五章十七話 『見えぬ悪意』
自分は魔元帥だと、ユラと名乗った女性は隠す様子もなくそう言った。むしろ、今まで言いたくて仕方なく、やっと言えたーーそんな達成感すら感じてしまう。
全員が驚き、そして理解が追い付いていないようだ。困惑の色を浮かべ、ただユラという女性に視線を送る事しか出来ていない。
しかし、ティアニーズとトワイルは違う。
目の前にいるのは魔元帥。
そう、直感が告げていたから。
「まさか自分から白状するとはね。少し驚いたよ」
「別にバレても問題ないと思ったから言ったのよ。そもそも、隠してるつもりもなかったし」
「聞かれなかったから言わなかった、そんな事を言うつもりかい?」
「当ったりぃ」
トワイルの言葉に片目を閉じ、突き立てた人差し指を左右に振って答えるユラ。
ウルスの時もそうだったが、見た目はまったく人間と変わらず、こうして相対している今でさえ、敵意という悪感情はまったく感じない。
しかし、警戒心を緩める事はしない。
ふらふらとトワイルの前を歩いていると、ベルシアードが額に汗を流しながら口を開く。
「ど、どういう事だ! ユラ、お前……本当に魔元帥なのか!」
「本当よ。こんなところで嘘ついてもしょうがないでしょ? ずーっと側にいたのに気付かないなんて……ほんと、純粋な男って簡単ね」
「ふ、ふざけるな! お前がこの町に災いを招いたと言うのか!」
「だから、そう言ってるでしょ。物分かりの悪い男ね、だからリヴァイアサンは答えてくれないのよ。ま、人間の話なんて最初から聞いてすらいないけど」
「わ、私の祈りは届いている! リヴァイアサンは目を覚まし、必ずやお前を殺す!」
「無理、それがルールだから。でも大丈夫、リヴァイアサンはもうすぐ起きるから」
挑発的な笑みを見せるユラに、ベルシアードが怒りに狂って飛びかからんとする。
トワイルは感情的なベルシアードをなんとか押さえ、
「お前の目的はなんだ。なんのために呪いで人を苦しめる」
「言うと思う? 知ったところで、もうなにも出来ない。貴方達は自分がどんな立場なのか理解してないの?」
「……どういう意味だ」
「そのままの意味よ。多分、貴方達の目的は私を捕らえる、もしくは殺そうとして来たのよね? でも残念、それは出来ないしやるべきじゃない」
ベルシアードが先ほどまで読んでいた書物を床に落とし、ユラは主祭壇へと腰を下ろす。足を組み直し、その無礼になおさらベルシアードの表情が怒りの感情で満たされていく。
しかし、声を上げたのはベルシアードではなかった。
トワイルを押し退け、リエルが前に踏み出す。
「テメェが魔元帥……。今すぐに呪いを解け」
「いーや、解いてあげなーい。そんな事したら私の目的が達成出来ないし」
「テメェのせいで何人の人が苦しんでると思ってたんだ!」
「そんなの知らないわよ。私以外の命がどうなっても知ったこっちゃない。それに、まだ生かしてあげてるんだから感謝しなさい」
「ざけんな! 人の命をなんだと思ってやがる! テメェが遊んで良い簡単なものじゃねぇんだよ! 」
「簡単なものよ。小さくて、脆くて弱い、とるにたらないものーーそれが人間の命。だから私が利用してあげてるの」
ユラはリエルと視線を合わせる事はせず、話を聞いてるのかすら怪しい態度だ。一応、受け答えはしているけれど、怒りに狂うリエルなんか視界にない、そう言いたげな様子だ。
近くの長椅子を蹴り飛ばし、
「テメェは今ここでアタシが殺す!」
「殺す? すーごく面白い事言うのね。今まで私を捕らえられなかったくせに、今になって殺す? ほんと、ムカつくくらいに笑っちゃう」
