第18話 パピルスの成長
パピルスの管理者――リードからメッセージが来たのは、俺が自室で頭を抱えながら、コミュニケーションチームの報告を片付けているときだった。差出人はコロニー「パピルス」管理者だ。メッセージを開く。資料がいくつか添付されているが、ビデオチャットのリンクが先頭にある。
俺はため息をついて、そのリンクを押した。
「久しぶりだな、マイク」
「そっちもな」
無愛想な挨拶だ。あの洪水以来、話す場面はなかった。今ではアバターを使うようになり、呼び名も名乗っている。リード、葦と来たか。
「単刀直入に言う。協力してほしい」
俺は椅子の背もたれに身を預けた。
「その前に目的を話してくれ」
「洪水対策の治水工事計画が頓挫しかけている。意見が割れてまとまらない」
洪水、か。パピルスは川の流域に位置するコロニーだ。定期的に洪水に見舞われる土地で、防水システムを駆使して耐え忍んできた。あの大洪水から何年経ったか。ここ数年、洪水の発生が増加傾向だとは聞いてる。
「具体的には?」
「大きく分けて三派に分かれている。上流域に遊水地と分流路を設置する推進派、現在の防水システムを強化する保守派、そして可動式水門で流水量を調整する少数派だ。シミュレーションした結果、どれも長所短所はあるが、一理ある」
筋が通っているのなら効果の高い順か、すぐにできる順番からやればいい、と思って俺は苦笑した。それはアスチルベのやり方だ。
「俺は何をすればいいんだ?」
「第三者の意見が欲しい。コロニーを転々とした『マイク』が適切だと思った」
パピルスの名前も捨てて、あちこちのコロニーを転々としたのは事実だが、
「買いかぶりすぎだろ」
「アスチルベでの評判は聞いている。異なる意見をまとめるのが得意だと」
「……そうか」
別の視点で意見を出したりするのが得意であって、異なる意見をまとめるとは違う。議論の質をあげる役割はあるが、まとめるのは得意ではない。
管理者の声に諦めに似た何かが混じっていた。
「頼む。このままじゃ本当にまずいんだ」
俺にとってパピルスはホームじゃない。アウェイだ。ただ、切迫した様子を見て、やるべきだ、と俺は感じた。どんなやり方があるのか俺は散々、見てきた。どれか一つぐらい参考にできるだろう。
「わかった。やってやるよ」
●
初日の会議は顔合わせ程度だ。
オンラインで接続された画面には、パピルスの住人たちの顔が並んでいる。顔の下に名前が表示されていた。
推進派の中心人物らしい、強面の男――後で名前を聞いたらアメンという名だった。
保守派を引っ張っているのは、慎重そうな表情の女性、ネフェル。
そして少数派の代表格は、若い技術者風の男、カイ。
それぞれが自分の主張を持ち、それぞれが譲らない空気が画面越しにも伝わってきた。
主要な面子が揃ったところで、俺は口を開いた。
「俺はマイクだ。状況はある程度聞いているが、改めて、理由を聞かせてくれないか?」
画面の向こうがざわついた。アメンが腕を組み、ネフェルが眉をひそめ、カイが画面の外に視線を逸らした。だが、誰も口を開かない。
角が立つのを恐れているのか。それとも、様子見を決め込んでいるのか。いずれにしても、言葉にならないものがそこにあるのは確かだった。
ネフェルは後ろを向いて、誰かと話したりしている。ほかの面々も視線が別の方向を向いている。メッセージを読んでいる、そんな様子だ。
「今日はここまでだ。顔合わせができた。これからもよろしく頼む」
会議を終えた後、リードからメッセージが来た。
「相変わらずだな、マイク」
「お互い様だ。勝手に決めやがって」
管理者「リード」は肩をすくめた。
こいつも変わらない。あの洪水のときと同じだ。勝手に決めて、勝手に突き進む。それでいて、人のことはよく見ている。あのときは、それが裏目に出たが。
俺は何かヒントがないかと、部屋を見渡した。俺がアスチルベに来てから、ほとんど変わっていない。少し、部屋の中に緑は増えたぐらいか。
