六章一話 『労働勇者』
呪いという脅威は去った。
魔元帥は死に、暴走する精霊は姿を再び隠す。
勇者、騎士団、海の子、海の男。
彼らの活躍により、また一つ世界は平和に近付いたと言って良いだろう。
ともあれ、まだまだやらなければならない事は沢山ある。というか、やらなければならない事だらけなのである。
なので、勇者に休みはない。
年中無休、給料もないのに必死に戦わなければならない。
当然、本人の望みとは関係なく。
「早く行きますよっ」
「嫌だ! 俺はニートするんだ!」
「わがまま言わないでください! どこもかしこも人手が足りないんです!」
「せめて金払え! 二十歳越えて財産ゼロとか笑い話にもならねぇんだよ!」
「人助けはお金にならない価値があります!」
「そんな形のない物はいらん!」
ベッドの足に両手をひっかけ、歯を食い縛りながら全力で外出するのを拒むルーク。
子供のようなわがままに鬼の形相を浮かべ、ティアニーズは寝そべりながらも抵抗を続けるルークの足を引っ張る。
「形のない物にこそ真の価値が宿るんです! 例えば、愛とか思いやりとか!」
「残念でしたぁ! 愛はお金で買えますぅ! なぜなら、俺は現金を積まれたらどんな女であろうとついて行くからだ!」
「最ッ低ですね! ダメです! お金なんかに釣られないでください!」
「ついて来てほしけりゃ金払え! 俺の愛は金で買えるぞ!」
「べ、べべべべ別にルークさんの愛なんてこれっぽちもいりませんけど!? い、いらないですけど……ちなみにいくらですか?」
一瞬、ティアニーズの力が弱まった。浮いていた体が落下し、腹を地面に打ち付ける。『うぶっ!』と悲痛な叫びを上げながらルークは少し考え、
「とりあえず百億」
「却下します!」
「いでででで! いきなり引っ張んなボケ! 腕が千切れるから!」
「ルークさんが離せば問題ありません!」
即答ののち、再びルークの足を掴んで全力で綱引き。伸びきった背筋がピキピキと怪しい音を奏でているけれど、頑なにベッドの足を離そうとはしない。
それほどまでに、ルークの決意は固いのだ。
とまぁ、この二人は相変わらずである。
イリートがサルマを離れてからすでに三日が経過し、ルーク達は船が直るのを待っていた。勿論、その間は町の修復を手伝わされる事になったのだが、この勇者が素直に従う筈がない。
宿舎を抜け出して三日間はなんとか逃げていたものの、こうしてティアニーズに確保されているのだ。
「大体、ルークさんは町を壊した張本人なんですから、手伝う義務がある筈です!」
「壊したのは俺じゃなくてあの精霊な! そんでもって作戦をたてたのはソラ!」
「でもやったのはルークさんです!」
「バカタレ! 指図した奴が一番悪いに決まってんだろ!」
こんなところで持ち前の諦めの悪さと屁理屈を発揮し、全ての罪をソラに擦り付けようとしている。しかし、諦めの悪さならティアニーズだって負けてはいない。
もっとも、ここで発揮するべき才能ではないのだが。
「良いから、手伝ってください!」
「いーやーだー! 俺はニートになる!」
「十分ニートしたでしょ! 三日もサボったんですから、その分ちゃんと働いてくーだーさーいー!」
「ニートに十分なんてねぇんだよ! 働きたいと思うその日まで、ニートは不滅だァ!」
「訳の分からない事言ってないで、いい加減に諦めろ!」
多分、全国のニートの親御さんはティアニーズと同じ気分なのだろう。だらしのない子供に精一杯向き合っても、結局は本人のやる気次第。立ち上がろうという気持ちがなければ、なんの意味もないのである。
すなわち、なにを言おうとこのニート勇者は動かない。
一進一退の攻防を繰り広げていると、寝起きでボサボサ頭のソラがやって来た。大きなあくびをしながら、
「ふぁぁ……朝からうるさいぞ」
「ソラさん! 良ナイスタイミングです、ルークさんを連れ出すの手伝ってください!」
「やはり捕まったか。往生際が悪いぞ、私だって働かされているのに」
