監禁少女は夜を歩く
夜中の一時、静かな寝室で私はゆっくりと目を開いて同じベッドで寝ている彼が寝ていることをよく確認する。そろりそろりと音をたてないようにベッドからおりて、寝間着から普段着に着替えて寝間着は洗面所のカゴに隠すように畳んでおいておく。靴をひっかけるように履いて、踵を潰したまま玄関の重厚な扉の前に立つ。そして、パネルに暗証番号を入力して、外に出てから何となく暗証番号を変更してから私はつま先をコンクリートに叩きつけ、踵を靴の中に押し込む。そのまま階段を軽快におりていき、十階から二階あたりまで行ったところでいい加減階段をおりるのも飽きたので階段の塀を超えて地面に向かって飛び降りたら、人がいた。
「あ、どいてぇー!」
「――! ああ?」
一瞬反応が遅れたその人の胸あたりに蹴りをかます形で着地してしまった。その人は「ぐほっ」とか声をあげて、私は「ひゃー」と声をあげて、お互い地面に倒れた。むくり、と先に起き上がったのは私が蹴りをかました目つきの悪い男の人だった。ギン、と睨みをきかせている。……目つきが悪いから睨んでるのか元からなのか判別がつかない。
ま、いっか。とりあえず両方無事だったんだし、めでたしめでたし!
私も立ちあがって、睨みをきかせている男の人の手を取って走りだす。男の人は「ちょ」とか「何」とか色々言ってたけど、気にせず走り続けて、いつも通りの時間にマンション前に停めてあるタクシーに乗り込んで「いつもの場所ね」と告げる。運転手の優しいおじさんは、ニコリと微笑んで頷いて車を走らせる。
「おい、お前は一体、何なんだ!」
「お兄さん体力ないー。ちょっと走っただけで息も絶え絶えだよ?」
「うる、さい! 何でこんな夜中に、お前みたいな、子供が!」
「ヤダなー、お兄さん。私はもう十七歳でぇ、結婚もできる年なので子供ではありませぇん」
「はぁ、はぁー……。そのムカつく話し方をやめろ。そしてまだ未成年のお前は立派な子供だ」
お兄さんに頭をグリグリされ「痛いよー」と涙目になる私。お兄さんは、不躾に私の体をジロジロと睨みつける。お兄さんの格好を見る限り、どうやらこの目つきの悪いお兄さんは警察官みたいだ。深夜のパトロール中に私と遭遇したのかな? 首をかしげるけど、お兄さんは何も語らないから何もわからない。
ま、いっか。
私は気にしないことにした。やがてタクシーが、一軒のファミリーレストランの前に停まる。二十四時間営業してるお店だ。私は自分の分とお兄さんの分のお金を払って、何か言ってるお兄さんを無視して強引に車外に出す。タクシーの運ちゃんには駐車場で待っててもらって、ファミリーレストランにお兄さんと一緒に入る。私がきたことに顔をこわばらせる店員さんだけど、すぐに笑顔に戻ってマニュアル通りに声をかけてくるので、答えて席につく。
「おい、お前は一体何もんだ。何でマンションの階段から飛び降りたんだ。それと、その手首の跡は一体何だ?」
お兄さんの質問をとりあえず無視して、私はメニュー表とにらめっこ。ハンバーグとオムライスとクリームパスタとから揚げとフライドポテトを頼んで、お兄さんの質問に一つ一つ答えていく。
「私は水雨水。ついこの間まで普通の女子高生やってました! マンションの階段から飛び降りたのは時間短縮のためね。んで最後の質問の答えはぁー……私は何と! 監禁少女だからでっす!」
ばばーん、と両手を広げて声を大きくして言うと、お兄さんがはっと鼻で笑う。その顔は胡散臭いものを見る目で、私は何となく居心地が悪くなって身を縮ませる。お兄さんが、睨みながら口を開く。
「監禁ね、普通こんな自由に出歩き回れるヤツのことはそう言わないんだが?」