大きく変わったのは俺自身だ。相変わらずの部分もあれば、大きく変わった部分もある。コミュニケーションチームに入ったのはいい例だ。それだって、アスチルベの経験が後押ししてくれたものだ。
エフティーと土だらけになって、畑をどうにかしていた頃を思い出した。
「やれるだけやってみるさ」
●
後日、俺は改めてファシリテーターとして会議に参加していた。
初日の感触では、全員が何か考えていることや思っていることがあった。問題は、それをいかに吸い上げるかだ。
俺のやり方はお行儀がいいとは言えない。レグルスは少人数ならいいが、この人数だと難しそうだ。よく知っているやり方を参考にすることにした。エフティーの進め方だ。
「どう考えてる?」
反応は芳しくなかった。共通の問題を見ていないように感じられた。
洪水の対策の会議に呼ばれたのだから、議題は揃っているはずだが、なんだ、この違和感は。
しばらく待っていると、カイが口火を切った。
「可動式水門の強化で対応できると思います」
すぐにアメンが反論する。
「しかし、悲観シナリオには対応できない。水門が決壊したらどうする?」
「順次拡大すればいけるはずです」
「上流の治水工事が抜本的な解決策だ」
アメンの声に力がこもる。ネフェルが冷静に言葉を挟んだ。
「それでは工期が長すぎる。その間に洪水が来たらどうするの?」
会議が秩序を失っていくのを見て俺は、カメラをオフにして額を揉んだ。
そもそも俺が秩序だ混沌だというのも妙な話だが……。
エフティーは未来を見据えて動いている。その上で相手の意見や不安を聞き出して、その場の皆が納得できる案を導き出す。それには相手を観察する必要があった。今の俺には観察眼が足りない。
俺は気を取り直して、カメラをオンにする。次にチャーリーのやり方だ。
「洪水が脅威ってのは皆一緒だろ? もう少し話そうぜ」
だが、これまで紛糾してきた経緯があるせいか、反応は冷ややかだった。
アメンが険しい表情でいった。
「確かに脅威だ。だが、よそ者のあんたにそれがわかるか? 俺たちは毎年、命がけで洪水と戦ってるんだ」
友人を失ったあの洪水がフラッシュバックし、俺は思わず答えた。
「痛いほど知ってる。これでもかってぐらいにな」
アメンが黙った瞬間、俺は失敗に気がついた。今、俺はどれぐらい低い声だったんだ?
ディスプレイ越しに温度が下がったのを感じた。俺の過去はいい、と呼吸を整える。今とこれからの話をしにきたんだ。
ネフェルが困惑した表情を浮かべ、それから何か納得した表情を浮かべた。もしかすると、あの時を知っているのかもしれない。
カイが視線を落とした。
「だから、ここにいる」
フォローする発言をしたが、チャーリーのようにはいかなかった。チャーリーは失敗も前向きに捉え直せる。意見が違っても緩衝地帯になるべく、話を和らげたりする。あいつのふるまいこそが治水だった。そのしなやかさや根性は、どうやら俺にはないようだ。
すがる思いでスノードロップのやり方を試みる。
「過去の規模の洪水は既存の防水システム強化で乗り切れそうだ。気がかりなのは発生頻度だな。ここ5年で年2回から5回に増えてる――」
聴衆は頷くばかりで次が出てこない。沈黙が会議室を支配しているようだった。一瞬、機材のトラブルを考えたが、どれも正常だ。
「なぜ増えた? 仮説はあるか」
アメンが重い口を開いた。
「周辺地域の砂漠化が進んでいる。大地の保水量が下がってるんだ。雨が降れば一気に川に流れ込む」
それで終わりだった。水門の強化や上流の治水工事の話に繋がる前提を整理しただけだ。
スノードロップは住人たちを信じている。必要な知識、技術を用意しているし、住人たちは議論の仕方を心得ている。だから、前進するんだ。
俺は苦笑いした。あいつはとんでもないやつだ。
ただ、これまで試してきてどの方法でも何かしらの反応はあった。彼らは何かを思い、考えている。
ようは、材料は揃っている。なら、いつものように何か投げ込んで波紋を起こすだけだ。
