第二話 花の心、オカマの魂
王都の朝は、鐘の音で始まる。
高い塔の窓から差し込む光に、ミツヨーナはゆっくりと目を覚ました。
白い寝間着の袖を見て、ため息をつく。
「ふぅ……夢じゃなかったのねぇ。アタシ、本当に女になっちゃったんだわ」
手のひらを胸に当てると、まだどこか落ち着かない。
だが、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、心の奥が静かに温かい。
侍女の少女が朝食を運んでくる。
おずおずと頭を下げて、言葉をかける。
「……聖女さま。お加減はいかがですか?」
「聖女だなんてやめてちょうだい。アタシはミツヨーナ。
“さま”もいらないわ。あんたみたいな可愛い子に頭下げられるなんて落ち着かないのよ」
少女は戸惑ったあと、小さく笑った。
それは、ほんの少し勇気をもらえたような笑みだった。
その日の午後、王子レオネルが彼女を訪ねてきた。
長い外套を脱ぎ、優雅に頭を下げる。
「調子はどうだい、ミツヨーナ。王の命で護衛と教育係を務めることになった。
けれど、私は君を“聖女”とは思っていない。君は……ただの人だ」
「ふふ、それでいいのよ。アタシ、神様になんてなれっこないもの」
ミツヨーナは微笑みながら窓辺に立つ。
外には、戦で傷ついた兵士たちが見えた。
腕を吊った者、松葉杖をつく者。
その姿に、昭和の夜の常連たちが重なった。
「人間ってね、痛みを隠して笑うのが上手なのよ。
でも、本当は誰かに『頑張ったね』って言われたいだけなの」
レオネルは黙って聞いていた。
その横顔に、幼い頃に母を亡くした少年の影があった。
「……私も、そうだったかもしれない」
「なら、アタシが言ってあげるわ。
――よく頑張ったわね、王子さま」
その一言に、レオネルの瞳が揺れた。
誰にも言われたことのない言葉だった。
胸の奥が、静かにほどけていく。
その夜。
塔の庭で、ミツヨーナは一本の花を植えた。
白く小さな、まだ蕾の花。
「花ってね、見えないところで根を張るの。
咲くまで時間がかかるけど、誰かの心に届けば、それで十分」
月明かりに照らされたその姿は、
どんな聖女よりも美しかった。
翌朝、王都では不思議な噂が広がった。
“聖女が泣いていた兵士に手を添え、笑わせた”と。
“病の子どもに花を渡して励ました”と。
けれど本人はただ、こう言った。
「アタシね、立派なことなんてしてないの。
ただ――人が笑えば、それがアタシのご褒美なのよ」
昭和の夜に生きたオカマが、異世界の朝を照らしていた。
その花はまだ小さかったが、確かに人々の心に根を張り始めていた。
「人の心を咲かせる……ねぇ。
そんな大層なこと、アタシにできるのかしら」
ふと、かすかな泣き声が聞こえた。
扉の外だ。
近づいてみると、年端もいかぬ侍女が、袖で涙を拭っていた。
「どうしたの、あんた。王子に怒られたの?」
「ち、違います……。
私……“神の乙女”さまのお世話を失敗してしまって……。
花瓶を落として、花を折ってしまったんです……」
少女の手には、折れた小さな花。
ミツヨーナはそれを見て、ふっと笑った。
「まぁ、いいじゃないの。花だって転ぶことくらいあるわよ。
大事なのは――折れても、まだ咲こうとすることよ」
そう言って、ミツヨーナは手のひらを差し出す。
花をそっと受け取り、水を少し垂らして、茎を指で整える。
その動きはまるで魔法のようで、少女は息を呑んだ。
折れていた花が、まるで息を吹き返したかのように、
わずかに首を持ち上げたのだ。
「見て。ほら、生きてるわ。
花も人も、優しく扱えば立ち上がるの。
……あんたも、泣いてばかりじゃもったいないわよ」
「……はい……!」
少女は顔を上げ、初めて笑った。
その笑顔が、塔の薄暗い部屋に小さな光を灯す。
その夜。
塔の外で風が鳴り、遠くから王都の鐘が響いた。
ミツヨーナは窓辺に座り、月を見上げながらつぶやく。
「人を咲かせるなんて、アタシには無理だと思ってた。
でも、あの子の笑顔……。少しだけ、アタシの水が届いたのかもしれない」
昭和の夜のスナックで、何度も見てきた笑顔が脳裏をよぎる。
恋に破れた女、仕事に疲れた男、孤独を抱えた常連たち――
彼女が歌うたび、少しだけ笑顔を取り戻した人たち。
あれも、きっと花を咲かせていたのだ。
そのとき、部屋の扉がノックされた。
開けると、レオネルが立っていた。
手には、一冊の古びた書物。
「これを……君に」
「なぁに? 恋愛指南書?」
「ふふ、違う。古い伝承だ。
“花を慈しむ者は、国を潤す”――そんな言葉が記されている。
私は信じるよ。君がこの国を変えると」
「……まったく。口が上手いんだから」
そう言いながら、ミツヨーナは本を胸に抱いた。
その瞬間、花瓶の中の花がふわりと光を放つ。
レオネルも、彼女も息を呑んだ。
白い花が、まるで呼吸をするように輝き、
やがて淡い光の粒が部屋に散った。
「……何? 今の」
「“癒やしの光”……。
もしかして君には、本当に神の力が――」
「やめてよ。アタシは神様じゃないわ。
ただ……人の涙を見過ごせない、ただのオカマよ」
ミツヨーナは笑いながら、光を掬うように手を伸ばした。
その掌の中で、光が優しく弾けた。
――こうして、“神の乙女”の奇跡は王都に広がっていく。
だが、その力の裏にあるのは、神でも魔法でもなかった。
それは、昭和の夜を生きたオカマの、
**「人を想う力」**そのものだった。




