第13話 終息、そして
――コロニー「ルート」管理者室、最後の発症者から28日経過
スノードロップはフロースアルブスで椅子に座って、空中投影ディスプレイに映るアトラスに中間報告をしていた。
ただ起きたことを並べるのがこんなに辛いものなのか、とスノードロップは苦いものを感じながら、要点を説明していく。
「定住希望者14名が発症しました。7名が全快、認知機能障害、運動失調、肺機能の低下などの後遺症者5名、死者2名です」
「そうか、リゲルとデネボラが逝ったか」
アトラスは名前を噛みしめるように呟いた。彼の顔に悲しみの色が浮かんだのはほんのわずかだった。報告書に目を通しはじめると、いつもの表情に戻った。
「感染経路がまさか、あの遠くに見えていたコロニーとは」
アトラスはやや驚いた様子で言った。
「フラワーの排気口にはUV殺菌装置とフィルターを取り付けています。ルートの緊急排気システムにも同様の改良を加えています」
「ほかのコロニーには?」
「共有済みです。現在、対策が急ピッチで行われています。都市型コロニーは周囲に看板を立てる計画が出ています」
看板の言葉にアトラスが眉を片方だけあげた。
「住人にはアルカディア菌群の弱毒株の接種もしている。そこまでする理由はなんだ?」
アトラスは各コロニーの弱毒株の接種状況のレポートを指さす。ワンダーの活動領域内にいるコロニーの接種率が高い。ほかの地域のコロニーでも接種率は上昇しつつある。
「管理者は人類と文化を守るために存在しますから」
スノードロップの言葉にアトラスは微笑を浮かべて、
「尽力と協力に感謝する」
「これからもできうることを続けます」
「重ねて感謝を」
アトラスが言いよどんだので、スノードロップは小首をかしげた。
「あのワクチンの副反応はなかなかだった」
ワクチンとはアルカディア菌群のmRNAワクチンのことだ。ワンダーは免疫機構が強く、副反応で38℃の発熱が出ると想定されていた。
アトラスは39℃台の高熱を出し、2日間は身動きが取れずベッドの上で過ごし、回復には3日程度かかったという。詳細はレポートとしてスノードロップたちに共有されていた。
「それは、大変でしたね」
「おかげでやり過ごし方がわかった」
「見事なレポートでした。ドクさんやラングさんが唸ってましたよ。あの書き方は誰から教わったのですか?」
「レグルスたちから聞いた口伝を参考にした」
「今度、レグルスさんに聞いてみます」
スノードロップは苦く感じていたものが消えていることに気が付く。
――中間報告から数時間後、コロニー「フラワー」会議室
ドクたちはレグルスと通信機を通して向き合っていた。どう話すかドクは悩んだが、挨拶は手短に本題に入ることにした。
「お二人を救うことができず、申し訳ありませんでした。私たちの力不足です」
アトラスがすぐに言葉を発した。
「君たちには感謝している。12人を助けた」
ドクが頭を下げると、エムイーやインスペクター、リコも続く。そういった動きを普段は省くメディスまで皆にならっている。ドクが頭を上げると、空中投影ディスプレイには目を閉じて祈るアトラスの姿があった。数秒の静寂。
アトラスがゆっくりと目を開いて、
「アルカディア菌群を確実に仕留めるには何が必要だ?」
彼はアルカディア菌群との戦いが続いていることを認識している、とドクは確信した。
「彼ら2名の遺体の病理解剖をさせてもらえないでしょうか」
「病理解剖……アルカディア菌群を調べるために彼らを解体するのか?」
自分の言葉に翻訳するようにアトラスは言った。
「その解釈であっています。何が起きていたのかがわかれば、次の手が打てます」
「それが我々の血肉になるのなら、彼らも本望だろう」
「血肉とはどういうことでしょうか?」
狩りの文脈からくる言葉だと思うが、念のためにドクは確認した。
「知識や文化も我々の身体を作るものだ、と我々は考えている」
その意味なら理解できるし、共感すら覚えた。
「理解しました。ありがとうございます」
病理解剖に関して共通の認識は持てた。次は具体の話だとドクは話を進める。
「彼らの遺体を解剖し、一部の組織はサンプルとして保存したいと考えています」
ドクはどのようなことをするのかのリストを表示した。そして、何が得られると期待しているのか。
アトラスはそのリストに目を通すと、どこか満足そうに頷いて、
「君たちが最善を尽くすと信じている」
決定的な言葉だった。信じてもらえたのなら最善を尽くすしかない。
「最終的に遺体はどのようにすればよいでしょうか?」
