五章二十九話 『黒の魔』
かすり傷でも負えば、その場で命が途絶える。なんとも理不尽な戦いで、一瞬でも気を抜く事を許されない緊迫した状況。
ソラは呪いに対する耐性がついていると言っていたが、流石にこれはどうにもならないだろう。
だというのに、ティアニーズは落ち着いていた。
ドクドクと鼓動を刻む心音が鮮明に聞こえ、相対するドラゴンの動きが手に取るように見える。
「ーーハァッ!」
迫る硬い触手のようなものを飛んで回避し、一気に間合いをつめて首もとを斬り裂く。鱗と刃が激突して火花が散り、僅かに亀裂が入る。
と同時に、左右、そして頭上から触手が襲いかかって来た。地面を強く蹴って後退すると、入れ替わるようにリエルが前に出る。
「どりャァ!!」
一ヶ所に集まった触手をまとめて剣で凪ぎ払い、体勢を崩したドラゴンの瞳へと真っ直ぐに剣を突き刺した。
痛みによって顔が大きく跳ね上がり、右身から血を撒き散らしながら首を振り回す。
そして、
「これで、終わりだ」
静かな呟きとともにイリートが跳躍。
がら空きになった首へと剣を振り下ろし、鱗共々一刀両断した。ブシュ、と嫌な音が遅れて響き、イリートが着地するとの同時にドラゴンが光の粒となって消滅した。
誰一人傷を負う事なく二匹のドラゴンを倒し、三人は残る魔元帥へと目を向ける。
空へ上がって行く光を見つめ、ユラはため息をこぼしながら、
「ふーん、イリートはともかく、そっちの二人も意外とやるのね。ウルスを殺しただけの事はある」
「いくら魔獣を呼び出しても無駄です。私達はそれをことごとく打ち倒し、必ず貴女の胸元へと剣を突き立てます」
「まだまだ始まったばっかじゃない、そう焦らないでよね。リヴァイアサンも順調に町を破壊してくれてるみたいだし、もう死んじゃったんじゃないの? あの勇者」
リヴァイアサンの体はユラの後ろにある。
しかし、いまだに頭部は暴れているらしく、町のあちこちから鳴り止む事のない轟音が鳴り響いていた。煙が上がり、なにかの残骸が宙を舞っているのがここからでも伺える。
ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべ、楽しそうにユラは口を開く。
「ま、あれに勝とうって方がバカげてるわよね。人間じゃどう足掻いても勝てないの。勇者って言っても、所詮は精霊から力を借りないと勝負にすらならない。良いの? こんなところで油売ってて」
動揺を誘っているのか、ユラの口調は挑発的だ。フラフラとその場を回るように歩き、いまだ暴れ続けているリヴァイアサンの方を指差す。
しかし、ティアニーズは敵から目を逸らさない。
「いい加減分かったらどうですか? そんな言葉には惑わされません。私はルークさんに任せた、ルークさんは私達に任せた。だったら、今やるべきは貴女を倒す事だけです」
「死んじゃうかもしれないのよ? いえ、もう死んでるかも。惨めに潰されて、身体中の臓器をぶちまけて、叫ぶ暇もなく」
「ハァ……お前、そうやって人を惑わすのが好きみてぇだな。でも無駄だぞ、アタシ達のやる事はなにがあっても変わらねぇ。それに、死ぬ前にテメェを殺せばなんの問題もねぇだろ」
「……つまんない、もっと動揺して泣き叫べば良いのに。ほんと、ムカつくよね、君達」
大きなため息をつき、なにも分かっていないと言いたげにリエルは言葉を吐き出す。
そんな三人の揺るがぬ態度に苛立ちを見せ、ユラは掌で顔をおおった。指の隙間から見える口元は微笑んでいるけれど、声はまったく楽しそうではない。
「来なよ、こんな事を続けたって意味はない。君だって分かってる筈だ。時間稼ぎのつもりかもしれないが、僕達には通用しない」
「……やだやだ、やる気満々な顔しちゃって。暗く冷めた顔の方が似合うよ?」
「もう、君に気に入られて特する事はなにもない。あまり僕を舐めるなよ」
これ以上の会話は時間の無駄。そう判断したのか、剣についた血を払うように振り回すイリート。
けれど、ユラの方は一向にやる気を見せない。
再び足元に紋様を刻み、そこから数匹のトカゲ型の魔獣が現れた。
「チッ、マジで面倒だな」
