五章十二話 『出来る事と出来ない事』
なんと、表現すれば良いのだろうか。
ベッドに横たわる人間が居て、その誰もが苦痛の表情を浮かべていた。しかし、言葉を発する事は出来ていない。ただ苦しそうに体をよじり、今にも行き絶えてしまいそうに呼吸を荒げていた。
ルークは中に入り、一番近くで寝ている男を見る。
右の二の腕あたりに包帯が巻かれており、そこからなにかが見えていた。
黒い、線のようなもの。腕全体に黒い線で模様が刻まれていたのだ。呪いの知識に乏しいルークでも分かってしまった。
これは、絶対にあってはならないものだと。
「まず、事情を説明する必要がありますね。この二日間だけで運ばれて来た人数は数十人。俺達もなんとかやっていますが、治した直後に被害者が増えています。原因は不明ですが、魔獣を見たという目撃証言も出てきています」
あまりの惨たらしい光景に意識を奪われていたのか、トワイルは顔をおおうように手を当てる。それから不安を拭うように首を振り、
「……あ、あぁ、ごめん。それで?」
「被害が酷くなったのは約三ヶ月前、最初は普通の呪いばかりでしたので、俺達だけでもなんとか手は足りていました」
「普通……。その言葉を使うって事は、彼らは普通の状態じゃないって事かい?」
「はい。正直言って、手の施しようがありません。こんな呪い、少なくとも俺は一度も見た事がない。何重にも重なって、命その物に干渉している」
「……それは、普通の呪いとはどう違うんだい?」
「そうですね、まずは呪いについて簡単に説明します」
王都から来た者の中でリエルを除き、呪いに関して詳しい知識を持っている者はいない。
そしてなにより気になったのは、被害者の前でもう助からないという発言をした事だ。
それは気遣いがない訳ではなく、恐らく本人達の耳に届く事はないから。
「呪いとは術者の寿命を削り、対象を滅ぼす力の事です。いくつかの手順はありますが、やり方さえ分かれば魔法とは違って誰でも使えます」
「そ、そうなのかい?」
「はい。ですが、中途半端な知識で使用すれば、十中八九命を落とす事になりますね。寿命を削るって言うのは簡単ですが、普通の人間には細かい調整が出来ない。呪いをかける事だけに集中し、残りの寿命を全て払ってしまう人間がほとんどです」
「なるほど。それで、彼らはどう違うんだい?」
「呪いで人が死ぬのは、あくまで肉体が滅びる過程でしかありません。肉体が滅びるから自動的に命を落とす。しかし、彼らは違う。命その物を削られ……肉体は滅びずとも死に至る」
根本的な違いを理解出来るほど、ルークは博識ではない。
ただ、言っている事はなんとなく分かった。
肉体ではなく、命その物に攻撃を仕掛けている。恐らくそういう事なのだろう。
「呪いの発動条件、それは相手の体を傷つける事です。だから、呪いは肉体にしか刻む事は出来ません。命なんて曖昧なものに触れる事は出来ないですからね」
「でも、彼らは違う。いや、彼らに呪いをかけた存在は違う」
「体の模様が見えますか? まだ腕だけですが、これが全身に回った時、それは命のタイムリミットです」
言われ、ルークは他の人間の方へと目を向ける。
近くの男は腕だけだったが、首にまで模様が伸びている者もいた。体を這い、ゆっくりと侵食するように。
ティアニーズ、そしてエリミアスは目を逸らしていた。エリミアスはともかく、ティアニーズはその苦しみを味わっている。程度は違うかもしれないが、痛いほどに今の状態が理解出来てしまったのだろう。
「他の人達は大丈夫なのかい?」
「このレベルの呪いをかけられてるのは彼らだけです。他の部屋で寝ている人達の呪いは、俺達でも対象出来ています。が、いかんせん数が多すぎる」
「だから俺達が呼ばれと。呪いを解くばかりじゃらちがあかない、その術者をどうにかしない限りは……」
「はい。俺達は呪いを解くのに手一杯なので、トワイルさん達には術者を探しだしてもらいたいんです」
「分かった。そっちは俺達に任せてくれ。必ずどうにかするから」
決意新たに、トワイルは力強くそう口にした。
