伏字ばかりで申し訳ございません
アンリエッタ・ブライス。私のフルネームでございます。
まさかこの年で、「そうゆうことをしなきゃ子供が出来ない」ことを知ることになるとは思いませんでした。
ってあんた幾つよって?
もうじき三十路でございます。
まじでそんな年まで知らんとか天然記念物かよとブリギッタやマーサから言われました。
悪かったな!
だ、だって仕方ないじゃない。
お嬢様一筋で生きてきたのだ私は!
はっ。
いかん。人のせいにしてはアカァァぁぁぁぁぁぁぁン!
ましていわんやお嬢様のせいにしたらあかんやろお前!
と、いきなり何を言い出すのかと思われましたよね……。申し訳ございません。
順を追ってご説明申し上げます。
新婚初夜。フランシス様は、殿下のアレがこうなってたのを見て、
殿下がモンスターだと勘違いされ、逃げ出したのだそうです。
殿下にしてみれば、フランシス様の余りのお可愛らしさに一気にそうゆうことになっちまったそう。
ま、まあ後で誤解は解けたのですが、問題はその先。
色々とご勉強されたお二人ですが、
お二人なんですが、
上手くいかないと悩まれておられるのだとか……。
物事がなかなか進展しないそんなある日。
ご両家は、王宮にてご会談の運びとなりました。
会談の目的は例の件でございます。
フランシス様……。
私は、己の愚かさを呪いました。
私が余計なことをしなければ。
私が王宮に突撃した日から、いろいろと両陛下から問い詰められた殿下。
そりゃそうです。一体何ごとと思われたのも無理はありません。
実は両陛下はいままで、お二人のそっちの営みが上手くいっていないことをご存じなかったのです。
殿下はお嬢様を思いやられ、実情を奥様だけにお話しされていたのでした。
それなのに。
私のバカ。バカバカバカバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
お嬢様……。その胸中はいかばかりか。さぞご不安だろう。
私はいてもたってもいられなくなり、旦那様に私も部屋に入れてくださいと頼みました。
最初はダメだととりつくしまもなく旦那様、奥様から言われましたが、
「あの勇敢なメイドではないか。入れてやるといい」との殿下のお言葉に、私もご一緒させていただけることに!
なんと気の付くゴーレム(ヲイ)!
ご会談に使われたお部屋。侯爵家のそれとは違って、若干、いえ、かなり質素でございます。
質実剛健を家訓とする、ローゼンタール王国らしいしつらえです。余計なものは一切ございません。それでいて、何処か荘厳さを感じさせるお部屋です。
案内されたご両家はそれぞれ向かい合わせにお座りになり、両殿下はご主人様側に座られました。
私はいつもより丁寧にお茶をお入れしました……。私なりの決意の表し方です。
薄く切ったオレンジの入った壺を、さり気に置きます。オレンジティはお嬢様の好物です。
気付いたお嬢様、私に微笑まれました。どういたしまして。
と言いますか、またおやつれになられた?
元々細かったのに……うう。
私はお茶を配り終え、部屋の隅に控えました。
長い沈黙が続きます。
殿下は、両手を膝の上におき、微動だにせず。
フランシス様は、まるで被告席に立たされる方の様なお顔。
旦那様と奥様は、そんなフランシス様を、心配そうにご覧になられます。
陛下は顎をつまんで何やらお考え中。
王妃様は何とも複雑なお顔。
私、胃のあたりを思わずさすりました。
神様、どうかお嬢様をお守りください……なんて思っておりましたら、
「お前が悪い」
まず陛下が口火を切られました。
私は思わず飛び上がりそうになりました。真っ先にお嬢様が糾弾されるのか?! と思ったからです。
胸が心配でドキドキいたします。もし万が一、お嬢様がこの場にてつるし上げられたら。
侯爵家の力がいくらあるとはいえ、どうにもならないことくらい私には分かります。
もし、もしそうなったら。私は、ぎゅっ、とこぶしを握り、胸に当てました。
い、いざとなったら、私が、私が!
