そのメイド、キケンにつき その2
「ゆ、優秀って……」
若干嬉しそうな顔で駆けていった陛下が消えた扉を呆然と見つめたまま、ノアは絞り出すように呟いた。
ダダリアに対しての問い、というよりも自分への確認作業だったのかもしれない。
少しでも客観的に事態を把握しようと努めるも、ショックのあまり頭が思うように動かない。
後を追うことも出来ず、立ち往生しているノアに、妖しい美女ダダリアは不敵に微笑んでノアの自問自答に答えを与えた。
「つまりご奉仕の才能がおありということよ。もしくは、蔑まれることに快感を覚えていらっしゃる、とも言えるわね」
「か、快感……」
ダダリアの言葉がノアを更に追い込む。
ずんっと重たい衝撃が彼の上にのしかかった。
「新境地を開かれたのよ。うふっ、これで陛下の人間としての幅も広がるわね!」
そんな新境地、国王が開く必要はないだろう。
むしろ人間としての格が大幅に下がったのではないだろうか。
まざまざと見せ付けられる現実にノアの顔面は蒼白していく。
「ま、まさか御身にこのようなことが……」
絶望とはまさにこのこと。
命を懸けて仕えてきた主君のあまりの変貌ぶりは、忠臣の彼にとって血を流すよりも辛いことであった。
「そういう態度が彼を追い込んだとも言えるわね」
ショックに打ちひしがれるノアを他所にダダリアはポツリと呟いた。
呆然とし、何故陛下の側を離れたのかと後悔の念に駆られていたノアだが、耳ざとくダダリアの言葉を聞きとがめると厳しい視線を向けた。
「ん、どういう意味だ?」
「あら?意外に冷静じゃない。もっとショックを受けて引きこもるのかと思っていたわ。貴方が一番の忠臣だって聞いてたから」
ダダリアは楽しそうに手を打って見せると、側にある国王陛下の大きな執務机の上に軽々と乗り上げた。
そしてその長い脚をゆったりと組んで見せる。
黒檀でしつらえた一級品の豪奢な執務机がたちまち女王様の椅子に変わった。
さも自分の物のようにくつろぐと、ダダリアはノアに向かって長い脚をピンっと伸ばした。
「ねぇ、聞きたいことが色々とあるんじゃないの?折角人払いしてあげたのよ?」
国王陛下の執務室なのに、払われてしまった陛下に同情は禁じえないが、今のノアにはそんな細かいことを気にする余裕はなかった。
すうっと大きく息を吸うと、全身に力を入れ、事態を面白そうに見つめるダダリアを睨む。
「お前の目的はなんだ?何故、陛下はあのように変わられた?」
威圧するように低く言い放つと、ノアはダダリアの動向を見守った。
ダダリアの行動は、不敬罪の確固たるものだ。
この場で即刻とり押さえても差し付けない。
しかし、今ここでこの女を牢獄に送れば、ノアの知りたいこの状況の全貌が永遠に失われてしまうに思えた。
静かにノアはダダリアの出方を待つ。
助けてくれ、そう書かれた手紙の真実。
一様に視線を反らし、お元気ですと言う役人達。
何故か丸々と太った陛下。
何故か足蹴にされ喜ぶ陛下。
その答えはすべてダダリアが握っているようにノアには思えたのだ。
「あらあら。そんなに睨んじゃ嫌よ、近衛隊長さん!」
ダダリアはノアをからかうように大げさに肩を竦めて見せると、伸ばした足をノアの顎下に持っていった。
短いスカートから伸びる足が際どい位置まで上がる。
しかし、そんな挑発にもノアは応じず、ただじっとダダリアを睨みつけていた。
二人の視線がまるで火花を散らすように絡みあう。
沈黙が深まるにつれ、緊張は深まる。
しかし、二人は視線を反らさずにお互いを捉える。
しゃべった方が負け。
そんな空気を破ったのは、能天気な子豚陛下の声だった。
「ダダリア!お茶を持ってきたよ!」
目を輝かせ、子豚が駆けてくる。
ぜいぜいと息を切らせながら、ダダリアの前まで来ると子豚陛下は、ノアなど存在しないかのようにダダリアに向かって恭しくティーセットを差し出した。
褒めて、とばかりに円らな瞳をダダリアに向けるその姿はまるでご主人様のご褒美を待ちわびる飼い豚……いや飼い犬のようだ。
そんな陛下にダダリアはにこりと微笑んでみせた。
「まぁ茶菓子まで用意して。よく気が回ったわね」
銀のトレーの上に乗せられたティーセットの他にクッキーが上品に飾られている。
「やれば出来るじゃない」
ダダリアから思わぬ賛辞を受け、子豚陛下は嬉しそうに頭を掻いた。
その姿にノアは硬直せずにいられない。
(陛下、本当に変わられてしまったのですか……。それともこの女に変な薬でも飲まされたのか?)
ノアは心の中で絶叫を上げたが、そこは腐っても近衛隊長。
顔には先ほどまでと同じ緊張感が漂っている。
「で・も、少しばかり時間がかかりすぎじゃない?」
ダダリアの声のトーンが一気に下がった。
それに合わせて子豚陛下は脅えたように身を縮める。
「そ、それはお茶請けを探してて……」
「言い訳する子は嫌いよ?」
「ごめんよ、ダダリア。でも……」
そう言いつくろいながら、陛下はノアの方に視線を向ける。
こんな情けない姿を見られても尚、ノアには威厳ある陛下でいたかったのも知れない。
しかしダダリアはそんな陛下の思惑すら無視して無情に言い渡す。
「あら?謝り方は教えたはずでしょ?」
ダダリアは意味ありげ瞳を細めると、艶やか微笑んだ。
「で、でも……」
「いい機会じゃない。近衛隊長さんに今までの練習の成果を見てもらわなきゃ!」