五章二十六話 『任せろ』
この際、どうして二人がここにいるのかなんてのはどうでも良い。あれだけの騒ぎになっているので、気付かない方がおかしいのだから。
しかし、わざわざ自分から危険な場所に足を踏み入れるあたり、ヨルシアもよほどのバカなのだろう。
ヨルシアはエリミアスの腰の辺りに手を回し、落ちないようにしっかりと捕らえると、
「海の男ってのは必ずしも借りを返す生き物なんだよ。ちと遅れちまったが、まだ生きてるようでなによりだぜ!」
絶体絶命の中、現れた海の男はこの状況にも関わらず、不安を一切見せずに歯を光らせて親指を突き立てる。
ルークとしても援軍は願ったり叶ったりだ。
二人でどうにもならないというのは痛いほど理解したし、まさに猫の手も借りたいというやつだ。
しかし、
「バカ野郎! 格好つけてねぇで前見ろ!」
「ヨルシアさん前! 前!」
「あ? 前ってーー」
どれだけ危ない状況に立たされているのか理解していないらしく、ルークとトワイルは慌てて手を振って船の前方を指差す。
首を傾げて他人事のヨルシアだったが、二人の指先へと体の向きを変えた。
瞬間、光っていた歯が輝きを失い、口を大きく開けたまま固まる。
頭上に伸びた影、その正体がリヴァイアサンの頭部だと理解して。
そのまま息を大量に取り込み、
「テメェら、飛び下りろォォォォォォ!!」
なんの迷いもなく、エリミアスを抱えたまま柵に足をかけ、そのまま豪快にダイブ。同乗していた部下達もヨルシアの叫びに突き動かされ、続くように躊躇いながらも船から身を投げた。
ヨルシア達が船から飛び下りた直後、リヴァイアサンの下顎が甲板を容赦なく叩き潰した。クラーケンの襲撃を受けても耐えた船体だったが、ベキベキ!と鈍い音を立てて無惨にも砕け散る。
「ルーク! 受け取れェェ!」
「え、いや、無理! こっち来んな!」
「ルーク様! 行きます!」
空中で体を捻って残骸を避けながら、ヨルシアは抱えているエリミアスを振りかぶる。謎の掛け声のともに、エリミアスがその手から離れ、真っ直ぐにルークの元へと射出された。
剣を投げ捨て、両手を広げると、
「ブゴォン!」
「キャ!」
見事キャッチに成功。と思いきや、まだ万全ではない体では落下してきた少女を受け止められる筈もなく、抱き抱えた瞬間に大きく後ろへと吹っ飛んだ。
そのまま縺れ合いながら転がり、二人揃って破けたソファに激突。
「……いてぇぞクソが。こちとらさっきまで死にかけてたんだぞ」
「いてて……だ、大丈夫ですか!? お怪我はありませんか!?」
「今怪我したよ、お前のせいな。つか、早く退け、重いんだよ」
「す、すみません!」
至近距離で悪態をつくルークだったが、エリミアスは頬を染めながら慌ててルークの腹から体を退ける。慌て過ぎていたため、退く際に大事なところを踏みつけた事には気付いていないらしい。
声にならない叫びを上げ、下腹部を押さえながら丸まっていると、
「よっと。危なねぇ危なねぇ、危うく潰されるところだったぜ」
「潰れたけどね、俺の俺は潰されたけどもね」
「再開の挨拶はあとだ。今のうちにここを離れるぞ」
「助けていただいてありがとうございます」
「良いって事よ、俺とお前達に助けられたからな」
遅れて着地したヨルシア。部下達も全員生きていたらしく、続々とルーク達の元へと集まって来た。
再開の挨拶を軽く済ませると、その場の全員が揃って走り出す。
怪我の巧妙という言葉の通り、先ほどルーク達がぶち破った壁が逃げ道になっていたのだ。
股間で暴れる痛みに涙を滲ませながら、ルークは剣を拾い上げ、内股のまま気持ちの悪い走り方であとに続く。
「いやぁ、まさかリヴァイアサンが本当に存在するとはな。こりゃたまげたぜ」
「ヨルシアさん達はなぜここに?」
