五章三十二話 『在り方』
「立ち止まらずに動くんだ! 狙いを絞らせるな! 囮はルークが引き受けてくれるから!」
「囮やるなんて一言も言ってないんだけどもね!?」
声をトワイルに文句を言いながらも、ルークは先陣を切ってリヴァイアサンへと突撃を開始。唯一まともにリヴァイアサンの攻撃を対処出来るのがルークだけなので仕方ないのだが、こうも囮役が続くと文句だって言いたくなる。
「テメェら、休んでる暇なんてねぇぞ! 魔法打てる奴は絶えず打ち続けろ!」
「「「おっす!!」」」
ヨルシアの合図を期に、背後から大量の火の玉が放たれる。攻撃としての威力は望めずとも、目眩ましや多少の陽動にはなるだろう。
火の玉に紛れながら一気にリヴァイアサンの眉間まで跳躍し、
「どっォォせい!!」
二つの瞳のど真ん中、赤い瞳を前にしても怯む事はなく、ルークは渾身の一振りを叩き込んだ。ガヂン!!と聞いた事もないような鈍い音を立て、リヴァイアサンの顔面が再び瓦礫の山に沈む。
剣を逆手に持ち変え、今度は落下の勢いを使って後頭部と思われる箇所に切っ先を突き立てる。
「今だ! 全員たたみかけろ!」
トワイルの叫びを合図とし、離れていた騎士団、海の子、船乗りが一斉に倒れたリヴァイアサンへと走り出す。
それぞれが持つ武器は剣、こん棒、あとは落ちていた今にも折れそうな木の枝だ。
そんなもので効果があるのか?
いやそうじゃない。別に効果がなくたって構わない。立ち向かう事が、一丸となって攻める事がなによりも重要なのだ。
雄叫びを上げ、もがくリヴァイアサンの鱗に一心不乱に武器を叩きつける。
「よし、離れるんだ! 急いで、全力で走るるんだ!」
時間にして約十数秒。しこたま殴りまくり、リヴァイアサンの頭部が僅かに揺れたのを目にすると、全員が一目散に所定の位置へと走り出す。
その直後、リヴァイアサンが頭を引っこ抜くと同時に、舞い上がった瓦礫が雨のように降り注ぐ。
「魔法を使える人間は瓦礫を打ち落とせ! 無理な人は全力で逃げるか……ルークの側に寄るんだ!」
「来んじゃねぇよ、自分達でどうにかしろ!」
「よっしゃ、頼んだぜルーク!」
「打ち落とせ!」
トワイル、ヨルシア、ベルシアードを含めた数人が進路を変更し、真っ直ぐにルークへと加速。
楯にするように背後へと回り込まれ、苛立ちを露にするが、
「貸し一つだかんな」
「いいや、さっき俺が助けたのでチャラだよ」
「……しゃーねぇからそういう事にしといてやるよ!」
握り、上空に向けて剣を横殴りに振るう。
放たれた斬撃はルーク達をおおう傘のような半円状へと変化し、降り注ぐ瓦礫をチリ一つ残さずに粉砕した。
残りの瓦礫は後衛の数人が破壊し、誰一人傷つく事なく突破。
「こ、これが勇者の力……!」
精霊、そして勇者の力を目の当たりにし、ベルシアードは大きく口を開いたまま固まってしまった。とはいえ、こんなところで固まっていられる時間もなく、ヨルシアに引きずられるようにして再び突撃を再開。
『ルーク、残りの斬撃は一発だ。分かっているとは思うが……』
「関係ねぇよ。ぶっ倒れようがコイツはこので抑える」
『そうか、ならば私はなにも言わん。全力で貴様を援護しよう』
光の斬撃は一発打つ度に体力を大幅に削られる。威力は絶大だが、まだルークは出力を完璧に調節する事を出来てはいないのだ。かろうじて斬撃の形をイメージ通りに変える事は出来るものの、ほぼ毎回全力の一太刀だ。
当然、今のルークの体力は限界に達しつつある。これほどまでに斬撃を多様した事がなく、全身から流れる冷や汗がもう辞めろと叫びを上げている。
恐らく、あと一発打てば倒れる。
ルークは直感でそう理解していた。
けれど、
「ここが正念場だ。ここを逃せばあとはねぇ。ティア達が踏ん張ってんのに、俺が折れる訳にはいかねぇだろ」
『……ティアか。随分と気にしているようだな。恋か? もしかしたて恋をしてしまったのか?』
「ちげーよバカ。俺のタイプはボインで包容力のあるお姉さんだ。あんなガキに恋なんてするかよ」
『フッ、ちょっとした冗談だ。ではなぜだ?』
先陣を突っ走り、リヴァイアサンの振り下ろされる頭部を回避する。打ち付ける度に瓦礫が跳ね上がり、残骸が体を掠める。
小さな切り傷を身体中に追いながらも、ルークは足を止める事はしない。
なぜか?
