一章十一話 『勝ち目のない戦い』
途中、迷子になりかけたり猪と鬼ごっこをしたりと色々あったが、二人は何とか山頂にたどり着く事に成功した。
見晴らしも良く、遮蔽物は三メートルほどの大岩のみで、巨大なドラゴンでものひのびと暮らせる生活空間が整っていた。
二人は大岩に体を隠し、視線の先で眠っているドラゴンへと目を向ける。口からは血のような液体が垂れていて、側には何か動物の骨が転がっている事から、食事を終えて睡眠時間に入ったのだろう。
「寝てるのは予想外だったけどこれはチャンスだな」
「はい、寝ている隙に首を落としてしまいましょう。では、いざ出撃!」
「ちょいちょいちょいちょい!」
一息つく暇もなく、剣を振り上げて挑もうとするティアニーズの首根っこを掴んで止める。
無策にもほどがあるし、そんな簡単に首を切れるのなら騎士団だって苦労はしないだろう。
「なんですか、またとないチャンスですよ」
「だからだろ。このチャンスを有効に使うために考えるんだよ」
「……そうですね。では、ジャンプして勢いをつけて切りましょう。いざ、出撃!」
「だから待てっての! いきなりアホになるんじゃねぇよ!」
てやぁぁぁといまいち気迫に欠ける雄叫びを上げて走り出すティアニーズ。今度は肩を掴んで口を塞ぎ、引きずるようにして大岩まで引き戻す。
その場に正座をさせるが、ティアニーズは不満そうに、
「なんなんですか、私は今はやる気と自信に満ち溢れているんです。若者が自ら困難に立ち向かおうとしているのに、それを止めるのはどうかと思いますよ」
「お前そんなにアホの子だったっけ? お前が一人なら勝手に特攻して散っても良いけどよ、その後絶対俺に向かって来んだろーが。もう少し考えろバーカ」
「バカとはなんですか。バカって言う方がバカなんですよ。貴方はバカですけどバカの中でも出来る方のバカだと思います。なのでバカは黙って私に着いてきて下さいバカ」
「分かった俺が悪かったからそれ以上バカって言わないで。バカがなんなのか分かんなくなっちゃう」
緊迫感の欠片もない雰囲気に、ルークは死という未来が頭を過ってため息を溢す。
いくら寝ているといえど、相手はあのドラゴンだ。無策で飛び込んで切りつけたところで、鱗に弾かれてガブガブされるのがオチだろう。
なので、年密に策を立てる必要があるのだ。
「遮蔽物が何もねぇんじゃ隠れられる場所がない。一回見つかったらそれで終わりだな……。つー事はやっぱ一撃でどうにかするしかねぇか」
「それだけの攻撃力はないですよ? 魔道具はもう使えないので。貴方の剣も宛には出来ないし、そうなると私の剣で戦うしかありません」
「何か弱点とかねぇの? ここだけは柔らかいとか」
「それが分かれば騎士団だって苦労はしませんよ。強いて言うなら……手足の付け根くらいじゃないですか?」
「俺に聞くなよ。今日が初見だっての」
何故か疑問系のティアニーズにルークは呆れてチョップ。正座が耐えきれなくなり足を崩すと、ティアニーズは大岩から顔を出してドラゴンの様子を確認する。
「こうして見ると可愛いですね。ペットに欲しいです」
「止めて、餌と散歩はどうするのよ。あんなの連れて町なんか歩ける訳ないでしょ」
「冗談ですよ、なでなでしてもすりすりしても固そうですし。でもお腹とか柔らかそうですよね」
「ペットにする気満々じゃねぇか。……あ、腹とか刺したらいけんじゃね?」
「あの巨体なので真下に入る事は容易でしょう。しかし、一撃でとなると難しいでしょうね、それくらい分かるでしょ」
顔を戻し、ルークを見つめて鼻で笑うティアニーズ。
怒りを抑え、殴りたい気持ちを奥底へ押しやると、どうにか打開策を考えようと空を見上げる。
つられるようにティアニーズを見上げると、
「「ん?」」
何かが頭の上を通りすぎた。激しい音と共に大岩が砕け散り、破片をそこらじゅうに飛び散った。
隠れていた筈なのだが、綺麗に顔より上の高さの大岩が消え去り、二人はドラゴンから丸見えになってしまった。
ゼンマイ仕掛けの人形のように首を動かし、大岩を破壊したと思われる生物の方向へと目をやる。
恐らく、朝が弱いのだろう。
不機嫌そうに目付きを鋭くし、二人を睨み付けているドラゴンが目の前に居た。
「…………逃げろ」
小さく、消え入りそうな声で呟いた。
足音を消して忍び寄る繊細さと、怒りに満ちた顔が恐怖を煽る。
