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料理下手聖女様の化けの皮が剥がれたのですが、私のせいではありません

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/04/08

私はリーネ。

聖女フローラ様の専属侍女で、神殿の厨房担当として働いています。


……と言えば聞こえはいいけれど、要するに毎日朝から晩まで鍋を振っている、ただの料理係だ。



そんなただの料理係の私にも、いわゆる前世の記憶がある。



日本で、母と二人で暮らしていた。

父はいなく、物心ついたときからずっと母と二人きりで、狭いアパートの台所が私たちの世界だった。



「リーネ、よく見ててね。火加減が全部だから」


……いや、前世の名前はリーネじゃないんだけど、記憶の中の母はなぜかこの名前で呼んでくる。


転生あるあるなのかもしれない。



母は料理がうまかった。

お金はなかったけど、冷蔵庫の残り物で驚くほど美味しいものを作る人だった。


肉じゃがの煮崩れしないコツ。出汁の取り方、野菜の切り方ひとつで味が変わること。


全部、母が教えてくれた。



「料理はね、食べる人のことを考えて作るの。それだけでとってもおいしくなるのよ」



その言葉だけは、ずっと忘れなかった。

というより、忘れられなかった。



そこからの前世の記憶は曖昧で、何かの方法でこちらの世界に転生して、田舎の小さな家の末娘として生まれた。


特に才能もなく、魔法の適性もなく、剣も持てない。


でも料理だけは何も教わらずにできた。


前世の母が教えてくれたことが、そのままこの世界でも通用した。


私はこの世界でも料理をたくさん作っていた。


最初は近所の子供たちや、ご近所さんに料理をふるまうぐらいだった。


でも気が付くと、私の料理の評判はこの狭い田舎から、聖女様の耳に入ったらしい。


十五歳のとき、聖女フローラ様の専属侍女に選ばれた。

理由は単純で、「私の料理を食べたフローラ様が、私を気に入ったから」だそうだ。



最初は嬉しかった。

自分の料理を認めてもらえたと思った。



でも、すぐにわかった。



フローラ様は癒しの力を持っている。本物の聖女だ。


祝福の儀式、負傷者への癒しの魔法、神殿の祈りの儀式。

どれも完璧にこなす。


民からの信頼は厚いし、王家からも重用されている。



ただ一つ。

料理が、壊滅的にできないのだ。



「リーネ、今日の分もお願いね」


「はい、フローラ様」



神殿には「聖女が民に料理を振る舞う」という古い伝統がある。

月に一度の施しの日に、聖女が自ら作った食事を民に配るのだ。



癒しの力だけでなく、料理もできる完璧な聖女、というのが国民が聖女に求めるイメージらしい。



フローラ様はそのイメージを裏切れなかった。


だから、私が裏でフローラ様の料理を作り、フローラ様はそれを自分の物として民に振舞う。


どんなやり方だったとしても、自分の料理で人が喜んでもらえるなら私は良かった。


もちろん、仕事としての優遇も最高だしね。

あの田舎の小さい家で暮らすより、ここの方がいい。




施しの日の朝、私は夜明け前から厨房に立つ。


数百人分のスープ、パン、煮込み。


前世の母に教わった「たくさん作っても味が落ちないコツ」が、ここで役に立った。


フローラ様は完成した料理を受け取って、広場に出ていく。



「皆さん、今日も心を込めて作りました、たくさん食べてくださいね」


民が歓声を上げる。



それを私は厨房の窓から、その光景を見ている。


……別にいいのだ。


料理は、食べた人が美味しいと言ってくれればそれでいい。

誰が作ったかなんて、食べる側にはどうでもいいことだ。



思い出すと母もそうだったきがする。


近所の人に「お母さん、これ美味しいね」と言われると、嬉しそうに笑っていた。


褒められたいのではなくて、ただ「美味しい」と言ってもらえることが嬉しかったのだったのだろう。



私もそれでいい。

……そう思っていた。