すませていた耳を二人の会話から外し、ルークは改めて部屋の中をぐるりと見渡す。一見風邪のようにも見えるけれど、部屋の外から聞こえる悲痛の叫びが、そうではないと叫んでいるようだった。
「ルーク、ちょっと来い」
いつのまにか離れていたソラに手招きされ、ルークは寝ている女性の側まで寄って行く。
ソラは軽く模様に触れ、
「前に私が言った事を覚えているか? 呪いとは本来精霊が扱う力だと」
「あぁ、それを改良したのが今人間が使ってるやつなんだろ?」
「これは精霊のものと酷使している。命そのものを奪う力だ」
「は? いや、それって、精霊の仕業って事か?」
「そこまでは言いきれん。地上に居る精霊は私だけの筈だ。しかし、もし違うとすれば……いや、そうじゃない。精霊と同じ力を持つ存在が居るのなら」
「……そいつが犯人って事か。どのみち、普通の人間じゃねぇって事は確かにだろ」
一ヶ月ほど前の事になるが、ルークは呪いを使う相手と死闘を繰り広げた事がある。勇者に憧れるがゆえに、勇者を殺し回っていた男だ。
呪いと聞いてあの顔がチラチラするので、深く考えないようにしていたが、やはり正常な人間ならば扱えない力だろう。
「あの、ソラさん」
「なんだ?」
こそこそ話していると、背後からティアニーズがやって来た。まだ動揺を隠せていないが、ほんの少しずつ受け入れ始めている、そんな顔をしていた。
「前に私の呪いを解いた時と同じように、この方達の呪いを解く事は出来ないんですか?」
「無理だな。言っただろ、あれは裏技だと。精霊三人分の命を使って貴様一人、力を失った私では不可能だ」
「……そうですか」
「ハッキリ言うぞ。これは人間にどうにか出来るものではない。早急に術者を見つけ出して殺さない限り、なんの解決にもならん。死ぬぞ、全員」
わざとなのか、ソラは少しだけ声を張り上げてそう言った。部屋の中の全員に伝えるように、改めて絶望を突きつけるように。
現実的過ぎて、誰も反論を口にはしない。
分かっている。分かっていてなお、なにも出来ない歯がゆさを受け入れているのだ。
「リエルさん、とりあえず君の助言がほしい。君の目にはどううつりますか?」
「最悪だな。こんだけひでぇのは初めて見た。この空間に居るだけで吐きそうだよ。だから、とっとと終わらせる。マズネト、詳しい状況を話せ」
「分かりました」
呪いに詳しい者同士、患者の側に寄り立ちながら話し合いを始めた。専門用語が飛び交い、なにを言っているのか全く理解出来ない。
そんな時、不意に部屋の隅で震えている少女が目に入った。
緊迫した状況の中、全員が自分の事で手一杯で気付かずにいた、エリミアスだ。
「なにしてんだ」
「あ、いえ……私、覚悟が足りなかったのかもしれません」
近付くルークを見て一瞬顔を上げたが、直ぐにフードを深くかぶって視線を誤魔化す。部屋のどこを見ても、広がるのは光景は苦しむ人々だけだ。そんな現実から目を逸らすように。
「外の世界が、幸せで満たされているとは思ってはいませんでした。けれど、これはあまりにも……」
「酷いってか? これが現実だ、お前が部屋に閉じこもってる間に、外の人間はクソみたいな思いして苦しんでんだよ」
「私は、とても優遇されていたのですね。なに不自由なく暮らす事は、簡単ではないのですね……」
「だから目ェ逸らすのか? 知らねぇ振りして、自分と相手は違うって切り離すのか? 仕方ねぇって」
優しく『大丈夫か?』なんて声をかけるほど、この男は善人ではない。それが出来るるなら初めから勇者として生きていただろうし、ここまでひねくれた性格にはなっていない。
散々甘えて生きて来た人間に、無条件に手を差し伸べるほど優しくはないのだ。
「確かに仕方ねぇよな。こうなったのはコイツらのせいじゃねぇ。けど、ここに住んでたからこうなった。自業自得だろ」
「そ、そんな言い方しないでください! 彼らだって、普通に生きていたかった筈なのです!」
「事実だろ。これが現実なんだよ。お前がどれだけ目を逸らしたって変わらねぇ」
「そんな、事は……」
