第三話 予言と旅立ち
僕の数メートル先には、ルシアに向かって腕を振り上げる黒い怪物。
『さあ急げ! あの娘が死んでしまうぞ! 』
正直、これがどれだけ強い武器だったとしても、争いとは無縁の世界で生きてきた僕に使いこなせる気は全くしない。頭ではそう考えていたが、僕は夢中で鍵を刺し込み、回した。
ブォン!!!
途端、エンジン音がダンベルのようなものから響き、それが変形を始める。ボロボロだった見た目がメタリックな質感に変わり、鍔のような部分からは長い刃が飛び出した。ようやく動作を終えたその物体は、バイクのハンドルを剣にしたような武器に変形した。
「剣…? 強そうだけど、僕は剣なんて使えないよ!! 」
見た目より全然軽いので振り回すことくらいはできそうだったが、これであの素早い怪物と渡り合えるとは思えない。
『案ずるな。影のみであればたった一太刀で葬れる』
こちらに気を取られていた怪物は、どうやら的をまたルシアに定めたようだった。
『いいか、切っ先をヤツに向けろ。そしたらトリガーを引くだけでいい』
声の言うとおりに、剣の先を怪物に向ける。トリガーというのはきっとバイクのブレーキみたいなレバーだろう。僕は躊躇わずにそれを握りこんだ。
途端に視界が歪み、猛烈な勢いで腕が引っ張られる感覚とともに僕は怪物に突っ込んでいた。
「わっ…ぁあああああああああ!!! 」
僕は、と言うより剣はまっすぐに怪物を突き破り、そのまま壁に突進を続ける。
『馬鹿者、斬り終わったらトリガーから手を離せ!! 』
「そんなこと言ってなかったじゃん!! 」
壁を削りながら突き進む剣のトリガーを離すと、剣は突進をやめた。
『まぁ、何とか影を倒したようだな』
声に言われて振り返ると、怪物は液状に飛び散り、蒸発して消え失せたところだった。どうやらルシアも無事だ。
「…よかったぁ。力を貸してくれてありがとう、えっと…」
『エルピスだ、赤い鍵の少年。数分ぶりだな』
どこかで聞いたことのあるような声だと思ったら、異世界に来る前の扉の前で話しかけてきた声だったのか。
「神様…? 誰とお話をしているんですか? 影は…」
恐る恐る目を開けたルシアがこちらを向く。僕が倒したって言ったらまた誤解が加速するんだろうなぁ…
「ルシア、ごめん。僕、神様でも何でもないんだ。本当は怜って名前のただの人間…何とか駆動兵器ってやつを見つけて、かろうじて勝てただけなんだ。騙しててごめん…」
こんな純粋な娘を騙してたって思うと、今更ながらに胸が痛い。ルシアは少しの沈黙の後、無垢に笑ってこう言った。
「私の願いをかなえて下さったあなたは、神様も同然です。感謝してもしきれません、レイ様」
こんなに胸が熱くなる経験を、今まで僕はしたことがない。嬉しいような恥ずかしいような、幸福な気持ちで満たされる。
『のん気だな、少年。私ならすぐに村とやらに連れて行ってもらって、この世界のことを知ろうとするだろうが…』
少しむかつく言い回しだが、その通りだ。だがそれって案外難しいことなのではないだろうか。日本で「この世界はどういう世界ですか」と質問して、まともな答えが返ってくるとは思えないし。
「どうやら、予言通りに事が運んだようじゃな…」
突然、明り取り窓からしわがれた声が聞こえる。見てみると、物々しい服装をした老婆が覗き込んでいるようだった。
「ギギ婆様! 」
ルシアは驚いたように顔を上げる。そうするとこいつらがルシアを生贄にしようとした村の奴らということになる。僕は婆さんを思い切り睨みつけた。
「許しておくれ、ルシア。予言の通りにしなければ、この世界はどうなってしまったかも分からなかったのじゃて」
「予言…?」
申し訳無さそうに顔を伏せる婆さんに、僕は質問した。
「そうじゃ、異世界の子。読み上げてやろう」
婆さんはそう言うと、大層古そうな本を取り出して読み上げ始めた。