「リーネさん」


声をかけられて振り返ると、騎士団のヴィクトルが立っていた。


黒髪で、背が高くて、いつも無表情。

護衛任務で神殿に常駐している騎士だ。



「何か」


「……今日のスープ、美味しかった」


「ありがとうございます。フローラ様にお伝えしておきます」


「フローラ様に、ではなく」



ヴィクトルが少し間を置いた。



「あなたに、言いたいのだ」



心臓が一瞬止まった。

私は表情を変えずに「……ありがとうございます」と答えた。



ヴィクトルはそれ以上何も言わずに去っていった。


……この人は気づいてるのだろうか。



いや、気づいているに決まっている。


毎朝、厨房の前を通るたびに中を覗いていくのだ。



フローラ様は朝が弱くて、施しの日の朝ですら八時まで起きてこない。

厨房で夜明けから百人分の料理を作っているのが誰なのか、正直見ればわかる。



でも、ヴィクトルは誰にも言うわけでもなく、ただ「美味しかった」とだけ言いに来る。



私はフローラ様の秘密をばらすわけにもいかないし……。

反応に困ってしまう。



そんな日々が三年続いた。

転機が来たのは秋の終わりだった。



「国王陛下主催の大宴会にて、聖女フローラ様に料理を披露していただきたい」


神殿長が告げた言葉に、フローラ様の顔が一瞬だけ強張った。



大宴会は王宮の大広間で開催され、貴族などお偉い方々が三百人も参加するものだ。


しかも「聖女自らが調理する姿を見せる」という趣向らしい。



「…もちろん、お受けいたします」


フローラ様は完璧な笑顔で神殿長にそう答えた。



控室に戻った瞬間、フローラ様は私を見た。


「リーネ。大丈夫よね」


「何がでしょうか」


「いつも通り、お願い。当日は私が厨房に立つふりをするから…料理は隣で全部やって」



いつも通り。

三年間、ずっと聞いてきた言葉だ。



「……はい、どうにか。」



断れない。断る理由もない。

私はただの侍女で、フローラ様は聖女だ。


聖女が料理をできなかったら、国民の信頼が揺らぐ。


それは避けなければならない。




……本当に、そうだろうか。


ふと、そんな疑問が浮かんだ。


この三年間で初めて浮かぶ疑問だった。



大宴会の三日前。


私はタイミング悪く、高熱で倒れた。



医者が言うには季節の変わり目に無理をしたせいだということらしい。


三年間、休みなく厨房に立ち続けた体が限界を迎えた。


前世でも似たようなことがあった。

母が風邪をひいたとき、私が代わりに台所に立った。


あのときは私が母の代わりができた。



でも今回は、私の代わりは誰もいない。



「リーネ、大丈夫。あなたは休んでいて。レシピだけ教えて。私がやってみるから」


フローラ様はそう言いながら私の手を握って、焦った顔をしていた。



もちろん、レシピは全部伝えた。


火加減、塩の量、煮込む時間、盛りつけの順番…


母が教えてくれたように、一つずつ丁寧に説明した。



「……大丈夫ですか、フローラ様」


「大丈夫よ。三年間、あなたの隣で見てきたもの」



見ていた、のだろうか。


フローラ様が厨房で料理を見ていた記憶は、正直あまりない。

いつも完成品を受け取って、広場に出ていくだけだった。



でも、できると言うなら。


「……お願いします」


私はそう言って、目を閉じた。



大宴会当日。


私は寝台の上から動けなかった。

熱はまだ下がっていない。



夕方、マルタが慌てた顔で部屋に飛び込んできた。


マルタは厨房で私の助手をしている侍女だ。



「リーネさん……大変です」



「……何があったの」



「フローラ様が、厨房で……」



マルタの話を聞いて、私は天井を見上げた。



フローラ様は最初の工程でつまずいたそうだ。


野菜の切り方がわからない。火加減の調整ができない。

塩の量を間違えてしまう。


レシピを見ながら一つずつやろうとしたが、三百人分の料理はレシピを読みながら作れるものではない。


体が覚えていなければできないのだ。



