第三話 ――舞踏会の光と影――
王都が一年で最も華やぐ夜がやって来た。
王家主催の大舞踏会。
煌びやかなシャンデリアが幾千の光を放ち、貴族たちは香水と宝石の匂いを競い合っていた。
その中心に、“神の乙女”――ミツヨーナが招かれていた。
塔で過ごした日々の中で、彼女の噂は国中に広がっていた。
「触れただけで病が癒えた」「笑顔で涙が止まった」
――そんな奇跡めいた話が、人々の間で囁かれていたのだ。
しかし、王城の一角では、そんな奇跡を信じない者たちも少なくなかった。
「まったく……ただの女が、神の乙女ですって? 笑わせるわね」
「どうせ王子殿下のお気に入りだろう? “神の奇跡”も男の趣味というわけだ」
貴族の女たちは、扇子の陰でくすくすと笑った。
ミツヨーナは、それを正面から聞きながらも、微笑んだままグラスを手に取る。
「まぁ、言いたい人には言わせておきなさい。
アタシが昔から信じてるのは――“自分の生き方”だけよ」
背筋を伸ばし、紫のドレスをひるがえす。
その堂々とした姿に、彼女を見下していた貴族の何人かが思わず息を呑んだ。
その時、王の声が響いた。
「静粛に。今宵は神の乙女に、我らが平和の祈りを捧げていただく」
会場が静まり返る。
千もの視線が、ミツヨーナひとりに注がれた。
まるで舞台のライトのように。
――でも、彼女はもう怯えなかった。
昭和の夜のスナックで、
酔客の罵声も、冷たい視線も、もう何百回と浴びてきた。
それでも、笑顔をやめたことはなかった。
“光男”として傷つき、“光代”として立ち直り、
“ミツヨーナ”として今、もう一度咲く――。
王子レオネルが静かに囁く。
「ミツヨーナ、無理はするな。ここは……君の敵ばかりだ」
「いいのよ、王子。アタシね、敵を見るのは慣れてるの。
でもね――アタシ、敵の心まで嫌いになれないのよ。
だって、どんな人間にも、咲きたい花があるんだもの」
レオネルは言葉を失い、その横顔をただ見つめた。
灯りの中で輝く金の髪は、まるで神話のように美しかった。
ミツヨーナは壇の上に立ち、花瓶の白い花を両手で掲げた。
静寂の中で、ゆっくりと語り始める。
「皆さん。アタシは“神の乙女”なんかじゃありません。
神さまの奇跡なんて、アタシにはできないの。
でもね、人の心が咲く瞬間なら、何度も見てきたわ」
人々がざわめく。
彼女の声は穏やかで、どこか懐かしい響きを持っていた。
「花って、不思議よね。
泥に根を張って、陽を浴びて、やっと咲くの。
アタシも泥の中で生きてきた。
笑われたり、嫌われたり、愛されなかったり。
でも、泥があったから今のアタシがある。
だから、泥を恥じることなんて、ないのよ」
その言葉に、貴族たちは息を呑んだ。
誰もが自分の心の奥に、隠してきた“泥”を思い出した。
見えない痛み、隠した傷、言えなかった言葉――
ミツヨーナの声が、それらを優しく撫でていく。
すると、壇の前にいた小さな少女が泣き出した。
花瓶を持つ侍女の娘だった。
周囲がざわつく中、ミツヨーナは微笑みながら少女の前に膝をついた。
「泣いていいのよ。花も、咲く前は雨に濡れるんだから」
少女の頬に触れると、淡い光が広がった。
花瓶の白い花がふわりと光り、まるで空気が澄むように香りが漂う。
人々のざわめきが止み、静かな息づかいだけが残る。
その瞬間――誰もが感じていた。
これは神の奇跡ではない。
“人の心”が共鳴した瞬間だった。
「これが、アタシの“祈り”よ。
泣いてる子がいたら、抱きしめてあげる。
倒れてる人がいたら、手を貸す。
それだけで、世界は少し優しくなるの。
ねぇ、神さまより、そっちのほうが素敵じゃない?」
ミツヨーナの笑顔に、静かだった会場がざわめき、
やがてひとり、またひとりと拍手が生まれた。
その波はやがて大きく広がり、王座にまで届いた。
王は深く頭を垂れた。
「神よりも尊いものを、我々は今、見たのかもしれぬ……」
舞踏会が終わったあと、ミツヨーナはひとりバルコニーに立った。
月の光がドレスを照らし、遠くの夜空には花火が散っている。
背後からレオネルが歩み寄る。
「見事だったよ、ミツヨーナ。君は……この国を変える人だ」
「そんな大層なもんじゃないわ。
アタシ、ただ笑ってほしいだけよ。
笑顔ってのは、戦争より強いんだから」
レオネルはそっと彼女の手を取った。
「……君の笑顔に救われたのは、私も同じだ」
ミツヨーナは少しだけ照れて、
「やだもう、口が上手いんだから」と笑い、
夜風に金の髪を揺らした。
その夜、王都の人々は語り合った。
“神の乙女”は奇跡を起こしたのではない。
ただ、心を救ったのだと。
そして彼女の言葉は、翌日には市井の人々の間に広がった。
「泥を恥じるな」
「花は、泥の上に咲く」
それはやがて、王国中の合言葉となる。
塔に戻ったミツヨーナは、窓辺の花を見つめた。
かつて折れたままだった白い花が、
ゆっくりと新しい蕾をつけていた。
「……咲くのね、あんた。
アタシも、まだ咲ききれてないけど――負けないわよ」
花びらが月明かりに透け、風に揺れた。
その姿はまるで、昭和の夜に灯った一本のネオンのように、
静かで、けれど確かに光を放っていた。