「俺は働かない! 強制労働なんかクソくらえだ! 俺は勇者だ……ニートの希望の星になるんだ!」
「変な希望を目指さないでください!」
アスト王国、いや世界を見渡してもここまでクソッタレな勇者は存在しないだろう。
見かねたソラがルークの足を掴む。右足をティアニーズ、左足をソラがホールドし、二対一の綱引きが開始される。
「おまッ、なんでこんな時だけ力つえぇんだよ!」
「自分だけ楽をしようなどと、そんな事私が認める訳がないだろバカ者っ」
おかしい、うんおかしい。
ソラは一人でルークを運べなかった筈だ。つまりソラ一人が加わったところで、ルークの絶対的優位は揺らがない。
なのにも関わらず、とんでもない力で引っ張られている。
これがぞくに言う、火事場のクソ力というやつだろうか。
「諦めろ、私を敵に回した時点で貴様に勝ち目はない!」
「そうです、諦めてください!」
「上等だ! この際だから誰が上か分からせてやる!」
ここまできたら引く事は出来ない。男としての意地とプライドをかけ、ルーク・ガイトスは最大の戦いへと挑む。
敵は労働、守るはニート。
かつてない死闘が今ここにーー、
「あ」
ポキッと、音がした。
目がおかしくなっていなければ、握っていたベッドの足が折れている。
その結果、支えを失った二人は大きく体勢を崩し、
「なぬっ」
「きゃっ」
「のう!」
どんがらがっしゃん!と、もつれ合って激突する三人。
二人の少女を下敷きにし、チカチカと点滅する視界にルークは頭を振って正常な視界を取り戻す。直ぐ様逃げ出そうと手をついた瞬間ーー、
「んっ」
「ひゃっ」
「なん、だ」
掌に違和感があった。それと同時に、なんだか艶かしい声が耳の中に滑りこんで来る。なぜだが分からないけれど、妙に気持ちが高揚する。
視線を下ろすと、ルークは自分の掌に触れているものがなんなのかを悟った。
そして、驚愕した。
右手と左手、同じものを触っているとは思えない感触。片方は指が吸い込まれるほどの弾力があり、一度吸い込まれたら二度と脱出は不可能だ。もう片方は完全なる壁。そう、絶壁。
こんな事があって良いのか?
これが、これこそが、
「発育のーーぶべら!!」
あとの事は説明するまでもない。
左右からのフックが頬を叩いたのである。
それから数分後。
手足をこれでもかというくらいにロープでぐるぐる巻きにされ、抵抗の余地もなく部屋から引きずり出されていた。
二人の少女は大変ご機嫌斜めである。
「本ッ当に貴方って人は……どうしてそう変態なんですかっ」
「バカ野郎、さっきのはどう考えても不可抗力だろ。折れたベッドの足が悪い。もっと言うなら、俺を引っ張ったお前らが悪い」
「ルークさんが抵抗しなければあんな事にはなりませんでした。それに……女性の胸を触るなんて最低です、外道です、分かってましたけどけだものですね」
「偉大な精霊である私のボインに触れたのだ、本当なら吊るして市中引き回しの刑に処すところだぞ」
ティアニーズはともかく、ソラに関しては触った気がまったくしない。以前、ルークは少年のような少女の胸に無断で触れた事がある。見た目はソラと変わらない大きさだったが、それでも触れた瞬間にこれは女性の胸だと理解する事が出来た。
しかし、それすらもなかった。
まさに絶壁。下手したらルークの方があるではなかろうか。
と、口にしようとしたが、計り知れない威圧が降り注ぐ。見ればソラさんがこちらを凝視していた。
「私の、ボインに、触れたのだからなッ」
「そ、そうっすね。ボインっすね。凄かったっす、柔らかかったっす」
「そうだろうそうだろ。私はボインなのだ」
「……感想を言わないでください」
得意気にない胸をはるソラと、頬をほんのりと染めながら呟くティアニーズ。これが乙女とそうでない者の差なのだろうか。
町中を少女二人に引きずられるルーク。
プライドもへったくれもあったもんじゃない。
どうにかやり返してやろうと考え、
「ティア、お前のも柔らかかったぞ」
「……!! だから! 感想を! 言うな!」