「二度目の災厄の箱開けられし時、必ず来たれリ。鍵に導かれし異界の者、無垢な少女の窮地に馳せ参じ、未知の宝具でもって世界を救う可能性を帯びる。無垢な少女は二度、彼を救うだろう…とな」
なるほど、ほぼ現在の状況に当てはまっている気がする。
「パンドラの箱って何なんだ?」
「そこにあるのがそうじゃ。人間の業を封印した箱でな、その悪意は『影』となり、人におそいかかったり、取りついたりしてしまう。紛れもなく人によって作られた箱じゃ」
これは棺じゃなくてパンドラの箱そのものだったのか。こんなものを、人が作る…どういう意図があったのか、僕には想像もつかなかった。
「二度目ってことは、一度目もあったんだよな?」
一番聞きたかったことだ。もし前に影と人間が争っていたならば、人間が一度勝ったことになる。
「そうじゃ。わしが生まれてすぐくらいに起きたことじゃな。そのときも、異界からの勇者が中心となってくれたと聞いた」
「うわ、責任重大じゃないか…」
つまり現代人がこの戦争において重要ということらしいが、今のところこっちの常人や影より強い気がしないし、ぶっちゃけ役に立つのかどうかさえ怪しい。
『案ずるな、私は君に何かとてつもない可能性を感じるぞ』
剣に励まされた。僕は何も感じないよエルピス。
「具体的には、どうすればいいんだ?」
「そうじゃな、この村から出て北に行くと、この世界の二大王国と言われるうちの一つである『ティエルタリア王国』がある。パンドラの箱が開いたことは世界中が知っておる。そういった大国が中心となって対策を練っておるのじゃ。まずはそこに行ってみてはどうかのう」
『赤い鍵も、北を指しているようだな』
段々と事の重大さが見に染みる。本当にあんな怪物と渡り合えるのだろうか。
「私も…連れて行って下さいませんか!? 」
不安でいっぱいな僕の手を引っ張りながら、ルシアがそう言った。必死に懇願するその顔もやはりきれいで、少し赤面してしまう。
「でも、これからもっと危ないことになるんじゃ…」
自分でもよくわかっていないが、とりあえず止めておこう。
「いえ、予言の通りならば、私がレイ様をお守りすることがあるはずです! それに…ただ単にあなたの側にいて、恩返しがしたいんです」
美人にこんなセリフを言われて断れる男が、どれだけいるだろうか。しどろもどろしていると、エルピスが言った。
『どうせ現地ナビゲーターは必要だ。それとも何か? 私と二人きりで話しながら大陸を縦断したいのか? 』
それは嫌だ。絶対に気まずい。もともと流される性格でもあるので、ついに了承してしまった。
「…わかったよ。そのかわり、危険なことはしないでね」
「大丈夫です、レイ様が守ってくれるのでしょう?」
随分と買いかぶられたものだ。だが、悪い気はしない。むしろ好ましいくらいだった。
「では、今日は村で休んでいきなされ。もっとももう夜明けじゃがの」
婆さんにロープを垂らしてもらい、僕たちは明り取り窓から這い出た。
眼前には、美しい海を輝かせる太陽。空はまだ暗いというのに澄み切っていて、まだ瞬く星が見える。反対を見れば生き生きとした森か広がっていて、現代とは比べ物にならないほど輝いて見えた。
これが、異世界。
先々に待っているであろう不安は、一時的に吹き飛んでいた。この世界を守れるならば、きっと少しくらいの苦労なんて喜んでするだろう。僕は自分を満たしている使命感や充実感を、太陽の光を存分に味わいながらおぼろげに感じていた。
「扉が開いたようだな」
「あぁ、またやってくるのか。あのバケモノみたいな性能の人間が」
「でも、今回は子供みたいですわよ?」
「最強の駆動兵器と呼ばれるハファイストも、今回は無能が持っとるしなぁ」
「じゃ、ちょっと偵察してこよっかなー」
「そうですか、お気をつけなさいね…アパテー」