「灰を土に還して欲しい」
「場所の指定はありますか?」
「土に触れているのならどこでよい」
ふと、ラングからワンダーは大いなる循環という概念を持っている、と聞いたのを思い出した。食物連鎖ではなく、水の循環のような大きなものだという。
「大いなる循環に戻すよう努力します」
「そうしてくれ。その中で再び会うこともあるだろう。我々は星から生まれたのだから」
水の循環よりももっと大きなものだ、とドクは理解する。もしかすると、元素がどうやって生まれたのか、といった宇宙や星の生い立ちまで入るかもしれない。
「ほかに要望はありますか?」
「調査は徹底的にやってもらえないか。どれだけ時間がかかってもいい」
アトラスの言葉にドクもほかの皆も深く頷いた。
――コロニー「リーフ」外周ワンダー定住エリア、レグルスのテント
中間報告から2週間が経った。レグルスの肺の再生治療は成功し、今では定期的な検診だけで済んでいる。最近は肺の検診よりもドクやラングたちと喋る時間の方が長いという。
スノードロップはレグルスに向かう形で椅子に座っていた。軽く近況の報告を行い、感染の兆候も見られないことに二人は安堵した。
「すっかり呼吸も楽になった。これがコロニーの力か」
簡易ベッドの上でくつろぎながら、レグルスはいう。
「皆さんの力ですよ」
「それを言うなら、我々の、だろう。協力した狩りだ」
レグルスが笑う。
「今後も感染するリスクはあります」
「なら、共存するしかない」
スノードロップはレグルスの顔を見た。笑顔のままだ。
「病と共存ですか?」
「存在を認める、ぐらいの意味だ。狩りの獲物が増えた」
そこでレグルスは座りなおし、真面目な表情に切り替えて、
「ここで狩りを続ける者と、元の生活に戻りたい者がいる」
「両者ともに支援します」
「条件はなんだ?」
「前者には引き続き狩りへの参加、後者には周辺地形の情報提供を求めます」
周辺地形の探査は無人飛行機を使って上空からの探査が限界だった。未知の森を歩く術をアスチルベをはじめとしたコロニーの管理者も住人も知らない。
スノードロップがワンダーのキャンプ地まで行けたのはアトラスの道案内があったからだ。
「悪くはないが、後者は監視されたくないと反発されるぞ」
「情報発信はタイマー式を検討しています」
「それが本当だとどうやって証明する?」
レグルスは可能性を想像するのが楽しいらしい。スノードロップは彼に付き合うことにした。
「非電子の記録媒体を瓶に詰めるのはどうでしょうか」
「どうやって探すんだ?」
「わかりやすいところにおいてもらえればそれで十分です」
スノードロップの言葉にレグルスは笑いすぎてむせた。背中をさすろうとするスノードロップを片手で制して、呼吸を整えると、
「宴と干し肉一切れでは対等と言えないぞ」
「今回の狩りで犠牲者が出たことを重く受け止めています」
「それは、私たちも重く受け止めているよ」
レグルスはテントの外に視線を向けて、
「元の生活に戻りたい者たちもそうだ。対等な取引になる条件をこちらでも考えよう」
「私たちには時間が必要ですね」
「そして、私たちは時間を作った」
その時間を活かすためにも行動しよう、とスノードロップはお辞儀をして、椅子から立ち上がった。テントから出ようとしたところで、声をかけられた。
「お前さんは感情を整理するのに時間はいるか?」
「必要です」
人間の感情を知るには人間とともに在るべきだ、というのがコミュニケーターを使った管理者たちの共通認識だった。時間もその要素の一つだ。
「かけた分だけの見返りはあるとも」
なら、かけられるだけの時間をかけよう、とスノードロップはテントの外に出た。陽射しに思わず目を背ける。雲一つのない青空だ。
――コロニー「リーフ」外周ワンダー定住エリア
地形や植生の情報を記録するなら、電子的な記録手段が必要で、それを素早く回収する手段がいる。悪路走行可能な無人作業機械を同行させて、情報収集が終わったら帰還させる作戦はどうか、と回帰組から大胆な提案があった。スノードロップも案としては考えたがあまりも好都合なので却下していた。
「テントや狩りの道具、最低限の食料に飲料水までもらうのなら、これが相応だというのが皆の意見だ」
レグルスの言葉を補うように無線機が鳴った。
「オリオンだ。この方法なら、無人作業機械に歩き方も教えられる。訓練の時間が浮くだろ?」
「位置情報をリアルタイムで共有することになりますよ」
「集団の狩りの基本は互いの位置を知ることだぜ」