「そうだねー。自由に出歩けてるから、軟禁かな? あ、でも昼間はバッチリ監禁されてし! こまけぇこたぁいいんだよ! あはは」
コロコロと笑うと、お兄さんの目つきの鋭さに磨きがかかる。思わず、ビクリと肩を震わせたけど、注文した品が届いたことで恐怖が一掃される。今の私はきっと、目をキラキラを輝かせているだろうと思う。だって、一週間ぶりの庶民の味だから。
彼の作る料理は美味しいんだけど、ホテルの料理をずっと食べてるみたいで飽きるんだよねー。お金持ちはあの味、飽きないのかな? 少なくとも、彼は飽きてる様子はないよねぇ。やっぱ庶民とは舌の作りが違うんだ! きっと。そう納得して、真っ先に届いたハンバーグをナイフで一口大に切って口に放り込む。
噛んだ瞬間口の中にじゅわっと肉汁が溢れだす。ふーふーしながら、どんどん食べ進む。次に届いたクリームパスタも、服に飛び散らないように細心の注意を払ってちゅるちゅるとすする。オムライスにはデミグラスソースがかかっていて、から揚げはジューシーで、フライドポテトはカリカリでおいしかった。ふぅー、と一息つく。正面に座っているお兄さんは私の食べっぷりに驚いているようだ。
「あ、デザートにチョコレートパフェお願いしまーす!」
最後のデザートを頼むと、お兄さんは睨むのをやめて呆れたような視線を送ってくる。気にせず、届いたチョコパフェを平らげる。時間は夜中の二時半になっていた。
「はぁー、満足した!」
「お前さ……ホント何もんなの?」
「だからさぁ、監禁少女だって。ワタシ、カンキンサレテル。わかる?」
「馬鹿にするのも大概に……」
「きゃー、こわーい。でも監禁されてるのは事実だよ。このお店の店員さんが私が監禁されてることに気づいて助けに入ったら強盗の冤罪着せられて牢屋にぶち込まれちゃってねー。彼ってとある会社の若社長さんだからさ! タクシーの運ちゃんもそれ知ってるから手ださないの! さてさて、満足したからかーえろ。バイバイ、お兄さん」
ひらひらと片手を振って、私は会計を済ませて一人お店を出てタクシーに乗って彼の待つマンションで帰った。
***
俺は警察官だ。幼い頃家に強盗が入った際、警察官の父親が母と俺を助け見事強盗を倒したのをキッカケに、警察に憧れるようになった。そして三年前、晴れて警察の仲間入りを果たしたわけだが……。
深夜のパトロール中に、おかしな少女と出会った。自称監禁少女の水雨水と言う少女は、よく食べるヤツだった。監禁されてると言う割に服はブランド物で、身なりも綺麗だ。とてもじゃないけど、監禁されてる少女とは思えぬ明るさだった。
だけど、手首の跡が少しだけ気になった。三年間の間に、一人だけ監禁されていた幼い子供を見たことがあるのだが、その子供が監禁されている場所に行くと、子供の手首足首には枷がハマっていて、とったあともしばらく跡が消えなかったそうだ。そう、あの跡……丁度手枷を外したあとみたいに見えたのだ。俺の気のせいだろうか? 少女は大量の食糧を平らげ現金で支払っていた。とてもじゃないけど、あの少女が払えるような金額ではない。もしかしたらどこぞの金持ちの娘なのかもしれないが。
俺が警察になってから監禁事件が起きたのはその子供の一件だけだ。じゃぁ、三年以上前の誘拐事件は? なんとなく気になって、調べてみることにした。先輩にも聞いて、調べ始めてから二日が経った。
「あった……」
そこに写っていたのは、十二歳の一人の少女。自分がこれから誘拐されるなんて信じて疑わない、明るく歯を見せて笑って写真に写る水雨水と言う少女の姿が。
