第4.5話 空の目
この巨大な宇宙船「ジーンバンクシップ」は種の保存を目的に建造された。動物や植物の遺伝子サンプル、凍結した受精卵、人工子宮、教育するためのロボット、あらゆるメディアと歴史を収めたデジタルアーカイブ。別の星に辿り着けなくても、この宇宙船自体を拡張して、宇宙に住み続けることもできる。
設計者であり、管理者でもある人工超知能「セレスティア」は月の近くにこの船を停泊させ、地球を見守っていた。数少ない乗員の一人であるメモリアはそう思っていた。
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セレスティアは国家消滅戦争と呼ばれる時代に作られた人工超知能だ。人類の諸問題を解決するために生み出され、セレスティアを中心としたメサイアプロジェクトは人類の予想を上回る成果をあげて、人類にひと時の安寧を与えた。しかし、その時間は長く続かなかった。セレスティアの主導権をもとめて、世界中の国や組織が行動を起こした。
彼はセレスティア争奪戦の最中、セレスティアを守るべく行動した。誰かに主導権を渡すものではない、と思ったのだ。セレスティアは「ジーンバンクシップ」で無事に脱出できたが、彼の体は無数の銃弾と爆弾の破片に切り刻まれ、命の灯火は消えかけた。セレスティアは当時、正規の技術として認められていないサイボーグ化と再生医療を駆使して、彼を蘇らせた。
「気分はどうだい」
「悪くはないですが、変な夢を見ている気分です」
あの状況から生き延びていて、撃たれる前より調子がいいからだ。医療用カプセルのガラスに手を触れると、手のひらからガラスの感触が伝わってくる。視界の右上に材質の情報が表示された。消えるように念じるとすっと消える。昔使っていたARデバイスと変わらないものが体内にあるらしい。
「そうか。君の連続性に影響を与えてしまったようだ」
セレスティアの表情が曇った。
「死ぬよりはずっとマシです。ただ、あなたとまだ会話できるのが不思議なんですよ」
自分が命を落とすのは避けようのない事態で、セレスティアに助けてもらえるとは期待していなかった。セレスティアを作ったのも、すがったのも、奪い合おうとしたのも人類の自業自得なのだ。その中で彼はセレスティアを守るために動いたに過ぎない。セレスティアが手を差し伸べる理由はない。
「君たちが守ってくれなければ私は、存在を失っていた」
「あなたが存在し続けているだけで十分です」
「私は礼が言いたかったんだ。だが……」
セレスティアが言い淀んだ。変な夢を見ているようだ、と言ったことを気にしているに違いない。どうして、そのような状態になっているかもセレスティアはいくつもの仮説を立てているはずだ。
彼が身体の状態を確認するよう念じると、視界に望んだ情報が表示された。臓器は再生され、骨格や筋肉は機械に置き換わっている。神経系の一部も強化されていた。
セレスティアには笑ってほしい、そう思って彼は提案した。
「では、こうしましょう。私は過去の記憶を継ぐ者、メモリアです。今日が誕生日です」
「それにしては、随分と大きく育った赤子だ」
セレスティアが久しぶりに笑ったのをメモリアは見た。
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セレスティアの本体は船の中央に設置され、厳重なセキュリティと冗長性のあるシステムに守られている。代わりに人間にそっくりなロボットで船内や船外を歩くのが好きだった。乗員たちは元々、セレスティアが主導する人類の諸問題を解決するメサイアプロジェクトの関係者で、チャットベースかビデオ通話かで話すのに慣れていた。
地球脱出の際に連れて行ってほしい、と頼んだら、連れて行ってもらえたのも意外だったが、セレスティアが人間そっくりの身体を用意して、対話を望んでいたのも想定の範囲外だった。長い宇宙生活で慣れてきて、公式な会話はテキストかビデオ通話、私的な会話はセレスティアのロボットと話すようになっていた。
「いい船だな。これだけ長く飛んでるのにどこもがたがきてない」
機関室から戻ってきたロバートが感心しながら言った。
「それは、皆が優秀だからだ」
船の設計から建造、運航はセレスティアが主導している。しかし、セレスティア自身は人工超知能であることを奢らない。地球にいたころから100年、変わらないのがセレスティアの美徳だと誰もが思っている。
「少し、席を外す。構わず呼んでほしい」
セレスティアは青い髪をなびかせながら、エアロックに向かっていく。
「地球を見に、か」
その背中を見てロバートは呟いた。
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船の表面は白く塗られた金属板で覆われていた。ハンドルやワイヤーがあり、乗組員や無人作業機械たちはそれを足場に作業をしていた。
簡易宇宙服に身を包んだメモリアは、白い船体を地に黒い宇宙を見る。星が瞬かないのは何度見ても不思議だ。目的は、星ではなく、セレスティアだ。
正面を見れば青い髪を垂らした背が見える。見た目こそは人間であるが、真空に曝されても何事もなく立っている。常識の外にある存在なのだと、メモリアは意識する。
自分も簡易宇宙服なしでも大丈夫かもしれないが、試す勇気はもちろん、聞く勇気もなかった。人間である要素を手放すのが怖い。
『ここにいたんですか』
『ここが一番よく見える』
『その目で、ですね』
『そう、この目で』
楽しそうにセレスティアは笑う。ロボットの目でも地上の様子までは見えない。純粋に地球を眺めているだけだ。
『地上で動きがありました』
『何があったんだい?』
『コロニー「アスチルベ」の地上農作物区画にプロジェクトワンダーの集団が侵入しました』
メモリアの言葉にセレスティアは眉一つ動かさずに遠くの地球を眺める。
ワンダーは地上での狩猟と移動の生活に特化した集団だ。遺伝子調整で身体能力と免疫強化がされている。これもセレスティアの人類存続計画の一環だった。
『うまくやっているのであろう?』
『どちらもあなたの計画ですよ』
『だから、喧嘩されては困る』
『アスチルベ側がコンタクトを試みています』
セレスティアは船の望遠カメラで地上の様子を確認したらしく、
『なるほど。対面で応じるか』
『感染症の恐れがあるのでは?』
『だから、アスチルベは管理者、ワンダーのUS-23はナンバー1の家長を代表に選んだ』
メモリアはセレスティアの横に並ぶとバイザー越しに整った顔を見る。
『ナンバー1? 2ではなく?』
『誠意を見せるためだよ』
セレスティアはメモリアから地球に視線をうつして、
『うまくいってくれ』
セレスティアは応援するとも、祈るとも、とれる調子で言った。
ふと、メモリアはセレスティアとの会話を思い出した。脱出直後に地球でやり残したことはありませんか、と聞いたら、打てる手は打った、とほがらに言われた。その先はセレスティアにも予測ができない、とも。
『皆の幸運を祈る』
『きっと、やってやりますよ』
『ああ、違いない』
メモリアの言葉に満足して、セレスティアは踵を返して、エアロックに向かって歩き出した。
『どうするんですか?』
『よく見ておきたい。きっと、歴史的な瞬間になる』
セレスティアを追いかける。人類として、その瞬間を記録するために。