しかし陛下のお言葉は、お嬢様に向けられたものではありませんでした。
「悪いって、なにがですの?」
隣にいた王妃様の顔が一気に剣呑なご表情に。
そう、陛下が苦言を呈された相手は王妃様でした。
てゆうかさ。この人怖いんだよ。王国のソバットクイーンと言われてるんです。その理由は後程。
陛下はそんな王妃様に、フンッと鼻を鳴らされました。
「真面目過ぎたのだ。お前の育て方は」
すると王妃様の額に青筋が……! ひええ。
「じゃあ女癖の悪い子に育てたら良かったんですの?!」
「あのなあ。何でそう極端なんだお前は!」
「極端って、こうなったのは誰のせいだと思っていらっしゃるの?! そもそもあなたが」
そこで、うちの旦那様が恐る恐る仲介に入りました。
「ランスロット殿下ご自身は大変素晴らしい男性なのですから、どうかそこはお認めになって差し上げてください」
旦那様からそう言われて、王妃様はちょっと嬉しそうでしたが、むすっとした陛下の膝がカタカタ動きます。あ、貧乏ゆすり。
「あーなーた」
王妃様のこわーいお声が響きます。
王妃様に言われ、陛下の一応貧乏ゆすりは止まりました。が、
「で、結局何か原因なのだ」
陛下の目線が、こんどは向かいに座っている殿下とフランシス様に向きました。
つ、ついに来た。
殿下の隣に座っているフランシス様が少し震えておられます。
そんなフランシス様のご様子に気付かれた殿下は、キッとしたまなざしを父王に向けられました。
「それは、ここでは申し上げられません。父上。しかし我が妻の名誉にかけて、彼女のせいではありません」
ランスロット殿下のお言葉に、フランシス様の瞳から一滴の涙が。
ああ、お嬢様っっ!
し、しかし、陛下のお言葉がこれで終わるとは思えず……。
両殿下を、ことにフランシス様を責めるような事を仰るのではないか。
私は陛下の口元を思わずガン見しました。
しっかりするのだ、アンリエッタ!
私がギンッギンに目を凝らして見守る中、陛下は殿下とフランシス様を探るような目でご覧になられ……。
やがて少し安堵されたようなお顔になられました。あれ?
「仲は悪くないようだな」
陛下のお言葉に、私はハッといたしました。
お二人は手をつないでおられました。
私、気づきませんでした!
陛下……!
「まあその点はよいとしても……」陛下は腕組みをしてため息をつかれました。「しかし困ったのう。このままでは子が出来ぬ」
陛下のお言葉に、旦那様も奥様も、恐縮しきって頭を下げます。そんなお二人に陛下は面を上げるように仰いました。
「そちらが謝ることはない。大体、王妃が堅物に育ててしまったからだ。あれほどやめておけといったのに」
「……ではあなたの様な女癖の悪い男に育てればよろしかったの?」
「だから何でそう極端なのだお前は!」
ちなみに後から知ったのですが、若かりし頃の陛下は浮気癖がすごかったのだそうです。それは王妃様が飛び蹴りくらわすほどだったとか。ソバツトクイーンの異名はそこからなのだそうです。
そりゃ極端にもなるわな……。
「難しく考えすぎじゃないのか? ランスロット」
行儀悪く足を組んだ姿勢で、またため息交じりに殿下にお尋ねになる陛下。かたや殿下はまるでネコの香箱座りのように、きちんと足をそろえて座っておられます。
ご性格、出てますねぇ……。
「難しく……でございますか?」
真面目に聞き返した息子に、陛下は身振り手振りを交えて話し始めました。
「こういうことは、勢いが大事なのだランスロット」
「勢い、でこざいますか?」
「一気呵成にやってしまうのだ。お前、モタモタしているのではないか?」
「な、なぜそれを」
「分かる、わしも最初は上手くいかなかったもんだ。が!」
殿下もフランシス様も前のめりになっておられます。
いつの間にか旦那様も、そして奥様まで!
