五章二十二話 『勇者になるために』
ルーク達がサルマに到着するより数日前、イリートは薄暗い牢屋の中にいた。
勇者殺しとして、数えきれないほどの人を殺した罪によるものだ。
当然、彼もそれは納得している。
自分がどれだけ取り返しのつかない事をしたのか学ばされたからだ。
とある、一人の青年によって。
かと言って、人間はそんな簡単に変われるほど単純な生き物ではない。罪の意識はあるけれど、今までやって来た事を後悔はしていない。
だからこそ、こうして模範的な態度で服役生活を送っているのだ。
「よ、今日も来てやったぞ」
「また君か。よくもまぁ、飽きずに毎日やって来るものだね」
「面倒くせぇが、一応仕事なんでな」
「そうかい。それで、今日はなんの用かな? 全て話したつもりだけど」
片手を上げて牢屋越しにイリートの前に立つのは、逆立った短髪とあごひげが特徴的な男ーー第三部隊隊長のアルフードだ。
ポリポリとあごをかき、見た目そのものはどこにでもいる近所のおじさん的な雰囲気を放っている。
「今日は事情聴取じゃねぇよ。もうお前から聞く事はねぇし、あとは服役を終えるまでそこで待ってるだけだ」
「そんな事は言われなくても分かっているよ。もし、それだけ言いに来たのなら帰ってくれないかな? 一応、僕にも自分の時間っていうのがあるんだ」
首を傾げるアルフードを無視し、イリートはベッドから下りると腕立て伏せを始めた。
アルフードはそれを見るなり鼻を鳴らし、
「毎日せいが出るなぁ。今さら筋トレしてなにがしてたいんだよ」
「そんなの決まっているだろ。君は全てを見透かした上で疑問をぶつけてくる、本当に性格の悪い男だよ」
「俺が思ってるだけじゃ本当か分からないだろ? 事実ってのは本人が口にして初めて確定する、だからお前の口から聞きてぇんだ」
「残念だけど、今の僕はそれを口にする資格はない。だから答える事は出来ないよ」
「そうか、ならその資格ってやつを得るチャンスを俺が与えてやるよ」
ガシャ、と鉄格子が揺れる音が響き、イリートは一旦腕立て伏せを止める。
なにを思ったのか、アルフードは鍵を使って牢屋の扉を開ける。それから鍵を適当に投げ捨て、口元を笑みで満たすと、
「お前をここから出してやる」
「……なんのつもりだい? 僕は犯罪者だ、殺人鬼だ」
「なにも、ただで出してやろうなんて思ってねぇよ。俺はそこまで善人じゃないからな」
「……だったら早く言いたまえ。僕をここから出す条件を」
イリートは話の流れを掴み、汗を脱ぐってその場に腰を下ろす。
その横を通り過ぎ、ほこりを被ったベッドにアルフードは座ると、
「お前も知ってるだろうが、今サルマでは呪いが流行ってる」
「あぁ、僕の故郷だからね。あの集まりに行ったあとで帰るつもりだった」
「お前にそれを解決してもらいたい」
「……本気で言っているのかい?」
予想外の発言に驚き、怪訝な顔付きでアルフードのニヤニヤしている顔を見つめるイリート。
しかし、アルフードはまったく表情を変えず、親指を突き立てた。
「お前は呪いに関する知識を持っている。その知識で解決の手助けをしてほしいんだ」
「それを頼んで君達になんの特がある? こんな事をすれば、君だってただでは済まない筈だ」
「大勢の人間が助かる。特どころか、それは俺達騎士団にとってなによりも優先すべき事だ。それに、多少のリスクを背負わねぇと成し遂げられない事だってある」
「それが、君の首を飛ばす事になったとしてもかい?」
「隊長っての全ての責任を背負って部下達に好き放題させる奴の事だ。お前を捕らえたのは俺、つまりお前身柄をどう使おうと俺の勝手だ」
「おかしいな、今の発言だと僕は君の下で働くーーそう聞こえるよ」
「そう言ったんだよ」
即答され、イリートは大きく目を見開いた。自分は殺人鬼で、多くの人間の恨みを買っている。そんな人間を外に出せばどうなるか、当然アルフードの進退に関わる。
けれど、アルフードはまったく気にしていない様子で続ける。
「これでお前の罪が帳消しになる訳じゃない。サルマでの事件を解決しても、お前の戻って来る場所はここでしかない」
「…………」
「そう、お前はどこまで行ったって、なにをしたって結局は犯罪者なんだよ。だからこれはお願いでも命令でもない、交渉だ。お前が選ぶんだ、このまま犯罪者として人生を終えるか、ほんの少しの可能性にかけてここを出るのか」
