五章二十三話 『逃走開始』
「なんで黙ってた」
「ん? あぁ、イリートの事かい?」
「それに以外になにがあんだよ」
「一応、彼をここに送ったのはアルフードさんの独断だからね。あまり周囲にその事が知れ渡るのは避けたかったんだ。まぁ、それも無駄だったようだけどね」
イリート達にユラを任せ、ルークとソラ、そしてトワイルはとりあえずリヴァイアサンの顔の方に向かって走っていた。
しかし、今のルークはそんな事よりも気になる事があるらしく、
「まさか、俺がアイツを殴るとか思ってたんじゃねぇだろうな?」
「少しね、ルークって凄くしつこそうだし」
「確かにしつけーけど、終わった事をぐちぐち言う事はしねーよ」
トワイルは全てを見透かしたような笑みを浮かべ、ルークのあとを着いていく。
前々から感じていたが、このトワイルという男は自然に人の嫌がる事を出来る人間らしい。
ただのイケメンではないようだ。
「ま、向こうは任せて大丈夫だと思う。俺達は俺達でやらないとだけど……これはデカ過ぎじゃないかな?」
走りながらリヴァイアサンのひたすら長い胴体を横目に、トワイルは思わず苦笑い。
民家をド派手にぶっ潰し、その長い体は数十メートル先まで続いている。青い鱗をおおうように呪いの紋様が刻まれ、その痛々しさが見ているだけで伝わって来る。
命からがら逃げ出した住民が、倒れるリヴァイアサンを見て驚愕の色を浮かべているが、今はそれを無視するしかあるまい。
幸い、死傷者はいないらしく、自分の足で声を上げながら走り回っている。
「止めるって言ったって、どうするつもりなんだい?」
「んなの知らん。とりあえず顔の方まで行って、目でも潰しときゃ良いんじゃね?」
「そんな事をすればなにをするか分からなくなって、益々手をつけられなくなるだけだぞ。私達の役目はコイツを押さえる事だ」
「押さえる、ねぇ。ゼッテー無理だろ」
後ろを走るソラは軽い口調で言うけれど、ルークからすればやる前から出来る気がまったくしない。たった一度、一度だけあの巨体を受け止められたが、次はそう上手くはいかないだろう。
潰される未来が鮮明に見えてしまう。
ルークはペチャンコになった自分の姿を頭から追い出し、
「ティア達があの魔元帥を殺して呪いを解くのを待つしかねーだろ。普通にやりあったんじゃ勝ち目なんてねぇよ」
「それで終われば良いのだがな。こうも暴走していると、仮に呪いが解けてもおさまるとは思えん」
「止めろ、変なフラグ立てんじゃねぇよ」
「とにかく、まずは状況を把握するのが先決だ。今は動いていなけど、またいつ動き出すか分からないからね」
トワイルが冷静に話をまとめ、三人はそのまま真っ直ぐに走る。しばらく進んで行くと、ようやくリヴァイアサンの頭部までたどり着いた。
鋭い歯が口元からはみ出しており、ルークが受け止めたと思われる箇所が僅かに欠けていた。そして、案の定目は閉じている。
ある程度の距離を保ちながら近付き、
「寝てるな。このまま起きないとかねぇな?」
「ないだろうな、呪いに苦しむ人間を見ただろう。痛みで寝ている暇なんてない筈だ」
「だよな、とりあえず斬っとく?」
「私達が本気で斬撃を打ったとして、それで斬れる保証はまったくない。下手に刺激して目でも覚まされれば、それこそ潰されておしまいだ」
頭部だけでこの威圧感なのだから、再び動き出せば近くにいるルーク達は間違いなくペチャンコだ。
出来るだけ物音を立てない事を心がけ、ルークはリヴァイアサンの顔を見つめる。が、当然ながら良い案など浮かんでは来ない。
卯なり声を上げて悩んでいると、少し離れたところから見知った顔が数人の男を連れてやって来た。
マズネトは息を切らし、リヴァイアサンの顔を見るなり青ざめた表情へと変わる。
「こ、これは……」
「そう、これがリヴァイアサンだよ。今はまだ寝てる? ……のかな」
「まさか本当に存在したなんて……いえ、今は驚いている場合ではないですね」
驚くのも無理はない。頭だけで家二つ分くらいはあるだろうし、さらに体はその数倍以上の長さだ。今は海の中にいるのだろうけど、全身が地上に出てきたらーーなんて考えるだけで恐ろしい。
とはいえ、彼らも騎士団としてそれなりの修羅場は潜って来ている。直ぐに冷静さを取り戻すと、