「何事も精進だ」
「精進……」
「さよう。色事も修行をかさね……」と言いかけた陛下が悶絶されました。
よく見ると王妃様のヒールが陛下の足の甲にめり込んでおりました。
「焦ることはありませんよランスロット」
にっこお、と笑って仰る王妃様。
ぎりぎりぎりぎりと音が、音が聞こえてまいります!
ていうかとんだけすごい力なのよ。男の陛下が靴をどかせられない!
「また若いのですからね。何とかなりますよ」
そう言って王妃様はやっと陛下の靴から足をどかせました。
ふー、ふー、と陛下、腫れた足に息を吹きかけておられます……お気の毒に……。
「いいですねランスロット。間違っても、父上の真似をするのではありませんよ!」
まさに鬼のごとき形相で王妃様はそう仰いました……しかも陛下を締め上げながら。
は、はい、と殿下もフランシス様も、ビビりまくって仰ったのでありました。
「……」
侯爵家の台所にて、まるで人形のような無表情で野菜の皮をむく私。
と申しますか、自分が何やってるか把握しておりません。
なんか、むいてます。
「ちょっと、アンリエッタ!」
とそこに、マーサの仰天した声が。へ? どうしました?
と思った次の瞬間。
私の方に向かって野菜たちが雪崩を打っておそいかかってまいりました!
のわあああああああああああああーっ!
アンリエッタ大丈夫?! と使用人仲間が私を野菜の山から救出。
すみません。ほんとスミマセンっっっ。
「いくら奥様の好物だからって、こんなに用意してどうすんだい」とドーラ様に拳固を食らいました。
ちなみにその日の夕飯はポトフでございます。
奥様は笑って許してくださいましたが、
いい加減、しっかりせねば。私。
奥様にご夕食をとらせたあと、私どもは台所にてお下がりを頂戴いたしました。
大鍋で作ったポトフはお替わりし放題。私はニンジンに辛子をぬり、口に放り込みました。
もきゅもきゅ。
そうしておりましたら、お嬢様のお小さい頃を思い出しました。ニンジンが苦手だったのです。
ケーキにしても、バターを絡めても、どうしてもダメだったニンジン。でもポトフにするとお召し上がりになられました。
……これ美味しい! ありがとうアンリエッタ!
かた、と私の手からスプーンが落ちました。
「アンリエッタ?」
ブルギツタが、私の様子に気付きました。
ぽた、ぽたと涙が、ポトフの中に落ちます。
そんな私の顔を、ドーラ様が、エプロンでゴシゴシ。のわっ。
「アンリエッタ、あんまり心配するもんじゃないよ」
ドーラ様はしみじみと仰いました。
そんなこと言われたって。
なんとかして差し上げたい。あ、そうだ!
私は涙をゴシゴシぬぐいました。
「ドーラ様」
「ん?」
「ドーラ様は、そのう、どうやって乗り越えられたのですか?」
ドーラ様は七人の子だくさん。そうよ、経験豊富な先輩がここにいるじゃないと。
同じ女性なら、きっと何か参考になるんじゃ……。
「乗り越えたって、そんな大昔の話されても」
うーんと唸ってドーラ様、腕組みして考え込まれてしまわれました。
そ、そうよね。なんか申し訳なく……。
向かいに座っていたマーサも何やら考えています。
ややあってドーラ様が仰いました。
「あたしなんかより、ブルギッタに聞く方がいいんじゃないのかい?」
いきなり無茶ぶりされたブルギッタ。ポトフのジャガイモを喉に詰まらせそうになりました。
ちなみに彼女は結婚はしておりません。
ドーラ様いわく、最近彼氏が出来たそうです。なぬ?!
「出来たけど、あたしに振らなくったっていいじゃないですか」
とんとんとんとん、と水を飲んで胸を叩くブルギッタ。
ちょっと、聞いてないんですけど?