「…………」
無言のまま立ち上がり、アルフードの前へと歩みを進める。
今の彼の顔は、どことなくあの青年に似ていた。自分は間違っていると、そう言って拳を交えた青年に。
閉じこもっていた殻を、外から無理矢理ぶち壊したあの男に。
イリートは手を差し出し、
「良いだろ、後悔しても僕は知らないよ」
「俺はなにが起きても後悔はしない」
アルフードはその手を握り返し、僅かに微笑んだ。交渉は成立した。
イリートだってこんな事で罪が消えるとは思っていない。ただ、このまま終わるなんて、やっとスタート地点に立てたというのに、なにもせずに終わるなんて、そんなのは絶対に嫌だったから。
アルフードは『良し』と呟いてベッドから立ち上がると、早速行動に移ろうと歩き出す。
牢屋の扉に手をかけ、出て行く直前に振り返ると、
「もう一度聞くぞ。お前はなにがしたい……いや、なにになりたいんだ」
「そんなの決まっているだろう。僕はーー」
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その男の顔を見た瞬間、ルークの中にあったトワイルの行動への違和感、その意味を理解する事が出来た。
王都を旅立つ前に言っていた意味ありげな言葉の意味、そして昨日と今日、朝の時間帯だけ姿を消していた理由。
全て、あの男を迎えに行くための行動だったのだろう。
とはいえ、彼はゴルゴンゾアの牢獄に囚われている筈だ。こんなところに居る筈がない。
ルークは目を細め、
「なんでお前がここにいんだよ」
「……別に脱走した訳じゃないよ。ちゃんとアルフードからの許可は得ている、そうだね……ちょっとした仕事だよ。それより、元気そうでなによりだ」
イリートはユラから視線を逸らし、ルークを見るなり目尻を上げた。それと同時に口元が緩み、再びあのいけすかない笑みをルークは見る事になる。
とはいえ、ルークの中でイリートはもうどうでも良い存在だ。皮肉めいた笑みで、
「たりめーだろ、俺はいつでも元気だ。お前こそ、じめじめしたところにいすぎて暗くなったんじゃねぇのか?」
「僕は僕だ。なにがあっても変わらない」
「……そうかよ、んで、なにしに来たんだ」
「こんな完璧なタイミングで来たんだ、なにをするかくらい君にだって分かるだろう?」
肩をすぼめ、再びユラへと視線を戻すイリート。
ユラは笑顔を浮かべているが、先ほどとは違いなにか苛立ちのようなものを感じる。
「ユラ、僕に勇者とはなにかを教えてくれたのは君だ。偽物を正すために、この剣を与えてくれたのも君だ」
「まぁね、私としても勇者は少ない方が好ましいし」
「だから、僕は君を殺すよ」
「……そう言うとは思ってたけど、全然理由が分からないわね」
以前、イリートは呪いの剣を誰かから貰ったと言っていた。まったく興味がないので気にはしていなかったが、今の発言を聞くにユラから与えられた物なのだろう。
衝撃的な発言に驚くルーク達を他所に、イリートは話を続ける。
「理由は言った筈だよ。僕は君の言う通りに生き、そしてその道はどうやら間違っていたらしい。だから君を殺すんだ、僕の手で」
「別に間違ってなんかないわよ、だって偽物は許せないでしょ? 勇者って名前を使って悪事を働く者、人を騙して己の欲を満たす者、そういう人間は間違いなく死んだ方が良い」
「あぁ、僕もそう思うよ。そして、この世界はそういう偽物で溢れている」
「だったらーー」
「僕にその権利はないからさ」
ユラの言葉を遮り、イリートは真っ直ぐな瞳で見据える。
隣に立つトワイルが僅かに口角を上げ、『どうだい?』と言わんばかりの視線をルークに向けた。
当然、ルークは舌を鳴らしてそれを無視。
「勇者を正す事が出来るのは勇者だけ、僕は勇者じゃないからね。いや、元々勇者じゃなかったんだ」
「ううん、君は勇者だよ。だって、純粋で真っ直ぐな正義感を持っていたもの。それは勇者にとって大事なものでしょ?」
「そこが間違っていたんだ。真っ直ぐな正義感は時に自らを破滅させる。信じる事って言うのは、なにも綺麗な事だけじゃないんだよ。それは僕の目を曇らせた、本当に大事なものを僕の視界から遠ざけた」
「本当に、大事なもの?」
「あぁ、勇者にとって必要なのは正義じゃないし、ましては人を助けるための力でもない」
