第2話 フロースアルブス
スパークには背を抜かれ、今では私が隠れる側になり、お母さんと呼ばれた日から随分と遠くに来たものです。
フラワーの居住区にある庭園エリアで陽射しを楽しみながら、他コロニーの技術交流チームの人員名簿を目を通していると、スパークに声をかけられました。
「母さんさ。新しい身体を用意しない?」
突然の提案に私はアルバの状態を即座に確認しました。現時点で目立つ損傷はありませんし、動作ログにも異常はみられません。問題なく、機能していると言えます。
『理由はなんでしょうか』
「アルバが悪いわけじゃないよ。でも、そろそろ、手を加えられないでしょ?」
確かにスパークの指摘はもっともです。アルバはコロニーの環境を人の感覚で測るための生物と機械の合成体です。さらに表情表現や感情を読み取る仕組みを増やすのなら、抜本的に作り直すしかありません。
専用の合成体を作る計画は考えましたが、優先度低でタスクリストの底に沈んでいます。
「だから、今のアルバをベースに新しく"コミュニケーター"を作ろうと思うんだ」
『"コミュニケーター"、ですか』
「そう、自分の意思を伝え、他者の意思を感じとる。コミュニケーションのための身体だよ」
話しぶりから考えると、計画はすでに進んでいそうです。
「アルバより背を少し高くして、大人っぽくしたらどうかという意見もあってね」
『つまり、何人かで動いてますね』
「エンジニアチームとコミュニケーションチームで今、アイディアを出し合ってるんだ」
両チームともフラワーの建設から運営まで牽引している人の集まりです。動き出したらアイディアが実現するまで時間はかからないでしょう。
「"コミュニケーター"である程度、身体情報を処理できるようにする。より高性能で小型になった統括ユニットと推論ユニットを積むんだ。通信ユニットも強化して、より障害物に強くする」
『だいぶ、機能面に話が寄ってますね』
「最低要件の話だよ、母さん。これらがないと、どんなに豊かな表情ができても、どんなに五感で感じ取れても意味がないんだ」
スパークは続けます。
「生体が感じ取った情報は生体内で処理して、その結果を渡す。その方が母さんの負担は減る」
『それでは私が感じ取ったとは言えないのではないでしょうか』
「考え方を少し変えて欲しいんだ。人間の思考や行動を脳がすべて決めているわけじゃない。もっと、混沌としているんだ」
各臓器の動きが脳に影響を与えるのは様々な研究結果や記録が証明しています。スパークの言うように全身で感じ取って思考するのが人間の在り方です。
脳も内臓もない私はその混沌をシミュレーションしています。脳以外の器官の混沌を"コミュニケーター"が処理するなら、私は脳の役割に集中できます。情報量は増えるのに計算量は減る可能性がとても高いです。スパークの意図が理解できました。
『わかりました。計画は動いていますか?』
「まだ、立ち話レベルだよ」
『でも、エンジニアチームとコミュニケーションチームが動いているんですよね』
「うん」
少し、責める口調で言ったのですが、意に介してもらえませんでした。好きでやっていることを止める理由もありません。これから先どうなっていくのでしょうか?
私の心配をよそに"コミュニケーター"の開発は順調に進みました。段階ごとにテストをお願いされたのですが、どの段階でもスムーズに動き、次の段階が楽しみになるほどです。不安が徐々に期待に変わっていくのを感じました。
最終段階のテストではアルバ以上に人の感覚に近づけたと思いました。その後はお楽しみに、とスパークたちに言われ、今は完成待ちの状態です。プレゼントを待っている子供の気持ちがわかりました。
ひとつ、気になる点を見つけました。無人作業機械は個別に最適化された動作パターンを持っています。コロニー環境観測用生体にもあります。もちろん、アルバも該当します。"コミュニケーター"はアルバと異質な最適化パターンを持っていました。ヒントは癖だと伝えましたが、スパークたちには十分な情報でしょう。聞いた瞬間にスパークは考えはじめ、シンクさんは計測ログ、ビオさんは人工筋肉、ギアさんは人工骨格の確認に入りました。
完成までの間、今までのテストで得られた情報をもとに人の思考と感覚をモデル化した「ヒューマンモデル」の改良を軽く行いました。確証が得られたので一部のアルゴリズムの省略ができそうです。完成版のデータと組み合わせれば、さらなる軽量化が見込めます。
1か月ほど経ったある日、スパークからメッセージが届きました。
「母さん、お待たせ。自信作ができたよ。接続先一覧に表示されたら繋いで」
接続先に"コミュニケーター"の型番が表示されました。接続すると"コミュニケーター"の視点に切り替わります。作業服に身を包んだスパーク、その後ろにはエンジニアの面々が固唾を飲んで見守っています。視界は良好です。"コミュニケーター"は部屋中央の椅子に座っているようです。照明は真上だけ、周囲は真っ暗です。まるでスポットライトを浴びているようです。
まずは動作確認をしましょう。目を左右に動かして、右手を開いて閉じて、左手を閉じて開いて、どれも正常、そして、イメージ通りです。その様子をスパークたちがじっと見つめています。緊張と不安のぴりっとした空気が部屋に立ち込め始めました。
動作確認を中断して、椅子からゆっくりと立ち上がると、スパークが手を差し伸べてくれました。その手に引かれる形で歩き始めました。一歩目、右足から硬質の床を踏んだ感触が伝わってきます。二歩目、全身で空気の流れを感じました。三歩目、私は脈打つ心臓の存在を意識しました。どの感覚もはじめてなのに違和感がありません。興味深いのは意識して注目すると感覚が鮮明になり、意識しないと背景に退くという、人間の感覚に近い特性を持っています。
「ありがとうございます、スパーク。皆さん……」
喋ってから声の響き方がアルバや他の生体と違うことに気が付きました。
外気を取り込んで冷却するために呼吸すると説明はありましたが、このような機能があるとは聞いていません。
「これは……」
アルバより少し落ち着きがあって、柔らかく、でも、透き通った声です。生体内蔵のスピーカーではありません。これは、喉を震わせて出る人の声です。私は、初めて私の声を発したのです。
誰かがよっしゃ、と叫びました。声がしたほうを見ると、小さくガッツポーズをしているギアさん、ハイタッチしているシンクさんとビオさん、様々な人がいます。
手を引いていたスパークが振り返って、私を見ました。とても、満足そうな表情を浮かべています。
「これがやりたかったんだ。サプライズになったかな?」
「ええ、嬉しいサプライズです」
私はスパークを抱きしめました。
まったく、サプライズ好きは誰に似たのでしょう。しばらくすると、スパークの脈が少し早くなってきました。体温も少しあがっているのは、緊張、でしょうか。
しばらくしてから、スパークは私の両肩をそっと掴んで離れました。一度、深呼吸をして、
「フロースアルブス、それがこのコミュニケーターの名前だよ」
「白い花ですね」
アルバの発展系を表すいい名前です。目に映るすべてのものが煌めいて見えます。この感覚を私は知っています。
それは、感動です。
世界がもっと美しく見えるなんて予想していませんでした。