純粋なる金剛石 ―Diamond― ......(3)
時刻が午後6時を回ったところで、歓迎会はお開きとなった。まだ時間的には余裕がないこともなかったが、明日は月曜日。転入手続き中の僕は良いとしても、若菜やアキ姉は普通に学校がある。あまり遅くまで騒いで授業に影響しては困るだろうということで、僕が早期解散を提案したのだった。
「……すぅ。……すぅ」
背中から聞こえてくるのは、規則正しい寝息。乱れず、穏やかに、一定のリズムで刻まれ続けている。
歓迎会で一番のはしゃぎ様を見せていた若菜。歓迎会がお開きとなった瞬間、電池が切れたかのようにグッスリと眠り込んでしまった。
「ゴメンね、アツ。若菜をおぶらせちゃって……」
「や、気にしないでよ。全然軽いし。通学鞄のほうが重く感じるくらいかな。いつもパンパンだから」
オーバーな表現ではあるが、そう感じさせるほどに若菜の体重は軽かった。
大体どれくらいだろうかと想像力を働かせていると、僕の首に回された若菜の腕の力が、急に強まったように感じた。ふと、先ほど味わった死の恐怖を思い出し、すぐさま無理矢理思考を停止させる。
さすがにこの歳で死に急ぎたくはない。
「……はい、着いた。とは言っても、すぐ隣なんだけどね」
祖母の家を出発してから、ほんの数歩。
「それじゃ、若菜を中に運ばないと。今日、若菜のお母さんは留守なんでしょ?」
歓迎会の最中に耳にしたのだが、若菜の母親は、3日前から一週間の旅行に出かけているらしい。なんでも、ちょうど僕がこの街に越してくる日と旅行とが重なってしまい、出迎えが出来ないことをひどく嘆いていたそうだ。
若菜は幼少時に父親を亡くしている為、母親が不在のときは、必然的に家に一人、ということになってしまう。尤も、そのような時はアキ姉が自宅に若菜を招待し、宿泊させる、というのが習慣化しているようではあるが。
「あ、いいわよ。後は私がやるから。あれだけ騒いだんだもの、アツももう疲れてるでしょうし、今日はゆっくり休みなさい」
「でも……」
「“でも”じゃない! ホラっ! お姉さんの言うことには素直に従う!」
アキ姉は僕の背中から若菜を剥ぎ取ると、その小さな身体を今度は自分の背中に背負い込んだ。
もはや、何を言っても無駄だろう。アキ姉が自分の事を“お姉さん”と呼称する瞬間、彼女に対する全ての発言はその意味を失い、無効化されるのだから。
「はいはい、分かったよ。けど、アキ姉だって明日は学校なんだから。あんまり無理しちゃ駄目だよ」
「分かっているわ。相変わらず心配性ね、アツは。けど、ありがと」
アキ姉はニコリと微笑みながら、僕の頭に自分の手を置いた。数年前ならば兎も角、現在では僕よりも身長の低いアキ姉に頭を撫でられるというのも、傍目に見れば妙な光景ではある。
だけど、僕はその手の温もりに数年前と変わらぬ安心感を覚えた。結局、“お姉さん”はどこまでも“お姉さん”らしい。
「それじゃね、アツ。明日からは、またいっぱい遊ぼう」
そう言うと、僕に笑顔を向けたまま、アキ姉は家の中へと消えていった。
玄関前、最後に見た若菜の表情は、心なしか、僕に“バイバイ”と告げている……そう、見えないこともなかった。
◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆
別に疲れていないわけではなかった。ただ単に、自分の好奇心に抗えなかっただけだ。
久しぶりに訪れたこの街。懐かしい風景を前にして、家で呑気に休んでいられるはずもなかった。
編入試験は数日前に済ませてあるし、その編入は一週間先。今日明日と多少無理をしたところで、大した影響は無いだろう。
むしろ、有り余る好奇心を押さえて家でじっとしている方が、体に毒というものだ。
自分の欲求に素直になることこそが、健康への一番の近道……という受け売りを、以前誰かから聞いたことがあったような気がする。あまりハメを外しすぎるのは良くないと思うが、案外、的を射た言葉ではないだろうか。
「さて、と……それじゃあどこに行こうかな……」
外の景色はまだ明るさを保っていた。
地平線の向こう側へと沈む夕日が、街全体を茜色に染め上げていく。相変わらずの暑さではあったが、風が出てきた分、昼間よりはいくらか涼しいように感じた。
