癒しと温和の黄玉 ―Topaz― ......(2)
長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
学校の定期テストの為、執筆が滞っていました。
感想、評価など頂けると、作者が狂ったように喜びます。
ではでは、お楽しみくださいませ^^
第二話 癒しと温和の黄玉 ―Topaz― ......(2)
都会に住んでいた頃は――とは言っても、つい一昨日までの話ではあるが――僕はこうして散歩というものを堪能すること自体、滅多になかった。
別に歩くのが退屈、億劫などといった、怠惰な理由からではない。
ただ単に、荒んだ街中を歩くのを極力避けたかったためだ。
そもそも僕は、行く当てもなく、周囲の風景に目や耳を傾けながら歩むこの“散歩”という運動が好きだ。
いつもは何気なく通る道にも、よく観察してみると、今までにはなかった発見があったりする。それがまた新鮮で、飽きを誘わない。
が、それはあくまでも通常の、見る価値のある風景に限定しての話である。
自分の住んでいた町はどうだ。
排気ガスが空を覆い、周囲を汚染された空気が包み込む、劣悪な環境。目にする風景といえば、無機質な工場に、近代的なビル。灰色の世界。
それを美しいと形容する人間もいるかもしれない。そんな人たちの美的価値観を否定する気もまったくない。
しかし僕にとって、その風景は美しくもなんともない、醜悪以外の何物でもなかった。
だから、学校の無い休日、稀に電車や自転車で少しだけ遠出して、綺麗な風景の中を一人で歩いたものだった。
月に一度、あるかないかの楽しみ。都会生活で、それは僕の“癒し”の一つだった。
「……」
一体いつからだろう。こんなにも都会を嫌うようになったのは。
昔は、自分の住んでいた町に少なからず誇りを持てていた筈なのに。
「……もう都会に住んでるわけじゃないんだ。しばらくはここで暮らせる。やめよう、こんなことを考えるのは……」
静かに自分に言い聞かせると、僕は再び、周囲の風景に視点を移した。
青が支配する大空を、二匹の雀が気持ち良さそうに羽ばたいていった。
◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆
気がつくと、僕は昨日の河原へと足を運んでいた。
昼間に見る河原もまた美しく、静かに流れる水面が、雄大な青を反射している。
「なんか、やっぱりここって落ち着くよ」
昨日と同様、僕は草の上にだらしなく寝そべる。突き刺す日差しが目に痛い。
蝉の鳴き声が鬱陶しくも、どこか愛らしく、心地よい。
と、真昼間から呑気に河原で寝そべっている、傍目にはニートとも捉えられかねない少年の横。柔らかにそよぐ、草のソファの上に。
静かに、何かが置かれた。
「……やぁ、また、会ったね」
優しく吹き抜けていく風が、彼女の白銀の髪を、漆黒のリボンを、さらさらと揺らしていく。
「君も好きなの?この場所が」
昨日も感じた、彼女の神聖で神秘的な雰囲気。しかし今は、不思議と、ごく自然に、僕の言葉は彼女へと向けられている。
彼女が今、昨日よりもずっと近く、すぐ隣に腰掛けているというのに。
どうしてだろう。今なら、彼女に話しかけることを許されている、そんなふうに感じた。
「……うん」
帰ってきたのは、僅か一言の返事。それも、ごく短い返し言葉。
それでも、ようやく彼女の声を聞くことが出来た。
「そっか。君はよくここに来るの?」
「……うん」
「へぇ。いい場所だもんね、ここ」
「……うん」
「なんかここって癒されるよなぁ」
「……うん」
僕が話す言葉に、彼女が返事をするだけ。
到底、会話が成り立っているとは言えない。
だが――
彼女の声はどこまでも澄んでいるようで、それら一回一回の返事が、僕の心を、ちょうど目の前で流れる川のように。
ゆっくりと、優しく、癒していった。
よほどコミュニケーション意思の高い人間、もしくは決まった目的がある人間でもない限り(動機は不純の場合もあるが)、道端でたまたま会った赤の他人に、べらべらと話しかけるような真似はしないだろう。
僕自身、そのような積極的な人間ではなかった筈なのだが。
「そうだ、とりあえず自己紹介しとくよ。僕は“白河 純史”。つい昨日、この近くに引っ越してきたばかりなんだ」
たまたま河原で会った少女に、特に意味もなく話しかけ、あげく自己紹介までしているとは。
都会から離れて開放的にでもなっているのだろうか。
何にあれ、彼女に話しかけ、自己紹介をするに至るまで、自分の中に躊躇というものがまったくなかったことは確かだった。
「……私は、スイ」
「スイ……」
綺麗な名前だな、と思った。
そして、不思議な名前だな、と思った。
ごく短い二音に含まれた、透明な響き。無限に広がるイメージ。
いい名前だと、素直に感じた。
「いい……名前だね」
「……そう、かな」
そう漏らす彼女の視線は、どこまでも遠く、まっすぐ向けられているように見えて。
その視線の元、彼女の双眸は、どこか漠然とした悲しみのようなものを写している。
……同じく漠然と、そんな風に感じた。
「あ、そうだ! えと……スイ」
「……?」
やや躊躇いがちに彼女の名前を呼んだ僕に、スイは首を少しだけ傾けて応える。
「あのさ、僕、今日はこの町のことをもっと知りたいんだ。これから町を回ろうと思ってるんだけど、よかったら案内してくれないかな?」
「……私もこの町のこと、あまり知らない」