「ですが、ここまで追い込んでも自分から来ないって事は、そこまで強くはないのでは?」
「油断はしない方が良い。あれは腐っても魔元帥だ。それに僕は彼女を知っているから分かるけど、底知れないなにかを隠し持ってるよ」
「……分かりました。とりあえずは魔獣の殲滅を優先しましょう。隙があれば魔元帥を叩く。そうすれば、彼女だって向かわざるを得ない筈です」
自分の力を過小評価している訳ではないのだろう。ただ純粋に戦うのが面倒だから、ユラは前に出る事をしない。
それならば、出て来なければいけない状況を作り上げるしかない。
時間が限られている以上、こんな魔獣に時間を割いている暇はないのだ。
「前衛は僕がやる。どのみち、この剣じゃないとまともなダメージにはならないからね。二人は援護を頼む……けど、別に後ろで待っている必要はないよ」
「分かってる。隙があったらアタシも一撃を叩きこむ。つか、一発ぶん殴らねぇと気がすまねぇんだよ」
「行きましょう。ルークさん達がリヴァイアサンを引き付けてくれてる今がチャンスです」
現れた魔獣は十匹ほど。
三人でも余裕で対処出来る数だ。しかしながら、呪いという驚異が消えた訳ではない。
細心の注意を払いつつ、狙うはユラの首。
「行こう、魔元帥を殺しに」
イリートの呟きを合図に、三人は一斉に飛び出した。
さりとて、ユラに近付くにはまず厄介な魔獣を処理しなければならない。魔獣を処理するには、地面に刻まれた紋様を消す事。
となれば、
「他は無視だ、一気にテメェを叩く!」
魔獣達の間を器用にすり抜け、リエルは先陣を切って走り抜ける。彼女の細い体、そして軽い身のこなしだからこそ出来る芸当だろう。
魔獣の頭に足を乗せ、勢いをつけて一気にジャンプ。
「その紋様が邪魔なんだよ!!」
「やっぱり、そう来るわよね」
ユラは反撃する気配も見せず、振り下ろされた剣から逃れるように数歩後ろへと下がった。
リエルの細剣の切っ先が紋様を貫き、バチィ!と電力が走ったのと同時に消滅する。
「よそ見厳禁です!」
僅かに生まれたその隙を狙うように、二匹の魔獣がリエルの背後へと迫っていた。
ただ、当然そんな事は予想の範囲内。
ティアニーズの剣がトカゲの額を貫通し、残りの一匹は魔道具から放たれた炎が焼き尽くす。そして、燃える魔獣にとどめの一撃をリエルが叩き込んだ。
先走ってしまった二人。当然、置いていかれたイリートが残りの魔獣を始末する役目を強いられ、
「必要ないとは言ったけど、いきなり前に出るのは違うと思うな」
そんな悲しい呟きもティアニーズの耳には入らず、ようやく二人は魔元帥の元へとたどり着く。
あらかじめ立てていたフォーメーションとは逆になってしまったが、この際もう作戦なんてどうでも良いのだろう。
「しつこいわね、お膳立てって言葉を知らないのかしら」
「あいにく、そんなマナーに正しい生き方はして来なかったんだよ!」
後ろへ下がりつつ再び紋様を刻もうとするユラだったが、それを許す筈がない。
イリートが魔獣を引き付けてくれている今、ユラが呼び出しさせしなければ増援はない。
二人は一気に駆け出し、隙を与えないように剣撃を叩き込む。
「ちょ、まっ、私丸腰なのよ!」
「んなの知るかよ! どうせナイフ隠し持ってんだろーが!」
「んー、はいせいかーい」
軽いステップで後ろへ下がりつつ、二人の攻撃難なくを回避するユラ。その際、ポケットへと手を突っ込み、キラリと光る刃物が見えた。
ティアニーズはそれに狙いを合わせるように、右の掌を向け、
「そうはさせません!」
放たれた炎が、ユラの右腕を弾きつつ事ナイフを吹っ飛ばした。腕が上がり、もくもくと黒煙がユラの右腕をおおう。
明確な隙だった。片腕は弾かれ、こちらは二人。
剣を握り、左右から同時に攻めるーー、
「言ったでしょ、私は弱くないって」
「ーー!?」
小さな呟きのあと、二人の剣が受け止められた。素手で二本の剣を鷲掴みにし、ユラは底知れない冷たい瞳で二人を見据える。
その顔に、黒い紋様が広がっていた。
首筋から伸び、顔だけではなくて腕にもだ。