「親友のわたくしに黙ってたの?!」
「だって刺激が強いカナって思って」
それどーゆー意味?!
あ、いやそれはともかく、今は、アレ、のやり方です!
「彼が慣れてて、一発でオーケー」
あっさりとブルギッタは言いました。
さいですか……。
「てゆうかさ、ランスロット様、一度娼館で経験させたらどうかな」
ブルギッタの意見に、マーサが渋い顔をしました。
「あまりこんなこと言いたくないけど、怖気づくんじゃないかしら」
「まさか」
「いや、私もそう思うよ」とドーラ様。「アンリエッタから話を聞いてるとそう思う。殿下のご性格からして難しいだろうね」
つまり、逆効果。
「それに、問題は殿下じゃないと思うよ」
ニンジンを口に放り込みながら仰るドーラ様。
え? どういうことですか?
フランシス様に問題があるってことですか?
ドーラ様は、少し深めのため息をつかれ、仰いました。
「多分、お嬢様がひどく痛がられるのだろうね」と。
するとマーサも頷きました。
痛いって、そんなに?
「人によるだろうから、お嬢様の場合、きっと他人よりそれが強いんだろうよ。で、殿下はお優しいから、無理に御出来にならない」
マーサの言葉にドーラ様頷きます。
お嬢様……。
そんな私を見て、ドーラ様はやがてしみじみと仰いました。
「ねえ、アンリエッタ。結婚はね、女は痛みに耐える覚悟を、男は決断する覚悟を持たないといけないのさ」
「覚悟?」
するとマーサも頷きました。そうそう。と。
「互いに覚悟をもって、一緒に人生を歩む。それが結婚てやつさ」と。
て、て、ことは、結婚って大変なんですね。
「そりゃ大変さ」
はっはっはとドーラ様。ばっばしと私の背中を叩きます。いてえです。
「でも、大変だからこそ、いいのさ」
いつか笑い話に出来る時が来る。神様はそれを乗り越える力を、人に与えてくださってる。ドーラ様はそう仰るのでした。
と、その時でございます。
「皆さま、早く玄関に!」
執事のペンドルトンさんが台所に駆け込んでまいりました。
すらりとした長身の眼鏡ハンサムさんが侯爵家の玄関にいらっしゃいました。トールドット様です。車寄せに馬車が見えます。
その中に、銀色の髪をした女性のお姿が!
お嬢様!
一体、何故? お宿下がりにはまだ早いはず。
ま、まさか、
まさか、離縁された?!
極端なと思われる方もいるかも知れませんが、仮にも王太子妃殿下となったからには、
お宿下がり一つにしてもちゃんとご予定がございます。
そもそも何も知らせも無くいらっしゃることはあり得ません。
何より、城から出ること自体が下々の者たちへの新年の挨拶以外はほとんどないのです。
そんな立場となられたお嬢様が、何の前触れもなくご実家に。
多分皆も同じ考えだったのでしょう。ことに奥様は気が動転しておられ、今にも倒れそうでした。
「どうか皆様落ち着いてください」
よくとおるお声で仰るトールドット様。その後ろで、お嬢様が馬車から降りられました。
あれ? 随分と軽装……てか、ズボンをお召しなっておられる。
何故?
「トールドット様、これはいったいどういうことで」
卒倒しそうな奥様の替わりに、執事さんが尋ねられます。
「後で説明します」トールドット様はぐるっとお屋敷の面々を見渡され、仰いました。「今から屋敷の者全員、出立の準備をして下さい」
ほぇぇぇっ?!
鳩豆状態の私たち。トールドット様は凜と声を張り上げられました。
「事は一刻を争います。駐在している騎士の方もご一緒に来ていただきます!」
なんと。
一体何があったのでしょうか。
離縁されたのではないことは、なんとなくわかってまいりましたが……。
フランシス様のお顔はこわばっておりました。それははっきりとわかる、
恐怖から、でございました。
私どもは突貫工事で支度をしました。まるで夜逃げです。
やがて荷物をまとめおえ、それぞれ馬車に分乗しました。
その時驚いたのですが、物々しい護衛の騎士の方々がついておられたことです。
騎乗姿で。
一体何で?
