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      純粋なる金剛石 ―Diamond― ......(2)

  






 風に乗って、夏草の薫りがした。

 都会では決して漂うことのないその薫りは、僕の心を落ち着かせ、どこか懐かしい気持ちにさせてくれる。

 道路に面する歩道。

 人通りはそれなり多いが、耳障りな車のエンジン音は殆ど聞こえてこない。

 常に車のエンジン音と隣り合わせの生活をしていた僕にとって、それは非常に新鮮だった。

 道沿いに植えられた木々は、優しい“自然”を感じさせる。

 木漏れ日に照らされた道は、まるでピースの欠けたジグソーパズルのようにも見えた。

「この辺りだと思うんだけど……」

 本日3本目となるアイスをかじりながら商店街を抜けると、そこには閑静な住宅地が広がっていた。

 穏やかな景色に、ゆったりと並ぶ家々。アパートの類はあまり見られず、主に二階建ての家屋が多いようで、中には築数年も経過していないであろう新築の家屋もちらほらと見られる。

 地図が正しければ、祖母の家はこの辺りに位置しているはずである。

 言われてみれば、この地にまったく見覚えが無い訳でもない。ぼんやりとではあるが、何か懐かしい感覚が、自分の中で渦巻いていた。

「ここか……」

 しばらく歩き続け、一軒の家の前へと到着する。

 周りの家々と同じように、二階建ての構造。庭は広く、数本の樹木と数種の植物が植えられている。門には、“白河”と刻まれた表札が、堂々と輝いていた。

間違いない。祖母の家である。

 ただ、以前に自分が来た時よりも、全体的に面積が小さくなっているように感じる。

大人と子供では遠近感が異なると言うし、これも自分が成長した証拠だろうか。

 しかし、それは同時に、それほどの長い期間この家に訪れていなかったという明確な事実を示していた。

「とりあえず……中に入ろう」

 やや錆付いた門を開き、家の敷地へと足を踏み入れる。柔らかな“土”の足場が、疲れた足に心地よかった。

 玄関の横に設けられた呼び鈴を押そうとして、一旦指を止める。

 身内の家ではあるが、訪れること自体が随分と久しぶりであるため、やはり緊張を感じた。

「ふぅ……」

 一度深く深呼吸をすると、意を決し、再び呼び鈴に指を伸ばす。

 チャイムの音量が最大に設定されているのか、家の中に響き渡る呼び出し音は、外にまで洩れてきた。

 数秒後、玄関が開けられ、中から懐かしい人物が姿を現した。

「おや……純史!」

「久しぶり……ばあちゃん」

 祖母の姿は、数年前と殆ど変化していなかった。

 肌に刻まれた年輪と、柔らかな表情が、温和な人柄を感じさせる。白髪だらけの頭髪は、年不相応にきちんと整えられていた。

 75を過ぎても、身体はまだまだ健康体そのものらしい。姿勢は崩れておらず、杖に頼ること無くしっかりと自分の足で立っている。

「さぁ、早くお入り。長旅で疲れたろう」

「うん。お邪魔します」

 立派な装飾が施された玄関を潜り抜け、僕はまず、リビングに通された。

 テーブルの周りには立派なソファが設けられ、その前には、自分の家にも劣らぬ巨大なテレビが設置されている。そよぐエアコンの風が、体にこびり付いた汗を一瞬で乾かしてくれた。

 エアコンに、巨大テレビ、そして立派なソファと、とても75を過ぎた老年者の一人暮らしとは思えない室内装飾である。

「いやぁ……よく来たねぇ! とりあえず、ソファにでも座って休んでておくれ」

 祖母はそう言うと、よく冷えた麦茶を持ってきてくれた。それを一瞬で飲み干し、体の中の 潤いを取り戻すと、言われたとおりソファに腰掛ける。ソファの柔らかな感触が、体の節々に蓄積された疲労を緩和していくのを感じた。