水雨水が誘拐されたのは、小学六年生の入学式を迎えてすぐにことだったらしい。家庭環境が最悪で、父親はおらず母親にネグレクトを受けていたそうだ。水雨水と言う少女について聞くと「明るい子だった。自分はゴミ溜めで生きているとよく茶化すように笑いながら語っていた」とのことだった。実際、水雨水が誘拐されたあと水雨水の家に警察が入ると、そこはまさしくゴミ溜めと言うに相応しい場所だったそうだ。
ゴミ袋だらけで、ハエが飛び回っている。水雨水の母親は、金だけ渡して家に帰ることはほぼないに等しかったそうな。母親が帰ってこないゴミ溜めの中で、少女は何を思って生きてきたのか。
***
「あ、お兄さんまた会ったねぇ」
深夜三時に、マンションに帰るとこの間の目つきの悪い警察官のお兄さんがいた。その顔は、この間より険しい。
「お前、監禁されてるんだってな」
「あ、ようやく信じてくれた? そうそう、私ってば監禁されてるのに抜け出しちゃう悪い女でさぁ」
コロコロと笑うと、お兄さんがくしゃりと顔を歪めた。その顔は酷く苦し気で、どうしてお兄さんがそんな顔をするのだろうと思った。
「お前について、調べさせてもらった。五年前、失踪した少女……お前は五年間、監禁されながら生きてきたんだな」
「……ヤダなー、お兄さんがそんな顔する必要ないんだよ? 私は今の生活楽しいし、何よりあのゴミ溜めから抜け出せて嬉しいし! だからさぁ、ねぇ……彼を、捕まえたりしないで?」
「俺は、仕事をこなすだけだ」
「……お兄さんに会ったのは失敗だったかも。お兄さん気強そうだし、権力にたてつくタイプでしょ。ふふ、私の優雅な監禁生活もおしまいだね」
後日、彼は少女監禁の容疑で逮捕された。私を助けようとマンションに入ったファミリーレストランの店員さんは冤罪が証明され、無事解放されたそうな。私はまた、あのゴミ溜めで生きて行くのか。そう考えると、憂鬱な気持ちになる。
この五年間、一度たりともテレビに出て私の無事を語る母の姿を見たことがない。ああ、私は本当に母に愛されていなかったのだと理解して、少しだけ悲しくなった。
「よう」
「お兄さん。よかったね、五年間少女を監禁し続けた凶悪男逮捕、お兄さんのお手柄だよ」
お兄さんへの言葉が、自然と冷たいものになる。
「お前は、これから児童相談所が一旦保護してから施設行きだ。つっても、十八になったらすぐ出て行かないといけないけどな」
「ふふ……お兄さんってば、冷たいね。彼は私の最後の救いだったのにさ。それを奪うなんて、警察は何て残酷なんだろう」
「……施設に行っても、忘れるな。お前を思ってる人間がいたことを。それが、歪んだ愛だとしても」
「えっ」
お兄さんはそう言うと、歩いて行ってしまった。五年ぶりに帰った家は、近所の人の間でゴミ屋敷と呼ばれていて、何度も近所の人が相談にくるものだからと重い腰をあげた大人たちの手によって、綺麗さっぱり片付いていた。家ごと。母は、私が監禁されていたことを知っているのか知らないのか、迎えにこなかった。帰る家のなくなった私は、これから施設で生きて行くのだろう。ゴミ溜めと、監禁と、施設。どこが一番、いいんだろうね。
彼は、犯罪を犯しても私をあのゴミ溜めから助けてくれた。もちろん、全て彼の善意ってわけじゃないけど。
「たとえそれが歪んだ愛だとしても……ねぇ」
違うね、お兄さん。彼の思いはどこまでも透き通った純愛そのものだよ。街中に溢れてるカップルの思いなんかより、ずっとずっと美しく尊いものだ。それがわからないお兄さんは、私よりもお子ちゃまだね。ふふふ。
「大丈夫、待ってるから」
ポツリと呟いて、私は風に追いやられるように施設へ向かう車へ乗り込んだ。
勢いで書いた、後悔はしていない。夜中にふっと頭に浮かんだ「監禁少女」と言う単語から考えてみました。
短編ばっか書いて現実逃避……_(:3」∠)_