第17話 ニュージェネレーション
アガーテは陸路と空路を駆使してアスチルベに辿り着いた。一週間近く、移動し続けた長旅だった。
そのせいもあってか、滑走路から見えるアスチルベのコロニー「リーフ」の景色がとても生き生きとしていると彼女は感じた。
この地下にはコロニー「ルート」があり、遠くに見える白いドームがコロニー「フラワー」のはずだ。ひとつのコロニーから合計3つになるとはどんな経緯があったのか。湧き上がる好奇心を抑えて、アガーテは標識の案内に従って歩きはじめる。
コロニーに入る時の消毒と洗浄はだいぶ簡略化されていた。靴底は消毒液、服と体は圧縮空気で汚れを吹き飛ばすだけだ。その代わりワクチン接種と直近の病歴の確認が増えた。アルカディア菌群の件を考えれば妥当だ。担当していた無人作業機械に見送られて、アガーテはリーフの市街地に足を踏み入れた。
街並みを見て建物が低い、というのが最初の感想だった。彼女のコロニー「ゲンチアナ」はかつての都市を再現したものだ。中央の高層ビル群、外縁に向かうにつれて低層ビルに変わっていく。ただ、ビルの形や色に統一感がない。アガーテは最初、意図したデザインなのだと思った。建物の役割ごとに造りを変えるのはゲンチアナでは馴染みの手法だ。通りを歩くにつれて、汚れ具合と建材の違いで建設時期の違いが理由かもしれない、と考えを改める。
木造から始まり、発泡樹脂、樹脂ブロックに移り変わったのだろうか。しかし、人の気配がない。住んでいるようだから、皆、何か作業しているのか、イベントでもあるのか。
開けた場所に出て、まぶしさにアガーテは手でひさしを作り、目を細めた。時刻は13時ちょうど。どうやら、ここは広場らしい。中央の大きな噴水の近くに人だかりができていた。
近づくと群衆の間からレグルスの姿が見える。何やら住人と話をしているらしい。
「うちの子、こんなに大きくなったのにまだ喋らないんです」
不安そうな女性の声が聞こえる。
「同じぐらいの子はみな喋っているんだ」
比較的、冷静な男性の声が続いた。
アガーテは群衆をかき分けて、レグルスに近づく。群衆もよく見ると外側は見物人、レグルスに近づくにつれて相談待ちの親子連れに変わっていった。子供はかなり幼い。人工子宮を使わずに生まれた子供たちだ。
ようやく、最前列にたどり着きそうなところで、レグルスの声が聞こえた。
「ウォーレン。いい名前だ」
レグルスは屈んで手を差し伸べた。
「同じように手を出して」
ウォーレンが伸ばした手をレグルスは優しく握った。
「そう、その調子だ。同じように力を入れて」
それで通じるのか、と疑問に思うアガーテの目の前で、ウォーレンはレグルスの手を握った。
群衆がどよめいた。ウォーレンの両親は驚きの表情を浮かべている。
「これは握手だ。挨拶や仲良くなりたい時にする」
言葉を聞いて意味を理解したのか、真似しただけなのかは判断がつかない。ただ、ウォーレンが手を握り返したのは事実だ。
「ウォーレンは見えているし、聞こえている。さっきは隠れていただろう?」
若い父親は何度も頷いてから、
「ああ、おれから離れようとしなかった!」
「ちょっと整理させてください。ウォーレンは言葉の使い方を知らないだけなんですか?」
「私にはそう見えた。言葉を覚えるには時間がかかる」
レグルスはウォーレンの手を離して、ゆっくりと立ち上がる。ウォーレンは不思議そうな表情でレグルスを見上げた。
幼い子供がどのように育っていくのかアガーテは知らないが、周囲の状況を知ろうとしている人間の動きに思えた。
「6歳になるまで話さなかった子もいた。その子は今、よく喋っているよ」
そこまで話してレグルスは、何かに気がついたのか一瞬だけ目を見開くと、一呼吸置いてから、
「ワンダーは身振り手振りを重視する。特に狩りを任せたい男の子にはな」
その言葉に父親が頷き、母親はたっぷり一秒考えてから表情を明るくした。
「まだ、3歳だものな。ありがとう、レグルスさん。もう少し時間をかけてみる」
「もっと、この子を見て、動きで返していこうと思います」
母親がウォーレンの手を引いて歩き出したとき、ウォーレンは振り返ってレグルスを見た。それに気が付いたレグルスは小さく手を振る。
やや割り込む形でアガーテはレグルスに声をかける。
「レグルスさん。はじめまして、アガーテです」
「今は少々、忙しくてな」
「手伝います」
アガーテは噴水の縁に座って、リュックからキーボードと空中投影ディスプレイを搭載した端末を取り出した。ディスプレイの表示位置はレグルスの頭上、サイズは最大に設定。先ほど聞いた内容を要約して表示する。
群衆は驚くばかりで動きはない。新しい親子がやってきて、今度は子供がいたずらをするので困っている、と悩みを打ち明けた。レグルスは話を一通り聞き終えた後、いたずらの内容が他愛もないこと、ちゃんと話を聞いて答えることが大事だ、と答えた。父親も母親も顔を見合わせた。
「理由はいずれ話してくれると思うぞ。なあ、少年」
レグルスは子供を見て笑う。子供は目をそらした後、うつむいた。
何を指しているのかアガーテにはわからなかったが、少なくともレグルスといたずら好きの少年は通じ合っているようだ。
対話を通して相手が気づけるようヒントを出したかと思えば、経験を通して覚えるよう促したりもする。レグルス式問答はいくつか種類があるらしい。
要約を表示すると、いくつかの親子連れがその場から離れた。同じ悩みを抱えていたのだろう。アガーテは手ごたえを覚えた。
レグルスが質問や疑問に答えて、アガーテがまとめたり補足したりする流れがしばらく続く。群衆が広場から去ったとき、アガーテは要約してきたものを見る。質問と回答ではなく、温かみのある知恵の集合体になっていた。
「ありがとう」
「よくあることですから」
端末をリュックにしまって、アガーテは立ち上がり、背伸びをした。肩を後ろに動かす。同じ姿勢にいたせいで身体があちこち強張っている。
「礼をさせてほしい」
さっきの働きはどれぐらいになるのかな、とアガーテは考える。一切れの干し肉には一切れの干し肉がワンダーの原則だという。断れば信用していない証と受け止められかねない。
「ふーむ。では、ご飯でもどうかな。君が好きなものを頼むといい」
アガーテはアスチルベの料理が食べたいと思ったが、レグルスもいるのならワンダーの料理も食べてみたい。
「近くにいい店がある。アスチルベとワンダーの料理を扱っているちょうどいいのがな」
歩き出すレグルスの後ろをアガーテはついていく。夕日に照らされた二人の影が長く長く広場に伸びている。
「そういえば、いたずらの理由、わかっていましたよね。なんで答えなかったんですか?」
「構ってほしい、とは言えんだろ。それを他人に明かされたら誰だって傷つく」




