五章二十八話 『信頼関係』
「ドォォリャァァァ!!」
全力で逃げていた。
血相を変えて、そりゃもうダサいくらいに見事な逃げっぷりである。
両手をあらんかぎりの力で振り、膝が腹につくんじゃないかと思うほどに股を上げ、後ろから迫る巨大な生物から逃げる。
「加護!」
『あぁ!』
ルークの合図とともに加護が発動し、身体中に違和感が回った瞬間に跳び上がる。足を滑らせながらも屋根に着地すると、チラリと振り返って再び走り出した。
「解け!」
『了解した!』
ルークの持つ最大の切り札である加護。
残り時間は多く見積もったとしても二分ほどしか残っていない。もし仮に加護の恩恵を受けられなくなった場合、十中八九リヴァイアサンから逃げる事は不可能になってしまう。
だから、これが最善の策。
必要な時にのみ加護を発動し、あとは自分の身体能力でその場を乗り切る。
今までと同じように戦っていては、この怪物には勝てないのだから。
「今どんくらい家ぶっ壊した!?」
『知らん、そんなの数えている暇などない!』
「だよな、俺もそう思ってた!」
リヴァイアサンの頭が迫る。
すかさず『加護!』と叫び、間一髪のところで再びジャンプ。背中を押すようにバシバシと砕けた家の残骸が直撃し、空中でバランスを崩してしまう。が、
「オォォォ! 届けぇぇ!」
手足をジタバタと振り回してもがき、なんとか隣の家の屋根に着地する事に成功。剣を突き刺して滑り落ちそうになるのを堪え、やはりリヴァイアサンの様子を確認してから走り出した。
どれだけの家が、建物が破壊されただろうか。
数えるのもバカらしいほどの数になっているだろう。一撃で民家を凪ぎ払い、噛み砕き、それでもリヴァイアサンは止まる事を知らない。
呪いによる苦痛なのか、この町を破壊した者に向けられた憎悪なのかは分からない。
ただ、今この瞬間だけは、その全てを引き受けなければならない。
助けは望めない。
ルークとソラだけで、この化け物と対峙しなければならないのだ。
「ソラ、前に言った事覚えてっか!?」
『知らん、まったく心当たりがない』
「加護の事だよ! 時間制限はきちぃって話!」
『あぁ、そういえばそんな事言っていたな』
巨大な牙がルークを噛み砕こうと迫る。
まともに向かいあっても勝てないと判断し、ソラに加護を要求すると同時に、剣を使って真正面から受け止めるのではなく、横へ飛びながらその軌道を逸らす。
屋根から落下するが、直ぐ様体を起こして足を前に進める。
「良い事思いついたんだよ。お前が加護の発動タイミングを決めろ!」
『なに、私がか?』
「あぁ、攻撃とか防御とかあとは……その他諸々必要だと思ったらお前が使え!」
『随分と難しい事を要求してくるな。私は戦っているというより、貴様の戦いを横から見ている状態だ。完璧な対応は難しいぞ』
「しゃーねぇだろ! 全神経を逃げる事に集中しねぇと、コイツから逃げられねぇ。いちいちお前に合図するの面倒なんだよ!」
ルークの弱点。それはいくつか存在するが、一つは加護の継続時間の短さだろう。
前回の戦いで痛いめを見ているし、かといって始めから全開で戦う訳にもいかない。
加護の有無をその度に指示しているのでは、必ず反応に遅れて手痛い一撃を受けてしまう。
となれば、加護の発動を全てソラに一任するという発想は当たり前である。
しかし、それは自分の命を他人に預けるようなものだ。もし、タイミングを間違えてしまえば、ルークは生身であの巨体を受け止める事になってしまう。
生半可な覚悟、そして信頼関係では出来ない所業だ。
『私が遅れれば貴様は死ぬ、それを分かって言っているのだろうな? ルーク、貴様は私をそこまで信用しているのか?』
「してねぇよ、記憶喪失で怪しいところばっかじゃねぇか。これが終わったら詳しく聞かせろよ、その胸の宝石について」
『ふん、別に隠している事はなにもないのだがな。だが、良いのか? 貴様は私に命を預けられるのか?』
「信用はしてねぇ、けど、お前は俺を死なせたくねぇんだろ。俺だってまだ死にたくねぇ。だったら、今やれる事をやるしかねぇだろ」
