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バウンドレス・アイズ  作者: フィーネ・ラグサズ
第2章 トランスレート
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第7話 架け橋

 スノードロップが持ち帰ったサンプル、干し肉、証言をもとに医療チームが調査を行い、ワンダーの人々とコロニーの住人で免疫系に差異があることが判明した。

 今のところ、有害な菌やウィルスは発見されていない。プランテーションで作業している住人たちにも感染の兆候は見られなかった。


「方針はシンプルだ。交流はするが、感染症を持ち込まない、持ち込ませない」


 エフティーはその場にいた全員を見回して確認する。スノードロップを含めてその場にいた面々が頷いた。

 文化・言語翻訳チームと医療チームも頷いていたが、前者はどこか楽しそう、後者はどこか悲痛そうだった。スノードロップは打合せ後にそれとなく話を振った。


「こんな機会、滅多にないですよ。成功させましょう」


 文化・言語翻訳チームの代表であるラングは言った。確かに滅多にない機会を逃す理由はない。スノードロップは頷いた。

 ラングはチームのメンバーたちと談笑しながら去っていった。

 スノードロップが視線を感じて振り返ると、そこには医療チームのリーダーが立っていた。


「これは賭けです。今、私たちはたまたま勝っているだけかもしれません」


 医療チームのリーダー、ドクは眼鏡を上げなおして、ゆっくりと告げた。

 先の打ち合わせの中では免疫系の違いだけではなく、双方が未知の病原菌──細菌、ウイルス、真菌──を保有している可能性が挙げられていた。72時間の遺伝子解析と培養検査では致命的な病原体は検出されなかったが、潜伏期間の長い感染症のリスクは依然残っている。


「その私たちには誰が入っていますか?」


 スノードロップの確かめる物言いにドクは笑う。


「アスチルベとワンダーの全員ですよ」


 言外にもちろん、あなたも、と含まれている、とスノードロップは確かに感じた。


「私も全力で協力します」


 文化・言語翻訳チームと医療チームには優先的に計算機資源を割り当てている。医療チームの活動の本格化に備えて、計算機資源と医薬品やワクチンなどの生産資源の確保が必要だ、とスノードロップは考える。


「我々の努力は空振りで終わってほしいものです」


 ドクは笑っていたが、目は笑っていなかった。

 スノードロップはその視線を受け止め、静かに頷いてみせる。



 一週間後、リーフの端に設置された専用コンテナの中ではフロースアルブスの消毒と洗浄が行われていた。全工程が完了したことを確認して、スノードロップはフロースアルブスを起動する。目的地はアトラスのいるワンダーのキャンプ地だ。

 キャンプ地が見えてくると、出入口にアトラスの姿があった。まるで彼女の到着を待っていたかのように。


「こんにちは、スノードロップ」

「こんにちは、アトラスさん。変わりはありませんか?」

「ない。皆元気だ」

「それは幸いです」


 病について、「リンカー」と呼ばれる異種知性間交渉チームが中心に情報を集めているが、接触した事例はあっても、病が流行した事例は見つからなかった。ワンダーからコロニーの住人に感染する可能性はなさそうだ。


「命を食らう病の話をしよう」

「例の病のことですね」


 場所を変えたほうが良いのでは、と思うスノードロップをよそにアトラスは、キャンプ地の中に入っていく。少し早足でスノードロップは彼に追いつく。

 どうやら、隠すような話ではないらしい。


「命を食らう病は、私たちだけがかかる病だ」


 アトラス曰く、初期症状は咳と微熱、数時間後に高熱を出し、数日後には意識を失う。その後は持って一週間程度で死に至る。治療法は見つかっておらず、コロニーとの接触は避けるしか手がない。


「保菌者と感染者は独特の匂いを出す。それが警告だ」

「保菌者、ですか?」

「コロニーの住人に病と共存できている者がいる」

「ありがとうございます。今の情報を通信で伝えてもよいでしょうか?」


 許可を求めたスノードロップにアトラスは足を止めて、振り返った。


「構わない。頼む」


 スノードロップは得られた情報を整理して、医療チームに伝える。ドクから「特定作業に移る」と簡潔な返信があった。間を置かずに「症状と匂いで候補が絞られる」とメッセージが届く。彼女たちならやってくれる、とスノードロップは確信を得た。


