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疑惑のメイド様

「どうしたもんだかな……」


ノアは王宮の渡廊下で途方にくれていた。


カンナリオ王国の国政を担うオートラン宮殿の左翼部分と中央部分を結ぶそこは、こじんまりとした中庭になっている。

綺麗に刈られた芝生は青く、意匠を凝らして配置された木々には色とりどりの花が咲き誇る。

その真ん中では大理石でできた女神が神々しい笑みを浮かべてポーズをとっていた。

まるで絵画のよう。

神話の一部分を再現しているのだろうか。

ノアはそういうことに詳しくはないし、意識することもなかった。

ふと目に留まった色の鮮やかさや何気ないようで意味のある配置に人は芸術性を感じるのだろう。

しだが今のノアにそんな余裕はない。

渡り廊下の柱にもたれかかり、見るともなしに庭に目をやった。


新緑の若葉が夕暮れの日の光を受け朱く照り返し、目映いばかりだ。

ちちちっと愛らしいさえずりが心地よい陽気ととに降り注ぐ。

僅かに涼気を含んだ風がノアの肌を撫で、芝生の上を駆けていく。

その風につられるように視線を向ける。

視線の先では庭師が彫刻の側のさつきの木を裁定していた。

真剣に木にはさみを入れる彼の顔にはうっすらと汗が滲んでいる。


(ああ、ここは穏やかだな)


遠くを見つめるように目を細めたノアの脳裏には国境の町があった。

北に位置するその町は高い山々に囲まれ、高度もあるためか、春の訪れがどこよりも遅い。

身を刺すような風は荒んだ人の心にも入り込み、内紛で荒れた町並みが人の負の感情ばかりを盛り上げる。

それでもノアが始めてかの地を訪れた時に比べれば幾分ましになった。


つい昨日までいた地に思いを馳せ、ノアは自分の不可解な感情に苦笑した。

あんなにもかじかむ手先に不満ばかりだったはずなのに。

何故だろう、今となってはあの街の空が急に恋しく感じる。

きっとそれは、あの重く垂れ込む雲がノアの知っている王宮の空と同じだったから。

3ヶ月前、王宮もあの町と同じく冷たい季節に閉ざされていた。

だがここはいつの間にか凍える世界に別れを告げ、新たな風を迎え入れたらしい。

いや、季節だけじゃない。

王宮も人も全て、ノアの知らない姿に様変わりしている。

ノアだけを灰色の空の下に残して……。

ノアは春の陽気さとは裏腹なほどに苦い吐息をこぼした。

吐息は爽やかな風にさらわれて、茜色の空へと消えていく。


ノアは先ほどまで内務大臣の部屋を訪れていた。

もちろん、ダダリアという怪しいメイドについて聞くために。

アポなしで自分の部屋に招き入れてくれた大臣は、内紛鎮圧でのノアの働きに労いの言葉をかけ、至極和やかにノアの質問に答えてくれた。

ただ、『ダダリア』という言葉が出てくるまでは……。

彼女の名前が出た瞬間に大臣は顔色を変え、用事を思い出したと言ってそそくさとノアを追い出したのだ。

それから他の者を訪ねても反応は同じ。

皆ダダリアについては口を閉ざし語ろうとしない。


(まったく、どんな弱みを握られたんだか……)


国家の行く末を担う閣僚や官僚が情けない。

とは思うものの、陛下の執務室で見たあのやり取りを思い出すと、ダダリアの特技というのはなかなかどうしてあなどれない。


(特技というよりは、魔法だな。あれは。しかもとびっきりたちが悪い。かけた本人と一緒で……)


ダダリアに足蹴にされ、嬉しそうに相好を崩す陛下を思い出し、ノアは頭を抱えずにいられなかった。

どこまで本当かは知らないが、人の欲望を見取り引き出すという力は、想像以上にやっかいだ。

言葉だけを聞いていると馬鹿らしい酒場でのジョークのように聞こえるが、実際目の当たりにした身としては笑い飛ばすこともできない。

小さな変化がその全てを変えてしまう危険を孕んでいるのだ。

温厚で威厳ある陛下が、虐げられることに快感を覚えるマゾヒストになってしまったように。

ことは本人一人の嗜好の問題ではなく、国家の威信に関ってくる。


まあ、収穫がなかった訳ではない。

ダダリアの正体については依然不明であるが、現在の状況については粗方理解できてきた。

ただ、ノアの予想に反して誰一人国王の変化に『陰謀』という言葉は使わなかった。

陛下はまるまる太った以外はいたって健康で、病気なのかなんなのか未だ検討もついていないらしい。

ただ、急に国の象徴たる国王陛下が太れば国民に動揺が走るだろうという理由で、厳粛な緘口令を敷き、陛下の情報が漏れないように、軽い軟禁状態にしている。

陛下の窮状を知っているのは一部の閣僚と近衛隊員数名だという。

他の者は不審に思っても情報一つ与えられておらず、ただ陛下は元気であるとのみ聞かされているようだ。


(まったく姿が見えないのに元気って聞かされてもな……)


ノアはははっと乾いた笑みを浮かべた。

帰還時の異様な返答の理由だけは解決した。

だが、この件は本当にただの激太りだけなのか――。

病原菌を使った生物テロだとは考えられないのだろうか?

でも何のために、しかも陛下だけに対して。


考えれば考えるほどややこしくなっていく。

ノアは頭を抱えた。

情報が増えても、かみ合わないピースが頭の中がいっぱいになるだけ。

全て並べたらどのような絵になるのか。


「くそっ……」


ノアは腹立ち紛れに柱を拳で叩いた。

柱はびくともせず、ノアの感情を受けとめた。

ずんっとした痛みが拳から腕全体に広がる。

ふとノアが視線を上げると、その先にいた庭師と目があった。

彼は汗を拭い、ノアに対して屈託ない笑みを浮かべ会釈した。

つられてノアも頭を下げようとした。


「……」


美しい絵画のような景色だった。

傾きゆく日の光が庭に違う色を添える。

その中心にいる庭師も物語の登場人物のように風景に溶け込んでいた。

一部の隙もなくあるがままの風景。


しかしどこかが異様だった。

それが何なのか。

それに気付く前にノアは駆け出していた。


穏やかな空気が細かく震える。

その中心にある女神が麗しい笑顔のまま、その身をもたげた――。


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