一瞬、ユラの放った殺気が教会内を支配した。ピリピリと肌が痛み、やはりこの感覚にはなれる事が出来ないが、僅かに怯みながらも下がる事はしないティアニーズ。
リエルは腰の剣に手をかけ、
「んな脅しがアタシに効くかよ。今この場で殺してやる、人間に喧嘩売った事を後悔しながら死にやがれ!」
「ほんと、女は嫌よね。男みたいに色仕掛けで簡単に落ちてくれない。ガキはもっと嫌いよ、見てて吐き気がするくらいに」
「黙ってろカスが!」
言葉をまともに聞く事すらせず、リエルは剣を一気に引き抜いて斬ろうと迫る。が、その剣が届く事はしなかった。リエルは自分の意思で剣を止めたのだ。
「あら、どうしたの?」
「どこまでクソ野郎なんだ、テメェは!」
リエルが走り出した直後、ユラは一番近くにいた男を無理矢理引き寄せ、自分の盾となるように前に突き出した。そして、その首筋に不気味に伸びる人差し指を突き付け、爪を皮膚に食い込ませる。
その意味を分かってしまったから、リエルは行動を止めたのだ。
「ふーん、貴女はちょっと呪いについて知ってるみたいね。なら分かるわよね? 私がこの爪で彼を傷つけたらどうなるか」
「人質のつもりかよ! せけぇぞ、卑怯な手使ってねぇでかかって来い!」
「バカ言わないでよ、私は他のアホ達と違って戦うのは得意じゃないの。それに、今さら人質なんてとる訳ないでしょ」
「どういう、意味だ」
「そのままの意味よ。私は魔獣や物に呪いを与える事が出来る、つまり、今貴女達が一生懸命看病してる人間は、間接的に私の呪いを受けてるの。ま、数人には私が直接やったけど」
「……テ、テメェ、どこまで人間をバカにすりゃ気が済むんだ!!」
リエルの怒鳴り声が教会内に響き渡った。声が掠れるほどに叫び、憤怒の感情が見ているだけで胸を締め付ける。
トワイルはリエルの肩を掴み、一旦落ち着くように諭すと、
「どういう事だい、説明してくれ」
「説明なんかいるかよ! アイツが殺ろうと思えば、今すぐにでも呪いかけられた人間を皆殺しに出来るって事だ」
「そんな事、出来るのか」
「普通は出来ない。死ぬまでの時間はある程度調節出来るけど、早めたりは出来ない……普通の人間なら、な」
「そのとーり。私にはそれが出来ちゃうの。なぜって? そんなの簡単よね、私が魔元帥だからよ」
ソラの話を聞く限り、今病人を苦しめているのな精霊の力に酷使した呪いだ。もし仮に、それがまったく同じ力なのだとしたら、もうそれは呪いなんてちんけな言葉では片付けられない。
天誅、天罰、その領域の力だ。
あり得るあり得ないではなく、それが出来てしまうから魔元帥と呼ばれ、人類の天敵として今も立ち塞がっているのだ。
「要約すると、今呪いにかかってる人間全てが人質って事。理解出来た? そこの良い男」
「あぁ、理解出来たよ。君がどうしようもないくらいに、性格の歪んだクズだって事がね」
「女性に向かってクズだなんて、見た目と違って意外と熱い男なのね」
トワイルの言葉をケタケタと笑いながらちゃかし、なおも男の首筋に人差し指をあてがう。男は恐怖によって抵抗する事すら忘れ、ただ涙を浮かべて震えているだけだ。
なにも出来ない。なにかをしようとすれば、守ろうとしているものを全て失う事になってしまうから。
しかし、
「殺れ……今すぐコイツを殺せ! 精霊の、人類の敵を生かしておく事は出来ない!」
「ベルシアードさん! 落ち着いて、人質がいる以上下手に手出しは出来ません」
「そんなの知った事か! 死に行く者にリヴァイアサンは名誉を与えるだろう、人類のためにその命を投げだす事が出来るのだから!」
