五章十三話 『魔獣』
「随分と優しいではないか。エリミアスに気を使ってやるとは」
「は? んなんじゃねぇよ」
「励ましていただろ」
「ちげぇっつってんだろ。ムカついたから言いたい事言っただけだ」
「どうだか」
病院をあとにした二人は、とりあえず町を歩いていた。
見透かしたような目でニヤニヤしながらジーっと見つめてくるソラに拳骨をくらわし、ルークは歩みを進める。
気を使った、そんな綺麗なものではない。
この男はいつも通り、自分のやりたいようにやっただけなのだ。
「それで、どこへ行くんだ? 貴様この町についてなにも知らんだろ」
「バーカ、今回はちゃんと目的地を考えてあるっての」
「……普通は毎回だぞ」
頭の上のたんこぶを両手で押さえながら、適切な突っ込みを披露するソラだったが、また殴られそうなので『すまんすまん』と適当に謝って距離をとる。
ルークは適当な方向を指差し、
「ヨルシアのおっさんが言ってた神殿? ってのを見に行く」
「あぁ、町の中心の下にあると言っていたな」
「もしかしたらお前の記憶が戻るかもしんねぇだろ?」
「なるほど、しかし意外だな。私の記憶の心配をしてくれるのか」
「お前分かってて言ってんだろ」
ルークが睨み付けると、ソラは『さぁな』と呟いて両手を上げた。
ソラの記憶が戻れば魔元帥についての知識が増える。それすなわち、ルークの戦闘が楽になるという事だ。当然、これも自分のためである。
ソラはそれを分かっていながら、わざわざ挑発するような事を言ったのだろう。
「目的地は分かった。が、勿論行き方も知っているんだろうな」
「んなの知るかよ。中心なんだから適当に歩いときゃつくだろ」
「なるほど、なぜ貴様が迷子になるのかよーく理解した」
「俺が迷子になってるんじゃない、ティアが迷子になってんだ」
「はいはい、そういう事にしといてやろう」
ソラの言う事はもっともだが、明確な目的地を決めているあたり、多少の成長はしているのだ。
さりとて、そんな効率の悪い歩き方をソラが認める筈もなく、近くに立っていた案内板に近付き、中心までの道を確かめる。
「なるほど、水路を辿って行けば良いのか。この町の全ての水路は中心に続いていらしい」
「なら早く行こーぜ」
「なぜ私が案内する側になっているんだ」
「だってお前道分かったんだろ?」
「……まぁいい、とりあえず向かうぞ」
コロコロと発言が変わるルークに、ソラは肩を落としながら特大のため息。さりとて、ソラとしても自分の記憶を取り戻したいので断る事も出来ず、とりあえずルークの言葉に従って歩き始めた。
町の中心に向けて進む事数分、ルークは不意に気になり、道の橋に流れる水路へと足を運ぶ。
おもむろに掌で水をすくいあげると、そのまま口元へと持って行く。
「にが……。つか、水が苦いっておかしいだろ」
「どうした、なにかあったのか?」
「いや、ヨルシアのおっさんが言ってたろ、水がまずいって。だから飲んでみたんだ。そしたらクソまじぃ」
「水がまずい?」
「なんつーか、ピーマンみたいな味? お前も飲めよ」
「まずいと分かっていて飲む奴がいるか」
口の中に含んだ水を無理矢理流しこみ、口をすぼめながら目を閉じるルーク。なんというか、とても説明し辛い味である。
舌がピリビリとして、そのあとから苦味が押し寄せてくる。要するに、まずいのだ。
ソラは水を飲む事を拒否し、
「この町だけならともかく、海にも影響があるとなれば、相当力を持った精霊に違いない」
「精霊にそんな事出来んのか? 水の味を変えるとかただの嫌がらせじゃん」
「恐らくそれはただの結果だ。精霊の身になにかおきて、周囲の水に影響を与えたな」
「でも、お前知らねぇんだろ?」
「上位の精霊ならば知っている筈……なのだが、まったく覚えていない。困ったものだ」
周囲の水に影響を与えるほどの精霊。
話だけ聞けば、とても強大な力を持っているように聞こえる。
ルークはソラの力を使っているので分かるが、精霊の力はありあまるほどに強力だ。相手が魔元帥だから霞んでいるが、人間相手に使えば、それはただの脅威でしかない。
「ま、とりあえず行ってみるしかねぇだろ。水の味と呪い、多分無関係じゃねぇと思うし」
「仮に精霊がやっているのだとしたら、どうしたものかな……」
「ぶん殴って止めさせるに決まってんだろ」
「そうだな、多少の実力行使もやむ終えまい」
