五章二十四話 『敵として、人間として』
「うん、良い感じに暴れてくれてるわね。良いの? もうあの子達死んじゃったんじゃないの?」
「あの程度で死ぬくらいなら僕は負けていないよ」
「ふーん、ほんと変わったね。自分から負けを認めるなんて」
遠くの方で上がった咆哮と、なにかを追いかけるように動き出したリヴァイアサンを横目に、イリート達は剣を振り回していた。
ユラは戦う気がないのか、呼び出したトカゲの魔獣が三人を襲う。
とはいえ、イリートの強さは並大抵ではない。ルークは加護と本人の心の乱れがなかったら勝てなかっただろうし、恐らく実力だけなら騎士団の隊長各に匹敵するだろう。
持ち前の鍛練された無駄のない動きで、次々と魔獣をなぎ倒して行く。
「まったく、本人に自分が嫌になるね。殺すべき相手の口車に乗せられていたとは」
「人聞きの悪い事言わないでよね。私は本心しか言わない、君だってそれは知ってる筈でしょ? 間違った勇者はいない方が世の中のため、違う?」
「あぁ、その通りだよ。自分のためにしか戦わない、人の命を救おうともしない、そんな勇者は見ているだけで腹が立つ」
「だったら、なんで君はそっちにいるの? 今からでも遅くない、あの勇者をーー」
「でも、そんな勇者がいても悪くはないーーそうも思えるようになったんだ。自分のために戦う事は、きっといつしか誰かのためになるからね」
イリートの言葉を聞き、少し離れたところで腕を組んで傍観していたユラの顔が歪んだ。先ほどまでは余裕綽々だったのに、明らかな怒りを滲ませる。
「それに、僕が変わってなかったとしても、君を殺すのになんの躊躇いもなかったよ。君は魔元帥、それだけで殺すのには十分な理由になる」
「誰のおかげでそこまで強くなれたと思っているの? 与えられただけのくせに、その剣がなかったら立ち上がる事すら出来なかったくせに」
「そうだね、君には一応感謝はしている。君のおかげで僕は歩むべき道を見つける事が出来た。けど、それがなんだい? 恩人だとしても、君は人類の敵だ」
イリートは変わった。しかしながら、彼の根底にある世界を救いたいという気持ちは少しもブレてはいない。
恩人だろうが親だろうが、世界を救うためなら誰だって殺す。ある意味、それはルークに近いものかもしれない。
呼び出された魔獣を難なく殺し尽くし、三人は一気にユラへと突っ込む。
イリートがしんがり、ティアニーズとリエルがバックアップと言ったところだろう。合図せずとも連携がとれる、これも彼が変わった事による恩恵だ。
「……ま、いっか。別に君が私から離れたって、また他に使える人間を探せば良いだけだし。あ、そうだ、あの勇者とか使えそうよね」
ユラが手を振ると、地面に先ほどよりも大きな紋様が浮かび上がる。黒い煙を上げ、そこから現れたのはドラゴンだ。
濁った緑色の鱗に赤い瞳、大きさは二メートルほど。
しかし、三人は一切怯む事なく、
「舐められたものだね。僕は君に与えられて強くなった、だからこそ君は知っている筈だ、僕の強さを」
後ろにいたリエルとティアニーズが飛び出し、ドラゴンの二つの前足を切り裂く。鱗を通過して血しぶきが上がり、ドラゴンは前のめりに倒れた。
飛び上がり、イリートは振り上げた剣をその首へと突き刺す。
「こんな茶番はよせ。本気でかかって来い。僕達は強い」
「私からも一言、ルークさんは人に指図されるのが大ッ嫌いなんです。それと、基本的に人の言う事を一切聞かないので、あの人を取り込もうなんて不可能ですよ」
「ならアタシも。死ね、無様に死ね」
消滅していくドラゴンを背に、三人は好きな事を口にする。
意志の疎通なんていらない、目的は一緒なのだから。魔元帥を殺す、そのために立ち上がる人間は正気ではないのだ。
「……はいはい、私も本気で君達を殺すーーなんて言う訳ないでしょ? 何度も言うけど、戦うのは苦手なの」
再びユラが手を振ると、今度は二匹のドラゴンが現れた。さっき倒したのと同個体のドラゴンだ。
自分からでばるつもりはないのか、ユラそこからさらに一歩後ろへと下がる。
しかし、逆に言えば戦闘能力はそこまで高くはないという事。ドラゴンさえ突破してしまえばーー、
「でも、弱いとは言ってない。私が戦う価値すらないって事。死ぬのは君達、私に触れる事すら出来ずにくたばりなさい」
次の瞬間、イリート達は目にした。
現れたドラゴンの体を、黒い紋様がおおいつくすのを。リヴァイアサンについている呪いのように見えるけれど、恐らくあれはまったくの別物だ。
リエルは目を細め、
「呪いじゃねぇな」
「あぁ、多分あれが彼女の力だろうね」
「魔元帥が持つ固有の力の事ですね」
「せいかーい。私の力は強化、すっごく地味でしょ? でも、使い用によっちゃすごーい武器になる」
ユラが褒めるように手を叩いた直後、ベキベキ、と異様な音が響く。
音源はドラゴンだ。鱗が盛り上がり、体の内側から枝分かれした、何本ものゴツゴツとした木の枝のようなものがはえてきた。
「……あれは呪いだな。触れたらその時点でアウトだ」
「彼女の作り出す魔獣は全て呪いを持っていると考えた方が良いね。多分、僕の剣に宿っているものと同じだ」
「……それは嫌ですね、二度とあんな痛みは味わいたくないです」