「ざけんな! そんな事出来る訳ねぇだろ! 誰一人死なせる訳にはいかねぇんだよ!」
「知らんと言っている! こんな化け物を生かしておいて良い筈がない、こんな行いをリヴァイアサンが許す筈がない、これはリヴァイアサンの意思なのだ、我々はそれに従わなければならないのだ!」
ようやく、ティアニーズはこの男の本性を見抜く事が出来た。ルークが怒って当然、こんな状況でなければまず間違いなく殴っていただろう。
暴れだすベルシアードをトワイルが押さえ、ユラはそれを楽しそうに見守る。
「盛り上がってるところ悪いけど、私はそろそろお邪魔するわよ」
「逃がすか! 海の子名にかけて、私は貴様を殺さなくてはならない!」
「……そりゃそうよね。だって、町を守る筈の海の子が、まさか魔元帥をかくまっていたなんて知れたら……精霊の名前に傷がつくものね」
「黙れ! このお前の話になど誰も耳を貸さん! 今ここで死ね、滅びろ! 精霊にあだなす者は全て!」
「精霊の事になると直ぐ熱くなっちゃって。ま、そういうところが私は好きなのよね。だって、なにかを思う気持ちは、すーごく利用しやすいもの」
口調こそ柔らかいものの、言っている事はただのクズだ。同じ魔元帥でも、ウルスとはまったく別の存在で、どちらかと言えばデストに似たものを感じる。しかし、決定的に違うのは、自分の手を極力汚さないようにしている事。
あくまでも、自分は一番安全な位置から事を見守るのに撤しているのだ。
「貴方のおかげで事が上手く進んだ、とても感謝してる。そのお詫びと言うのもなんだけど、リヴァイアサンに合わせてあげる」
「な、なに」
「貴方達騎士団も今日一日私を見逃してくれれば良いわ。そのあとは勝手にして、私に挑んで殺されるのも良いし、お尻を振って逃げ出しても構わない。あ、でも、多分そんな余裕ないけどね」
「アタシ達がそれに従うとでも思ってんのか」
「別に従わなくても良い。ただ、その場合全員殺すけどね。どんな気分なのかしらね、呪いで死ぬのって。私の呪いは命を根こそぎ奪うから、あんまり痛みはないと思うけど」
「……リエル、ここは冷静になるべきだ。俺達の目的は彼女を殺す事だけど、それも人命があってこそのものだ」
今すぐ駆け出して、力いっぱい殴りたいという気持ちは皆同じだ。けれど、それをしてしまえば大勢の命が失われてしまう。
そんな事はあってはならない。
そんな事を許してはならない。
リエルは唇を噛み、顎に血が流れ落ちる。
「……分かった、ここは堪えるよ。その分を明日テメェにぶつける。必ずテメェをぶっ殺す!」
「怖い顔ね。でも、ちゃーんと分かってくれて嬉しいわ。だからご褒美をあげる」
ユラは口元を歪めた。
爪が、男の首に食い込んだ。
そして、血が流れる。
「なーー、テメェ、なにやってんだ!!」
「だって、こうしないと私が本当に殺るか疑われるかもしれないでしょ? それに私ってこんなだから、今一厳つさにかけるのよね。だから、行動で示したの」
悪びれた様子もなく、ユラは男を目の前に投げ捨てた。
倒れ、陸に上がった魚のように体を震わせ、顔色が段々と白くなっていく。つけられた傷痕から黒い紋様が全身に広がり、男は口から泡を吹いてぐったりと動かなくなってしまった。
なにも、出来なかった。
いや、行動を起こしたとしても結果は同じだっただろう。
死ぬ人間が多いか少ないか、それだけの違いだ。
「クソ! おい、大丈夫かよ! 今すぐ治してーー」
「リエル、もう遅いよ。彼は、もう死んでいる」
「……んな事、分かってんだよ……!」
リエルは男にかけより、手首に二本の指を当てて脈を確認する。