「これから俺達はトワイルさんの指揮下に入ります。無理なお願いかもしれませんが、指示を」
「……もしなにかあったら俺の責任か。ま、アルフードさんの下で働くより全然楽かな。とりあえず住民の避難を優先させてくれ。ここから出来るだけ遠く」
「分かりました」
「あと、中心には近付かないように他の皆にも伝えておいてくれるかな。今、あそこには魔元帥がいるから」
「……もしかして、リエルさんはそこに?」
「あぁ、助っ人と一緒に戦ってるよ」
魔元帥との戦闘は、数を増やせばどうにかなるというものではない。一騎当千の力を持つ以上、大人数で挑んでも負傷者を増やしてしまうだけだ。
不安に襲われたような表情のマズネトの肩を叩き、
「大丈夫、きっと勝つよ。そのために彼を呼んだんだから」
「はい、心配はしていません。俺達はやれる事をやります」
「うん、お願いするよ。避難が終わったら出来るだけ人を集めてくれ、流石に三人だけじゃこれを押さえるのは無理だろうしね」
肩をすぼめて冗談めかした顔でリヴァイアサンへと視線を送り、トワイルは部下に指示を出して去っていくマズネトの背を見送った。
ルークは視線をリヴァイアサンから離さず、
「なんか策があんのか?」
「魔元帥の事かい? それなら大丈夫、イリートは剣を持っているから」
謎の自信に満ち溢れているトワイルに首を傾げ、ルークはその答えをなぜかソラに求める。
ソラは顎に手を当て、数秒考えたのち、
「あの剣は魔元帥から貰ったと言っていた。となれば、魔元帥と同じ力で作られた物の筈」
「そう。精霊の力がないと魔元帥を殺すのは難しい、けど、魔元帥の力でなら殺せる」
「そうなの?」
「ティアニーズから聞いてないのかい? ウルスを倒したのは、彼の作り出した剣だ。その効果はすでにこの目で見ている」
「なるへそ、んじゃあっちは問題ねぇな」
ルークはティアニーズがウルスを殺したという事しか聞いていはい。その方法を気にするべきだったのだろうけど、すでに殺す術を持っているルークには関係のない事だと流していたのだ。
やれると思ったから任せた、ルークの中にあったのそれだけだ。
ともあれ、向こうを気にしなくて良いのなら、こっちも本格的に策を練らねばならない。
「さて、どうするかな。ルーク、なにか作戦は?」
「ない。こんだけデケぇと普通に戦ったんじゃ勝てねぇだろ。俺は魔法を使えねぇし、仮に使えたとしてもどうにかなるとは思えねぇ」
「俺も同感だよ。メレスさんクラスの魔法使いでもいてくれれば話は別なんだろうけど、無い物ねだりをしても仕方ない。……あれは」
突然話を放棄し、トワイルがリヴァイアサンから視線を逸らす。それにつられてルークも同じ方向を見ると、一人の男が大きな声でなにかを叫んでいた。
「リヴァイアサン!! 私はあなたに信仰を捧げる者です!」
叫んでいるのはベルシアード。突き飛ばしたあとの事を考えていなかったので、どうなったかは知らなかったが、どうやら無傷で生きているらしい。
ただ、あまりに元気過ぎる。
祈るようなポーズで手を握り、何度も何度もを頭を下げていた。
「あのおっさん、なにやってんだ」
「さぁ、俺達にとって良い事ではないのは確かだね。ちょっとうるさい」
「人間一人の声が届くとは思えんが、止めておいた方が良いだろうな」
「うし、ぶん殴って止めてくる」
「殴る必要はのないよ」
邪魔しかしないベルシアードに怒りが爆発し、ルークは彼を殴る事を決める。元々いつかはやり返すつもりだったので、その時期が多少早くなっただけだ。
倒れているリヴァイアサンの横を過ぎて、ベルシアードの元へ向かおうとするが、
「……グゥ…………」
なにか、音が聞こえた。
風が吹いたような音だ。
もっと言うのなら、息が漏れたような音である。
しかも真横で。
嫌な予感が体を支配し、全身の筋肉が硬直する。
壊れた人形のような動きで首を横へと向けると、
「……マジかよ」
リヴァイアサンの瞼が、ゆっくりと持ち上がる瞬間が見えた。
目を開けるというなんともない行動なのだが、それがなにを意味するのかを瞬時に理解してしまい、ルークは冷や汗を垂らしながら呟く。
そしてとどめの、