ま、まあそりゃ、妃殿下が移動されるのですから、護衛の騎士の方々は当然です。
でもこの数は異常じゃないか?
トールドット様が御者に合図すると馬車は結構な速さで走り出しました! うわっ!
馬車の窓から後ろか見えます。騎士の方々も馬を駆って追いかけてきます。
「せめて何処に行くのかだけでもお教えいただけますか」
奥様が不安げに、フランシス様とトールドット様を交互に見つつ仰います。
ほんと、私も知りたい。てゆうかなんでこんなことするのか知りたい。
「驚かせて申し訳ありません。ですが緊急を要しましたので」
トールドット様はそこでやっと、本当ににこりとされました。目が笑ってます。
彼、ずっと穏やかに笑っておられましたが、目だけは笑ってなかったのです。
つまり、ようやく安心できる状態になったということですね。
トールドット様のご説明では、これから侯爵家のご領地に向かうのだとか。
奥様が驚いてお尋ねになります。
「我が領地に? それは何故」
トールドット様はにこりと笑って仰いました。
「グランチェスタ―侯爵家の騎士団は、わが国でもトップレベルですから」
それはどういう……意味?
確かに、我が侯爵家の騎士団は、身内を褒めるじゃないですがつおいです。
が、それがどうかしたのでしょうか?
ますます混乱されてる奥様。トールドット様は落ち着かれますようにと仰り、眼鏡をくいっと持ちあげました。
あ、私と同じ癖。
「一つ一つ順を追ってご説明させていただきます。ですがその前に、緊急事態とはいえ、侯爵夫人の様な御身分の高いお方に、こんな形で慌ただしくさせたことをお詫びします」
申し訳ございませんと頭を下げるトールドット様。奥様は身を乗り出されました。
「それは良いのです。緊急と仰いましたね? 一体何があったのですか?」
奥様のお言葉に、トールドット様は大きく深呼吸されました。それはこれから話すことが、かなり深刻であることが伺えます。
やがて、トールドット様は重い口を開かれました。
「実は、妃殿下に今日、健康診断のご予定が入ったのです」
フランシス様が、身を固くされたのが分かります。しかし……健康診断って、
ど、どこかお体を悪くされた?
私の疑問に、お嬢様は首を振られました。
「私はどこも悪くないわ」と。
では何のための健康診断……。
「健康診断なんて、毎朝王族の方はお城にいる王家直属の侍医から見てもらってるんだよ」
ドーラ様が、若干引きつった顔で仰います。
奥様のお顔がみるみる青ざめます。
「なのに急にそんなご予定が入るなんて、変じゃないか」
ホントだ……。
トールドット様のお話では、今からすぐに見ましょうなんてことになっていたそうで。
異変に気付いた侍従の一人が知らせたのだそうです。
案の定、その医師とやらはフランシス様のお部屋に入るなり本性を現し、お嬢様を誘拐しようとしたのだとか……!
「ゆ」
あまりのショックに私、それしか言えませんでした。
奥様はついに失神されました。私も失神しそうでしたが何とかこらえました。
ここで私が気を失ってどうする!
お嬢様を、奥様をお守りせねば!