結局、出された料理は味が薄く、煮崩れ、盛りつけもばらばらだったらしい。



大広間は静まり返った。



「聖女様のお料理は、いつもと全然違う……」


「別人が作ったみたいだ」



……別人が作ったのではなく、今回が本人なのだ。



神殿長が厨房に駆けつけたとき、フローラ様は泣いていたそうだ。


「できると思ったのに……リーネがいないと……」


その一言が、全てを決めた。



「リーネ…とは?」


神殿長が聞き返した。



フローラ様は黙った。


でも、もう遅かった。

厨房の侍女たちがしびれを切らし、三年間の真実を語り始めた。



「施しの日の料理は、全てリーネさんが作っていました」


「フローラ様は一度も厨房に立ったことはありません」


「リーネさんは毎回、夜明け前から百人分の料理を一人で……」



広間に戻った神殿長が事態を報告すると、国王陛下はしばらく沈黙した。



「聖女フローラ」


「は、はい……」


「三年間、侍女の功績を自分のものと偽っていたのか」


「……はい」



広間がざわめく。


フローラ様は顔を上げられなかった。



「癒しの力は本物だ。もちろんそれは認めよう。だが、偽りを重ねて国民を欺いた罪は重い」


国王陛下の声は静かだった。


「聖女の称号を剥奪する。そして神殿での謹慎を命じる」



フローラ様は崩れるように膝をついた。



私はベッドの上で、マルタの報告を聞いていた。


泣きはしなかった。

でも、なんだか胸が痛かった。



フローラ様は悪い人ではない。

ただ、周囲の「完璧な聖女」への期待に応えたかっただけだ。


料理ができないと言えなかった。

言ったら、失望されると思ったのだろう。



……気持ちは、わかる。


前世の母も、体調が悪くても「大丈夫」と言って台所に立っていた。


期待に応えようとして、嘘をつく。

その嘘がどんどん大きくなっていく。



でも、だからといって…


三年間、私が作ったものを「自分が作った」と言い続けたことは……許せるかと聞かれたら、わからない。



翌日。


フローラ様が私の部屋に来た。

もう聖女の煌びやかな衣装は着ていなかった。



「リーネ……ごめんなさい」



私はベッドの上で半身を起こした。



「それは…何に対しての謝罪ですか」



「全部よ。三年間……あなたの料理を、自分のものにしていたこと」



「……知っていました」



「怒っていないの」



「わかりません。怒っているのか、悲しいのか…自分でもよくわからないんです」


正直に言った。


熱のせいか、嘘をつく気力がなかった。



「ただ……一つだけ聞いてもいいですか」



「何でも」



「私の料理、美味しかったですか」



フローラ様が目を見開いた。


それから、涙がこぼれた。



「……美味しかった。本当に。あなたの料理を食べるたびに、こんなに温かいものを作れる人がいるんだって……」



「それなら、よかったです」



そう言った瞬間、自分でも少し泣きそうになった。


母の言葉が頭の中で鳴っていた。



「料理はね、食べる人のことを考えて作るの。」



それだけでいい。

それだけで、よかったはずだ。



でも、やっぱり、名前くらいは呼んでほしかった。


「リーネが作りました」と、一度でもいいから言ってほしかった。


それは贅沢な望みだったのだろうか。



フローラ様が部屋を出ていった後、窓の外を見た。

秋の空が高くて、澄んでいた。



一週間後、完全に体調が戻った私は、神殿長に退職を申し出た。



「辞めるのか」


「はい。侍女としての役目は終わりましたから。」


「……お前の料理は、国民に愛されていたぞ。知っていたか」


「フローラ様の名前で、ですけどね」


「そうだな。……すまなかった」


神殿長が頭を下げた。


私は少し驚いた。



「いいえ。私は好きで作っていただけですから」



神殿を出る日の朝。


門の前にヴィクトルが立っていた。

いつもの無表情で、壁に背を預けて腕を組んでいた。



「見送りですか」


「違う」