「わかりました。適任の無人作業機械を5機用意します」
回帰組との話はすぐにまとまり、今は定住エリアから離れた場所に拠点を作り、生活を始めている。まずはアルカディア菌群を引き離し、この期間中に問題がなければ、回帰組は出発する作戦だ。
定住組は訓練場とリハビリ施設で後遺症の克服を続けている。認知機能系の後遺症はいっとき、克服が難しいのではないか、とも言われていたが、当人の努力とドク達の支援もあって、徐々に回復しつつある。
リハビリ含めてコロニー管理者ネットワークで共有され、ワンダーとの接触時の手続きが明文化された。すでに接触したコロニーもあるとコロニー管理者ネットワークやリンカーは大忙しだ。リンカーのオブザーバーであるスノードロップもそれは同じだった。
訓練場でクロスボウに次の矢を込めて、狙いを定めているレグルスが言った。
「君は狩りに参加したことがあったな」
「一度だけ参加させていただきました」
「あの時のかな」
「はい。とても、新鮮でした。今は少し違う解釈をしています」
レグルスは引き金を引いた。鋼の矢は50m先の標的へ吸い込まれ、胴体部分に命中した。見ていたギャラリーたちが指笛吹いたり、拍手を送ったりした。
「前より調子がいいかもしれない」
レグルスが笑うと、ほかの者たちも笑った。
「どんな解釈か聞かせてもらえるか?」
「私はもっと、抽象的なものを狩り続けてきました。それが具体に形を変えただけです」
先代管理者の打ち壊しからの引き継ぎ、人工太陽の修理、インフラの責務の委譲、コロニー拡張やトンネル崩落事故を考えれば、抽象的な問題も具体的な問題も対処し続けてきた。抽象度ではなく、質感とでも呼ぶべきものの変化だ。フロースアルブスがきっかけだとスノードロップは思う。
「管理者はもっと、硬いと聞いていたが」
「ええ、ほかの管理者からも言われます」
レグルスはクロスボウをホルスターに納めると、アスチルベ産の干し肉をかじった。
「ところで個々の食べ物を管理しているのか?」
「管理は皆さんが行っています。味見や品質の管理の手伝いはしています」
「ふむ。味が薄いとは思わないか?」
確かに最初に友好の証としてもらった干し肉も、宴で振舞われた料理も味は濃かった。それでいて肉や野菜を味を殺さない味付けだった。
それに比べるとアスチルベの味付けはどこか優しく、物足りない。
「干し肉と比べると確かに薄いですね」
「保存食と同列に語るな。ふむ、勉強がもっと必要そうだな」
「調理責任者と繋ぎますか?」
「頼む」
スノードロップが経緯を伝えると、チャーリーがすぐに言葉を発した。
「味が薄いだって? 食文化に詳しい人と話がしたい」
「皆、詳しいぞ」
「あなたも詳しいのか? だったら聞かせて欲しい」
「そう急ぐな」
無線機を一瞬ミュートにして、
「お主たちはせっかちだ」
とレグルスは苦笑して、ミュートを解除する。
「時間はかかるものだ。焦らずにやっていこうではないか」
「材料も変える必要もあるしね。でも、懐かしい味にしてみせるよ」
レグルスと定住エリアで調理を担当しているポラリスが合流して、調理方法の模索がはじまった。どうも、調理器具に課題があることがわかり、エンジニアチームを巻き込んだプロジェクトになりつつあった。
協力する場面と言えば、訓練場にアスチルベの住人がやってくることが増えた。ワンダーたちは丁寧にクロスボウの使い方を教えている。最初の数日は外れていたが、教え方がいいのか、一週間もすれば中心を射抜けるようになっていた。
その様子を離れてみていたレグルスは満足そうな笑みを浮かべている。
「いい光景ですね」
「ああ」
定住組の計画が順調なのと反対に回帰組と合流した無人作業機械はトラブルが続いていた。慣れない地形でうまく歩けないのだという。
「しばらく歩き方を覚えるのに時間がかかりそうだ。この地形じゃ仕方ないな」
通信機越しに無人作業機械の足が地面をすべる音、続いて鈍い金属音が響く。
「ま、なるようになる。こいつには根性がある」
報告を聞いていた皆が笑った。スノードロップも少し遅れて笑う。レグルスはスノードロップに近づいて、
「アトラスへの最終報告のことを考えているのか?」
「はい」
「我々は狩り仲間だ。それを忘れずにな」
湿った風が吹いた。どこかで雨が降っているのだろう。
――ワンダー・グループ・アルクス旧キャンプ地
スノードロップはワンダーのキャンプ地を訪れていた。
