第十話 塔の客人と新しい風
昼下がりの塔に、柔らかな風が吹き抜けていた。
風の庭では、ルナとカイルが花の手入れをしている。
ミツヨーナはその様子を、窓辺から優しく見守っていた。
「ふたりとも、ずいぶん息が合ってきたわね。
これならアタシ、引退してもいいかも」
「まだ駄目です!」
ルナが笑いながら声を上げる。
「ミツヨーナさまがいないと、この庭は寂しくなります!」
「ふふ、そう言ってくれるうちは現役でいようかしら」
そのとき、扉を叩く音がした。
コン、コン――低くて、重い音。
「どなた?」
「王命により、“客人”をお連れしました」
兵士が扉を開けると、そこに立っていたのは――
漆黒のドレスをまとった若い女性だった。
長い髪を三つ編みにし、瞳は深い赤。
その姿は美しく、どこか張りつめている。
「初めまして。私は“神の乙女”を名乗る者です」
その言葉に、部屋の空気が一瞬止まった。
ルナとカイルが顔を見合わせ、ミツヨーナがゆっくり立ち上がる。
「……あらまぁ。
“神の乙女”って、また随分な肩書きねぇ」
ミツヨーナは軽く笑ってみせた。
「で、どこの神様にスカウトされたの?」
女は微笑を浮かべたまま答える。
「私は“正統の乙女”として、神殿より遣わされました。
あなたが“偽の奇跡”で民を惑わせていると聞き、真実を確かめに参りました」
「偽の奇跡、ねぇ……」
ミツヨーナの笑顔が、少しだけ翳る。
「ふふ、アタシに会いに来るなんて、勇気あるじゃないの。
神殿の人たちって、アタシのこと大嫌いでしょ?」
「嫌ってはいません。
ただ――危険だと、思っています」
「危険?この派手なドレスが?それとも口の悪さ?」
「いいえ。
“人の心を動かす力”です」
女の赤い瞳がまっすぐにミツヨーナを射抜いた。
一瞬、沈黙。
風がカーテンを揺らし、花の香りが流れ込む。
ルナが小さな声で尋ねる。
「ミツヨーナさま、この人……何を言ってるの?」
ミツヨーナは笑って答えた。
「神さまの代わりに、アタシを審査しに来たのよ。
ほら、芸能オーディションみたいなもの」
「オーディション?」
カイルが首をかしげる。
「そう。ウケるかどうかは、観客の心次第。
神さまが何を言おうと、人の心が動かなきゃ意味がないわ」
女は一歩前に出て、手を胸に当てた。
「……あなたの言葉は確かに人を救う。
でも、それは神の秩序を乱す危険を孕んでいます。
民が神を信じなくなれば、この国の祈りは途絶える」
「祈りねぇ……」
ミツヨーナは静かに目を伏せた。
「アタシね、昔から“祈る”のが苦手だったの。
神さまに頼む前に、まず自分の手を動かしてた。
誰かの涙を拭うのに、神さまの許可なんていらないでしょ?」
「……それが、あなたの信仰なのですね」
「信仰?いいえ、“生き方”よ」
ミツヨーナの声は穏やかだった。
でも、その奥には確かな芯があった。
女は少しだけ目を細めた。
「……なるほど。
あなたの“奇跡”が本物かどうか、確かめさせていただきます」
「好きにしなさいな。
でも、試すなら神さまじゃなくて、人の心を見なさいよ」
「ええ。
だからこそ、明日――この塔の庭で、祈りの儀を行います」
「儀式?」
「どちらの祈りが“真の光”か。
神が見極めるでしょう」
そう言い残して、女は静かに去っていった。
扉が閉まり、部屋に静けさが戻る。
ルナとカイルが、不安そうにミツヨーナを見る。
「……戦うの?」
「戦いじゃないわよ。
ただの“お祈り対決”よ」
「でも……負けたらどうするの?」
ミツヨーナは笑いながら肩をすくめた。
「負けたら?そうね……
神殿のステージデビューでもしてみようかしら。
衣装は自前でね」
二人は思わず笑った。
だが、ミツヨーナの目だけはどこか遠くを見ていた。
その夜、ミツヨーナは花壇に立ち、風に髪をなびかせた。
星の光が彼女の肩を照らす。
「ねぇ、神さま。
アンタが本当にいるなら、明日はちゃんと見てなさい。
アタシの祈りは光らないけど、きっと届くから」
風が静かに吹き、花びらがひとひら宙を舞う。
その先に、まだ知らぬ運命の風が――
ゆっくりと、塔へ近づいていた。