「どんな明日が欲しい?」
画面の向こうから声が上がった。ネフェルが真っ先に答えた。
「安心して暮らせる明日が欲しい!」
彼女の声には切実さが滲んでいた。間違いない、ネフェルはあの洪水を知っている。俺は確信した。
カイが続ける。
「子供が洪水に怯えない未来を!」
彼の目には決意が宿っていた。アメンも頷いた。
「それは俺たちも同じだ」
ああ、そうか。先に方法の話をしていたが、何を欲しいのかが揃っていなかっただけだ。
「いいじゃねえか」
手応えを覚えつつ、俺は次の問いを投げる。
「もし明日、洪水が来るとしたらどうする?」
その瞬間、ディスプレイ越しでもわかるぐらいに空気が変わった。
「予測できているなら、水門や堰の確認だ」
アメンが即座に答えた。
「シャッターや水密扉も忘れないように」
ネフェルが念押しするようにいった。
「追加の対策は?」
別の住人――ラムセという名の中年男性が尋ねた。カイが少し興奮気味にいった。
「確か、試験用の護岸ブロックがあります。あれを使えば――」
「そんなことやっていたのか」
ラムセが驚いた表情を見せた。すでに治水工事に向けて準備が始まっているわけだ。どこで準備を進めているんだか。
やりとりを見守っていたネフェルが、
「地上に繋がる通路の水密扉の強化は1カ月あればできる」
その言葉にアメンが眉をひそめた。
「1カ月はかかりすぎじゃないか」
「工場の生産能力が頭打ちだ」
別の技術者――セティという若い男が工場の作業の流れの図式を共有していった。
「ボトルネックは3Dプリンターか」
コロニー「パピルス」も工場では3Dプリンターがパーツを作り、大きなパーツの組み立ては無人作業機械と住人がやっている。
すでに生産計画があり、どのプランも割り込ませることになるわけだ。そうすると、何かが割を食う。
カイが頷き、ラムセが諦めたようにいった。
「あんな複雑な機械、すぐに増やせない」
「いや、手はあるかもしれない」
セティが前のめりになった。
「まさか、あの自動増殖工場案かい?」
ネフェルが目を見開いた。
パピルスは堅実な方針を好むコロニーだ。管理者や人から離れて機械が好きにやるのに抵抗を覚えても仕方ない。
「成功事例はいくつもあります。各コロニーで改造されていると言っても、原型は共通です。俺たちだってできますよ」
カイが興奮気味にいった。
話が転がり始めた。いい傾向だ。いいぞ、もっと、外に目を向けてくれ。
これもアスチルベのやり方だが、ほかのコロニーでも通じる手だと俺はさらにヒントを投げ込む。
「無人作業機械を増やしたらどうなる?」
参加者のやや強張っていた表情が柔らかくなってきた。
「そうか、上流の治水工事も加速する!」
アメンの表情が明るくなった。何せ大規模工事だ。とにかく、生産力と労働力の勝負だ。
「5年が3年になるかもしれない」
カイがキーを叩き計算をはじめた。
「防水壁の改修も早くなります」
ネフェルが希望を見出したような顔をした。
「水門の建設も現実的だ」
セティが頷いた。
「じゃあ、全部できるじゃないか!」
ラムセが笑顔を見せた。
だが、すぐにその表情は曇り、肩を落として、
「待て、それでも数年はかかる」
アメンが冷静さを取り戻した。
「明日の洪水には間に合わない」
ネフェルは俯いて、
「だからHEATHで予報して――」
「避難計画が先だ!」
アメンが声を荒げた。
「いや、設備強化が先だろう!」
ネフェルが反論した。
あの洪水の際、防水システムの想定限界の水が押し寄せ、水密扉などを破壊し、コロニー内部に流れ込んだのだ。ネフェルが設備の強化を推す気持ちはよくわかった。
今からでも土嚢で浸水を遅らせ、開放部分や強度不足の箇所を特殊な接着剤で固定する手が使えるはずだ。
「前回も予報はあったのに避難が遅れた。幸い、人的な被害はなかったが……」
その時を思い出しながらいうラムセの顔は渋い。