そんなの簡単だ。
ただーー、
「アイツに負けんのだけは嫌なんだよ」
ティアニーズだけには負けたくない。
その理由は分からないけれど、彼女が立っている限りは絶対に倒れる訳にはいかないのだ。
たとえなにがあろうとも、先で待っていると、追い付けと宣言したのだから。
「相手が誰だろうと関係ねぇ。俺に喧嘩売った以上、精霊だろうが神様だろうがぶっ潰す!」
『そうか……では楽しみにしておくぞ。貴様が神をぶっ潰すのを』
耳元で聞こえた僅かな呟き。その言葉に様々な感情が込められているように聞こえたが、ルークはその疑問について考える事を放棄した。
答えはあとで良い。
すべてが終わったあとで良いのだと。
「流石に硬いね、俺達の剣じゃ傷一つつけられない」
「心配すんな、俺達なんかただのこん棒だ。それに、いくら硬くたって同じ場所を何度も叩いてりゃいつかは壊れる」
「その方法良いですね。では、狙うはやつの眉間。そこだけに攻撃を集中させます」
「おうよ! テメェら聞こえたか!?」
「「「おっす!!」」」
背後を走るトワイルとヨルシアの会話が耳に入った。というか、多分わざと聞こえるように声を大きくしたのだろう。
いくら攻撃を集中すると言っても、あれだけの高さにある眉間には普通にジャンプしたんじゃ届かない。
となると、顔をどうにかして届く距離まで下げなければならない。
つまり、
「俺にやれってか。ッたく、副隊長さんは人使いが荒いねぇ」
当然、それが出来るのはルークだけ。
しかし、リヴァイアサンは誰よりもルークを警戒していた。頭を振り回して暴れているようだが、その瞳は確かにルークを逃すまいと捉えている。
なんの策もなく飛べば打ち落とされて終わりだ。
しかし、
「後衛の人間は側面に回れ! いくら硬くたって魔法で押す事は出来る! リヴァイアサンの注意を逸らすんだ!」
マズネトの声が聞こえた。
ザッザッ!という足音が聞こえ、下がっていた騎士団と海の子達が一斉に前へと走り出す。
リヴァイアサンの右側へと回り込むと、右腕を勢い良く振り上げ、
「撃て!!」
炎の弾幕がリヴァイアサンの横顔へと叩きつけられる。怒濤の勢いで放たれた魔法は一ヶ所に集中し、振り回していた頭部が僅かに怯んだ。
鱗を貫通する必要なんてない。
押し留めさえすれば、あとは勇者に任せてしまえば良いのだから。
『ルーク!』
「わーってるよ!」
一気に顔面まで飛び上がり、再び渾身の一撃を眉間へと叩き込んだ。
リヴァイアサンの顔が大きく揺れ、前のめりに体勢が崩れる。が、
「コイツ……!」
原理は分からない。いや、ただ単純に眉間に力を込めただけなのだろう。来ると分かっていれば対策はいくらでも立てられる。
それは別に人間側だけの話ではない。
リヴァイアサンだって、暴走していても知能はあるのだ。
倒れるのを堪え、リヴァイアサンが宙に浮くルークを見上げる。口が大きく開き、無駄なく敷き詰められた綺麗な牙が視界に入った。
このまま落ちれば胃の中へまっ逆さま。
ジタバタと手足を暴れさせていると、
「副隊長は人使いが荒い……けど、君だけに危ない役を押し付ける訳じゃないよ」
「おま、なんで!」
ルークの背後、空中になぜかトワイルがいた。精霊の加護がない以上、ここまで跳躍する事は不可能な筈だ。
しかし、その答えは地上にあった。
ヨルシアが握り締めたこん棒を振り抜いた直後だったのだ。
多分、あのこん棒に乗ってここまで来た。
なんともバカらしい方法だが、なんともトワイルらしいやり方である。
剣を構え、トワイルは爽やかな笑みを浮かべる。
「あとは頼んだよ!」
「……! 任せろ、思いっきり頼むぞ!」
なにをするべきかを理解し、ルークは空を見上げる。
トワイルは抜いた剣を傾け、面の部分をルークの靴裏に合わせる。奥歯を噛み締めて柄を握り、そのままルークごと剣を斜め上空へと打ち放った。
あまり頭の良い作戦とは言えない。
ルークを放ったトワイルは今も落下中だし、このまま落ちれば鋭い牙でムシャムシャされるのがオチだろう。
けれど、ならばさせなければ良い。
「口を、閉じやがれ!!」
コマのように空中で体を縦に回転させ、ルークはなんとか狙いを定める。この距離では剣が届かない。そうなれば、残るは一つしかない。