「そうやってうつ向いて、なにも見ない振りすんのか? 自分にはなにも出来ないって」
容赦も気遣いもしない。たとえ相手が子供だろうが姫様だろうが、ルークの目の前に立つ以上、この男はただ言いたい事を口にするだけだ。
たとえ、今にも泣きそうな声をしていても。
「ならやめちまえ、諦めちまえ。今のお前には、皆仲良く暮らす世界なんか作れやしない」
「私は、ただ……」
「帰れよ。ここに居たってなんも変わらねぇだろ。邪魔なんだよお前」
「ルークさん!」
突然ティアニーズが声を荒げた。
我慢ならないといった様子で駆け寄ろうとするが、ソラが腕を掴んでそれを止める。
甘い考えだけではなにも変わらない。
なにも成し遂げられやしないんだ。
そう言いたげに。
「目ェ逸らしてめそめそ泣いて、今まで通り部屋の中に閉じこもってろよ。誰かがなにかをしてくれるって、他人任せにしてよ」
「私は弱い……だから……」
「弱いってのは言い訳にならねぇよ。狭い世界でも見ながら一生を終えろ。自分の目で、大事なものなに一つ見れずに」
「ーーーー」
その言葉を聞いて、エリミアスの瞳が大きく揺れた。
震える唇を噛み締め、小さく、消え入りそうな声で呟いた。
「……やです」
「あ? 聞こえねぇよ」
「嫌です!」
叫び、今度はエリミアスの声が部屋に響き渡った。勢いよく顔を上げたせいでフードがめくれ、隠していた顔が露になった。
瞳に大量の涙を溜め、それを溢さないようにルークの顔を見上げる。
「嫌なのです! なにが間違っているか、なにが正しいのか、なにも分からないのはもう嫌なんです!」
「…………」
「私は弱い、一人ではなにも出来ません。けれど、それを理由にして逃げたくはない! 自分の目で世界を見て、ちゃんと大事なものを見つけたいんです!」
「…………」
「難しいかもしれません。きっと私一人では絶対に成し遂げられません。けど、諦めたくないんです! 目を逸らしたくないんです! 私は、私で選んだ道を行きたいんです!」
結局、涙はこぼれ落ちた。感情を爆発させるように叫び、エリミアスは頬に涙を伝わせる。しかし、涙でぐちゃぐちゃになりながらも、その瞳は輝きを少しも失ってなどいない。
見つめ、ルークは笑みを浮かべる。
「ならそうしろ。お前がやりてぇようにやれ」
「はい! 私は私のやりたいようにやります!」
鼻息を強く吐き出し、エリミアスは体の向きを変えると、ズカズカと歩いてリエルの元へと向かう。
周りの人間は突然現れた姫様に驚きを隠せず、口を大きくあけて固まっていた。
しかし、本人はそんな事気にする素振りも見せず、
「私も手伝います」
「え、あ、いや……」
「私も手伝います!」
「わ、分かったよ。とりあえず、アタシが直ぐ見れるように包帯を外しといてくれ」
「分かりました」
焦ったようにたじろぐリエルに詰め寄り、見事勝利をもぎ取った。そして、何事もなかったかのように再びフードをかぶると、指示通りにエリミアスは包帯を外す作業に入るのだった。
そんなエリミアスを見て、ルークは軽く息を吐いた。
彼女は弱くなんかない。
いくら倒れても立ち上がる、諦めの悪さをちゃんと持っているのだから。
「ソラ、行くぞ」
「分かった」
ソラに声をかけ、ルークは足早に部屋を去ろうとする。
呆気にとられていたティアニーズだったが、横を通り過ぎようとするソラを見て意識を取り戻した。
「ど、どこへ行くんですか?」
「決まってんだろ、町だよ」
「なにか用事ですか?」
「俺がここに居たって意味ねぇだろ。俺は俺にしか出来ねぇ事をやる。とっとと呪いの原因見つけてぶった斬るんだよ」
「なら私も! ……いえ、そちらは任せます。気をつけてくださいね」
「おう」
ルークに出来る事は戦う事だけだ。精霊の力を使い、魔獣を斬る事だけだ。
物事には適材適所があり、ルークがここにいたところでなにかが解決する訳でもない。
小さく答え、ルークは部屋を出て行った。
一気に静まり返った室内。
まだ理解が追い付いていない者もいるが、マズネトはトワイルにこう聞いた。
「彼は?」
「ルーク・ガイトス。この町を救う、勇者だよ」