第6話 ワンダー
青空の下、スノードロップはアトラスの背中を追って丘陵地帯を歩いていた。背の低い草が踏み固められて小道になっている。
丘陵の風が頬を撫でていく。足裏から伝わる地面の起伏、草の香り、遠くから聞こえる鳥の鳴き声。スノードロップにはどれも新鮮なものだ。警戒をおろそかにしてはいけない、とスノードロップは思い直す。アトラスは景色が変わっても、足元に注意し、周囲を広く見渡し、脅威がないか探している。
景色は後から見返せばいい。体験と記録は違うとも思ったが、フロースアルブスの顔には出さずスノードロップは苦笑いした。感情と付き合っていくのは難しい。
「何度も使っている道なのですね」
「それほどではない。少し、速度を緩めよう」
アトラスの心遣いにスノードロップはありがとうございます、と応じた。慣れない道を進んでいることだけではなく、普段、活動している環境も考慮した上の発言だ。彼の観察眼は鋭い、とスノードロップは思う。
「止まると、動けなくなるからですか」
「その通りだ。動くのにさらにエネルギーがいる」
「理にかなっていると思います」
スノードロップの言葉にアトラスは、
「経験則だ。まさか、管理者のお墨付きになるとは」
彼の言葉には若干の驚きが含まれていることにスノードロップは気がついた。ポジティブな言葉であっても、使う場面には気をつけたほうがよさそうだった。
「どれぐらいの距離を移動するのですか?」
「季節によって変わる。大体、月に数十キロだ」
かなりの距離にスノードロップは驚いた。
「獲物をとって、ということですか?」
「土地を休ませる意味がある。同じ場所に止まると獲物を借り尽くしてしまう」
スノードロップは彼らが環境との共存を重視していることを理解した。コロニーとは異なる持続可能性の取り組みだ。
雑談を重ねている間に目的地が見えてきた。外周部は簡易的ではあるが防壁とバリケートが設けられている。突撃してくる野生動物をバリケードで足止め、防壁越しに迎撃する造りなのだろう。防壁は外側にややせり出している。表面は金属のようだが、内側には衝撃を和らげる素材が使われているに違いない。
「ここが入り口だ」
意外なことに入り口は開放されていた。門番は二人がいたがアトラスの姿を認めると、警戒の姿勢を解いた。
「コロニーの客人を連れてきた」
門番たちも腕の計測機器を確認した。コロニーに所属する存在は要警戒の対象らしい。キャンプ地で談笑していた人々がそれぞれのテントに隠れている様子が見えた。
「コロニーと接触すると謎の病が流行するのだ」
「わたしが広めてしまう可能性はありませんか?」
スノードロップの問いにアトラスは、計測機器をスノードロップに見せながら言った。インターフェースには問題なしの文字が読めた。
アスチルベでも同じような機材が使われているが、より小型化されているように見える。応答速度もよく、インターフェースはより洗練されているようだった。
その時、一人の若い男性がテントから出てきた。アトラスよりも若く、鋭い眼光でスノードロップを捉える。
「彼はアルタイル、私の補佐をしている」
「初めまして、アルタイルさん。よろしくお願いします」
スノードロップが挨拶をすると、アルタイルは軽く頷いただけだった。警戒心が強いのは当然だが、こちらが何者か見定めようとしているかのようだった。
「失礼する」
短くそういうと、アルタイルは自分のテントに向かって歩いていく。
「警戒心の強い男だ。だが、的確な判断をする。将来が楽しみな若者だ」
アルタイルが去るのを見つめる。ああいう人物に心当たりがある。スノードロップは微笑みながら、次の話題を促した。
「もっと、生活の様子を見せてもらっても良いでしょうか」
「構わない」
アトラスの案内でキャンプ地を歩く。狩場を転々とするため、どのテントや中央の生産ユニットらしきものも分解と再組立が想定されているようだ。
キャンプ地の中央には太陽光パネルに覆われた機械が設置されている。おそらく3Dプリンターの類だろう。周囲には金属片や樹脂、繊維など、必要に応じて道具や部品を製造するに違いない。テントはこの機械を中心に円形に配置されている。よく見れば、テントとテントの間には人が入って作業ができるのに十分な空間が確保されている。
テントから時折覗く人影が見える。病の重要度を考えると、遠巻きに見るのは好奇心が優っているのか。中には小さな子供の姿が見える。アトラスが手を振るのに合わせて、スノードロップも手を振ったが、子供達は慌てて、テントの奥に隠れてしまった。
「察せられるかもしれないが、移住を想定した作りになっている」
「どれも分解と再組み立てを想定されているのがわかります」
「理解が早くて助かる。本来であれば、どのような生活かを紹介したいところだが……」
「警戒するのは自然な判断です。アトラス、あなたの判断は勇気あるものです」
スノードロップは思っていたことを素直に告げた。
「褒め言葉として受け取っておこう」
アトラスはそこで言葉を区切る。何か言いたそうなのでスノードロップは続きを促した。
「移動に耐えられない者がいる」
「病人や怪我人でしょうか?」
「それと、体力の問題だ。いずれにしても、定住して回復する必要がある」
彼の言葉は事実を述べているだけだが焦りが感じられた。移動したい理由があるようだった。スノードロップたちの存在が予定外なら即座に離れれば解決できそうだ。その選択をしないのは移動先が過酷な環境で、病人や怪我人、体力が低下した人には辛いのか。
「定住支援はできます」
「しばらく、検討する時間が欲しい。定住には不慣れな者が多すぎる」
「わかりました」
生活が大きく変化するのだ。すぐに行動に移せる方が珍しい。
「こちらでも課題がないか整理したいと思います」
感染症を気にしている場面がいくつもあった。何かあるはずだ。
「1週間後にまた会おう。場所はここで良いか?」
「はい。よろしくお願いします」
スノードロップは笑顔でそういった。
「帰りの道はわかるか?」
「覚えています。見送りは結構です」
ついてこようとするアトラスをやんわりと止める。
「それは管理者のなせる技か?」
「経験と学習ですよ」
「道を見失わないよう祈っている」
「ありがとうございます」
スノードロップはお礼を述べて、キャンプ地を後にする。
帰り道、スノードロップは得られた情報を整理していた。ワンダーたちは確実に高度な技術を持っている。アスチルベで使われているものより小型化された機器、効率的な移動システム、輸送可能な製造システム、環境負荷を最小限に抑えた生活様式。学ぶべきことは多い。そして、アスチルベから提供できることも多いだろう。
一方、感染症の問題は予想よりも深刻だ。アトラスの話しから推測すると、過去に大きな問題が起きた可能性が高い。医療チームと連携して、詳細な分析と対応が必要だ。
定住支援は彼らの文化や生活様式を尊重しながら、必要な支援が何か見極めなければならない。
西日に照らされ、黄金色に染まった丘陵地帯を歩きながらこうも思う。新しいことを考えるのは楽しい。自然と帰る足取りが早くなっていることにスノードロップは気が付かなかった。




