湿地は満ちる
沈むほど、土地は豊かになる。
それは、我が故郷に古くから伝わる、暗く静かな因習であった。
場所は、決して明かせない。今もなお、その掟は生きており、湿地は飢えを待っているからだ。
ただ、ひとつだけ告げよう。あの土地は、果てしなく広がる湿地帯に囲まれている。我々は決してその湿地に足を踏み入れない。
底なしの沼が、至る所に口を開けているからだ。表面は静かに苔むし、柔らかな草が覆っているように見える。
しかし、一度足を滑らせれば、すべては終わる。泥はゆっくりと、まるで生き物のように体を飲み込み、叫び声をさえも吸い取っていく。
そして、その沼に沈んだすべての命は、山の養分となる。
我々の田畑は、山の裾野に寄り添うように広がっている。山は肥沃で、作物の実りは他に類を見ない。
黄金色の稲穂が重く垂れ、土は常に湿り気を帯び、甘い香りを放つ。それは、湿地が捧げた犠牲の恵みである。
我々は知っている。山が満たされるたび、豊作が約束されることを――
自然に湿地へ迷い込む獣は少ない。我々は、時折、松明を掲げ、棒を振り、獣たちを追い立てる。鹿も、猪も、時には迷い込んだ旅人も──
その区別など、湿地の底では意味をなさない。悲鳴が上がり、泥が泡立ち、ゆっくりと沈んでいくのを、我々は遠くから見守る。
誰かが「人だ」と呟くこともある。だが、それもすぐに静寂に溶ける。我々の知ったことではない。山が満たされ、田畑が実る。それだけで十分だ。
夜、湿地の方角から聞こえてくる、泥の中でくぐもったような低い音──それは、沼がゆっくりと咀嚼している音だと、老人たちは教えてくれた。
山はいつも空腹で、決して満足しない。我々が与え続ける限り、この豊かな土地は我々を守り続ける。
ただし、代償として、我々は今も、毎年、決まった時期になると松明を灯す。湿地の縁に立ち、影のように佇み、静かに祈りを捧げる。
山よ、受け取れ。我々の捧げるものを。そして、誰かが一人、姿を消す夜が来るたび、我々は互いに目を合わせず、ただ黙って家路につく。
湿地は、決して忘れない。我々の糧となり犠牲になりし輩を忘れはしない――
果てしなく広がる湿地帯に囲まれた、名もなき故郷。
そこでは古くから、沼に沈んだ命が山を肥やし、
山が満ちれば田畑が実ると信じられてきた。
底なしの泥は、獣も旅人も分け隔てなく飲み込み、
その犠牲は静かに土へと還る。
人々はその循環を“掟”として受け入れ、
毎年、松明を掲げて湿地の縁に立ち、祈りを捧げる。
誰かが姿を消す夜、
村はただ黙って家路につく。
湿地は忘れない。
この土地を満たしてきた命の重さを。