イリートは鞘に納められた剣を抜き、その切っ先をユラへと向ける。
信念をぶつかり合わせたルークだからこそ分かるが、今の彼は以前の彼とは違うのだろう。顔付きも、志も。
一度、イリート・ナルコットという青年は死んだのだ。
この世でもっとも勇者から遠い、勇者の青年の手によって。
イリートは口を開く。
「勇者にとって一番大切な物は勇気だよ。己の間違いを認め、向き合い、それを正して前に進む勇気だ。僕にはそれがなかった、自分が誰よりも正しいと思っていたからね」
「ーーーー」
その言葉を聞き、その場のイリートを知る者は全員口を閉ざした。
昔の彼ならば、そんな言葉を絶対に口にはしなかっただろう。勇者だから人の命を奪う事は許され、勇者だから自分は正しいとイリートは言っていた。
別にそこが気に食わなくてルークは拳を握った訳ではないけれど、きっとその拳は彼を変える一因となったのだろう。
彼が、本当に歩きたかった道の一歩を踏み出すきっかけを。
ユラは少しの間黙りこみ、腹に手を当てて大きく口を開いて笑い声を上げた。ゲラゲラと汚い声が辺りに響き、その声は前触れもなく消える。
冷めた瞳で、ユラはこう言った。
「そ、じゃあ死ね。勇気とか正義とか、そういう気持ちの悪い言葉を聞いてると吐き気がする。君に期待した私がバカだったよ」
「死ぬのは君だ。今ここで」
「なにそれ、ちょー笑える。この状況が分かってるの? こっちにはリヴァイアサンがいるの、君達が何人束になったって敵わないの」
「それならなんの問題もない。だって……ルーク・ガイトス、君がリヴァイアサンの相手をするんだろう?」
「は? なんで俺が」
「僕が歩く道の邪魔を二度もしないでほしいな」
突然話を振られ、ルークはキョロキョロと辺りを見渡す。当然、この場にルークなんて名前の人間は一人しかいないし、イリートの視線を辿れば誰に話しかけているかなんて一目瞭然だ。
ルークは少し考え、息を吐き出すと、
「あぁ、あのデケぇのは俺が止める。それと俺の道に立ってたお前が悪い」
「だそうだ、だから僕は君だけを殺す事に専念出来る。トワイル、君はルークを手伝ってあげてくれ。いくら勇者でも、あれを一人で相手にするのは難しいだろうしね。他の人もだ」
「そういう事なら、彼女は君に任せる」
断る様子もなく、トワイルはイリートの背後を通り過ぎてルークの元までやって来た。
しかし、イリートの横に立つ二人の少女はその場を動く気配はない。むしろ、絶対に退いてやらんくらいの意気込みを感じる。
「君もだ。あれは僕一人でどうにかする」
「断ります、私はあの人と戦うの決めたんです。貴方に協力しますよ」
視線はユラに向けたまま、ティアニーズは口を開く。
その横顔を見て、イリートは瞳を閉じた。なにか言いにくそうに地面を見つめ、それから意を決したように言葉を紡ぐ。
「……僕は君を傷つけた。いや、殺そうとした。君がどうやって呪いを解いたのかは知らない、けど……本気で殺すつもりだった」
「それについては絶対に許しません。凄く苦しくて、凄く痛かったんですから。今でもたまに夢に見ます」
「それならなぜ……」
「私は生きています。今、こうしてちゃんと生きています。だからなにも問題はありませんよ」
ティアニーズの良く分からない考えに、イリートは呆気にとられたように言葉を詰まらせる。しかし、次の瞬間には吹き出すようにして微笑み、肩の力を抜くようにため息をついた。
「君は彼に似ているね。いや、似てきたのかな」
「誰の事かは分かりませんが、全然似てませんよ。私は元からこういう性格です」
「そういう事にしておくよ。……ありがとう、そしてすまなかった」
「おいおい、アタシも一緒に戦うからな」
まったく分からない会話が勝手に進むのが気に入らなかったのか、痺れを切らしたリエルが不敵な笑みを浮かべながら二人の肩を叩く。
三人が視線を交わし、それからユラへと目を向ける。
変わったのはイリートだけではない。
きっと、ティアニーズだって変わったのだ。
とある青年と出会い、良い事なのか悪い事なのかは分からないけれど、本人はそれが正しいと信じている。
だからこそ、こうして並び立つ事が出来た。
イリートは再び切っ先をユラへと向け、
「君を殺して僕はまた歩き出す。もう一度、一から始めるんだ。ーー勇者になるために」