「そこの姉ちゃん、いや姫様に呼ばれたんだ。ルークが危ねぇって言われてな」
「姫様が!?」
「すみません。大人しくしていてくださいとマズネトさんに言われたのですが、どうしてもジっとしている事が出来ず……。ご迷惑をおかけしました」
「いえ、そんな事ありません。姫様のそのご決断が、俺達を助けたんです」
「ーー! はい!」
助けたという言葉がよほど嬉しかったのか、前を走るエリミアスの表情がパッと明るくなった。今まで散々ルークに邪魔と言われて来た事もあり、その言葉はなによりも欲しかったものなのだろう。
怒りに狂って、誰もいない船の破壊を続けるリヴァイアサンを背に、
「あぁあぁ、せっかく直した船が壊されちまった……」
「すみません、俺達のために」
「いや、船ならまた直せば良い。そんな事より、今はアレをどうにかするのが先だろ? 俺達も手伝うぜ」
「ですが、あまりにも危険過ぎます」
「みずくさい事言うんじゃねぇよ。同じ船に乗った時点でお前達は俺の仲間だ。仲間が困ってんのをただ見てられるほど、俺達は薄情な人間じゃねぇぜ!」
「……分かりました、ぜひ力を貸してください!」
「おう、任せろ!」
その言葉を待っていたと言わんばかりに声を上げ、ヨルシアは走りながらトワイルの背中を激しく叩いた。
中々の鈍い音にトワイルは顔をしかめているが、その表情は先ほどよりも希望に溢れていた。
固まったまましばらく走り、完全にリヴァイアサンの視界から逃れる事の出来たルーク達。住宅街の中に紛れ込み、辺りに注意を払いつつ、とりあえずは安堵のため息を吐き出した。
「んで、なんか策はあんのか?」
「ないな、とりあえず船で突っ込む事しか考えてなかった」
「そんなこったろうと思ったよ」
さも当然のように言うヨルシアに文句を言いたくなったルークだが、それで助けられたのは事実である。喉まで出かけた言葉を飲み込み、
「トワイル、お前の腕は?」
「動かない、折れているよ」
「それなら部下が治す。おいお前、兄ちゃんの傷を治してやれ」
「了解っす!」
ヨルシアに言われ、部下その一がトワイルの腕を治すために魔法での治療を開始。ルークもそれなりにダメージを負っているものの、ある程度は回復してきたので問題はないだろう。
とりあえず、トワイルの腕の治療が終わるまで待とうとしていると、
「トワイルさん!」
バタバタと足音が聞こえ、住民を避難させるために別れていたマズネトが、数人の部下を連れてやって来た。
ダラリと力が抜けたように左腕を伸ばすトワイルに驚いた表情を浮かべつつ、
「近隣の避難は終わりました。ここ一帯に人は俺達以外には居ません。残りの部下達は一般人を守るために離れています」
「そうか、ありがとう。終わったって事は、こっちに力を貸してくれるって事だよね?」
「はい、俺を含めて十名。リヴァイアサンを止めるために力を貸します」
「助かるよ。心もとないけど、これで人数は確保出来た。あとは、どうやってリヴァイアサンを止めるか……だね」
集まった人間はルーク達を含めて二十人ほど。騎士団、そしてヨルシアの部下。エリミアスは戦力にならないので抜くとしても、現状で集められるのはこれが限界だろう。
こちらに人をさきすぎれば、残された一般人が不安から暴れだしかねない。
つまり、ここに集まった人間だけで、あのリヴァイアサンを止めなければならないのだ。
タイムリミットはティアニーズ達が魔元帥を殺すまで。
戦力を改めて確認しつつ、どうにかしてリヴァイアサンを止める術を考えるルーク。
すると、てくてくとエリミアスが駆け寄って来た。
「あの、ルーク様。私、その……お役にたてましたか?」
「は? おう、まぁ、一応」
「そ、そうですか! 良かったです!」
「つか、また勝手に部屋抜け出してんじゃねぇよ。お前が死んだら俺がバシレのおっさんに殺されんだぞ」