すでに背の低い草に覆われ、ほとんど生活していた痕跡はよく探さないと見つけられない。キャラバンの止めてあった場所はまだ土が剥き出しになっていた。スノードロップはそこに簡易テントを組み立てる。外観はワンダーのテントにならっているが、構造は見直されより軽く、組み立てやすく変わっていた。
テントの中に入ると小雨が降り始めた。雨漏りがないことを確認して、スノードロップは通信機のスイッチを入れる。
「その場所か。懐かしいな」
「わかるのですか?」
「音でわかる」
アトラスと会話する時は極力、ノイズ除去をしないようにしていた。周囲の声や音が聞こえる問題はあるが、匂いと同じように音も重視していて、ノイズ除去されていると静かすぎて落ち着かないのだそうだ。
「本題があるのだろう?」
「はい。最終報告です」
スノードロップは報告書をアトラスに転送し、アトラスは慣れた様子で報告書に目を通す。
「最後の発症者から50日が経過しました。ワンダー、アスチルベの人々に感染の報告はありません」
「ワクチンと弱毒株が効いているようだな」
「はい。住人標準端末も改良し、早期発見できるようにしました」
他のコロニーにも情報を共有し、対応が行われていることや新しい予防法や治療法の模索が始まっていることにも触れた。
「元の生活に戻りたいと希望する方々がいます」
「レグルスからも話を聞いている。また、手間をかける」
「いえ、一切れの干し肉には一切れの干し肉の決まりを守っていますから」
スノードロップの言葉にアトラスは短く笑った。
「狩りの後、獲物をどう分けるかで揉めることが、稀にある」
先の希望者のことを指しているのだと、スノードロップは理解して、言葉の続きを待った。
「特に若いうちはな。応援にアルタイルを送った。力になるはずだ」
「ありがとうございます」
「彼は鞘に収まることを覚えた」
それは心強い、とスノードロップは思う。回帰組もどれぐらいコロニーから離れるのかで意見がわかれているとレグルスやオリオンから聞いていたからだ。
公式の場ではすでに話をしているが、個人的には話していない話題が一つあった。それを話すかどうかスノードロップは悩み、思い切って切り出した。
「あの、死者2名について」
「皆、覚悟はしていた。そういう狩りだった」
アトラスの声には覚悟が宿っていた。わずかに震えていることもスノードロップは気がついた。
「私たちは勝った。それでいい」
彼自身にも言い聞かせるような物言いにスノードロップは頷くしかできなかった。
「はい。アルタイルさんと合流後、また連絡します」
「わかった。よろしく頼む」
通信が終わると、テントの中を雨音が満たしていく。
「もっと、打てる手はあったはずなのに」
もし、遺伝子情報を積極的に収集してシミュレーションの精度を上げていたら? エアロゾル感染も視野に入れてフラワーを封鎖していたら? 観測器を定住エリアの建物の上に設置していたら? いくらでも案は出てくる。仮に遺伝子情報を積極的に収集していたら、大きな反発が生まれ、検査体制の確立に遅れが出たかもしれない。
「……」
過去は変えられない。諦めに似た思いとともにスノードロップはテントの外に出た。大粒の雨がフロースアルブスの表面を濡らしていく。
今も各所から様々な報告やデータが共有されている。相談や判断を仰ぐ内容のものはなかった。アスチルベは自分無しでも運営されていくだろう。昔のように危なくなったら助けに入る方針に戻しても良いのかもしれない。皆、自律しているのだから何ら問題ないように思えた。
畳み終えたテントをリュックに入れて、スノードロップは空を見上げる。分厚く灰色の雲に覆われ、大粒の雨は止むどころかより激しくなっていく。
「では、私は何のためにいるのでしょうか?」
口から問いがこぼれると同時に涙がこぼれた。もしかすると、泣くためにここにきたのかもしれない。涙は雨とともに流れ落ちて、大地に消えていく。
管理者としてではなく、スノードロップとしての存在理由を手繰り寄せようとして、答えがすぐそばにあったことに気が付いた。自身の名前と与えられたコミュニケーターが証だ。
皆と一緒に未来が見たいのだ。共に悩み、背中を押し、一緒に走る。やるべきこともやりたいこともたくさんある。ここで立ち止まっている場合ではない。
スノードロップは踵を返して、リーフの定住エリアに向かって歩き出す。雨に髪が濡れるのも、服に泥が跳ねても気にならなかった。今は、上がってきた報告やデータを必要なところに連携して、この動きを加速させるのに集中したい。
もし、情報が光として見えるのなら、彼女の周りに降り注いでいるように見えただろう。