鼻を鳴らし、ルークの言葉に満足したように頷くソラ。
ルークは立ち上がり、今度こそ町の中心に向けて歩き出した。
海に落ちた時に感じた違和感、そして町を脅かす呪い。恐らくそれは関連性のあるものだ。
その答えが、きっとそこにあると信じて。
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ソラの案内のおかげもあり、二人は特に迷う事なく中心にたどり着けた。そもそも水路を辿れば良いだけの話なのだが、ルーク一人だけだと迷子になっていただろう。
もう、そういう星の元に産まれているとしか言いようがない。
四方八方からの水路が中心に集まり、円を書くようにして、大きな透明なガラス張りの床の回りを流れていた。その他にはベンチや植え付けの花などがあり、のどかな雰囲気が漂っている。
だからこそ、目立ってしまう。
違和感というものは。
「なんだあれ」
「祈っているのだろうな。恐らく、あれがヨルシアの言っていた宗教とやらだ」
ガラス張りの床の円周に並ぶように数十人の男女が立ち、その中心で一人の男が祈りを捧げるようにして空をあおいでいた。
ソラの言う通り、あれが海の子という集団だろう。
周りを歩く人々からは冷たい目を向けられ、誰も近くに寄ろうとはしない。ただでさえ近寄りがたさの塊なのに、集団は黒いローブを羽織っているので、怪しさが何倍にも膨れ上がっていた。
「ま、行くぞ」
「あぁ」
いつもの事ながら、この勇者と精霊コンビはまったく気にする様子もなく中心へと向かう。水路を飛び越え、円を作る男女の間をなに食わぬ顔ですり抜け、制止する声にも構わずに祈りを捧げている男の近くまでやって来た。
ガラス越しに海の中を見るが、
「濁ってて見えねぇじゃん」
「そのようだな。神殿どころか、魚一匹すら見当たらない」
「これも異変の影響なのかね」
目を凝らして見てみるものの、ヨルシアの言っていた神殿らしき建造物は一切見当たらない。水は臼緑に濁っており、たまーに岩が見え隠れするけれど、その目で捉える事は出来なかった。
角度を変えながらチャレンジしていると、
「おいお前! なにをしているんだ。今が神聖な祈りの最中だと知っての狼藉か!」
「あ? んなの知らねーよ。どこでなにをしようと俺の勝手だろ」
「ここをどこだと思っている。我々海の子のみに許された儀式の場だ。お前のような若造が踏み入れて良い領域ではない!」
「別にお前の私有地でもねぇんだろ? だったらなにしようが勝手だろ。観光客の好きにさせろよ」
ちょび髭をはやし、仏頂面の三十代くらいの男が話かけて来た、あからさまにルーク達が邪魔した事を怒っており、なおかつ煽るような発言をしたもんで、怒り心頭といった様子だ。
「出て行け。この下に居られるのがどれほどの存在が知っているだろう」
「断る。居んのはリヴァイアサンって精霊だろ? 俺はそれを見に来たんだよ。なのに、全然見えねぇ」
「今は眠りについておられるのだ。我々の祈りを聞き、少しずつだが覚醒の時は近付いている。そしてやがて、この町に降り注ぐ厄災をはね除けてくださるのだ」
「精霊ってのは寝坊するんだな。もう既に終わりかけてんだろ、この町は。それでも出て来ねぇって事は、アンタらの祈りが足りねぇか、精霊なんて居ねぇって事だ」
「な、なにを言っているんだお前! リヴァイアサンは必ずいる、今も私達を見守ってくださっている!」
「見るだけかよ。守ってくれねぇからこうなってんだろ? 精霊も大した事ねぇんだな」
その言葉に反応したのは、男ではなくソラだった。
強烈な睨みを受け、軽く手を上げて『わりぃわりぃ』と悪びれた様子もなく適当な言葉を口にし、ルークは男を完全に視界から外す。
「そんで、なんか思い出したか?」
「見えてもいないのに思い出す訳がないだろ。試しに潜ってみるか?」
「ゼッテーやだ。こんなきたねぇとこなんか潜れるかよ」
「ふむ、私も絶対にお断りだ。こんな汚い海はな」
お世辞にも、水が綺麗な都市なんて言えない。水も苦くて濁っていて、水の都とは名ばかりになってしまっている。
となると、もうここに用はない。
踵を返して帰ろうとするが、その前に肩を小刻みに揺らす男が立ち塞がった。
「私を侮辱するのは構わない。だが、この海を汚すような発言は許さんぞ!」
「事実だろ。アンタも飲んだ事くらいあんだろ?」
