほど仲が良いと聞いた事があります!」
「姫様、多分あの二人はそんなんじゃないと思います」
どこまでも純粋なエリミアスに、呆れを通り越して羨ましいとすら思ってしまう。
しかしティアニーズのため息の原因はそこではない。僅かに聞こえた『魔元帥と精霊は同一の存在かもしれない』という言葉。
それを聞き、ティアニーズの頭にはユラの言葉が過っていた。
(そんな筈ない。ソラさんは私達の仲間です)
それはほとんど願望だった。
あの精霊が、いつか敵になるかもしれないなんて、考えたくもないから。
「私止めて来ますね」
そんな不安を取り除くように頬を二度叩き、ティアニーズは取っ組み合いをしている二人の元へと走って行った。