「へぶ!」
顔全体を真っ赤に染め、ティアニーズは握る手綱を振り回す。
ルークは円を描くように宙を舞い、綺麗な放物線を描いて頭から地面に着地。眼前に火花が散り、ついでにひよこがピヨピヨと走り回っていた。
ティアニーズは肩を上下に荒ぶらせ、
「ハァハァハァ……」
「いってぇな! 死ぬわボケ!」
「ルークさんが変な事言うからです! くたばれ変態!」
「誰が変態だ! 至って健全な青年ですぅ! この年頃の男は胸が好きなんですぅ!」
「む、むむむむね!? それセクハラですよ! 訴えますからね、必ず絞首刑に追い込んでやりますからね!」
顔全体を紅潮させ、目にも止まらぬ速さで唇を振動させるティアニーズ。
基本的に、ルークは好き子でも好きじゃない子でもいじめたくなるタイプなのだ。特にティアニーズのようにあからさまな反応を示す人間相手には。
それもこれも、人を見下したいという腐った性根があるからである。
なので、ルークは反撃する。
縛られた手足を器用に動かし、立ち上がろうとした時、ソラが腕を組ながら呟いた。
「もしやあれか、ティアニーズはーー処女というやつなのか?」
沈黙が、訪れた。
町中には釘を打つ音とか響き渡っている筈なのに、三人の周りのみにその現象は訪れる。
爆弾が、落ちたのだ。
そしてその言葉は、ティアニーズに効果抜群だ。
「なーーなななななななに言ってるんですか!!」
「アハハハ、別に照れる事でもなかろう。純潔というのはそれなりに価値があるのだろう?」
「だからって、こんなところで言わなくても良いじゃないですか! 町中ですよ、人いるんですよ!」
「なにを怒っているのだ」
「そりゃ怒りますよ! 女の子ですよ!?」
町中でそんな事を言われれば誰だって羞恥心に包まれるのだろうけど、多分三人の会話は聞かれてはいなかっただろう。しかしながら、ティアニーズの罵声によって注目が集まり始めていた。
勝手にヒートアップする二人を、ルークは死んだ目で見守る。
「そ、そういうソラさんはどうなんですか!?」
「精霊に子作りという概念は存在しない。人間を模して造られたからな、体の構造はほぼ同じだが……そんな事するよりも造った方が早い」
「じゃ、じゃあソラさんだって同じじゃないですか!」
「そうだな、同じだな。しかし全然恥ずかしくないぞ」
「私は恥ずかしいんです!」
チラリとルークに目をやり、うるうると涙ぐみながらティアニーズはうつ向いた。
胸を触って殴られたので、多少の恥ずかしいという気持ちは存在するのだろうけど、この精霊さんに乙女のような反応をしろという方が間違っている。
「もう……どうして貴女達はそう……良いです、分かってましたもん」
「その純潔を大事にするのだな。愛する人間に捧げろ」
「そのつもりです! ……って、もう止めて!」
「朝からうるせぇぞお前ら。その元気をこっちに回してくれよ」
尽きる事のない言葉の弾を撃ち合っていると、近くの建物の屋根からリエルが顔を覗かせた。
ティアニーズは真っ赤になった頬をごしごしと擦り、咳払いをしてから空気を入れ替えるように姿勢を正す。
「遅れてすみません。ルークさんを探していたので」
「ん? やっと来やがったか、サボった分きっちり働いてもらうからな」
「断る。俺はゼッテーに働かなーー」
ルークが断固拒否する姿勢を見せようとした時、なにかが屋根から振って来た。サクサク、と謎の音を出し、倒れているルークの目の前に刺さる。
釘だ。
リエルが釘を投げたのだ。
「あっぶねッ。当たったらどうすんだよ!」
文句を言いながら状態を起こした時、不意に地面に刺さる釘が目に入った。見覚えのある形ーーというより、数本の釘で文字が作られていた。
刻まれている言葉は死。
なんとも芸術的な一投である。
青ざめた顔で見上げると、
「働け」
「ういっす」
両手の指の間にびっしりと釘をしきつめるリエルがいた。多分、断ったら刺すよって言いたいのだろう。
秒速を越える返答を受け、リエルは満足そうに微笑んだのだった。