そんな事をしなくても分かっていた筈だ。誰がどう見たって、男は既に死んでいると。
けれど、分かっていても、最後まで手を尽くしたい。そんなリエルの思いさえ、あの女はただ嘲笑っていた。
「さて、じゃあお開きにしましょ。明日町の中心に来なさい。そこで良いものを見せてあげるから」
「待て! 我々の同士を殺しておいて、そう易々と逃がすか!」
「はいはい、黙っててね。もう貴方に利用価値はないの、私を隠す布ってだけだったけど、中々使えたわよ。明日が楽しみね、その深い信仰がちゃんと届いているのかどうか、ま、結果は見えているけど」
「戯れ言だ! 私の信仰は届いている!」
叫ぶベルシアードを無視し、ユラはトワイル達の横を堂々と歩いて通り過ぎて行く。そして、ティアニーズの横で一旦足を止めた。横顔を吟味するように見つめ、自分の口元に指を添えると、
「貴女、ずっと黙ってたけど怒ってないの? それとも興味ないのかしら」
「いえ、とても怒ってますよ。今すぐ貴女を斬ってやりたいです」
「ふーん、なのに落ち着いてるわね。貴女みたいなガキは好きよ」
「一つ、言っておきます。人間は貴女の目的のための道具じゃない。それに、舐めていると痛い目を見ますよ」
「一応、心にとめとくわね」
「はい、そうしておいてください。きっと、明日には死んでいますから」
自分でも理由を分かっていないが、ティアニーズは驚くほどに静かな声で喋っていた。落ち着いてる訳でもないし、彼女の行動に怒りを覚えていない訳でもない
ただ、冷たい怒りが、体を支配している事だけは分かった。
ユラはティアニーズの横を過ぎ、ついに扉の元までたどり着く。ゆっくりと手をかけたが、そこでその手をひいた。
そして、振り返ると、
「……うーん、なんかいまいち私の思ってた反応と違うよね。もっとなんていうか……恐怖に震えて逃げ惑うって言うの? それが欲しかったのに」
振り返り、ユラは顎に手を当てて体を左右に揺らす。ぶつぶつと一人言を呟き、ティアニーズ達の顔を一人一人指差して行く。
微笑み、その指はリエルを指して止まった。
「そうね、もう一人くらい殺して行こうかしら。だって、その方が魔元帥っぽいでしょ?」
「ーーは?」
ガシャ、と音がなった。
袖から飛び出したナイフが右手に握られており、ユラはそれを投げ飛ばす。あまりにも自然過ぎて、違和感がなくて、悪意がなくて、誰一人として反応する事が出来なかった。
ゆっくりと、ナイフがティアニーズの横を過ぎて行く。
それに傷つけられればどうなるかなんてのは、この場の全員が嫌というほど理解している。それでも、動く事が出来なかった。
リエルでさえ、迫るナイフを見つめていた。
死が、形を持って迫るーー、
「ーー!?」
バリン!!と、今度はガラスが割れる音が響き渡った。天井のステンドガラスが粉々に砕け、破片が雨のように降り注ぐ。
その中で、明らかにガラスではないものが降って来た。
足元に散らばるガラスを踏みつけるそれは、右手に剣を握り締めた男だった。
そして、その男の腕にナイフが刺さった。
「ルークさーー」
男は剣を振り上げる。刺さったナイフなど一切気にする素振りも見せず、ティアニーズの言葉さえも無視して。
剣に光が集まり、ガラスに反射して目映い光が教会内を走り回る。
それを見て、ユラは額に汗を流す。
「あれ、これはちょっとまずいわね」
そして、斬撃が放たれた。
宙を舞うガラス片を巻き込み、真っ直ぐにユラに向けて突き進む。轟音とともに扉が吹っ飛び、周りの壁をド派手にぶち壊した。
白い煙が上がり、ユラの姿が見えなくなる。
「クソ、逃げられた」
舌を鳴らして呟いた直後、ルークは前のめりに倒れた。