回転するごとに剣の光は大きくなり、地上に立つ者を照らす。
そして放たれた。
かまいたちのように回転する斬撃は、吸い込まれるようにリヴァイアサンの鼻先へと直撃し、大きく開かれた口が強制的に閉じる。
鱗が弾け、血しぶきが上がった。
身体中に血を浴びながらも、トワイルはリヴァイアサンの頭に着地。剣を振り上げ、
「ハァァァァァーー!!」
人の剣が、精霊の肉を抉った瞬間だった。
そのまま頭部は落下し、その勢いでトワイルの体が投げ出される。
それを見ていたヨルシアが叫んだ。
「かかれぇぇぇ!!」
武器を構えた男達が走り出す。雄叫びが空気を揺らし、ここが踏ん張りどころだと言わんばかりにたたみかける。
肉を守る鱗は存在しない。もしかしたら殺してしまうかもしれないが、そうなったらそうなっただ。
それに、今攻めている男達はそんな事考えてはいない。
直感で理解しているからだ。
この程度では、精霊を殺す事なんて出来やしないと。
「ッ!! 離れろ!」
閉じていたリヴァイアサンの瞳が大きく開かれた。先ほどよりも回復が早い。否、そうではなく、向こうも意地で全身に響く痛みを抑えこんだのだ。
ヨルシアは間に合わないと判断し、体を丸めて防御の姿勢をとる。
直後、
「ジャァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
咆哮が上がり、周りにいる人間が一斉に吹っ飛ばされた。ほとんどの人間が直撃を避けているものの、衝撃波によって数メートル宙を舞った。
宙を舞う男達を守るべく、後衛は魔法を放つ。
しかし、
「ジャァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」
第二波があった。
叫びとともに宙に舞う人間は体を衝撃波に叩かれ、なすすべなく吹っ飛んだ挙げ句に落下。あちこちで人間が落下するという奇妙な構図の中に、海の男であるヨルシアの姿もあった。
魔法をかきけし、凪ぎ払い、リヴァイアサンは咆哮を上げながら歯向かう人間に圧倒的な力を示す。
後衛も逃れる事は出来なかった。
それほどまでの威力に、先ほど優位だった人間は、全て地に倒れた。
リヴァイアサンはぐるりと辺りを見渡し、不意に咆哮が止んだ。
見つけたのだ。
倒れている男を。
一番殺さなくてはならない人間を。
「……やべぇぞ。急げソラ!」
「無茶を言うな! 私は偉大だが腕力は乏しいんだ!」
自分へと向けられた視線にルークは半笑いを浮かべる。最後の斬撃を放って体力は底をつき、加護でなんとか防いだものの落下によるダメージが大きい。
なので、人間に戻ったソラに引っ張ってもらい、なんとか離脱しようとしている最中だったのだ。
「もっと早く運べって! めっちゃこっち見てるから! 食われちゃうから!」
「ええい、少しは口を閉じろ! 私だって食いちぎられるのはごめんだ!」
「だったらもっと速度アップ!」
ソラは必死に襟首を引っ張っているものの、十歳前後の少女の腕力ではどうにもならない。それに加え、全身の力が抜けている人間を運ぶのは、普通の人間を運ぶよりか苦労するのである。
ただ、リヴァイアサンにとってそんなのは知ったこっちゃないのである。
今まで散々いたぶって来た人間が目の前にいるのだ。殺すのに躊躇う理由なんて一つもない。
リヴァイアサンは牙を見せ、殺す準備へと入る。
と、
「もう少しです!」
先ほどまったく進まなかったルークの体が、ずるずると引きずられだした。それと同時に聞き覚えのある少女の声が耳に入り、ルークは首だけを動かして背後を見る。
「お前、なんでここにいんだよ!」
「私だけ逃げるなんて出来ません! 私も、私だって皆さんと一緒に戦いたいのです!」
どうしてこう、姫様というのは人の言う事を聞かないのだろうか。
逃げた筈のエリミアスがソラの横に並び、必死にルークの体を引っ張っていた。そもそも、この姫様が素直に逃げ出す筈がなかったのだ。
そんな聞き分けのある少女なら、ここまでついて来てはいない。
「ナイスタイミングだ! 一気に引くぞ!」
「はい! ルーク様は私が助けます!」
「あぁもう! 良いから早く引け! 俺まだ死にたくねぇから!」