「リヴァイアサン!!」
ベルシアードの叫びが合図となり、完全にその瞼が持ち上がった。
見上げるかたちで赤い瞳と目が合い、ほんの少しだけ行動が遅れる。叫ぶ暇も悪態をつく隙もなく、ルークは全力で走り出した。
その直後、背中に空気が叩きつけられた。
「ガァァァァァァァァァァァァァァ!!」
巨大な咆哮とともに周囲に風圧が広がり、それに背中を押されるようにして、木材やレンガとともにルークの体が宙を舞う。
呆気にとられながらそれを見送るトワイルとソラの頭上を通り越し、あとはなすすべもなく背中から落下。
慌てて駆け寄る二人に体を支えられ、
「あんのクソ親父、余計な事しやがって……!」
リヴァイアサンは文句を聞く様子もなく、そのまま頭が上空へと上がって行く。ブンブンとしなる鞭のように頭を振り回し、広い視野で辺りを見渡すように目を動かす。
三人はそれを見上げ、
「とにかく逃げるぞ、起きちまったんじゃ逃げて時間を稼ぐしかねぇ」
「俺も同じ事を考えていたよ。ここにくる前にも見えていたけど、間近で見ると人間がどうにか出来るサイズじゃないって事が良く分かるよ……」
「まったく、どうしてこうも面倒な方向に状況が変わるんだ」
「俺のせいじゃねぇかんな」
多分、生まれ持ったルークの才能の一つのせいである。本人の望む望まないは関係なく、毎回最悪の想定に向かって事が進む。ある意味レアな才能の言えるだろう。
ともあれ、今はなによりもこの場を離脱する事が先だ。
その筈なのだが、
「リヴァイアサン!! やっと、やっとこの時が来たのだ! 必ずやこの町をお救いくださると思っていた!」
ベルシアードは風圧によって倒れながらも、叫ぶ事を止めようとはしない。それどころか、高揚するテンションを押さえきれず、先ほどよりも熱の入った様子で言葉を吐き散らしている。
リヴァイアサンはぐるりと周囲を見渡し、一人の人間を見てその動きを止めた。
地上でガヤガヤと大声を出す男ーーベルシアードを見て。
「……なぁ、あのおっさん目ェつけられてね?」
「あのバカめが。単純にうるさいと思われているだけだ……!」
「ベルシアードさん、逃げるんだ! そこにいたら殺される!」
「アハハハハハ! 私は間違ってなどいなかった!」
トワイルの言葉は耳にすら入っていないのか、ベルシアードは奇妙な笑い声を上げながら自分を見るリヴァイアサンを恍惚とした瞳で見つめている。
しかし、今のリヴァイアサンにそんな信仰心なんて伝わる筈がない。あるのは呪いによる痛みと苦しみ、そしてそれをどうにかしたいという気持ち。
そんな状態の時、周りで騒がれれば苛立つに決まっている。
「ジャァァァァァァァァァーー!!」
叫び、空気を揺らしながらリヴァイアサンの顔がベルシアードに向けて落下を開始。
それでもベルシアードは逃げる様子もなく、それどころか迎え入れるように両手を広げていた。
ソラの頭を鷲掴みにし、剣を握り締めると、
「ッたく、こんなところで一発使わせるんじゃねぇよ!!」
両手で握り締めた剣を全力で振り回し、光の斬撃が真っ直ぐにリヴァイアサンの顔へと走る。
タイミングは完璧。
落下する速度を先読み、ベルシアードへとたどり着く前に左の頬に斬撃が直撃した。
僅かに顔が揺れ、ピタリとリヴァイアサンの動きが止まる。
それから数秒間固まったのち、ゆっくりと赤い瞳が三人の方へと向く。
「……なぁ、これってやべぇやつだよな」
『あぁ、断言しよう。やべぇやつだ』
「怒っているところへさらに攻撃。そりゃ、誰だって邪魔した奴に対して怒りを向けるよね」
リヴァイアサンの赤い瞳にとらえられ、ルークとトワイルはなんとも言えない表情へと変化。終いには思わず笑みがこぼれてしまい、これから起きるであろう出来事に涙さえ流れそうである。
そう、誰だって怒る。
身体中が痛くてたまらないのに、さらにそこへ追い討ちをかけられれば。
それは人間だろうが精霊だろうが、関係ないのである。
「…………ガァァァァァァァァァァァァァァァァアアア!!」
咆哮、そしてバカみたいな速度で頭がこちらへ突っ込んで来る。
ルークはなぜか余裕な表情で鼻を鳴らし、
「逃げろォォォォォォォォ!」
腹の底から声を上げ、二人は全力で走り出した。