【競作】人の闇は夜より暗く 第二夜
競作イベント『承』
お題は「鈴」です。今回は前回の競作から続く連作となっておりますので、前回をお読みでない方はそちらを先に読まれることを強くお勧めいたします。
閉鎖された空間の中、そこに二人の男女がいた。
狂気に顔を歪める男と、贄に選ばれた女。
固く閉ざされた扉に、むせ返るほどの血と臓物の臭い。
まるで、夢か映画のような出来事――
それは突然、何の前触れもなく私のもとへやってきた。
逃げ場の無い部屋、狂った人間、人を蹂躙する拷問器具。
そんな絶望の果て、光りすら差さぬ暗黒の世界で、私が見たものは――
私は目の前の状況に困惑していた。
あんなに優しかったはずの牧野さんは豹変し、部屋中に散らばるのは本物の拷問器具の数々。
まるで映画の中のような出来事が現実に。しかも、その舞台を盛り上げる犠牲者の役は北条渚。私、ということらしい。
正直、理解なんてできない。だが、これが現実である以上はそれを受け止め、何らかの対処を取らねばならない。
漫画のようにヒロインを救いに来てくれるヒーローはそう都合よく現れたりしないし、何よりそういった人を作らないように生きてきたのは私自身。
しかも、ある意味この状況を作り出したのは自分のせいでもある。
だが、あの時素直に京谷の言葉を聞いておいたら……なんて、そんな後悔をさせてくれる余裕はどうやら無いみたいだ。
「な、渚ちゃんには何がいいかな?」
牧野は、少し興奮した様子で私に問いかけてくる。
それには答えず、私は一歩ずつ後退しながら彼から距離をとったが、それも数分しない内に壁に阻まれ無駄に終わってしまった。
「渚ちゃんは、苦悩の梨って知ってるかい?」
言いながら、一歩、また一歩と距離を詰めてくる牧野は、視線を私から外さずに傍にあった木製の台から一つ、鉄でできた何かを拾い上げた。
まるで洋梨のようなそれは、全身に塗り付けられたかのようにこびりついた血の跡を残している。ここに置いてある以上は拷問器具の何かなのだろうが、それが何の目的で使われるかなど知らないし、知りたくもないが。
「……さあ? なんでしょうね」
距離を縮めてくる牧野に謂れもない恐怖を感じ、平静を装いつつ答えたつもりだが、多少声が上ずってしまった。
その変化を見逃さなかったのか、牧野は静かにゆっくりと、気味の悪い笑みをその顔に浮かべる。
「怖いのかい? いいんだよ、それが普通さ。さあ、我慢しないで私にもっといろんな君を見せておくれ」
「……誰が」
あなたなんかに、と私は牧野を睨みつけながら、血肉の臭いが充満しこみ上げてくる嘔吐感に邪魔されながらもここから逃げる策を思案する。
もう残されている時間はあまりないだろう。確証はないが、そんな気がする。
入口は無理。たとえここで牧野をやり過ごせても、鋼鉄製のドアを一瞬で開けられるほどの力は私には無い。手こずっている間に捕まってしまう。そうすれば、今度は体を拘束されかねない。そうなれば本当に詰み、だ。
しかし窓も無く、他に逃げ道など――
『え?』
そんなとき不意に聞こえた音に、牧野と私は同時に声を発していた。
音は二つ。鋼鉄のドアをコンコンと誰かが叩く音と、そこから僅かにだけ聞こえた鈴の音色。
ドアを叩いたのは、警官の須藤だろうか。牧野も私と同じことを思ったらしく、彼は首を音の方へ向けて口を開けた。
「須藤さんですか? 何か問題でも――」
だが、牧野が言い切る前にドアをノックした主は応える。
「違うのですよ。私はミナミなのです。開けてほしいのです~」
ドアの向こうから聞こえた声は、ずいぶんと幼さを感じさせた……というより、声からして本当の子供だろう。
そうして、またトントンとドアを叩かれる。
あまりにも場違いな事に、さすがの牧野も呆気にとられて目を丸くするが、このまま騒がれてはまずいとでも思ったのか、しぶしぶ私から離れドアの方へと足を運んだ。
そうして一瞬の逡巡の後、ドアは開け放たれる。
「はふぅ、ありがとです。感謝なのですよ~」
とん、と飛ぶように牧野の脇を通り抜け、部屋に入ってきた少女に牧野と私は再び驚愕する。
それは、懐中電灯の光を反射し、白と赤のコントラストが眩しいくらいに輝く巫女服を着込んだ女の子だった。