まったく動かない。どれだけ力をこめたとしても、その手を振りほどく事が出来なかった。
そして、二人の体が回転した。
剣を掴んだ手を手首ごと回転させ、それを握る本人すらも一緒に振り回したのだ。
「私、実はすーごく強いのよね。ただ戦うのは苦手なの」
回避は不可能。出来る事と言えば、なにが起きたのかを目で捉える事だけだった。
握ったユラの拳が、二人の胸に突き刺さる。
息が止まり、押し出されるようにして後方へと吹っ飛ばされた。
地面を跳ねながら転がり、身体中を打ち付ける。
あちこちから響く痛みに顔をしかめてなんとか止まろうとしていると、後ろにいたイリートが二人を受け止めた。
「言っただろう、油断はするなと」
「す、すみません……」
「あのヤロウ……なんつー力だよ」
胸を叩いて無理矢理つまっていたものを吐き出し、酸素をとりこんでようやく状況把握へと頭を動かし始める。
ユラの体に広がる紋様、あれは先ほどのドラゴンに刻まれていたものと同じものだろう。
という事は、
「私の力は強化って言ったでしょ? それに、自分を強化出来ないなんて一言も言ってない。ま、久しぶりで変な感じするけど」
感覚を確かめるように肩を回し、開いた拳を握り締める。それから自分の体に刻まれた紋様を指でなぞり、
「これ、ダサくない? 私も一応女だし、こういうのはあまりしたくないのよね。それになにより、自分から戦うってバカみたあじゃない」
これは厄介だと、ティアニーズは思った。
元々魔元帥の身体能力は高く、人間はどうあがいても勝てない。それは他の魔元帥との戦闘で証明されているし、ティアニーズだって何度も打ちのめされて来た。
しかし、その身体能力がさらに高まるとすれば、
「利用出来るものがあるのに、私の他にやってくれる魔獣がいるのに、無駄に体力を使う理由もない。だから苦手なのよ、戦うのって」
紋様が、さらに広がる。
白い肌を埋め尽くすように広がり、腕がまがまがしい黒に包まれる。足も首も、そして顔も。
服から伸びる四肢は全て漆黒に変わり、そこには先ほどまで女だったなにかがいた。
美しい女性だったなにか。
今のユラは、正真正銘の魔元帥と言えるだろう。
「見た目も好きじゃないの。だって気持ち悪いじゃない? でも……君達に殺られるのはもっと気持ち悪い」
赤い瞳が揺れる。全身が黒におおわれているからなのか、魔元帥特有の赤い瞳が妙に焦燥感を煽り、不気味に光を放っていた。
イリートは額から汗を流し、倒れていた二人を起こす。
「さっきの言葉は撤回する。前衛は僕一人だけでやる、君達はサポートだけに集中してくれ」
「ハァ? ざけんな、アタシだってやれる!」
「ダメだ、僕のポリシーとして仲間を殺させる訳にはいかない。それに……全員で突っ込んで全滅でもしたら、誰が彼女を倒すんだ」
「イリートさん、それは……」
その言葉は、勝てないかもしれないと、自分は死ぬかもしれないと、傷つくのは一人だけで良いと、言っているようなものだった。
イリートは強い。
イリートとルークの戦いを見ていたティアニーズだから分かるが、ソラの加護なしでは勝てなかった相手だろう。
当然、ティアニーズやリエルよりも。
けれど、そんな男が、勝てないかもと言っている。
別に今に始まった事ではないけれど、魔元帥とはそれだけの存在なのだ。
しかし、
「分かりました。けど、絶対に死なせませんよ。私だって……仲間が死ぬのは嫌です」
「チッ、しゃーねぇな、ぶった斬る役目はお前に譲ってやるよ。でもなァ、その変わりなにがなんでも斬れよ。死ぬなんてのは許さねぇ」
「あぁ、僕だって死ぬつもりはないよ。まだスタート地点に立ててすらいないんだ、こんなところでは死ねない」
あのイリートが、仲間だと口にした。
その言葉を聞いてしまったは、もう逃げ出す事も見捨てる事も出来る訳がなかった。
死なせない、ティアニーズはそのために戦う。
「君達には残酷な死を与えてあげる。呪いが良い? それとも手足もがれるのが良い? そうね……どうせだから、どっちもあげるわ」
先ほどまでの戦いは前座でしかなかった。
かつて自分を殺そうとした男を守るために、ティアニーズは駆け出した。