リヴァイアサンが地面に牙を突き立て、勢い良く顎をかち上げた。ベキベキ!とヒビが入り、砕けた地面がルークに向けて大量に降り注ぐ。
走る速度を上げ、振り返りつつ剣で防ぐ。
『貴様らしい考えだ。しかし、私は自分のミスで貴様が死ぬところなど見たくはない。もうパートナーを失うのは……二度とごめんだ』
「……死なねぇよ、お前が俺を守れば死なねぇ。前の勇者がどうだったか知らねぇけど、俺は必ず生きてゼッテーにニートになる!」
『こんな時にも働きたくないと言うか……』
結局のところ、ルークは死にたくないから戦っている。生きていれば目標である平和な生活にたどり着けるし、生きてさえいれば大抵の事はどうにでもなると思っているからだ。
そのためなら、利用出来るもの全て利用する。
ルークとソラは、別に仲間ではない。
長年培ってきた信頼関係がある訳でもないし、むしろお互いの事なんてなに一つ知らない。
けど、それでも、この数ヶ月で一緒に戦って来た経験は、なにも言わずとも二人を固く結んでいる。
「おいソラ、お前まさか出来ねぇって言うんじゃねぇだろうな? 偉大な精霊なんだろ? だったらそれくらい余裕だろ」
『ふん、当たり前だろう。私を誰だと思っているのだ。完璧な容姿、完璧な頭脳、そして……空よりも広い心を持つ精霊ーーソラだ。私に不可能などない!』
「なら問題ねぇな!!」
振り返り、ルークは全力で駆け出した。
降り注ぐ瓦礫の雨をかい潜りつつ、一気にリヴァイアサンの顔の下まで潜りこむ。
そして、跳んだ。
リヴァイアサンの顔面の横まで飛び上がり、剣の柄を強く握り締める。
「テメェの相手は俺だ! その怒りも痛みも全部俺だけに向けろ! そんで、俺を殺すまでしっかりついて来いよ!!」
剣を横殴りに振り切った。
ガキン!!と鉄同士がぶつかったような音が響き、リヴァイアサンの体が大きく傾いた。そのまま横の建物に向けて倒れこみ、また一つ、修復途中の家を見事にぶっ壊した。
瓦礫の山に足をつけ、ルークは倒れたリヴァイアサンを見て満足げに鼻を鳴らす。
ようやく一発、完璧な一撃をくれてやったと言いたげに。
「やりゃ出来んじゃねぇか。タイミングばっちしだ」
『言った筈だぞ、私は偉大な精霊だと。それに貴様は絶対に死なせない、なにがあろうと私が守る』
「そりゃ助かる。地のはてまでついて来いよ、魔王を殺すまで」
『あぁ、もし死んでも私がどうにかしてやるさ』
完璧な一撃だったとはいえ、リヴァイアサンの鱗を貫通するには至らなかったようだ。
頭を振り回してのし掛かる残骸を弾き飛ばすと、先ほどまでよりも鋭い目付きをルークへと向ける。
「ガァァァァァァァァァァァァァァ!!」
その叫びは、ルークを敵として認識した合図のようなものだったのだろう。
今まではただ邪魔だったから。ようするに、身体中の痛みを誤魔化すための八つ当たりである。
しかし、もう違う。
殺すべき相手として、ルークはようやく認められたのだ。
「こっからが本番だ。アイツらが作戦完了するまで全力で逃げんぞ。道案内しろ」
『貴様こそ、簡単に死んでくれるなよ。私の指示通りに動け、そうすればなんの問題もない』
「たりめーだ、お前のたてた作戦だろ」
リヴァイアサンが立ち上がるよりも早く駆け出し、わざとその顔を踏みつけて通り過ぎる。
ガキン!と牙が擦れあう音がかなりの至近距離、しかも背後からしたが、怖いので振り返るのは止めておこう。
飛び上がり、屋根づたいに走り回る。
「オラどうした! デケぇだけで他はなにも出来ねぇのか!?」
『恐らく言葉は通じていないぞ』
「バーカ、こういうのはなんでも良いんだよ。ようは相手にコイツムカつくって思わせりゃ良いんだ」
『なるほど。目の前で騒がしくちょこまかと走り回る虫がいれば、私も相当苛つくな』
ルークの言う通り、リヴァイアサンは一直線にこちらへと突き進んで来た。
手汗で剣が滑り落ちないようにしっかりと握り締め、自分がリヴァイアサンの視界から外れないように走る。とはいえ、特に手加減などは必要なく、全力で逃げれば丁度良いくらいだ。
「うおッ! アイツちょっと頭良くなってねぇか!?」