「それはお前の舌が穢れているからだ! リヴァイアサンが目を覚ませば、必ず海は元の姿を取り戻す!」
「ならいつになんだよそれ。アンタ達が祈ってなにも変わってねぇんだろ? 無駄だったんだよ、なんの意味もない行動だったんだよ」
「無駄ではない。我々の信仰は……決して無駄などではない!」
ルークが男を無視して去ろうとした時、声を張り上げた男の拳が頬に叩きつけられた。
僅かによろけ、一歩後退る。
その様子を見て、ソラは頭に手を当ててやっちまったと言いたげに息を吐いた。
「私の行動は無駄ではない! 信仰にのみ一生を捧げ、今日という暇で私は生きて来たのだ! 私だけではない、ここに集まる者は戦争で家族や友人を失った者ばかり。その願いを、望みを、リヴァイアサンはいつの日か必ずや叶えてくださるのだ!」
こんな状況を、盲目というのだろう。
なにかを信じるがゆえに他を見落とし、自分に都合の悪い事からは目を逸らす。いつか叶うと、いつかどうにかなると、来るかも定かではない明日に望みを寄せ、自分は正しいと信じて疑わない。
ただ、問題はそこではない。
この男を殴った事こそが、大きな問題なのだ。
「ッてぇな、いきなりなにしやがんだテメェ」
「私を、海を、リヴァイアサンを侮辱するからだ! 人々の願いを踏みにじり、その行動を、生き方を無駄だと罵った! お前のような人間に、この聖域に立ち入る資格などない! 今すぐこの町から出て行け!」
「そうだ、帰れ!」
一人の女性の声を期に、続々と集まってきた集団が同じように『帰れ』と口々に言葉を吐き出す。なにかの呪いを口ずさむように、生気も希望もあったもんじゃない声だ。絶望し、無気力になにかにすがるような。
ルークは額に青筋を浮かび上がらせ、
「うっせぇんだよボケ! もう一度言ってやるからよーく聞け! テメェらのやって来た事は全部無駄! 意味なんかねぇんだよ!」
「ま、まだ言うか!」
「んなくだらねで祈りに時間使ってる暇あんなら、この町を立て直す手伝いでもしろや! なにもしたくねぇから、やる気力がねぇから言い訳して逃げてるだけだろ!」
「お前に、お前に我々のなにが分かるというのだ!」
「知る訳ねーだろバーカ!! 興味もねぇんだよ! 歩く事を放棄して、立ち止まる事も下がる事も止めたテメェらなんざ、知ったこっちゃねぇんだよ! そのまま滅べ!」
確かに一理あるけれど、勇者の言葉としてはこれ以上ないほどにグズ発言である。
とまぁ、ここまで苛々をぶちまけてきたけれど、ルークの言いたい事はただ一つ。
拳を握り締め、
「一発は一発だ。目ェ瞑って歯ァ食いしばれ」
「異端者は直ぐに暴力に頼る! だからこそ間違った道を進む事になるのだ!」
「テメェだって殴っただろーが!」
「私はリヴァイアサンの意を代弁しただけだ!」
ルークも定期的にブーメランを投げるが、この男のブーメランはそれよりも鋭角に曲がるようだ。しかし、そんな事は関係ない。
やられたら全力でやり返す。たとえ子供だろうが老人だろうが、精霊だろうが神だろうが。
ルークの前に立つ以上、上も下もない。
振り上げた拳を強く握り、問答無用で男の顔面へと放るーー、
「イヤァァァァァァァァァ!!」
突然の叫びとともに、その場が静まり返った。
ルークの拳が寸前で止まり、叫びの方へと視線を向ける。
男が居た。どこにでも居る普通の男だ。
しかし、胸のど真ん中になにかがはえていて、赤い液体が黒いローブを濡らしていた。
「な……どうした!」
ルークの拳を押し退け、男はその男へと駆け寄ろうとする。が、男はその足を止めた。
血を流す男が前のめりに倒れ、その背後にいた化け物を目にしたからだ。
トカゲのような体に、鋭く伸びた人差し指の爪。赤く輝く瞳はユラユラと揺れており、倒れた男を見てすらいなかった。
そして、それを期にあちこちから悲鳴が上がった。
「な、なにが起きているというんだ! 皆の者、一旦落ち着け!」
次々と人が倒れ、男は取り乱したように驚愕の表情を浮かべて辺りを見渡す。しかし、その声も次第に力を失っていった。
ルーク、そしてソラは周りをぐるりと見渡し、
「ルーク、これは面倒な事になったな」
「本物を見るのは初めてだ」
「そうか、ならば言っておこう。これが人類の敵ーー魔獣だ」
見渡さずとも、状況がどれだけ悪いかは理解出来た。
既に、トカゲの魔獣がルーク達を囲うように何匹も立っていたのだから。