「では何ですか」


「……お前の店が開いたら、行く」



私は少し黙った。



「……なぜ知っているんですか。まだ何も、誰にも言っていないのに」


「お前が辞めると聞いた時点でわかった。料理を作るのが好きな人間が、料理をやめるわけがない」



「……一つだけ聞いていいですか」


「何だ」


「ずっと知っていたんですよね。厨房で作っていたのが私だと」


「ああ」


「なぜ黙っていたんですか」


「お前が黙っていたからだ。お前が言わないことを、俺が言う権利はない」



静かな声だった。


怒りはない。責める気もない。ただ事実を述べている。



「……ありがとうございます」


「礼はいらない。スープを一杯もらえればいい」


「毎朝作りますよ」


「毎朝通う」



少し笑った。

この人が笑うのを見たのは、三年間で初めてかもしれない。


いや、笑ったのは私の方だった。ヴィクトルの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。



神殿の門を出た。


振り返ると、三年間毎日通った厨房の窓が見えた。


あの窓の向こうで、朝も昼も夜も料理を作り続けた。

誰の名前にもならない料理を、毎日毎日。



前世の母が言っていたことを少し思い出した。


「リーネ、料理は消えものだからね。食べたら終わり。

でもね……お腹が温かくなった記憶は、ずっと残るから」



そう。残っている。


母が作ってくれた肉じゃがの味も、味噌汁の湯気の匂いも。


全部、私の中に残っている。



だから私も、残るようなものを作りたい。

今度は、自分の名前で。



私は王都の外れに小さな店を借りた。

看板も出していない。まだ準備中だ。


でも厨房はもう使えるようにしていた。


窓が大きくて、光がよく入る。



母がいたら「いい台所ね」と言っただろう。



開店の朝。


扉を開けた。まだ客はいない。

当然だ。まだ看板も出していないのだから。



でもなぜか、扉の前に一人男が立っていた。


黒髪で、背が高くて、いつも通りの無表情。



「……早いですね」


「最初の客は俺だと言っただろう」


「看板も出していないのに、よく場所がわかりましたね」


「探した」


「……一言で言わないでください。この辺り、道が入り組んでるでしょう」


「……三時間は道に迷った」



三時間……

この人、三時間迷いながら探したのか。



「……とにかくそんなところにいないで、入ってください」


「ああ」



ヴィクトルがカウンターの席に座った。


私は厨房に立った。

自分の名前の入ったエプロンをつけて、鍋に火をかけた。



最初の一杯。

母に教わった、シンプルな野菜スープ。


具材を丁寧に切って、弱火でじっくり煮込む。



「火加減が全部だから」



母の声が聴こえた気がした。



スープが完成した。湯気が立っている。

カウンター越しにヴィクトルに差し出す。



「どうぞ」



ヴィクトルが一口飲んだ。


「……美味い」


「ありがとうございます」


「神殿で飲んだのと、同じ味だ」


「同じ人間が作っていましたから」


「そうだな」



ヴィクトルが、もう一口飲んだ。



「……今度は、お前の名前で出しているんだな」



その一言で、胸の奥が熱くなった。

泣きそうになった。でも泣かなかった。



「はい。私の名前で、私の料理です」



窓から朝の光が差し込んでいた。


小さな厨房に、スープの湯気が漂っている。



前世では、母と二人の狭い台所が世界だった。

この世界では、三年間、誰の名前にもならない厨房が世界だった。


でも今日から、ここが私の場所だ。



私はリーネ。元聖女の侍女で、今日からこの店の料理人。


ただの侍女だった私が、自分の名前で料理を出す……それだけの、小さな話。



でもこのスープは、母から受け継いだ、世界で一番温かい味がする。



【完】

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