「あれは避難シェルターの割り当てが遅れたからだ」
セティがきっぱりといった。しかし、その目はわずかに泳いでいる。
「そもそもなぜ、割り当てが遅れたんだ?」
別の住人が疑問を投げかけ、セティは目を伏せた。
パピルスはいくつかの区画があり、高低差もある。スパークがいたら構造に課題があると言い出しそうだ、と俺は納得した。
「おい、落ち着け。振り出しに戻ってるぞ。誰か水持ってきてくれ」
その言葉に俺も喉が渇いていることに気が付いた。大して喋っていないのに、だ。
アメンが額を押さえた。
しばらくすると、ディスプレイの向こうの会議室には水がなみなみと入ったグラスが運ばれてきた。
水を飲みながら話し合っていたのでは身がもたない。
時計を見れば2時間ぶっ続けで俺たちは話していた。休息が必要だが、熱量は下げたくない。
「休憩にしよう。15分後に再開だ」
ミュートに切り替えて席を立った。
俺はポットで湯を沸かしている間に顔を洗う。
湯の入ったカップを持って席に戻ると、一息ついた。
ディスプレイの向こうでは、グラスの水を一気に飲み干して、次に行く奴、同じ派の住人と相談する奴、今までの発言の内容に目を通す奴、様々な動きがあった。
休憩が終わる前には全員が席に戻っていた。後ろの方で待機していたやつも含めてだ。
「休憩は終わりだ。全員揃っているか?」
念のため確認すると、全員が頷く。
ややあってから、カイが深呼吸してからいった。
「改めて確認ですが、俺たちは安心して暮らせる明日が欲しいんですよね」
彼の声には確信があった。続いて、ネフェルが頷く。ほかの参加者たちもカイの言葉にゆっくりと頷いた。
「そうだ。昨日のシミュレーション結果を思い出してくれ」
ラムセが提案した。昨日のスノードロップ式のために用意した資料がここで役に立つとはな。
議論が進んでいるという手ごたえを覚えた。
「どの提案も状態によって効果があるんだ。治水工事は予防や浸水を遅らせる。可動式水門もそうだ。コロニーの浸水防止策は最後の砦だ」
そう、どれもある意味では正解なんだ。だが、一つ採用したからと言って解決するものではない。
「今すぐできるもの、そうでないもので分けよう」
セティからキーを叩く音が聞こえたと思ったら、すぐに画面共有がはじまる。
今まであがってきた案の概要と工期などが書かれた表が映し出された。
この短時間でよく整理したものだ。
「避難計画は修正案なら今すぐ着手できる」
アメンが続けた。
彼の端末にはパピルスの内部構造と避難カプセルの場所が表示されているに違いない。
「設備強化は短期、上流治水は長期だね。優先順位は話し合いの余地がある。基準は安心して暮らせる未来だ」
ネフェルが締めくくった。
その言葉を合図に住人たちが一斉に動き始めた。カメラ映りなど誰も気にしていない。
ある者は自分が支持する案の性質の整理、ある者は他所の案を聞きに行く。会議室全体を写したカメラで全体の様子がようやくわかるぐらいだ。
「やりたいことが一つしか選べないから、ぶつかってたんだろ? 理由がなくなったんだ。全部やってすっきりしようぜ」
アメンが笑い、ネフェルが安堵の表情を浮かべる。カイが拳を握りしめた。そして、3人ともカメラから消える。
「収穫の日を迎えられるよう祈るよ」
パピルス流の別れの挨拶をして、俺はオンラインの会議室から退室した。
●
しばらくして、リードから短いメッセージが届いた。
「感謝する」
俺はこいつの性格を知っている。こんな短い言葉の裏に、どれだけの想いが隠されているか。
確実に言えるのはやることが山積みだということだ。工場の生産性向上、各プロジェクトごとのチーム立ち上げ。動き出せばいろんな問題が起きる。その問題を解決し、いかに次に繋げていくのか。俺が知っている範囲でこれだけぱっと思いつくんだ。当事者から見ればもっとあるはずだ。
「先は長い。気合い入れろ」
短いメッセージを送る。
画面の向こうで、リードは笑っているに違いなかった。




