メイド様のアブナい魔力?その5
部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
ぶつかり合った視線が青白い火花を上げてクラッシュし、部屋の気温は急速に下がる。
凍りつくような緊迫感に、二人の部下は固唾を飲んだ。
「ふんっ、なら消してみろよ?」
ダダリアの挑発にノアはくっと喉を鳴らす。
対するダダリアはノアをじらすようにゆったりとソファに身を預け、脚を組み替えた。
その余裕の態度に、ノアは自分の心の中を見透かされたような不快な気分を味わった。
だがここで激昂する訳にいかない。
それこそ愚か者の行為だ。
どんな美しい姿をしていても、目の前の女の本性は狡猾な悪魔だ。
互いの出方を窺がうような心理戦を制するには、上辺の言葉や相手の挑発に気を取られている訳にはいかない。
「ワタシが陰謀を企てるなら……よ?本当に消すなら、今まで何度も機会があったじゃない」
暗に先ほどの国王の執務室でのやり取りを言いたいのだろう。
ノアの肩眉がピクリと動いた。
いくら不意をつかれたとしても、一軍人としてこのようなふざけた格好のメイドに押し倒されたとあっては格好がつかない。
大の軍人がメイドに押し倒されたのだ。
陛下への不敬もさることながら、プライドをいたく傷つけられたノアがダダリアを必要以上に毛嫌いするのはこれが原因なのだが、ノアは断固として認めなかった。
その消したい過去を蒸し返すダダリアに怒りを通り越して殺意を感じるが、ここでその堪忍袋の緒を切ればダダリアの思うつぼ。
我慢に我慢を重ね、ノアは血管がはちきれそうなほど力んだ。
地獄で悪魔が見ても恐れおののくほどに強張った表情に二人の部下は身を縮み上がらせる。
溢れる感情を押し殺すとノアは低く問うた。
「そうやって、話を別の方に持っていこうとしているのか?」
「どうあってもワタシを悪役にしたいみたいね」
「悪役だろ?陛下を足蹴にしたやつなんて前代未聞だ」
「ふふっ、違いないわね。ただその一点に関しては」
ダダリアは否定することなく、ノアの言葉をすんなり受け入れる。
このやり取りを心の底から楽しんでいるよう。
自分ばかりが冷静さを失うばかりで、どうやってもダダリアの化けの皮を剥がすことは叶わない。
ノアはダダリアに気付かれないほど小さく息を吐くと、核心に触れた。
「陛下に何をした?体型だけじゃない。何故陛下はお前の愚行を甘んじてその身に受けていらっしゃるのだ?催眠術か?」
鋭く光った瞳はダダリアの全てを見逃すまいとする。
凍てつくような視線を見つめ返し、ダダリアは身を起こすとノアを真っ直ぐに見やった。
何を考えているのか読めない表情には先ほどまでの笑みはない。
ただ追い込まれて色もない、という訳ではなく、全ての興味を失ってしまったかのような冷めているのだ。
「催眠術?」
「そうだ。人を思い通りに動かすことができるのだろう?」
催眠術というものがどこまで人の心に有効なのか。
ノアにはまるで判断がつかなかった。
むしろ、目を見ただけで思いのままに人を動かすことができるなど信じられない。
しかし目の前の妖しい美女はそれに近いことをして見せたのだ。
何かトリックがあるのかもしれないが、大きく出るにこしたことはない。
ゆっくりと言葉を選ぶとダダリアの出方を待つ。
しかしノアの想像に反してダダリアは僅かに眉を寄せただけだった。
必死にごまかそうとしてるというよりも、言葉の意味を理解できずにいるように見える。
「なんのこと?」
「ごまかすな。人の目を見て、そいつに術をかけるんだろ?」
想像半分、勝負に出たノアに、ダダリアはやっと合点がいったと手を打った。
「ああ、さっき貴方を押し倒した時のことを言ってるの?違う違う。催眠術なんて怪しいこと、ワタシはしないわよ。そんなことしなくても皆、ワタシの言うことを聞いてくれるし!」
押し倒すというフレーズに目が飛び出さんばかりのアンディーに向かってダダリアはねっ、そうでしょ?っとばかりにウインクをした。
それは爛漫と咲き誇る華が乱れ散るよう様になって見える。
確かに催眠術などいらないと豪語するだけはある。
その絶対的な美しさの前にアンディーは弾かれたようにぶんぶんと頭を振る。
自分の思い通りに事が進んで満足だとばかりに頷くと、ダダリアはノアの方を意味ありげに一瞥した。
そして指でくいくいとアンディーを招く。
(何がしたいんだ?)
ふらふらと引かれるようにダダリアに歩み寄るアンディーにノアは表情を険しくした。
アンディーに何か仕掛けるつもりなのだろうか。
「ワタシは催眠術なんて使わないわ。でもその代わり、少し変わった特技があるの」
ダダリアは歌うようにそう言うと近付いてきたアンディーの腕を自分の方に引き寄せた。
ノアは弾かれたように身を乗り出して、離せと叫んだがすでに遅い。
アンディーは女王蜘蛛の糸に手足を取られた哀れな羽虫のよう。
魅せられたようにされるがまま、高い身長を折ってダダリアの方に身を屈ませる。
そのアンディーの頬に手をやると、ダダリアは先ほどノアにしたようにぐいっと顔を近づけた。
「おいっ!」
「貴方、本当は若い女の子は好きじゃないんでしょ?」
ノアが咎めるのとダダリアがそう呟いたのは同時だった。
「はいっ?」
ノアは思わずずっこけそうになった。
先までの緊張感が嘘のよう。
場違いな言葉に耳を疑う。
「な、何を言ってるんだ?」
だが、ノアの言葉に誰も答えない。
その代わりとばかりにアンディーは急速に顔色を変えていく。
冷や汗を浮かべ、うろたえだすアンディーとは対照的に、ダダリアは心底楽しそうに微笑んだ。
「あ…ああ……」
「ふふっ、みんなと一緒に若い娘のいる店に行っても心から楽しめないのね。可哀想に。十は年上じゃなきゃダメなんだ?ふ~ん、王妃の女官長をしている女性が好きなのね」
ずっと心の秘めていた秘密を暴露され、アンディーは恥ずかしさよりも恐怖に震えていた。
ずっと隠してきた自分の性癖がこんなところでばれてしまうとは。
ひっと喉を引きつらせたアンディーにダダリアは優しく微笑んだ。
「あら、いいのよ。人の数だけ性癖があるんだもの。認めてしまいなさい。自分に嘘はつけないのよ?」
その甘美な囁きにアンディーの恐怖は霧散してしまったかのようだ。
憑き物が落ちたかのようにさっぱりした表情に変わる。
ぼんやりとダダリアを見つめ、答えを探しているように見える。
アンディーの態度にダダリアは満足げに目を細める。
ダダリアの真っ赤な唇が最後の呪文を唱えた。
「さあ、欲望のままにイキなさい」