一章九話 『少しの距離感』
ティアニーズの放った炎が天井に着弾したのを確認した直後、ルークは勢い良く体を起こして走り出した。
着弾した箇所から亀裂が広がり、瞬く間に壁や天井が崩壊を開始する。
当たれば無傷では済まない大きさの瓦礫を見上げながら避け、
「バカ! 何やってんだ早く行くぞ!」
自分の放った炎がちゃんと狙い通りに行った事が嬉しかったのか、ティアニーズは余韻に浸るようにその場に立ち尽くしていた。強引に手を引くと、既に瓦礫に埋もれつつあるドラゴンを背に速度を更に上げる。
「作戦大成功ですね!」
「うるせぇ、喋ってる暇あんなら足を前に出せ!」
目をキラキラと輝かせて興奮状態のティアニーズ。
ちなみに、作戦というのは洞窟の天井を破壊して埋めるという単純なものだった。天井を見上げた時、所々にひびが入って光が差し込んでいる事から、恐らく岩同士はそこまで隙間なく敷き詰められていないのだろう気付いたからだ。
ただ、かといってティアニーズの炎だけではここまでの威力は期待出来なかっただろう。ドラゴンが暴れ回った事により、洞窟自体が脆くなっていた事が大きな一因言える。
ともかく作戦は成功。後は潰れる前に脱出をするだけだ。
「つーか、お前魔法使えんじゃん!」
「あれは魔法ではありません。魔道具と言って魔法使いが魔力を込めた武器です! 貴方の村に着くまでに数回使っていたので、あれが最後の一発だったんです!」
「んな重要な事は先に言えっての!」
「ドラゴンが一匹だと思ってたんです! 奥の手なんですからそう簡単には使えないでしょ!」
目の前に落下して来た瓦礫を横へ飛んで回避し、足を絡ませて転びそうになるが何とか体勢を立て直す。
そのまま入り口まで逃げきれれば良かったけれど、どうやらそう上手くはいかないようだ。
体にのし掛かる瓦礫を払い、ドラゴンが二人に向けて走り出した。
「やべぇ、追いかけて来てんぞ!」
「見れば分かります! とにかく走って!」
「走ってるよ! 頭に小石当たってるけど走ってるよ!」
幸いな事に、人間のサイズなら避けられる瓦礫もドラゴンの巨体ではかわしきれず、先ほど外で追い回された時ほどの速度は出ていない。しかし、崩壊は絶えず進んで退路を絶とうとしていた。
ルーク達が逃げるのが先か、ドラゴンが追い付くのが先か、それとも洞窟が崩れるのが先か。
どちらにせよ、今は走る事だけに集中するのが吉と言えるだろう。
「おいあれ! 出口だ!」
「もう少しです!」
もう一匹のドラゴンの姿は見えず、ルーク達を見失った直後に移動したからなのか、洞窟の出口はまだ形を残している。
走りながら振り返ると、ドラゴンはほとんど瓦礫に埋もれて身動きがとれない状態だった。
「これなら逃げれますね! 安心ですね!」
「やめい! 変なフラグを立てんなボケ!」
「だってこの距離なら炎を吐かれる以外は……」
そこまで言いかけて、ティアニーズは口を閉ざした。
恐らく、ティアニーズも気付いたのだろう。ドラゴンの居る方向、つまり背後から生暖かい熱を感じる事に。
二人はゆっくりと振り返り、そして目にした。
動けないながらも、ドラゴンの口から炎が溢れだしている事に。
「バーカ、お前のバーカ! ゼッテー今の話聞いてたよあのドラゴン!」
「元々狙ってたんですよ! ドラゴンの気持ちも考えて下さい!」
「だから! お前どっちの味方なんだよ!」
減らず口を叩き合う二人だったが、次の瞬間には言葉を失った。
吐き出された炎は瓦礫を焼き付くし、二人に方へ一直線に向かって来ているのだから。
「ダメです! 追い付かれます!」
「チッ、間に合わねぇか……!」
逃げきれないと悟るや否や、ルークは少しスピードを緩めてティアニーズの背中へとタックル。弾かれた体は大きく宙を舞い、一気に洞窟の外へと吹っ飛んで行った。
残されたルークは、服が燃える異臭に顔をしかめながら、
「ちったぁ仕事しろや、勇者の剣さんよォ!」
体の向きを変え、迫る炎に向かって鞘ごと振り回す。
直後、鞘にはめ込まれた青色の宝石の一つが眩い光を放ち、薄い膜のような物がルークの体を包み込んだ。
そしてーー激突。
しかし、炎は膜に阻まれルークの体には届かず、押し出されるようにして膜ごと洞窟の外へと投げ出された。
受け身も取れずに落ち葉にまみれた斜面を転がり、頭上を掠める焔が木々を焼き尽くす。
そのまま数メートル転がり続け、巨大な木のみきに頭を強打する事で止まったのだった。
「……いってぇ…………」
後頭部を擦りながら洞窟の方へと目をやると、既に完全に形を失っており、ドラゴンの雄叫びは聞こえず、炎によって焼かれた草や木だけが残っていた。
勝利と言えるかは難しいが、驚異が去った事に安堵してルークは全身の力を抜いたのだった。
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「大丈夫ですかッ!?」
それから数分後、一足先に脱出を終えていたティアニーズの声が鼓膜を叩き、斜面を滑るようにしてルークの元へと駆け寄って来た。
その場に寝転びながら動ける事を確認すると、
「めっちゃ痛いけど生きてる。骨も折れてないし木も刺さってない」
