五章十六話 『四人目』
「……お前なにしてんだよ」
「なにとはなんだ。一緒に寝るから同じ部屋にいるだけだ」
「どっか行け、邪魔なんだよ」
「断る。魔元帥がいると分かった以上、私は貴様の側を離れる訳にはいかん」
部屋に戻ったルークが目にしたのは、ベッドで当たり前のように横たわるソラだった。僅かに髪が湿っているので、風呂を済ませた直後なのだろう。
と、冷静に観察していたが、
「それは俺のベッドだ。俺が寝るためのベッドだ。俺の聖域だ」
「ふん、嬉しいくせに素直じゃない奴だ。私のような美少女とともに寝れるのだぞ? 本当なら金をせしめたいところだが、今回は特別に無料で許してやろう」
「どう育ったらそこまで上から目線になれんだよ。良いから、とっとと退けていけ」
「やだぁ、私はルークと一緒に寝るのぉ」
「よーし、殴られたいんだな。殴ってやるからそこに立て」
猫なで声と上目遣い、女子の持つ武器をフルに使用した甘え攻撃だったが、そんなものがこの男に通用する筈がないのである。
両の拳を合わせてパンッ!と甲高い音を出し、寝転ぶソラを引きずり下ろそうと戦闘態勢へと入る。
「落ち着け、いつもの冗談ではないか。ウブな奴め」
「ソォラちゃん」
両手の人差し指をルークに向け、肩をすくめながらからかうようにソラが言う。当然、それはルークの逆鱗に触れる行為であり、満面の笑みのあと、無慈悲な拳が脳天へと突き刺さった。
うつ伏せに倒れ、頭に大きなたんこぶを作りながら、
「少女に暴力を振るうとはなにを考えているのだ。貴様のせいで頭が悪くなった」
「お前みたいな子供体型に興味ねーんだよ。俺のタイプはボインで優しく包みこんでくれる感じのお姉さんだ」
「なにを言う、私だってボインだぞ」
起き上がるソラの横に座り、得意気にはる胸へと視線を集中。当然、ボインなんて単語は見当たらない。世間一般的に言う、まな板というやつだ。
顔と胸を交互に見たあと、ルークは爽やかに鼻で笑った。
「なッ、貴様今鼻で笑ったな!」
「どこにもボインが見つからねぇからよ。悪い悪い、思わず笑っちまった」
「良いだろう。私のボインを貴様の目にとくと焼き付けるが良い! 鼻血出しても知らんからな!」
「は? お前の胸なんて誰も見たかねぇんだよ。もっと成長してから出直して来い」
「上等だ、貴様を私の魅力でメロメロにしてやるわ!」
ソラはベッドのバネを使って飛び上がり、綺麗に両手を上げて着地。そのまま上げた手を胸元まで持って行くと、服の首もとを思いきり引っ張って胸を見せつける。が、予想通りに谷間なんてものは存在しない。
しかし、ルークは見た。
谷間の変わりに、ソラの胸の辺りに輝く赤い宝石を。
「お前、それ……」
「どうだ見たか! 私だって寄せれば……寄せなくたって谷間くらいあるのだれ」
「いやそうじゃねぇよ」
本来であればセクハラに該当する行為である。ルークはソラの胸元を凝視し、ソラもそれを恥ずかしがる様子は一切ない。
ルークの視線をたどり、自分の胸元を見下ろすと、
「あぁこれか。これは私の……そうだな、心臓と言える部分だ」
「そういや、剣にも同じようなのついてるよな」
「私なのだから当然だ。不老不死と言ったが、これが壊れれば精霊は死ぬ」
「また初耳だ。もう言ってねぇ事はないって言ったよな?」
「すまんすまん、忘れていた。記憶喪失なもんでな」
トントン、と人差し指で宝石を叩き、ソラは何事もなかったかのように服を元に戻す。
しかし、ルークの頭の中にはとある考えが浮かんでいた。
胸の宝石、そしてそれを破壊したら死ぬ。
それじゃまるでーー、
「お前それってーー」
言いかけた時、部屋の扉がバン!と勢い良く開かれた。
立っているのは勿論ティアニーズ。鬼の形相を浮かべ、なんだか呼吸も荒ぶっている。そして、目力がとんでもない事になっている。
ルークは怪訝な瞳を向け、
「勝手に入って来んなよ」
「私の部屋は隣なんです。なので、声が聞こえて来ました」
「ほう、気になるのか? 私とルークがなにをしていたのか」
「べ、別に気になりませんけど!? と、とにかく、ソラさんは自分の部屋に戻ってください!」
ドタドタと木の床を踏み鳴らして部屋に侵入すると、ニヤニヤと微笑むソラの襟首を掴んで持ち上げる。借りてきた猫状態のソラを連れ、ティアニーズはそのまま出て行ってしまった。
過ぎ去った嵐に呆れ、ルークはとりあえずシーツのシワを伸ばす。
