離れていかないで1
「・・・・・・戻らなきゃならないのかな・・・・?」
頭に血が上って思わず駆け出して来てしまったケルレンではあったが
自分の役目を忘れたわけではないし、
感情だけに生きている訳でもない、
・・・フールンが何故、突然そんなこと言い出したのか・・・・
・・・・それは、長に婚礼のことを言われたのだろう。
もうそろそろ多少早くはあるが、成人として迎えられても
おかしく無くなってきた。
(・・・・ということは、本当は私も成人として、夫を持ってもおかしく
ない年になったということか・・・・)
今の時期、長としては早く後継に成人の儀と婚儀をして欲しくなったのだろう、
・・・・イェニセイ族との決戦が近い、もうじき長く続いていた雨季が終わる。
終わってしまわない今の時期を長は狙うつもりだ。
草の上に寝転がっていたケルレンの頬に水滴が落ちた。
あっという間に周り一面激しい豪雨となり、ケルレンの衣を
濡らしていく、額に頬に・・・・・痛いほどの大粒の雨が。
・・・・・・私の体なんて・・・・服に滲む私の血も、フールンの妻になれないくせに、
影武者としては必要な体なんて・・・・
・・・心なんて・・・・・嫉妬してしまう汚れた心なんて、
それでも、フールンの傍に居たくて寂しくて堪らない心なんて、全部・・・・
全部流してしまって・・・・この瞳から溢れ出てくる涙も、全部・・・・・・。
・・・・・・・・
「・・・・・レン・・・?」
よく通る低い声が聞こえる。
瞳を閉じていたケルレンの耳に少しだけ心地良く聞こえ、
意識が少しだけ覚醒するが、瞳は閉じたまま
雨に打たれて冷え切った体を反射的に震えさせた。
「・・・・ケルレン!!・・・・」
まだ雨は降ったまま、額に頬に雨粒を受けて、小さく微笑んだ私を抱き上げ、
上に着ていた少し濡れているが乾いているフレムでそっと包む。
包んでくれる相手が知っている人だからケルレンもタヌキ寝入りでされるがままに
している。
(・・・・・・・チーフォン兄上・・・有り難う、フールンの次に好きだよ。)
少し頭が朦朧としかけていたケルレンをそのままチーフォンは、
抱き上げたまま自分のゲルに連れていった。
「・・・・・フン・・・行かなくて良かったのか?」
「・・・・・チーフォン兄上ならばケルレンを探し出してくれるでしょう。」
「・・・・・・・・・あの娘に既に言ったのか?」
父と息子二人きりになったゲル、
息子にそう尋ね片手に持ったアルヒ(蒸留酒)の杯を一気に飲み干す。
「・・・・・・フールン・・・・おまえも飲め。」
空の杯に自ら満たした酒を、グイッとフールンの方に
向け、鋭い眼光のまま酒を進める。
「・・・・頂きます。」
父と同じく一気に飲み干す。
頭が一瞬グラッとなり体が熱くなるのを感じながら
黙って空になった杯を父に返した。
「・・・・・・・チーフォンは、ケルレンを好いておるぞ・・・
・・・・いちよう遠慮していたお前は、セレンゲと婚儀を行う。・・・・」
「・・・・・・・・
・・・・チーフォン兄上は・・・・素晴らしい方だ・・・尊敬しております。
・・・・・・ケルレンも、兄上には心を許しております。」
下を向き拳を握り締め愛しい相手が、自分では無い相手の腕に
抱かれるかもしれない痛みに耐える息子の方を見て、
一瞬、分からない程度気使かわしげに眉を寄せたが
「・・・・・さすがは我が後継よ・・・・」
父は、再び杯を傾けた。