「良かった……あんな無茶しないで下さい。それと、やるならやるって言って」
「後先考えるのに手一杯だったんだよ。生きてんだから良いだろ」
「良くないです、本来なら騎士団である私が貴方を守らなければならないんですから」
「はいはい、んじゃ今度守ってね」
生き残った実感に浸る余裕もなく、ティアニーズの説教によって不満げな表情を浮かべるルーク。
上体を起こし、握り締めた剣へと目をやる。
炎から守ってくれたと思われる膜は消え去っており、光を放った宝石は砕けて砂になってしまっていた。
「剣、抜けたんですか?」
「いや、全然抜けてない。でも、何か宝石が光って膜みたいなのが出てきた」
「その宝石、もしかしたら魔法が込められているのかもしれませんね。私の魔道具と同じように」
そう言って、ティアニーズは右手にある籠手を見せる。防具としてはいささか物足りないと思っていたが、攻撃用なのだと考えれば納得がいく。
原理は不明だが、あの光はルークを守るために放たれた物なのだろう。
胡散臭いマッチョにほんの少しだけ感謝の気持ちが沸き、しかしながら同時にマッチョの笑顔が頭に過ったので『うえぇ』と声を漏らす。
とはいえ、助かったのは事実なので後で礼を言う事を心に決めるルークだった。
「ドラゴン、もう出て来ませんかね?」
「あれで無理ならもう勝てねーぞ。ただでさえ二匹目が出てきて混乱してるっつうのに」
「そっか……まだもう一匹居るんですよね。あまり休んでる暇はないですよ」
「休ませろ、そんでお前も休め。体力切れてたら勝てるもんも勝てなくなるぞ」
ルークに言われ、ティアニーズは手頃な切り蕪に腰を下ろした。ルークもそれなりだが、彼女も彼女で腕や頬に切り傷が刻まれている。
「……凄いですね、私は冷静ではいられませんでした」
「え、何、褒めてんの?」
「私だって素直に褒めますよ」
茶化された事が恥ずかしかったのか、ティアニーズは僅かに頬を染めながら顔を逸らす。
何時ものルークならその事についてネチネチしつこく言い寄るのだが、今回はそんな気力など残っていない。
「あの状況で、私を庇って洞窟に残る選択肢を選ぶなんてバカげてます。でも、それで救われました」
「あれが最善だったろ。俺の方が足速いし」
「そうじゃありません。貴方には勇気があった……自分の身を危険にさらす勇気が」
「勇気ねぇ……。そんなかっちょ良いもんじゃねぇよ」
結果的にティアニーズを守る形になったけれど、もう一匹のドラゴンを倒すには二人必要と思っての行動だ。間違っても、助けたなんて綺麗な言葉を使える行いではない。
実際、ルークに一人でドラゴンを倒せる力があれば見捨てていただろう。
「成り行き、たまたま、結果的にそうなっただけだよ。お前を助けようと思った訳じゃねぇ」
「だとしても、私は貴方に救われました。貴方の思う事とは違ったとしても、その事実は揺るぎません」
「止めろ気持ち悪い。お前、俺の事嫌いなんだろ?」
「えぇ、凄く嫌いです。老人を殴ろうとするし囮にするし、とてもじゃないですけど好きにはなれません。口も悪いし態度も悪いし手癖も悪い。一発、いや数発殴ってやりたいですね」
「テメェ、喧嘩なら買うぞオラ」
ポロポロと偽りのない本音がこぼれ落ち、ルークは眉を痙攣させながら怒りに表情を染める。ちなみに、ルークは過去の事をしつこい位に引きずるタイプなので、村で貰った一撃を何時か返してやろうと目論んでいる。
しかし、ティアニーズは僅かに微笑んで『でも』と前置きを入れ、
「ありがとうございます」
ルークは耳を疑った。多分お礼を言ったのだろうけど、素直に受け入れる事が出来なかった。
顔の筋肉を硬直させ、しばらくティアニーズの顔を見つめた後、
「何、お前デレたの? お礼とか似合わねぇよ」
「デレてません! もう……素直にお礼を言ったらこれですよ。金輪際言いませんからね、これで最後です」
拗ねたように顔を逸らし、頬を膨らませるティアニーズ。こうして見ればどこにでも居る十六歳の少女だ。そんな少女が恥をしのんでお礼を言っているのに、歳上であるルークは下らない意地をはっていた。
ルークは自分の大人げなさを実感し、持っている剣をティアニーズの頬へ押し付けると、
「俺も助かった。お前が居なかったら勝てなかったよ」
「……何ですか、もしかしてデレたんですか?」
「誰がお前みたいなガキにデレるかよ。もうちっと大人の体になってから言え」
「変態ですね、セクハラですね。王都に行ったら牢屋にぶち込んでやります」
ティアニーズは頬に突き付けられた剣を退け、服についた汚れを手で払いながら立ち上がった。
しばし沈黙が流れ、二人の視線が交わる。
そして、ティアニーズは手を差し出すと、
「なので、早くドラゴンを倒して王都に行きましょう」
「……まだ行くなんて一言も言ってねぇぞ」
ニヤリと口角を上げて、ルークは差し出された手を握り返して立ち上がった。
吊り橋効果とは少し違うけれど、視線を乗り越えた事によって二人の仲はほんの少しだけ縮まったのだろう。
元々、変なところでは意見が一致していたので、そこまで仲が悪いという訳ではなかったのだが。
目標を新たに設置し、ルークとティアニーズは山頂を目指して進むのだった。