「……寝よ」
深く考えるのもバカらしくなり、ルークはそのまま眠りについたのだった。
明くる日、ルーク達は予定通りに東の教会を訪れていた。中にローブを着た人間が数人入って行ったので、恐らくここが海の子の集会所で間違いないだろう。
少し離れた建物から顔だけを覗かせ、入るタイミングを伺う。が、
「なんでお前がいんだよ」
「アタシがいたらわりぃのかよ。マズネトと姫様に行けって言われたんだよ。姫様命令じゃ逆らえねぇ」
とか言いつつも、リエルは満更でもない様子だ。敵のアジトに乗り込んで黒幕を捕らえるかもしれない議会に、この好戦的な少女の気持ちが昂らない筈がなかったのだ。
と、ここで遅れてトワイルが到着。
「ごめんごめん、少し遅れちゃったかな」
「どこ行ってたんだ?」
「ちょっとね、アルフードさんからのありがたいお仕事だよ」
とは言いつつも、トワイルの表情は少しもありがたいとは思ってなさそうである。むしろ、若干疲れているようにも見える。
リエルは鋭い目付きを教会に向け、
「どうする、もう乗り込むのか?」
「勘違いしてるようだけど、別に喧嘩をしに行く訳じゃない。俺達の目標は、あくまで魔元帥の正体を突き止める事だ。そこを間違わないようにね」
「へいへい」
「とりあえずは普通に入ろう。教会に祈りを捧げに来たってていで」
「よし、んじゃ行くぞ」
やる気満々で飛び出すルークだったが、襟首を掴まれて引き戻される。飲み込んだ唾が変なところに入ってむせていると、
「話聞いてましたか? ルークさんとソラさんはお留守番です。もしもの事が起こるまではここにいてください」
「ぐ……わーってるよ。大人しくここで待ってりゃ良いんだろ」
ノリとその場の勢いで突入出来るかなぁ、なんて事を目論んでいたが、どうやらそう簡単にはいかないらしい。突入する予定のリエルも中々に危なそうだが、それについては知った事ではない。
ルークは襟元を正し、
「魔元帥がいたら直ぐに呼べよ。怪しいと思ったら勝手に突っ込むからな」
「なにかしらの合図を送るよ。それまでは待機していてくれ」
「暇だな」
「勝手に動かないでくださいね。絶対に、間違いなく迷子になるので。ソラさんは見張っててください」
「了解した、私に任せておけ」
胸に握り拳を当てて大口を叩くソラだが、その言葉を聞いてティアニーズが目を細めた事には気付いていないようだ。
ルークよりもは多少マシと言えるけれど、この精霊さんだって対して変わらないくらいに、面倒を引き寄せる性質の持ち主なのである。
とりあえず突入するのはトワイルとティアニーズとリエル。なにかあるまで外で待機するのが、ルークとソラだ。
戦力的には申し分ない。いくら魔元帥といえど、そう簡単に逃げられる事はまずないだろう。
「よし、それじゃあ行って来るよ」
「ちゃんと待っててくださいね」
「お前の出番はねぇよ。アタシが全部終わらせてくっから、茶でも飲んで休んでろ」
各々が適当な別れを口にし、三人は教会へと歩いて行ってしまった。
ルークはその背中を見送り、その場にしゃがみつつ、散歩したい気持ちを堪えるのだった。
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教会内へと入ったティアニーズ達が初めに目にしたのは、不気味なローブに身を包む集団だった。並べられた大量の長椅子が埋まるほどに人がおり、ティアニーズ達が座る場所はない。
座る集団の視線の先、そこには一人の三十代くらいの男がなにかの書物に目を通していた。
出来るだけ不信感を無くすように、トワイルは自然に男へ話しかける。
「すみません、少しお話をよろしいでしょうか? 俺はトワイルと言います」
「ええ、構いませんよ。今日は祈りを捧げにいらっしゃったのですか?」
「はい、俺達は騎士団でして、任務が上手くいくようにと」
「おぉ、これはこれは、騎士団の方でしたか。いつも町を守ってくださり、その働きには感謝しかありません」
「いえ、騎士団として当然の務めですから」
持ち前の爽やかオーラを全面に放ち、とりあえず掴みは問題ないと言えるだろう。
トワイルの背後に立つティアニーズとリエルは、教会内の不気味な雰囲気に押されながらも、違和感のある人物を探そうと辺りを見渡す。
「それで、俺達の座るところがないんですが、今日はなにかの集会ですか?」