トールドット様はそんな私に何故かちらっと笑みを見せ、仰いました。
「そんなわけで、妃殿下にはとりあえず、侯爵家に戻って頂くことになったのです」
何でも今、城は上を下への大騒ぎ。
こんなところにいたらフランシスは落ち着かないとランスロット殿下は仰り、宿下がりを許して下さったのだとか。
なるほど、と私が頷いていると、失神した奥様を抱きかかえていたドーラ様が恐る恐るといった感じでトールドット様にお尋ねになりました。
「あのう、それで、なぜ、一体誰がお嬢様……いえ、妃殿下をかどわかそうと……」
トールドット様はため息交じりに首を横に振られました。
「賊の身元はまだ判明しておりませんが、所持品からアジトはつき止めました。今、警吏と騎士団が向かっております」
ですからご安心をと仰るトールドット様でしたが――。
お嬢様は、ぎゅ、とお膝の上で手を握りしめられました。
そのお顔は、紙のように白うございました……。
それから……。
私どもは侯爵家のご領地に無事入ることが出来ました。
ご主人は大層驚かれました。まあ普通は先ぶれがありますからね……。
「一体何があった。フランシス」
ご領地の屋敷の車寄せに現れた旦那様。傍目もございましょうに、敬称もお忘れになるほど動転なさっておいでです。娘ラブでございますね。
「お父様……」
「あなた」
ご主人様のお顔を見てご安心なさったのか、馬車から降りられたお二人は崩れ落ちそうになられました。
しっかりしろ、と旦那様、お二人を抱えるようにお屋敷に連れてお入りに。
とりあえず一安心でございます……!
お夕飯を召し上がられてないとのことで、私はタウンハウスよりお持ちしたポトフを急ぎ台所をお借りして暖め、お嬢様に差し上げました。ポトフを一口すすられたお嬢様。うっすらと涙を浮かべられました。
奥様が隣で、さあ、もっと食べてと促されます。
食べ慣れたお食事。お嬢様はぽつぽつと召し上がられましたが、やがてスプーンを置かれました。
「フランシス?」
お嬢様?
も、もしかして、味がよろしくなかった?
お嬢様は悲しそうに首を横に振られました。
「そんなことはないわ。とても美味しい……久振りで……ただ、殿下のことを考えてると……心配で……とても喉を通らなくて」
トールドット様のお話によると、殿下は賊より聞きだした彼らのアジトに、護衛の騎士の方々と共に乗り込んでおられるのだそうです。
「私は、おとめ申し上げたのですが」
殿下はどうしても現場で陣頭指揮を執ると仰られたのだそう。
あのおとなしい方が。
よほど腹に据えかねたのでしょうね。
「気持ちは分かるけどあなたまで体を壊しては、せっかくの殿下のお心遣いが無駄になってしまうわ」
無理をしてでも食べなきゃねと奥様はお嬢様にスプーンを持たせました。
そうですよ、ただでさえ、ご心労でおやつれになっているのに。
結局、あまりお召し上がりにはなられませんでした。
私は夜を徹して、お嬢様のおそばに付き添いました。
苦しそうな寝息を立てておられます。お可哀想に。
もうこれ以上、お嬢様に重荷を背負わせるのはやめてください神様。
こんなに旦那様の事を愛しておられる方を。
どうか、どうか、もうこれ以上苦しめないで。私は主にそう祈りました。
そして主は、神は、私の願いを……。
お聞き入れにはなりませんでした。
殿下に何があったのか?!
いえ、殿下はご無事でした。
賊のアジトに乗り込み、獅子奮迅の働きをなさったそうです。
そのご活躍もあり、賊たちは無事にお縄となったのです……が。
「少し拙いことになりました」
トールドット様が、侯爵家まで来られ、思い切り渋いお顔でそうおっしゃいました。
理由は、
賊が、軍事大国で知られる、ドラクール皇国の人間だったのです。
そりゃ、大国の人間だからと、何してもいい理由にはなりません。当然、ローゼンタール王国の法に従って処罰するべく、牢にぶち込まれていたのですが
「返せ」と言ってきたのです。
何をって? 賊の身柄です。
誰が言ってきたのかって?
ドラクール皇国皇帝、御自らです。
「直ちに釈放せよ、さもなくば武力に訴えると言ってきたのです」
なんかえらいことになりました。
私どもは言葉を失い、互いに顔を見合わせることしか出来ませんでした。