しかし、身に纏った巫女服とは対照に、髪は外国人を思わせる薄い金色で、瞳は宝石のように煌めく赤。
風貌からして、小学校の高学年かよくて中学一年といったところだろうか。鈴の付いた黒いリボンで髪を左右でまとめている髪型のため、余計に幼く見える。
先ほどの鈴の音も、おそらくあのリボンの鈴が鳴ったのだろう。
だが、この場に不釣り合いな格好だ。いや、それよりも――
なぜこの場に居て、この拷問器具の数々を目にして平静を保っていられるのだろうか。
幼すぎて理解できないということはないだろう。少なくともいまだ立ち込める血肉の臭いに何の反応も見せないのはおかしい。
それを知ってか知らずか、牧野は少女の肩を掴み、
「やあ、お嬢さんはどうしてここにいるのかな? 警察の人が下にいたはずだけど……」
少女は、まるでガラス玉のようにまん丸な双眸を牧野に向け――まるでそう、形容するなら天使のような温かさを持った満面の笑みを浮かべながら、
「ああ、あの人なら邪魔だから死んでもらったですよ」
「……え?」
何を言っているんだと言わんばかりに牧野が呆けると、少女はクスリと笑い、赤い瞳を輝かせた。
「だから、死んでもらったですよ」
言いながら、少女は自分の唇に人差し指を軽く押し付けながらもう一度笑みを浮かべる。その姿が妙に艶めかしく、その時だけは、あどけない少女とは別の何かが入れ替わったかのような錯覚すら覚えてしまった。
そして少女は、何かを思い出したかのように両手を合わせて手を打ち、
「そうですそうです! あなたも邪魔なので死んでくださいです!」
まるで無邪気に遊ぶ子供のような笑顔を作ると、少女が牧野へ抱きついた。
その後は、もう一瞬の出来事。
私が何が起こったのか理解するより先に少女はすぐに牧野から離れ、ステップを踏みながら数歩後退する――と、まるで噴水のように牧野の首から血が噴き出ていた。
少女の手には、いつの間にか小さなナイフが握られている。それが牧野の命を絶つ原因となったものだろう。彼の血液がその刃を赤く染め、切っ先から滴る血が床に吸い込まれていく。
だが、これで牧野はいなくなった。幸いドアもまだ開けられたまま。
私は驚きと恐怖で竦んだ体を無理矢理奮い立たせ、その場を一気に駆け抜けた。
「あっ!? どこいくですか! あなたには用が――」
さすがに予想外な行動だったのか、あの異常な少女も反応に遅れ、咄嗟に手を伸ばしたが私を捕えることはできなかった。
そこから先、私は後ろを振り返らず、ただただ走った。
どんな道を辿ったかなんて覚えていない。それでも、背後に感じる気配が徐々に強くなるのを感じ、私は足を動かし続けた。
そうして、どれくらいたっただろうか?
こんなに屋敷は広かっただろうかと疑ってしまうくらい長い距離を走ったはずなのに、玄関に辿り着けない。
それでも、少女が付けたリボンの鈴の音は確かに距離を縮めてきている。もう時間の問題だろう。しかし、これ以上走れる体力はない。
仕方なく、その辺に放ってあるソファーや本棚が積み重なった山の中に身を隠す。今にも崩れそうだが、ちょうど私一人くらいなら入れるくらいのスペース。これならやり過ごせるかもしれない。
だが、そんな希望はものの数分もしない内に砕かれる。
「あ、こんなところに居たですか。もう、足速いですよ~」
何事もなかったかのように私の居場所に足を向け、山の隙間から無邪気な笑顔のままこちらを見つめてくる少女。
彼女は向かってくることはせず、しゃがんで満面の笑みのままこちらに手を差し出してきた。
「さあ、一緒に来るですよ。大丈夫、怖くない、怖くないですよ~」
少女は、えへへ、と本当に子供にしか見えない笑い声を立てる。
この、小さくて真っ白な手を握ってしまったら、私はどうなってしまうのだろう。これで助かるのか、或いはさらなる地獄が訪れるのか。
どちらにせよ、また逃げ場を失ってしまった今の私に、選択肢など無い。
いかがだったでしょうか?
幼女です、巫女様です、ツインテールです。うん、可愛いね。それだけだけど。
またこのお話は次回へと続きます。機会があれば、その時もどうかよろしくお願いいたします。