第5話:小話 — 宿屋の夜
第5話:小話 — 宿屋の夜
王宮での試練を終えたその夜。
主人公は王都の下町にある宿屋に泊まっていた。
「王宮帰りだと? ずいぶん出世したもんだな」
酒場兼宿屋の一階では、木製の長机に数人の兵士と旅人が集まっている。
主人公は端の席でスープをすすりながら、今日の数字を反芻していた。
軍費、税率、備蓄率、補給線距離。
まだ最適化できる。
「聞いてるか?」
隣の席から声が飛ぶ。
振り向くと、昼間王宮の外で知り合った女騎士が腕を組んで立っていた。鎧は外しているが、長身で凛とした姿勢は変わらない。
「聞いています」
「嘘だな。目が計算している顔だ」
「そんな顔があるんですか?」
「ある」
即答だった。
主人公は首を傾げる。
計算はしているが、それの何が悪いのか分からない。
女騎士はため息をつき、向かいに座った。
「王宮の連中はお前を便利な道具として見るだろうな」
「合理的ですね」
「褒めていない」
そんなやり取りをしていると、宿屋の主人が二階の部屋を案内すると言う。
「一部屋しか空いてなくてな。悪いが相部屋だ」
「問題ありません」
「私は問題ある」
女騎士の即答。
だが宿屋は満室。選択肢はない。
部屋は思ったより狭かった。
木製のベッドが二つ。窓は小さく、月明かりが差し込んでいる。
「私はそっちだ」
女騎士は迷わず窓側のベッドに荷物を置く。
主人公は反対側に座り、今日の財政案を頭の中で再構築し始めた。
騎兵比率、歩兵配置、補給確率。
「おい」
「はい」
「普通、もう少し緊張しないのか?」
「何にですか?」
女騎士は一瞬黙り、そして視線を逸らした。
「……なんでもない」
主人公は本気で分からない。
そのときだった。
ドンッ。
隣室から激しい物音が響く。
続いて、床が軋み――
ガタン。
主人公の足元の床板が外れた。
「うわ」
次の瞬間、体勢を崩し、前方へ倒れ込む。
そして。
鎧を外して簡素な寝間着姿の女騎士の上に、盛大に覆いかぶさった。
沈黙。
月明かりの中、至近距離。
「……」
「……」
女騎士の顔が真っ赤になる。
「どけ」
「はい」
即座に転がって距離を取る。
主人公は冷静に床を確認した。
「老朽化ですね。体重分散率から考えると、板の耐久値は推定限界でした」
「まず謝れ」
「失礼しました」
感情が一切乗っていない。
女騎士は額を押さえた。
「お前は……本当にそういう気がないのか?」
「どういう気ですか?」
「……もういい」
布団を被る。
主人公は壊れた床板を見ながら呟いた。
「修繕費は銀貨三枚ほどでしょうか。宿屋の経営収支的に痛いですね」
「今それを考えるな!」
夜の宿屋に小さな怒声が響く。
だがその後は静かだった。
主人公は天井を見つめる。
王宮。財政。戦争。
この国は三年以内に大きな局面を迎える。
数字が告げている。
隣のベッドから、小さな寝息が聞こえた。
主人公は目を閉じる。
恋愛?
理解不能だ。
合理性がない。
だが――
なぜか、少しだけ安心する自分がいた。
理由は分からない。
きっと計算外だ。
そう結論づけて、彼は眠りに落ちた。