「ありがとうございます。医療チームが成果を出すことを信じましょう」

「なるほど。無言でできるのか。なら、黙ってやっても同じだろう?」

「これは信用の問題です」


 立ち話をする二人のまわりをワンダーの人々はあまり意識せず、普段通りの行動をしていた。ある者は服を洗い、ある者は道具の手入れをし、ある者は狩りの作戦を立てている。二人の周りだけ、時が止まったように静寂が落ちた。


「そうか。信用か」


 アトラスは低い声で告げた。


「はい、信用です」

「いい言葉だ」


 無言が続き、耐えかねたようにスノードロップは言った。


「少しは、受け入れてもらえたのでしょうか」

「病の恐れがないとわかっただけだ」


 アトラスは腕の機材と彼自身を指さしていった。


「まさか、自分を実験台に……?」

「狩られるような狩りはしない」


 彼は冗談めかして笑った。空気が変わったと感じて、スノードロップは話を続ける。



 アトラスはスノードロップを見る。


「命を食らう病を狩るために協力してもらえませんか?」

「見返りはなんだ」

「予防と治療法の提供、物資の補給、滞在希望者の受け入れです」


 スノードロップ個人は信用できるが、長としてのそれは違う。

 いくら何でも都合が良すぎる提案ではないか、とアトラスは警戒する。裏の目的か、追加の要求があるはずだ。


「何か、取引があるのだな?」

「気象観測機器の設置をお願いします」


 彼女の手には30㎝四方の立方体が乗っていた。受け取ると、金属光沢の見た目と比べてはるかに軽い。中身が入っているか不安になるほどだ。これなら複数個背負って運ぶこともできそうだ。


「専用の輸送車両も用意します」


 スノードロップの言葉にアトラスの警戒心はさらに強くなった。あまりにも条件が良すぎる。


「何が目的だ?」

「気象観測網の強化です。天気の情報はあなたたちにも有益だと思います」


 彼女は天気の情報を共有すると言っているのだ。しかも、それがさも当然だという様子だ。

 一切れの干し肉には一切れの干し肉で応じるべきだ。多くても少なくてもいけない。これは、あまりにも多すぎる。


「私たちにとって都合が良すぎる」

「では、何を差し出せば納得しますか?」


 アトラスはスノードロップを見る。何を考えているのか表情からは読み取れない。


「不公平な取引をした者はそれ相応の末路を辿る」

「警句ですか?」


 彼女の問いにアトラスは首を縦に振った。自身に有利な取引を行えば反動でその身を滅ぼす。

 スノードロップは何か文化的な禁忌に触れたのではないか、と考えているようだった。

 こちらから何が見返りとしてふさわしいのか。最新の気象情報は狩りの成功率を大きく左右する。それと引き換えにできるものといえば、


「……こちらが生贄を差し出さない限り、釣り合わない」

「なら、あなたが生贄になりませんか、アトラスさん」


 ようやく、釣り合う要求が出てきて、アトラスは笑みを浮かべた。待ち続けた獲物が岩陰から姿を現した気分だ。


「ふふ、ようやく正体を現したか」


 彼の表情にも声にも動じることなく、スノードロップは穏やかに答える。


「命は奪いません。ただ、苦労はすると思います」


 これはまだ、何かあるとアトラスはスノードロップを見る。彼女は微笑んだままだ。どうも、翻訳機の精度か文化の理解に課題があるようだ。お互いに、まだ相手の本質を掴みきれていない。

 アトラスは短く、覚悟を決めたように息を吐いて、


「どうやら、私たちはもっと、話すべきのようだ。ついてこい」


 外で話すには刺激が強すぎた。いつの間にかできた人垣に「後で詳しいことは話す」と伝え、解散させる。足取りが穏やかな皆を見てアトラスはそっとため息をついた。そして、アトラスは自分のテントに彼女を招く。

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