伏目がちにそう告げるスイ。ひょっとすると、彼女もこの町に来たばかりなのかもしれない。
ならば、それならそれで、逆に好都合でもある。
「だったら、僕と一緒に町を回らない? 一人よりも二人のほうが楽しいって思うんだ。いや、絶対楽しいよ」
「……」
思えば、こうして見ず知らずの女性を誘うのは、生まれて初めての経験だった。
緊張はない、と言えばやはり嘘になる。
僕にとっては長すぎる沈黙の後、ようやく彼女は口を開いてくれた。
「……わかった。私と行っても……楽しくないと、思うけど……」
結果から言えば、答えはイエス。だが、いまいち消化不良な回答だった。
「ほら、せっかく一緒に行くんだから。楽しく行こう?」
僕はスイに手を差し伸べつつ、自分の中で極上の笑顔を向けた。
自分で自分の顔を見ることは出来ないが、よほど不自然な表情になってしまっていたのだろう。
「……おかしな顔」
スイは差し出された手を取ると、ちょっぴり痛い言葉を僕に向ける。
だけど、気付かないほど、ほんの少しだけ。
その端整な顔に笑みを浮かべてくれた……そんな気がした。
◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆
比較的爽やかだと思っていた気候は、昼になると見る影もなくなってしまった。代わりに待ち受けていたのは、昨日と同様の灼熱地獄。燦々(さんさん)と自己主張を続ける太陽が地上を照らしつけ、半袖からのぞく素肌をじりじりと焼いていく。
持参してきたハンカチは既に余すところなく湿りきってしまい、今となっては拭っても逆に気持ちが悪い。
絶えず噴き出す汗を処理する手段は、もはや残されていなかった。
「……えと、スイは暑くないの?」
隣を歩くスイに視線を移してみると、この猛暑の中、なんと汗一つかいていないではないか。
確かにスイの着用しているワンピースは涼しげなデザインをしているが、それでも汗の一つくらいはかいてしまうのが自然というものだろう。
それにも関わらず、スイは汗を浮かべるどころか、暑そうな表情を見せることすらなかった。
「……うん」
こちらが暑がっていることのほうが逆に不自然とでも言いたそうな表情を浮かべつつ、僕の問いに答えるスイ。
この子は暑さに強い体質でもしているのだろうか。そうだとしたら、実に羨ましい限りである。
「あー、アイス食べたいなぁ……」
「……さっきも、食べてた」
夏はどうしても体が冷たい飲食物を求める。体の欲求に応え、ついつい冷たいアイスやジュースを過剰に摂取してしまうのが、僕の昔からの悪い癖だった。
昔はそのことでよくアキ姉から注意を受けていたのだが、ここ数年、アキ姉と会うことがなくなっていた間に、そういったものの摂取に拍車が掛かってしまったように感じてならない。
「おなか壊す……」
「……そうだね。それじゃ、今日はやめとこうかな」
「……そうした方が、いい」
スイもこう言ってくれていることだ。いずれはアキ姉からも注意を受けるだろうし、いい機会だと思ってアイスやジュースの過剰摂取は控えようか。
尤も、意思が本能に勝ることが出来れば、の話だが。
「あれ……」
そんなことを話しているうちに、周囲の風景は随分と変化していた。
今まで見てきた自然的な風景と比較すれば、やや都会じみた風景。が、それもほとんど不快感を覚えない程度で、空気も決して不味くはない。むしろ心地よさを覚えるくらいだった。
近くには巨大なデパートらしき建造物がそびえ立ち、喫茶店や小さな飲食店なども各所に見受けられる。加えてお昼時だからだろうか、平日だというのに、周囲はかなりの混雑を見せていた。
持参していた地図で現在位置を確認してみると、どうやらこの場所、透水町の中心街のようである。そう考えれば、やや都会的な風景も、平日の真昼からの混雑ぶりも、納得できる。
「なんだか、賑やかな場所だね」
「……うん」
やはり興味深いのか、スイはきょろきょろと周りを見回し始める。その仕草が小動物のようにも見え、どこか可愛らしく、微笑ましかった。
そのままひょっこりとどこかへ行ってしまいそうで、やや不安ではあるが。
そして、残念なことに僕のこういった不安は的中してしまう確立が非常に高いようで。
一瞬、僕が腕時計に視点を移した隙に。
スイは早速、僕の視界からその姿を消していた。
「――って、不安的中はやっ!」
スイの年齢は、外見から判断してもおそらく僕と同程度だろう。
さすがに16、17歳にもなって迷子になるということはないとは思うが、一緒に町を回ると約束した以上、このままスイを放置して一人で行動するわけにもいかない。
やはり、探すしかないか。
この、混雑の中を。
出会ったばかりで特徴も掴みきれていない、たった一人の少女を見つけ出す。
どう考えても困難だが、やるしかない。
「……考えてる時間も勿体無いか」
探すなら、遠くへ行っていないうちのほうが良いに決まっている。
今ならまだ、比較的スイを見つけやすいはずである。
頭の中でスイの顔や服装、一つ一つを丁寧に思い浮かべつつ、僕は人混みの中へと足を踏み入れた。
次回予告
「ここにもいないか……」
「あ、うん。ちょっとお尻を打ったみたいだけど、ぜんぜん大丈夫だよ」
「一度だけなら聞き逃してあげるよ」
「えへへ〜。まだまだだね、純史くん。鬼ごっこも頭を使ったほうが勝ちなんだよ?」
次回 PRISM-プリズム-
第二話 癒しと温和の黄玉 ―Topaz― ......(3)