そんな街中を、特に行く当てもなくぶらぶらと歩く。
道端に咲く花。
虫達の鳴き声。
夏草の薫り。
新鮮な空気。
都会には決して無かったこれらの要素が、ただの散歩を飾り立ててくれる。この地に住む人々にとっては別段珍しいものではないのかもしれないが、僕にとってはこれら全てが極上の素材だった。
商店街にひしめく人たちの何気ない会話の中にも、微かな優しさや思いやりが感じられる。 八百屋の威勢のいい売り声は、どんな楽器よりも深く僕の胸を震わせた。
甘い香りに誘われて購入した串団子にかぶりつきながら数分ほど歩いたところで、僕はのどかな河原へと到着した。
夕日に照らされた川の水は、綺麗なオレンジ色の光を放っている。水の流れる音以外には何も聞こえない周りの静けさも相まってか、僕にはここが、とても神聖な場所に感じられた。
「ちょっと……休んでこっかな」
草のクッションの上に、ゆっくりと腰を下ろす。そのまま倒れこんで大の字に寝そべりたい気持ちにもなったが、さすがに自粛しておいた。どこか懐かしい薫りを含んだ風を全身に浴びるだけでも、疲れた体は十分癒されそうだ。
「気持ちいいな……」
こんなにものどかな自然に囲まれながらゆっくりと休んだのは、一体何年ぶりだろうか。昨日まで住んでいた都会にも自然公園なるものが点在していたが、心無い者たちの悪戯や、モラルの欠片もなくバイクで進入してくる者たちが原因で、もはや自然公園などとは呼べないまでに酷変してしまっていた。そんなにも荒んでしまった自然公園に、僕は到底足を運ぶ気にはなれなかった。
だが、この街の自然は違う。
荒らされていないことは勿論として、自然を“造ろう”として設けられた都会の自然公園とは違い、この街は本当に“自然”に、自然が存在している。規格からして違うのだ。
透き通った自然……とでも言うべきだろうか。
「……こうも静かだと、どうにも眠くなってくるね」
あまりの心地よさと静けさが、僕の頭に確実な眠気を送り込んでくる。
――このまま寝たら、さすがに風邪引いちゃうかも。……あ、でも、学校は一週間後だし、別にいいかな――
あっさりと睡魔に敗北し、僕はその場に寝そべると、襲いくる眠気に身を任せた。
ちょうど、その時である。
ふいに、僕の視界を、何か白い――光のようなものが、掠めていった。
「ん……なんだろ」
光が通り過ぎていった方向に、眠気をたっぷりと含ませた視線を向ける。
――と。
「――うわ……」
――そこでは、少女が舞っていた。
周りの自然と調和するように、軽やかに、そして華麗に、舞い踊っていた。
少女の纏う純白のワンピースと、髪に巻かれた漆黒のリボンは、主の舞いに合わせて、ヒラヒラと翻っている。僕の視線を掠めていったのは、恐らくあのワンピースだろう。
先程まで容赦なく僕を襲っていた睡魔は、不思議と消えていた。
「……」
少女から視線を外すことが出来ない。まるで何かに押さえつけられたかのように、僕の視線は、寄り道することなく少女の元へとまっすぐに注がれていた。
夕日を浴びて映える、肩まで伸びた白銀の髪。
雪のように繊細で、純白の肌。
瞳は、左右で色が異なっていた。右は燃えるような真紅、左は落ち着いた群青。どちらの瞳も、まるで宝石のようにキラキラと輝いている。
「あ……」
心で思っていることを、うまく言葉に出来ない。
ただ、彼女はそれほど美しく、可憐で。それでいて脆く、儚いもののようにも思えて――
長年ぶりに訪れた、なつかしい街。
昔のまま、純粋なまま残されていた自然の中で、僕は彼女と出会った――
幕を開けた、懐かしの町での生活――
「あっくん、おっはよ〜! 朝ですよ〜……ってありゃ、起きてる」
「こらこら。どうして残念そうなんだ」
素朴だけれど、やっぱり心地よくて――
「そう言えば、アツはいつから学校なの?」
「早くあっくんと一緒に学校行きたいな〜」
少しだけ大人になった二人の姿は、とても新鮮なものだった――
「どう? 私達の制服姿。ずっと感想を待っていたのだけれど」
次回 PRISM-プリズム- 第二話 癒しと温和の黄玉 ―Topaz―......(1)