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第九話 少年カイルの涙

その日の夕方、風の庭は静かだった。

子どもたちが帰り、残ったのはミツヨーナとカイルだけ。


花壇の前で、カイルはしゃがみこみ、折れた芽を見つめていた。

日が沈みかけ、影が長く伸びる。


「……ごめんな」

かすれた声で、カイルが呟く。


「誰に謝ってるの?」

ミツヨーナが背後から声をかけた。


「この花に。

俺が折ったから……」


「謝るのは悪いことじゃないわ。

でもね、花は謝られるより、“次の水”を欲しがってるの」


カイルが顔を上げる。

その目には、言葉にできない寂しさがあった。


ミツヨーナは腰を下ろし、隣に座った。

風が二人の髪を揺らす。


「ねぇ、カイル。

あんた、戦のこと知ってる?」


カイルはわずかに身をこわばらせた。

「……少し。父さんが兵だった」


「そう」

ミツヨーナは空を見上げる。


「人を守るために戦う人がいて、

その後ろで誰かが泣いてる。

アタシね、そういう涙を何度も見たわ。

夜の店で、男も女も関係なく泣いてた」


「……夜の店?」


「ふふ、昔の話よ。

アタシ、スナックのママだったの」


カイルが目を丸くする。

ミツヨーナは笑いながら続けた。


「お酒と歌で、みんなの心をほぐしてたの。

でも、泣きながら笑う人を見て気づいたの。

“人は誰かを責めるより、赦したい”って気持ちで生きてるんだって」


カイルは拳を膝の上で握りしめた。


「……俺は、赦せない」


「誰を?」


「父さんを。

戦で死んだのに、何も残さなかった。

母さんも泣き疲れて、俺を置いていった。

だから俺は――花なんか育てる資格、ない」


ミツヨーナは静かに立ち上がった。

花壇から少し離れ、手を広げる。


「見てごらん。

ここにあるのは、芽と土と水だけ。

でも、それだけで“花”になるの。

誰の許しもいらないわ。

花が咲くのに資格なんてないのよ」


カイルは黙ったまま、拳を震わせる。


「俺、何もできないんだよ……!

守れなかったし、誰も助けられなかった!」


その叫びが、夕焼けに溶けていく。

ミツヨーナはゆっくり近づき、カイルを抱きしめた。


「いいのよ。

助けられなかったって思ってる時点で、

もう誰かを想ってる証拠。

それが、“生きてる”ってことなの」


カイルの肩が震える。

最初は堪えていた涙が、やがてこぼれ落ちた。


「……俺、泣くの久しぶりだ」


「いいことよ。

涙は心の汗みたいなもん。

出し惜しみすると、胸がカビるわよ」


カイルは泣きながら、思わず笑った。

その笑顔に、ミツヨーナの胸が熱くなる。


夜が来た。

星が塔の上に散りばめられ、花壇の花々が月に照らされていた。


ミツヨーナはカイルの隣で、小さな灯りをともす。

二人の影が土の上で揺れた。


「ねぇ、カイル。

この花、もう一度植え直しましょう」


「折れたのに、咲くのかな」


「咲くわ。

アタシだって、一度折れて咲いたんだから」


カイルは小さく笑って、頷いた。


土に指を差し込み、静かに芽を戻す。

その動きは、まるで祈りのようだった。


その夜、塔の上でミツヨーナは日記を開いた。


今日、少年が泣いた。

涙はきっと、土に吸われて花になる。

あの子の中にある罪悪感が、いつか光に変わりますように。


アタシも昔、泣けなかった。

でも、泣いたら少しだけ人を許せた。

涙は、心を咲かせる水。


翌朝、風の庭に行くと――

昨日、折れていた芽が立ち上がっていた。


カイルが目を見開く。

「……本当に、咲いた……」


ミツヨーナは微笑みながら言った。


「ね、言ったでしょ。

花も人も、折れたって咲けるのよ」


風が吹き、花びらがひとつ、二人の肩に落ちた。


それはまるで――

赦しの証のように、やさしく、あたたかかった。

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