「我々は海の子という名の宗教団体でして、毎日こうして教会と町の中心で精霊に祈りを捧げているのですよ」
「そうだったんですか。すみません、そんな大事な行事の最中にお邪魔してしまい」
「そんな事ありませんよ。教会とは来る者を拒む事はしません。皆平等に、祈りを捧げる権利はあるのです」
「そうそう、精霊と言えば……ここにはリヴァイアサンと呼ばれる精霊がいるんですよね?」
リヴァイアサンの名前を出した瞬間、男の眉がピクリと反応を示した。いや、それだけではない。その場の全員が顔を上げ、全ての視線がティアニーズ達に注がれる。
そして思う。本当に、ここへルークを連れて来なくて良かったと。
多分、いや間違いなく『なに見てんだよ』、とか喧嘩越しになっていたに違いないから。
トワイルも妙な視線に気付いている筈だが、そんな気配は微塵も見せずに話を続ける。
「リヴァイアサンを知っておられるのですね。我々海の子は、リヴァイアサンに信仰を捧げる団体なのです」
「なるほど、だから海の子という名前なんですね。リヴァイアサンは海を司る精霊ですから」
「おぉ、そこまで知っているのですか。リヴァイアサンは我々を、このサルマを必ずやお救いになってくださいます。今は呪いなどというふざけた力によって危機に晒されていますが、それもあともう少しの辛抱です」
他人との会話を盛り上げる方法、それは相手の好きな話題を振る事だ。トワイルだってリヴァイアサンに関する知識はヨルシアに聞いた程度の事だが、男が精霊について語る時だけ顔色が変わっているので、あとは口八丁で乗せてやるだけで良い。
こうして、本当に聞きたい話題へとたどり着く事が出来るから。
「呪い、俺達はその原因を探るためにここへ来たんです。精霊よりは微力ですが、町の危機を救いたいと思っています。もしよければ、貴方の知っている事を聞かせていただけませんか?」
「勿論ですとも。貴方のような誠実な方の協力を拒む理由はありません。私はベルシアード、海の子の代表を努めています」
代表という言葉を聞いて、ティアニーズはこの男がルークを殴った人物だと確信した。いかにもルークが嫌いな性格をしていそうである。
ただ、人を殴りそうな男には見えない。
ただ、ルークのソラは人を苛つかせる天才なのだ。
「ベルシアードさんは今回の件についてどうお考えで?」
「許しがたい事件です。人々を苦しめるような人間がいると考えるだけで、私は内にわく怒りを抑える事が出来ません」
「人間の仕業だと?」
「私はそう考えています。魔獣は入れないですし、そもそも魔獣が原因なら呪わずに殺す筈ですから」
「……本当にそう思っていますか? ベルシアードさん、貴方昨日魔獣に襲われていますよね?」
「ーー! な、なぜそれを!」
一瞬、トワイルの目付きが変わった。感情の突起ではなく、付け入る隙を見つけたとでも言いたげに。
ベルシアードは大きく動揺する様子を見せたあと、持っていた書物を置き、
「いえ、騎士団の方ならばそれくらい知っていて当然ですか」
「あの騒ぎを納めたのは俺達ですから。通報があって駆け付けた時、たまたま去って行く貴方の後ろ姿をお見かけしたんです」
「隠していた訳ではありません。しかし、魔獣の侵入をリヴァイアサンが許す筈がない」
「……そうですよね、俺もそう思います。けど、初めから中にいたとすれば?」
「魔獣が、ですか?」
「はい、少なくとも俺達騎士団はそう考えています。そして、それは魔元帥の仕業だと」
魔元帥という単語をトワイルが口にした瞬間、ざわざわと教会内の空気が波のよう揺れる。
しかし、トワイルは焦る様子もなく、冗談めかした口調で、
「まだまだ証拠はありませんけどね。なので、昨日あの場にいた方達にお話を聞かせてもらって良いですか? 魔獣が現れた時の事を詳しく聞きたいので」
「にわかに信じ難いですが、我々に協力出来る事ならばなんでもします」
「ご協力感謝します。早くこの事件を解決して、皆さんが祈れる場を守りましょう」
ここまで口が上手いと、一種の才能かとも思えてしまう。トワイルが全て見据えてやっているのかは分からないが、彼の持つ善人オーラが人の信用を勝ち取る事に長けているのだろう。
ベルシアードの呼び掛けに答え、数人の男女が周りに集まる。フードを外し、顔を露にした。
全員の顔を見渡し、ティアニーズは大きく目を見開いた。
(赤い、瞳……!)