「本当に懐かしいよ……何年ぶりかねぇ」

 正面に腰掛けた祖母が、昔を懐かしむかのような口調で言った。

「最後に来たのが小学校高学年だから……少なくとも、5年くらいは来てなかったと思う。……ごめん、ばあちゃん。来るのがこんなに遅くなっちゃって」

「いやいや。そんなの気にすることはないよ。そっちにも都合があったんだから。それに……」

 一呼吸おいて、祖母は続ける。

「こっちにも、孫みたいな子たちがいたしね」

 言いながら、祖母はニッコリと優しそうな笑顔を浮かべた。

「孫みたいな子たち……?」

 その時である。

 玄関の方から、何やらドタドタと騒がしい音が聞こえてきた。どうやら足音らしい。とても軽快とは言い難いその足音は、そのまま驚異的な速さでリビングのある方向へと向かってくる。

 鍵も閉めていなかったし、もしかすると空き巣や泥棒といった類の侵入者かもしれない。

 そう思い立ち上がると、廊下とリビングを繋ぐドアが、勢いよく開かれた。

「お、おばーちゃん! あっくんもう来た!?」

 現れたのは、おそらく自分と同年輩であろうと思われる少女。

 紺碧の髪は二つに結われ、大きく見開かれた瞳は、光を受けて群青に輝いている。

 小さめの身長と愛らしい顔立ちが、やや幼げな印象を与えた。

 よほど急いで来たのか、少女は乱れた呼吸を整えるのに悪戦苦闘のご様子である。

「おや、若菜ちゃんかい。到着済みだよ。ほら、この通り」

 祖母は再び優しげな微笑を浮かべながら、左手で僕を指し示す。

 祖母が口にした少女の名前、“若菜”。

 この名前には、確かに聞き覚えがあった。

 薄れ掛けていた記憶のピースが、一かけら、カチリと音を立てて当て嵌まる。

「若菜って……あの“若菜”か!?」

「う、うん! そうだよ……! 若菜だよっ! ……あっくん!ひさしぶりっ!」

 そう言って、若菜は思い切り僕に抱きついてきた。そのまま押し倒されるかと思ったが、若菜の体重は思った以上に軽く、大した衝撃は感じない。むしろ、肉体面以外での衝撃の方が大きかった。