「す、すみません……。ですが、私も私に出来る事を考えてみたのです。私は弱くて戦えません……ですので、助けを呼ぶ事くらいしか……」
うるうると瞳を揺らし、今にも泣き出しそうな表情でルークの顔を見上げるエリミアス。彼女なりに頑張ったのだろうけど、ルークにとってそんなのはどうでも良いのだ。
しかし、そんな二人を見守る外野は、
「女を泣かせんじゃねぇよ。姫様だぞ」
「ルーク、女性の涙は嬉しい時以外には見たくないね」
「まったく、乙女心というのが分からん奴だな」
「ルークさん、ちゃんと見ていなかった俺が悪いですけど、姫様は姫様なりに頑張ったんです」
いつの間にか人間の姿に戻ったソラを含め、全員の冷たい視線が突き刺さる。むさ苦しい男どもの嫉妬や怒りの混じった視線に迫られ、ルークは頬をピクピクと痙攣させる。
この男に乙女心なんて実態のない物を理解出来る筈もないのだが、耐えきれなくなって頭をかきむしると、
「その、なんだ、助かったよ。お前がいなかったら危ねぇところだった」
こういう時、ルークはどうすれば良いのかを知らない。別にお礼を言わない訳ではないけれど、基本的に適当に済ませて終わらせる男だ。
だから、ルークが思い出したのはバシレだ。
こんな時、父親ならどうするのかを考えた結果、エリミアスの頭に自分の手を乗せた。
「は、はい!」
驚いたように目を開いて固まるエリミアス。しかし、その手を嬉しそうに受け入れると、照れを混じらせてはにかんだ。
その笑顔を見た瞬間、なんとも言えないむず痒さがルークを襲う。なれない事はやるべきではないのだろう。
誤魔化すように手を退けると、
「とにかく、こんだけ人数が集まってんだ、一人くらい良い作戦が思い付く奴いねぇのかよ」
「あれだけ規格外の相手だ、普通の策が通じるとは思えない。俺達が知恵を振り絞ったとしても、問答無用の暴力で打開される可能性が高いからね」
「この中で魔法を使える奴は何人いる?」
「俺の部下は全員使えるぞ、俺は無理だけどな」
「魔法は専門外ですが、一応簡単なやつなら少しだけ」
マズネトが連れて来た男達も、まばらに数人が手を上げる。魔法が使えるのは半数以上。さりとて、メレスほどの実力は期待出来ないだろう。あくまでも使えるというだけで、実戦で使えるかどうかはまた別の話だ。
「……どうすっかな。人数で押しても意味ねぇだろうし」
「ふふふふ、どうやら人間の頭脳ではこれが限界らしいな。まぁ安心しろ、そのために私という偉大な精霊がいるのだ」
「いきなり出て来てなんだよ」
全員が真剣に頭をフル回転させる中、奇妙な笑い声とともにソラが一歩前に踏み出した。
こういう時は、本人も言っている通り、自分の持つ知識を全員に知らしめたい時である。
「ヨルシア、いくつか聞きたい事がある。先ほどの船、あれは水の上を滑っているようだったが、あの水流はどうやって作り出したのだ?」
「この町は至るところに水路があるからな、ちっとばかしぶっ壊して来たんだよ。そんで、魔法で水を操ってあそこまで船を運んだ」
「なるほど、次はマズネト。この町の地図は全て頭に入っているか? 出来れば水路の位置が知りたい」
「はい、大体は把握しています。町の中心に水が流れるようになっているので」
「分かった。最後にトワイル、この作戦は正直言って貴様の首が飛ぶ可能性がある。その覚悟はあるか?」
「勿論、それが部隊を任された人間のつとめだ。責任は全て俺が持つ」
「良し、ならば私の思い付いたとっておきの作戦を話そう」
即答したトワイルに、満足げに一人頷くソラ。
なんのこっちゃ分からない全員の視線を集め、ソラはとっておきの作戦とやらを語り出す。黙って最後まで聞き終えると、
「……なるほど、確かにそれならなんとかなりそうだね。けど……」