トワイルも同じ事を考えているらしく、ティアニーズと同じ人物の顔を見て止まっていた。
リエルは気付いていないようだが、魔元帥と実際に戦った二人だからこそ分かる。赤い瞳を抜きにしても、人とは違うなにかを持っているという事に。
「……では、まずはそこの女性からお話を聞いても良いです?」
「私ですか? 勿論です、お力になれるかは分かりませんが」
自然な流れを装い、トワイルは赤い瞳の女性へと話を振る。
ローブの上からでも分かるほどに凹凸のはっきりした体型に、胸の辺りまで伸びる茶色い髪。見た目は二十代後半だが、その雰囲気はどちらかと言えば歳をめしているように見える。
そして、特徴的な赤い瞳。落ち着いた目尻から眼光がひかり、妖艶の魅力を放っていた。
「では、外で話ましょう。関係ない人もいるようなので、聞いていて気持ちの良い話ではないですしね」
「外で、ですか?」
「はい。ベルシアードさんもそれで構いませんか? 俺としては、あまり無関係な人を巻き込みたくはありません」
「そうですね、私としても皆に嫌な思いはさせたくありません。外で話をしましょう」
ベルシアードが完全にトワイルを信頼しているようで、提案を疑う事なく受け入れた。
ティアニーズとトワイルは僅かに視線を交わす。
もし仮に彼女が魔元帥だとして、万が一暴れだした時、これだけ人が多い空間では戦えない。だから、トワイルは場所を外へと移すつもりなのだろう。
「…………」
「どうかしましたか?」
全員で外へ出ようとした時、赤い瞳の女性が足を止めた。
トワイルは振り返り、持ち前の爽やかスマイルで問いかける。
「いえ、私、日光があまり得意ではなくて……」
「海の子は毎日町の中心で祈りを捧げていると聞きました。それに、日光が苦手なら日陰を探しますよ」
「そんな事までしていただく訳には……」
「女性の体を気遣うのは、男として当然の事です。貴方のような美しい女性ならなおさら」
「まぁ、そんな事言って、貴方は口がお上手ですね」
「良く言われます。自分でも気を付けているつもりなんですが、気を抜くと出てしまうんです」
明らかに、女性は外に出る事を嫌っている。本当に日光が苦手なのか、それとも他の理由があるのか。
どちらにせよ、あともう少し。この教会から出さえすれば、外にはルークがいる。
しかし、
「本当に口が上手ね。全部分かっててここに来たくせに」
「……それは、どういう意味ですか?」
「分かってるでしょ? 貴方、嘘は下手なのね、でもそういう男は好きよ。本心しか言わない男は、心を手玉にとりやすい」
「すみません、言っている意味が」
突如、女性の雰囲気が一変した。
清楚な雰囲気は消え去り、したなめずりをしながら自分の唇を湿らせる。さらに、赤い瞳がその鈍い輝きを増す。
口元を歪ませ、恐らく微笑んでいるのだろう。ただ、ティアニーズの知っているどの笑みにも当てはまらなかった。
「ここまで上手くいってたのに、焦って勇者に手を出したのが間違いだったかしら。次からはもっと慎重に行動しないとね」
「……それは、もう答えとして受け取って良いんだね?」
「答え? そうね、疑問には答えが必ず必要だものね。貴方達の疑問は……私が魔元帥かどうか、ってところかしら」
ウルスも常に笑みを浮かべていた。しかし、あれは本心から自分の体験を楽しんでいたからだ。
けれど、この女性は違う。
微笑みの理由が、まったく分からない。
理解出来ない。
微笑み、そして女性は告げる。
「ーー正解。私は魔元帥、名前はユラっていうの。この町でおこっている事は、ぜーんぶ私が原因よ」
ねっとりとして、体に言葉がまとわりつくような感覚。
邪悪過ぎて、得体が知れず、ティアニーズはその笑みを見ている事しか出来なかった。