「わ、若菜……離れてくれっ!」

「やだやだっ! 離したら、あっくんまたどっかに行っちゃうもん!」

 見れば、若菜は喜びの中に悲しみを溶け込ませたような表情を浮かべていた。

 当時の若菜にしてみれば、僕がこんなにも長く透水街を離れるとは夢にも思っていなかったのだろう。それは僕も同じだった。

 ある時期突然、堰を切ったように父の仕事が忙しくなり、次の長期休暇には祖母の家に訪れることが出来なくなってしまったのである。続いて次の休みも、その次の休みも。

 いつの間にか、それは習慣化されていた。その習慣は決して破られることなく、五年以上もの歳月を経て、今に至る。

 そんな長い年月を経ても尚、若菜は僕を待ち続けていてくれたのかもしれない。

「……ごめん、若菜。でも、今度は大丈夫。当分の間はこの家に住むから」

「……本当?」

 群青の瞳を潤ませて、若菜はそう僕に尋ねる。

 昔から、若菜の瞳は純真だった。

 どこまでも澄んでいて、胸の内に秘めた希望を象徴するかのように、キラキラと輝いている。

 そんな瞳を前にして、冗談など言えるはずも無かった。

「もちろん、本当だよ。」

 そう言って、若菜の小さな頭をくしゃりと撫でてやる。

 艶やかな紺碧の髪から漂う、ミントのような甘い香りが、僕の鼻を刺激した。

「やったー! 嬉しいよあっくんー!!」

「ぐあっ」

 若菜は僕を解放するどころか、あろう事か締め付ける腕により一層の力を込めてきた。

 その小さく細い腕からは考えられない、尋常ならざる力。

 全身の骨が、ミシミシと鈍い音を立てて軋んでいくのが分かる。

「わ、若菜……くるし……」

「はーい、そこまで」

 堕ちかけた僕の耳に、女性の澄んだ声が届けられる。

 同時に、全身の自由を奪っていた力は緩められ、僕の身体は完全に解放された。

 咳き込みつつも、一杯に空気を吸引し、足りなくなった酸素を肺に取り入れていく。

「けほっ……はぁ……はぁ……し、死ぬかと思った……」

「アツ、大丈夫?」

 声の掛けられた方を見上げてみると、そこには、スラリとした長身の少女。

 朱色掛かった髪をポニーテールにして後方に束ね、双瞳は、まるで夕焼け空のように真紅の輝きを放っている。

 凛々しくも端麗な顔立ちが、やや大人びた印象を僕に抱かせた。

「もしかして……アキ姉!?」

「ピンポーン。 大正解! 久しぶりだね、アツ」

 目の前の少女――アキ姉は、そう言ってニコリと微笑む。

 多少の上品さが伺えるものの、どこか人懐こい笑顔。

 数年が経過した今でも、それは以前と変わらぬ輝きを誇っていた。

「純史もご存知の通り、“青葉 若菜”ちゃんと“赤穂 朱希”ちゃんだよ。この2人が私の孫みたいな子たちさ」

 祖母は両手で二人を指し示しながら、穏やかな声でそう告げる。

「そっか……この2人のことだったんだ……」

 若菜とアキ姉。

 隣家同士ということもあってか、僕がこの街に訪れ、最初に友人になった2人。

 毎日のように、遊んで、騒いで、怒られて。

 夏の日差しが突き刺す日も、冷たい雪が降り注ぐ日も、よく3人で一日中楽しく過ごしたものだった。

 この街で刷り込まれた記憶の中でも、ひときわ輝く思い出の一つである。

「まったく、若菜ったら。アツと会えたのが嬉しいのは分かるけど、もう少し手加減しなさい」

「ご、ごめんなさい……」

 アキ姉の注意を受け、深くうな垂れてしまう若菜。それを見て、僕はいつぞやの父の姿を思い出した。

「ま、まぁまぁ。若菜にも悪気があったわけじゃないよ。今度からは気をつけてくれれば。……ね?」

「あっくん……」

「……ま、アツならそう言うと思ってたわよ」

 苦笑いを交えつつ、アキ姉は呟く。

 呆れているようで、それでも、何だか嬉しそうで。ちょうど、数時間前に電車で会った老婆に似た表情を浮かべながら。

「とりあえず、僕は着替えて荷物を整理してくるよ。おばあちゃん、悪いけど、案内してくれないかな?」

 汗が染み込んだシャツは、ベットリと湿りきっていて気持ち悪い。

 エアコンから吹き出る冷風が、少しだけ肌寒く感じた。

 三人との再会は嬉しいが、まずは荷物を整理し、心身ともにスッキリとした状態で話がしたい。

「ほいほい。お安い御用さ」

 物腰軽く立ち上がり、早々とリビングを出て行く祖母を、僕は急ぎ足で追いかけた。



           ◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆



 案内されたのは、綺麗に整えられた一室だった。

 床には埃一つ見受けられず、空の本棚も、大きな机も、光沢が出るほど丹念に磨かれている。

 ベランダへと続く大窓は、鮮やかな日差しを取り入れ、部屋の中央に巨大な光の絵画アートを描いていた。

 隅に置かれたベッドは立派。真っ白なシーツから漂う太陽の香りが、快適な安眠を約束してくれる。

 家具以外、私物は一つとして置かれていなかったが、不思議と殺風景な印象は受けなかった。

 以前過ごしていた自室に比べればやや劣るものの、それほど大柄でもない僕が一人で過ごす分には、十分過ぎるほどの広さである。

「この部屋、本当に僕が使っていいの?」