言いたい事を腹の奥に押し込み、ルークは自分を引く二人に全てを委ねた。
その直後、リヴァイアサンの頭が伸びた。
直撃は避けた。
避けたけれど、ルークの足元へと突き刺さり、三人の体は大きく跳ね上がった。
「グッ……!」
「まずい……エリミアス!」
落下し、ソラの声によってルークは直ぐに体を起こす。
姫様と言ってもエリミアスはただの少女だ。受け身なんてとれる筈もなく、二人から離れたところでうずくまっていた。
意識はあるのだろうけど、足を押さえて苦痛の色を浮かべている。
そして、リヴァイアサンはエリミアスを見た。
「おい! テメェの相手は俺だって言っただろ!」
「立てルーク!」
リヴァイアサンはルークには目もくれない。
殺せる最大のチャンスを邪魔されたからなのか、それとも他になにか理由があるのか。真意は分からないけれど、怪物は殺す対象をエリミアスへと変更したのだ。
立ち上がろうとしても、体が言う事を聞いてくれない。誰かに背中を押さえつけられているような感覚に襲われ、直ぐに崩れ落ちてしまう。
唇を噛み締め、叫ぼうとした時、
「ーーーー」
リヴァイアサンの頭が、エリミアスに向けて振り下ろされた。
瓦礫が砕け散り、地面が激しく揺れる。
世界がスローになった。
避けられる筈がない。耐えられる筈がない。
あの少女は死ーー、
「なにをしているんだ! 早く決着をつけろ、勇者!!」
必死な声が鼓膜を叩く。息を切らし、額からは恐怖による汗が止めどなく流れ落ちる。
その男は、エリミアスを脇に抱えていた。
泣き出しそうな顔で、今にも投げ出したいと言いたげな顔で、それでも恐怖に抗いながら走る。
ここで逃げ出す事は、絶対に許されない。
ベルシアードという男の人生の中で、これ以上の立ち向かうべき困難は訪れないだろうから。
笑みがこぼれ落ちた。
「おっさん……中々やるじゃねぇか。ソラ、加護はあとどんくらい残ってる」
「十秒ほど、だな」
「十分だ。全部使え、ありったけの力をよこせ」
「あぁ、ここまでお膳立てをされて、情けないまねは出来ないな」
剣を握り、立ち上がる。
限界なんてとうに越えていた。手足は震え、まともに動かす事さえままならない。
ルークの本能が、もう休んでしまえと告げる。
もう、十分やっただろうと。
こんなのはお前らしくないと。
逃げて、逃げて、逃げて、面倒な事は放り投げて、他人に押し付けて来た男ーーそれがルークだ。
だから今回もそうすれば良い。
だって、それがルークだから。
けど、
「うっせぇ、ここで折れる訳にはいかねぇんだよ。アイツが、あのバカが見てる限りはな!!」
ここで折れてしまえば、あの少女の追いかける背中は消えてしまう。
それはダメだ。絶対にダメだ。
あの少女がいる限り、ルークは立ち上がらなくてはならない。
先を走る人間として、待っていると言ったのだから、決して折れる事は許されない。
あの少女の憧れでいたいと、そう思ってしまったから。
「これが最後だデカブツ、俺の全力をぶちかましてやらァ!!」
加護が発動すると同時に駆け出した。
小細工は通用しない。そんな体力も気力もないし、出来るのはありったけを真っ正直からぶつける事のみ。
だから、走る。真っ直ぐに。
「ジャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァーー!!」
「うおォォォォォォォォ!!」
精霊としての意地なのか、リヴァイアサンは避ける事をしなかった。ルークと同様、小細工なしの正面への突進。
激突した。
音を置き去りにして、二人を中心にして衝撃波が広がる。
それで、終わった。
呆気なく、たった一回の衝突だけで。
『なるほど……これが、勇者か……』
誰かの声が聞こえた。
誰の声かは分からないし、そんな事を気にしている余裕なんてなかった。
全身の力が抜け、ぶつかりあった怪物と青年はゆっくりと落下する。
「おっと……ふぅ、なんとか、間に合ったみたいだね」
落下による痛みはなかった。
薄れ行く意識の中で見えたのは、金色の頭だった。
金色は言う。
「俺達の勝ちだ」
その言葉を最後に、ルークの意識は途切れた。
力無く倒れるリヴァイアサンを見て、歓喜の声をあげる男達の叫びを子守唄に。