『冷静さを取り戻して来たのだろうな。怒りと冷静さ、相反するように見えるが、そのどちらも持っている相手が一番厄介だ』
リヴァイアサンは頭に破壊した家の残骸を器用に乗せ、頭を振ってそれをルークに向けて投げ付ける。
周囲に突き刺さる木の切れ端などを避けつつ振り返ると、
「逃げるだけだと思ったら大間違いだぞ!」
剣を立てに振り、放たれた斬撃がリヴァイアサンの鼻先に直撃。
あれだけの巨体なので外すという心配もなく、適当にやったとしても攻撃は嫌でも当たる。ただ、当たったからといって致命傷にはなりえない。
せいぜい、ほんの数秒動きを止めるくらいだ。
「ジャァァァァァァーー!!」
「随分と苛ついてやがんな」
『考えてもみろ。蚊が血を吸うだけ吸って、自分の周りをうろちょろしていたらどう思う?』
「意地でも潰したくなる」
『そういう事だ。今の私達は奴から見れば蚊となにも変わらん。が、虫のように呆気なく死ぬと思ったら大間違いだ』
理由は分からない。
けれど、この絶体絶命の状況はなに一つ変わっていないというのにも関わらず、ルークの頬は無意識に緩んでいた。
多分、楽しいから笑っているのだろう。
死にたくないし、逃げ出したいという気持ちは変わらない。
しかし、案外悪い気分でもなかった。
体が軽く、今なら誰にも捕まる気がしない。
それはソラも同じなのか、心なしか指示を出す声が楽しげに聞こえた。
『そこを右だ! どれだけの規模が望めるかは分からないが、あと数軒は破壊しておきたい』
「無茶言ってくれるぜ……!」
『出来ないのか?』
「いや、余裕!!」
ソラの指示通りに右へと方向を変え、今度は地上に下りて逃走を続ける。
攻撃がまったく当たらない事に苛立っているのか、リヴァイアサンは咆哮を上げながら家を根こそぎ頭で凪ぎ払いながら迫って来る。
町とは人がいて家があって初めて成り立つものだ。
しかしながら、今のサルマにはその面影は一切存在しない。むしろ、被害をこれだけで済ませられている事を喜ぶべきなのだろう。
「時間は!?」
『そろそろの筈だ。トワイル達がしっかりやってくれていればの話だがな』
「なら問題ねぇ。あのイケメンはいつでも爽やかだからな」
『良く分からんが、まぁ問題はないだろう。私が認めた数少ない人間の一人だ、トワイルを選んでいたらとたまに思うよ』
「今からでも乗りかえ間に合うぞ」
『フッ、私は貴様を選んだ。それはこれから先も変わらんし、後悔する事もない。私の期待に応えてくれよ、勇者』
リヴァイアサンの進む速度が上がった。
突然の行動に一瞬反応が遅れ、ルークの真後ろを巨大な顎が叩く。地面が競り上がり、靴裏を押されるようにして体が宙を舞った。
『時間だ! 奴の頭に飛び乗れ!』
「あいよ!」
宙を舞う瓦礫を足場にしてなんとか体勢を立て直すと、
「根性ォォォォォ!!」
叫び、一心不乱に手を伸ばしてリヴァイアサンの頭にしがみつく。片腕の力でぶら下が、剣を口でくわえながら青い鱗をかけ上る。
自分の頭にしがみつく異物に気付き、引き剥がそうと頭を振り回すリヴァイアサンだったが、意地と根性で振り落とされないようにくっつく。
そして、
『来たぞ、どうやら成功したらしい』
「ッたく、こんな面倒な役回りは二度とごめんだっての」
鱗に手をひっかけながら、ルークはトワイルや他の皆がいるである方へと目を向ける。
その瞬間、リヴァイアサン越しにでも分かるほどに町が揺れた。
当然、リヴァイアサンが起こしたものではない。自然的なものでもないし、ルーク達が仕組んだものだ。
ピタリと、リヴァイアサンの動きが止まる。
恐らく、なにが起きているのかを理解したのだろう。
しかし、もう遅い。
すでに作戦は完了しているのだから。
「テメェが今までぶっ壊して来たもんだ。町の奴らの恨みをそのままくらいやがれ」
巨大な波に飲まれ、散々破壊しつくした家の残骸が一気に流れる。
町の中に小規模の津波が起こっていた。
それは残骸を拾う毎に大きさを増し、水ではなくて瓦礫の津波が出来上がる。
次の瞬間、その波がリヴァイアサンと衝突した。