「もちろんだよ。もともと誰も使ってなかった部屋だし、気にせず使っておくれ」

 突然居座ることになった僕に、これほど立派な部屋を与えてくれた祖母。

 きっとこの部屋も、一生懸命掃除してくれたのだろう。それなのに、祖母は疲れた様子ひとつ見せなかった。

「ありがとう、ばあちゃん」

「いやいや。大切な孫の為だからね。こんなのお茶の子さいさいだよ」

 そう言って、祖母は柔らかな笑みを浮かべた。

 肌に刻まれた無数の皺が、笑顔によって更に数を増す。それらの皺、一つ一つが、祖母の優しさを象徴しているかのように思えた。

「それじゃあリビングで待ってて。着替えたらすぐに行くから。いっぱい話がしたいしね」

「はいよ。若菜ちゃんも朱希ちゃんも、きっと純史を心待ちにしてるよ」

 言いながら部屋を出て行く祖母を、僕は軽く手を振って見送った。



         ◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆……◇◆




「では、改めて……おかえり、あっくん!」

 リビングに、若菜の透き通った声が木霊する。

 その声を合図にするかのように、オレンジジュースの注がれた4つのコップがぶつかり合い、“キンッ”と甲高く、心地よい音を響かせた。

 綺麗な橙色の液体がコップの中で振動し、小さな波を立てる。

「おかえり、アツ」

「おかえり……って言うのも変だけど、おかえり、敦史」

 ソファに囲まれるように設けられたテーブルには、千万無量の菓子、飲み物、料理などが、所狭しと並べられている。

 全て、今日という日のために用意された物だそうだ。

 正直、ここまでしてもらっては逆に悪いような気もするが、わざわざ僕のために用意してくれたのだと考えると、せっかくの好意を無碍にするわけにもいかなかった。

 それに、実は自分自身、少しばかり嬉しかったりもする。

 こんなにも歓迎されていることは勿論、何より長年の空白を経ても、若菜たちとの間に摩擦が生じなかったこと。

 外地から移住してきた僕にとって、これほど心強いものはない。

「ほらほらあっくん! もっと食べて食べて〜!」

 先ほどから若菜が次々と料理を勧めてくるが、僕の意識は、料理よりも若菜の格好に向けられてしまっていた。

 彼女は大量のクラッカーをハーフパンツのポケットにしまい込み、小さな頭には、パーティー用のキラキラとした三角帽子を乗せている。

 右手には、鼻メガネらしき物体もチラリと確認できた。

 これは用意周到と褒めるべきなのだろうか。

「若菜……そのカッコ、何?」

「何って……せっかくあっくんが帰ってきたんだもん。パーッと騒ぎたいよ」

 そう言って、若菜はポケットに入れられていたクラッカーの一つを取り出し、天井に向け“パンッ”と打ち鳴らす。聞こえてきた音は、どこまでも乾いていた。

「だからって、そんな……」

「まぁまぁ、アツ」

 言いかけた僕の言葉を、アキ姉の声が遮る。

「若菜ね、アツが来る日をずっと楽しみにしていたのよ。もう、はしゃいじゃって。一体何度、暴走する若菜を止めたことか……」

 アキ姉は、呆れたように肩をすくめながら。

「でもね……」

 再び顔を上げ、彼女は続ける。

「若菜の気持ちも分かってあげて。……アツが来なくなって、若菜は本当に寂しそうだったの。その分、今日が本当に楽しみだったんだと思う。だから、今日だけは……若菜のノリについていってくれないかな?」

「アキ姉……」

 チラリと若菜に目を向ける。

 表情は、あくまで明るい。笑顔で歪められた表情は、この場を真摯に祝福し、歓喜しているように見えた。

 “無邪気”。

 形容矛盾を冒してまで、他の表現を探す必要もない。

 彼女の浮かべる笑顔を形容するのに、これ以上適切な言葉など存在しなかった。

「……ははっ。悪いけど、僕のノリは半端じゃないよ。若菜についてこれるかな?」

 挑発するような笑みを浮かべつつ、同じく挑発するような口調で、僕は言った。

「……えへへ! 私だって負けないよ!」

 僕たちは互いのグラスを触れ合わせ、注がれた液体を一気に飲み干す。その後、目の前に高々と積み上げられた料理の山にかぶりついた。

 傍目には下品な光景だが、そんなものは気にならない。僕の姿を見た二人は腹を抱えて笑い転げ、一人は心底呆れている様子だが、そんなものは気にならない。

「あははははは! ……おかえりっ!あっくん!」

2本のクラッカーを同時に打ち鳴らしながら、若菜は三度その言葉を口にした。聞こえてきた その音は、どこまでも澄んでいるように感じた。

 さて、若菜のノリにどこまでついていけるかな。


次回予告


昔と何も変わらない、僕らの関係――

「“でも”じゃない! ホラっ! お姉さんの言うことには素直に従う!」

「それじゃね、アツ。明日からは、またいっぱい遊ぼう」

そして、この町の純粋な自然――

「気持ちいいな……」

「ん……なんだろ」

 昔のまま、純粋なまま残されていた自然の中で、僕は彼女と出会った――

「君は……」


次回 PRISM―プリズム― 第一話 純粋なる金剛石 ―Diamond―......(3)

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