唯一呪いにかけられて生存しているティアニーズは苦笑いを浮かべ、イリートに斬られた箇所を掌で擦る。
イリートはそれを横目で見ると、なんとも言えない表情のままドラゴンへと視線を戻した。
あれで傷をつけられたらその時点で終わり、これはそういう戦いなのだ。
「さ、みっともなく足掻いてちょーだい。どのみちこっちにはリヴァイアサンがいる、時間さえ稼げれば私の勝ちは決まってるの」
「それはあり得ませんね。向こうには自分勝手で諦めの悪い勇者がいます、絶対に負けるなんてあり得ません」
「随分と信頼してるのね。愛かしら?」
「ち、違います! ただ、貴女は後悔する事になると思いますよ。あの人は一度敵に回すと、バカみたいにしつこいですから」
少しだけ頬を赤らめ、こんな時でも必死に弁明するティアニーズ。
ただ、イリートはあの男のしつこさを嫌と言うほど理解している。
二回も負けたくせに一切諦める気配もなく、あろう事か他の町にまで乗り込んで来た男だ。多分、ルークが諦めるのは、それこそ死んだ時だけなのだろう。
小さく笑みを浮かべ、
「向こうは彼に任せた。なんのために僕が来たと思っているんだい? 僕達は君を殺す事だけに集中する。戯れ言を口にする暇があるのなら、もっと自分の心配をするべきだよ」
「……ほんと、信頼とかヘドが出るほどムカつくわね。ウルスは人間大好きとか言ってたけど、私は一生好きになれる気がしないわ。あ、もしかして君達の誰かがウルスを殺したの?」
「……ウルスさんを殺したのは私です。分かるんですね、仲間が死んだ事が」
「一応同じ存在だもの。それより、どんな顔してた? 泣きわめいてた? 殺さないでぇぇ、とか命乞いしてた?」
ケタケタと肩を揺らし、ユラは心の底から楽しそうに微笑む。そこに仲間への敬意や、死んだ事に対する愁いなどは一切感じられない。
むしろ、死んで清々したという笑顔だ。
ティアニーズは拳を握り、怒りを顔に滲ませる。
「仲間が死んだんですよ、どうして笑っていられるんですか」
「仲間? 笑わせないでよ。たまたま父親が同じだっただけで、私達に仲間意識なんて存在しないの。あ、一人だけいるけど、私達は個人主義なの。各々の目的のためだけに力を使う。それに、敵が死んで君は嬉しい筈だよね?」
「……今、やっと分かりました。貴方は弱い、ウルスさんよりも、私よりも」
「なにそれ、今のはカチンときたわよ。私があのバカより弱い? 笑わせないで。私の方が何倍もーー」
「いいえ、貴女は弱いですよ。自分でなにもせず、一番安全な位置から見ているだけでしかない。けれど、ウルスさんは自分から一番危険なところへと飛び込んで来ました。その時点で、貴女は全てにおいてウルスさんよりも劣っています」
王都レムルニアは、他の都市よりも警備が強固なものとなっている。ウルスはそこへ単身で乗り込み、交渉役として魔獣を遣わせたものの、それ以外は全て一人でこなしていた。
一番危険な位置に自分を置き、危険な目にあう事を分かっていながら。
確かに、ウルスは敵だ。人類の敵である魔獣で、その頂点に立つ魔元帥の一人だ。
それでも、彼を殺す瞬間に躊躇いが生まれたのは、ほんの僅かでもウルスに敬意があったからに他ならない。
敵だとしても、一人の人間として称えるべきところがあったのだ。
だから、だからこそ、それをバカにするのはどうしても許せなかった。
「昨日も言いましたけど、今この場でもう一度貴女に宣言します。貴女は今日ここで死ぬ、貴女の目的はなに一つ達する事はない」
「…………」
「リヴァイアサンはルークさんが止める。貴女はここで私達が必ず殺す。だから、その目に焼き付けておいてください。貴女が最後に目にする人間の顔が誰なのか」
笑っていた面影は失せ、静かな沈黙を放つユラ。怒りも喜びも感じず、瞳には一切の感情も見られない。
多分、これが彼女の本性なのだろう。
笑っている振りをして、怒っている振りをして、楽しんでいるつもりになっているだけだ。
酷く冷めた存在。
それが、魔元帥ユラなのだろう。
「……君達がなにを言おうと関係ない。ここで死ぬのは君達なの、私はこの町を貰う。他の魔元帥が出来なかった事を私は達成するの」
「させません、私達がいる限り」
「だから、君達がなにを言おうと関係ない。最後に笑うのは私、その時にきっと分かるからね。私がウルスなんかよりも強くて優秀だって事が」
ドゴォォン!と激しい轟音が響いた。
リヴァイアサンが町を破壊している音だろう。土煙が離れていても見えるほど高く上がり、砕けた家の残骸が宙を舞っている。
あの中にルークはいる。
一番危険な場所に。
だからーー、
「ここで決着をつけます。かかって来い、魔元帥ユラ」
「そ、これだけ言ってまだ向かって来るのね。なら死になさい、一番苦しむ死に方を与えてあげる」
「残念だけど死ぬつもりはないよ。僕は君を殺して、勇者になるためのスタートラインに立つ。そのために犠牲になってくれ」
「アタシには難しい事はなんも分からねぇ。けど、安心しろ。お前らが呪いにかかったらアタシが必ず治してやる。くたばれ魔元帥、誰を敵に回したのか思い知れ」
二匹のドラゴン。
そして三人の騎士。
ここからが始まり。
魔元帥ユラとの戦いの火蓋は切って落とされた。