第七話 風の庭と小さな弟子
朝の光が、塔の窓辺に差し込んでいた。
昨夜の審問の緊張が嘘のように、空は澄みきっている。
ミツヨーナは大きく伸びをして、深呼吸をした。
「ふぅ〜……今日の空気は、少し優しいわね。
まるで“がんばりなさい”って言ってくれてるみたい」
テーブルの上には、白い花瓶。
中には王子レオネルが持ってきた“夜明け草”が一輪。
淡い光を放ちながら、風に揺れていた。
扉がノックされる。
「ミツヨーナさま、お食事をお持ちしました」
「入っていいわよ〜。どうせおしゃれしてないけどね!」
入ってきたのは、見慣れない小さな少女だった。
まだ十歳にも満たないだろう。
髪は麦色で、頬はやせ細っている。
「あなた、新しい侍女?」
少女はうつむいたまま、小さな声で答えた。
「……お手伝いの見習いです。名前はルナ」
「ルナ、ね。かわいい名前じゃないの。
アタシ、ミツヨーナ。好きに呼んでいいわ。
でも“神の乙女さま”とか呼んだら、アタシ怒るわよ?」
ルナはおどおどしながらも、少しだけ笑った。
「……“ミツヨーナさま”で、いいですか?」
「まぁ、それならギリ合格ね♡」
食事を運び終えたルナは、黙って床を拭き始めた。
けれど、力加減がわからず、バケツの水をこぼしてしまう。
「あっ……!」
「大丈夫、大丈夫。水は乾くけど、心のシミは乾かないのよ。
気をつけなさいって言葉、アタシも百回言われたわ」
ミツヨーナはハンカチを取り出し、ルナの頬についた水を拭う。
その手つきに、少女の動きが止まった。
「……怒らないんですか?」
「怒っても床は乾かないでしょ?
それより、拭き方教えてあげる。ほら、こうやって円を描くの」
ルナは小さく頷き、真似をした。
水が跡を残しながら消えていく。
「ねぇルナ。どうしてお城で働こうと思ったの?」
「……家が、ないんです」
その声は風のようにか細かった。
聞けば、ルナは戦で孤児になり、
最近まで街の孤児院で暮らしていたという。
けれどそこも資金が尽き、子どもたちはそれぞれ散り散りになった。
「お城に来れば食べられるって聞いて……」
ミツヨーナは黙ってルナの手を取った。
小さくて、冷たい。
「ねぇルナ。
人はね、誰かに優しくされると、その優しさを忘れないの。
だからあなたが今日ここに来たのは、“受け取る番”なのよ」
「……受け取る、番?」
「そう。そしてそのうち、渡す番が来る。
花と一緒よ。水をもらったら、いつか香りを返すの」
ルナの瞳が少しだけ揺れた。
ミツヨーナは微笑み、手を離す。
昼下がり。
二人は塔の裏庭へ出た。
風が通り抜け、花の香りが漂っている。
ミツヨーナはスコップを持ち、しゃがみこんだ。
「今日からここは“風の庭”よ。
あんたとアタシの、秘密の花畑」
「……花畑?」
「そう。小さいけど、心が咲く場所」
ミツヨーナは手袋を外し、土を掘りはじめる。
ルナも隣で真似をした。
「ねぇルナ、土を触るとね、不思議と落ち着くのよ。
悲しいことって、土の中で静かにほどけるの」
「ほんとに……?」
「ほんとよ。
だって、アタシも昔、夜の街で泣いてた時、
こうして窓辺の植木鉢いじってたもの」
ルナは少し考え、
「じゃあ、私の悲しいことも埋めていい?」と小さく言った。
「もちろん。咲いたら、きっと強い花になるわ」
夕方。
二人で植えた花壇の前に並び、ルナが小さく言った。
「ミツヨーナさま……ありがとう」
「どういたしまして。
でも“ありがとう”は魔法の言葉だから、
言いすぎると効かなくなるの。
次は“また明日”って言いなさい」
ルナは笑った。
「……また明日」
風が吹き、花壇の土がかすかに光った。
ミツヨーナは空を見上げ、心の中でつぶやいた。
(この子の未来が、枯れませんように)
そして静かに、ルナの頭を撫でた。
その夜、塔の灯りの下で。
ミツヨーナはノートを開き、筆を取った。
今日、弟子ができた。
小さな手で花を植えた。
あの子の中にある“光”を、絶やさないようにしよう。
アタシは神様じゃない。
でも――
“人を咲かせる手”には、なれるかもしれない。