けれど、今はそんな事どうだってよくて、
「逃げろォォ!」
「はい!」
ルークの声に続き、ティアニーズは力強い返事と共に全力疾走を開始。
それと同時にドラゴンの手が横へと振るわれ、唯一の隠れ蓑である大岩が木っ端微塵に砕け散った。
砕ける岩を横目に、二人は死にものぐるいでドラゴンの右側から背後へと走る。
「お前がモタモタしてっからだろ!」
「私は直ぐに倒そうとしてました! 貴方がぐちぐちと文句を言うからです!」
「何も考えずに飛び込んでも死ぬだけだろうが! お前の声が大きいんだよ! もうちっと大人の女性っぽくしろ!」
「なんですかセクハラですか!? こう見えても着痩せするタイプなんです! 本当は凄いんですよ!」
「知らんし興味ない!」
こんな状況でも喧嘩出来るのはある意味凄い事なのだろうけど、こと今回に関しては時間の無駄である。
旋回して二人へと走り出したドラゴンが地を揺らしながら迫る。
そしてーー飛んだ。
大きく跳躍したドラゴンは空を跳び、二人の頭上へと着地。
咄嗟に横へとジャンプし、左右に別れる事で何とか回避したが、ドラゴンの質量によって地面に亀裂が入る。足元がおぼつかないながらも、
「走れ! 桃頭!」
「私は桃頭じゃないです! ティアニーズです!」
叫び、走る。倒れている暇などなく、一瞬でも気を抜けば潰されてしまうだろう。
反対方向へと走り出した二人だったが、当然の如くドラゴンはルークに向かって追撃を開始。
首だけを後ろに向けながら、
「なんでこっちに来るんだよ!」
恐らく、ドラゴンもどっちが悪い人間なのか分かったのだろう。抗議したところで言葉が通じる筈もなく、ドラゴンは更に加速。
人間の走力などたかが知れているので、次第にその距離は縮まっていく。
反対側を走るティアニーズが何か言っているが、今のルークはそれに耳を傾ける暇などなかった。
ドラゴンの息遣いが分かるほどまで背後に詰め寄られ、振り上げた手がルークに向かって下ろされる。
「ちッくしょうーー!」
逃げるのは無理と即座に判断し、洞窟の時と同じように剣を振るうが何も起こらず、ルークの真横を爪が抉った。直撃しなかったのは奇跡としか言いようがなく、しかしながら風圧によってルークの体は激しく吹き飛んだ。
「グッ……ガッ!」
地面に叩き付けられバウンドし、拳サイズの尖った石が左肩に突き刺さる。激しく押し寄せるつぶてに襲われながらも剣を支えにして体を起こす。
「大丈夫ですかッ!?」
「来るんじゃ……ねぇ!」
「で、でも!」
「良いから何か作戦考えろ!」
駆け寄ろうとするティアニーズを一喝し、接近する事を拒む。
誰がどう見ても絶体絶命。そもそも、騎士団が勝てないような相手に二人で挑む事が間違っていたのだ。しかし、
「かかって来いやデカブツ。テメェの相手は俺だ」
剣を構え、息を荒く吐き出すドラゴンを見据える。
勝ち目が薄い事なんか初めから分かっていて、今さら現実を突き付けられたところで意味などないのだ。
「ーーッ!」
身を屈め、出来るだけ的を絞らせないように細かく動く。横を掠める死という文字を無視して真下へと滑り込むと、唯一攻撃が通る腹に向かって剣を叩き付けた。
当然、ダメージとして成立する筈もなく、ドラゴンはルークを潰そうとその場で足踏みを始めた。
(俺に気をとられてる今がチャンス……。付け焼き刃でも何でも良い、打開策を見つけろ!)
ティアニーズという小さな希望に全てを託し、ルークは自分がやれる事をやる。
囮という、最も危険な役目を。
「オラどうした! そんなにデカくちゃ小回りきかねぇだろ!」
声を荒げ、最大限に自分の存在をアピールする。塵も積もれば山となるという言葉を信じ、ルークは剣を何度も腹へと叩き付け、悪あがきながら奮闘をしていた。が、
「なッ……に」
振り回した剣が空を切った。真上にあった筈のドラゴンの腹部は消え、バランスを崩して膝をつく。そして気付いた。
ドラゴンは消えたのではなく、更に上へと跳躍したのだと。
その巨体は落下を始める。
(避け、きれねぇ!)
このタイミングで走り出したとしても回避は難しく、たとえ逃げ切れたとしても風圧でバランスを崩して食われるのがオチ。
逃げるのも無理、避けるのも無理。
ルークは歯を食い縛り、今まで鍛え上げてきた腕力と脚力に自らの命運を全てかけた。
そして、落下。
地面を砕く轟音が山頂に響き渡った。