小説中にヤンデレという言葉を出すことの是非
個人的には、ヤンデレという言葉を作品中では使うべきではないと思う。
小説の中の登場人物は、ヤンデレを一種の罵倒として扱うことが多い。ヤンデレの必要条件に心が病んでいる=キ○ガイがあるわけで、それは至極真っ当な感性だ。
だが、ヤンデレが好きな人間はヤンデレという言葉に肯定的な響きを感じる。
この前提を踏まえて作品中にヤンデレという言葉が出てきた場合の読者の印象を考えてみよう。
一般人はヤンデレが出てきた時点で若干引き気味だろう。
では、ヤンデレ好きな人にとってはどうか。「罵倒のために肯定的な響きの言葉が使われる」という矛盾した状況が展開されることになるのではないだろうか。違和感バリバリである。
誰も得しない。
三人称の地の文だけであればまあ何とかなるだろう。しかし、登場人物が発する言葉としては不適当である可能性が高い。何も間違っていないはずなのだが。