「あぁ、一人とんでもなく苦労する奴がいるな」
トワイルとヨルシアが呟き、その視線がルークに集まる。ソラの話した作戦において、一番重要な役を担うのは他の誰でもないルークだった。
いつだって厄介な役回りが回ってくるのはルーク。
勇者なのだから仕方ないけれど、
「ソラ、なんで俺には確認とらねぇんだよ」
「私がやるのだから貴様もやるに決まっているだろう。断る事は許さん」
「……んなこったろうと思ったよ」
肩を落としてため息をついていると、不安そうな顔で見つめて来るエリミアスが視界に入った。
止めたくて仕方ない、そんな表情を浮かべている。
出来るのなら、ルークだってやりたくはない。なぜなら、これから行う事は自ら死にに行くような行為だ。リヴァイアサンと真っ正直から向かい合い、作戦が完了するまで一人でどうにかしなければならない。
やりたくない、やりたくはないけれど、
「わーったよ、どのみち他に案はねぇんだ、多少のリスクを背負うくらいやらねぇとあれには勝てない」
「良いのかい?」
「全然良くない。けど、俺にしか出来ねぇんならやるしかねぇだろ。こんなところで死ぬのはごめんだからな。それに、ティア達が魔元帥を殺るって言ってんだ、それを邪魔させる訳にはいかねぇよ」
「それでこそ私の選んだ男だ。では早速配置についてくれ。マズネト、正確な水路の位置、そしてそれが集まり、なおかつ中心にギリギリ被害が及ばない範囲を教えてくれ」
「分かりました。一度しか言わないので、皆さん良く聞いてください」
自分に出来る事をやる。
ルークは嫌々ながらも、ソラの提案した作戦を受け入れた。それが合図となり、本格的な会議が始まった。
ルークの役目は完全なる囮なので、その会話からは外れていた。
しばらく話し合いが続き、悩むような顔をしながらもどうやら終わったようだ。
全員が顔を見合せ、副隊長であるトワイルが代表して口を開く。
「良いかい、失敗は許されない。成功する可能性は低いけど、今俺達に出来るのはこれしかない。作戦の成功は大事だ……けど、なにより、自分の命を大事に行動してくれ」
返事はない。けれど、その場に集まった男達は無言のまま力強く頷いた。
そんな中、当然役割のないエリミアスが手を上げてなにかを話そうとする。が、それより先にルークが釘を刺した。
「お前は逃げろ。宿舎まで行けば巻き込まれねぇだろうし」
「で、ですが……」
「お前がいたってなにも出来ない。確かにさっきは助かったよ。でも、それで終わりだ、お前はもうやりきったんだよ。あとは待ってろ」
「…………はい、分かり、ました」
ルークの有無を言わせぬ口調、そして男達のただならぬ雰囲気に押され、エリミアスは言いかけた言葉を飲み込むように頷いた。
多少の心配は残るものの、彼女だってバカではない。そう自分に言い聞かせ、
「そんじゃ、やりますか。お前ら絶対に失敗すんじゃねぇぞ。やべぇと思ったら、俺は真っ先に逃げるかんな」
「はいはい。ルークこそ頼むよ、君の役目がなによりも大事なんだから」
「わーってるよ。死なねぇ程度に頑張る。行くぞソラ、お前が言い出しっぺなんだからな」
「分かっている、出来る限りのサポートはするよ。もうひと押し欲しいが、贅沢は言えんな」
リヴァイアサンを止める。
あれだけの怪物をこの少人数で止めるなんてのは、普通に考えれば無謀過ぎてバカげている。けれど、誰一人として逃げ出す者はいない。
不安と恐怖がない訳ではない筈なのに、それでも必死に己の感情と戦っているのだ。
「私、待っています。皆さんが帰ってくるのを、ちゃんと待っていますから!」
祈りを捧げるように手を握り締め、震える声で呟くエリミアス。
戦場に赴く男達は手を上げ、たった一言こう言った。
ーー『任せろ』、と。